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 第6話 「はじまり」

 「キシュウ大臣、どうか護衛とガレニア外務大臣を連れ、今すぐに王都へ戻ってください!」


 ガニエ・レパード将軍が強く訴える。

 今回の作戦の為に(しつら)えたテントに、急遽戻ったガニエ将軍の全身は、汗と、溶けた雪と、泥でぐっしょりであった。

 走ってきたのだろう。

 雪の斜面では馬は使えない。


 陣は麓よりも後方にあるとは言え、軍務大臣自らが現場に同行するというのは異例のことであった。

 マット・ガレニア外務大臣はテントの端で頭を抱えている。

 顔色は「蒼白」以外に表現のしようがない。

 ラモン村はガレニア領であり、彼の私兵たる守備隊もまた今回の作戦に参加していた。外務大臣としてではなく、ガレニア領主としての責任の元、同行したのだ。

 しかし、今回の「猿王種討伐作戦」の意味を考えれば、軍務大臣と外務大臣という二人の閣僚がこの場にいることは不思議でも何でもなかったのかも知れない。



 今、まさにカレイニア王国の崩壊がはじまったのだから。



 「まさか、わずか50頭余りの猿王種がここまでの戦力とは」


 そう言ったきり、キシュウは次の句が出てこない。

 ガニエに掛ける言葉が見つからないのだ。


 決して、油断していたわけではなかった。

 猿たちを甘く見ていたわけでもない。

 王国存亡の危機であるとの自覚もあった。

 だが、斜面を駆け下りてくる猿たちの群れに対し、麓側から追い立てるべき王国軍主力は良いように蹂躙された。


 「もはや、撤退以外に我らに残された道はありません。傭兵たちはすでに各自、離脱しています。王都に戻ったら、閣僚たちと最終防衛ラインをどこに引くかの決定をお願いします」


 「放棄するしかないのか……」


 横で頭を抱えたまま聞いていたガレニア外務大臣も、それ以上は言えなかった。

 最終防衛ラインがどこに引かれるかは不明だが、自身の領地のかなりの部分が放棄せざるを得ないだろう。

 防衛ラインの周囲も放棄するとなれば、相当な面積になる。

 また、潰される街道や、逃散する百姓たちも続出するはずである。

 彼らの保障だけに留まらない。

 今後の領地経営そのものが暗礁に乗り上げている状態だ。

 しかし、それもこれも、猿王種が縦横無尽に暴れる姿を目の当たりにすれば、諦めざるを得ないことくらいは理解できた。


 マット・ガレニアの脳裏に「廃領(改易)」の文字がチラつく。


 キシュウは腰に差した剣の柄に付いた汚れを親指の先でカリカリとこすっていた。

 考え事をしている時の彼女の癖である。

 単なるガレニア領のみの責任問題では済まない予感があるのだろう。

 すなわち、王国の崩壊。


 「(第二回の討伐があるとして、周辺国は協力してくれるだろうか……)」


 もたもたと城壁を築いたりしていては、それこそ取り返しが付かなくなる。繁殖期を迎えれば、猿たちの数も増えるだろう。

 陣を張っている場所は標高およそ1000m地点だが、餌が無くなれば、猿たちが更に山を下りてくることは間違いない。

 今回の作戦で、猿王種50頭以上という規模はカレイニア王国単独で対処出来る敵ではないことが判明したのだ。


 ガニエとしては、大臣二人のそんな姿を見せられては、逆に気を使ってしまう。


 「私は残ります。残念ですが、ここまで一方的に兵を失っては、一軍を率いた私に王都に居場所はありませんから。お二人には王都にて、ここで起きた全てを語って頂く役目があります」


 淡々と二人を諭すガニエ。

 

 失った800名以上の兵たちは、猿王種の餌になる。

 現に、死体を集める数頭の猿も確認している。それを糧に、猿たちは数を増やすだろう。

 作戦に参加した兵たちの遺族に何と説明すれば良いのか。

 

 「済まんな」


 キシュウは無念そうにそう応えるのが精一杯であった。


 斥候が戻らなかった時点で、作戦は一旦中止にすべきであった。

 それでも中止しなかったのは、既に軍の編成は終わっており、あとは開戦を待つばかりであったからだ。

 1500人規模の軍団ともなれば、そうそう小回りは利かないのだ。


 軍を麓に駐留させるだけで、日に100万セラ以上必要になる。

 いつまで駐留させるか未定のまま、ただ時間を浪費するなど、カレイニア王国の財政上、許されることではなかった。

 仮に作戦の見直しを計ったとしても、良い目が出る保障などどこにもない。


 結局、ラモン村に詳しいドワーフ族を急遽呼び寄せ、先導させた。

 だが、いくら土地に詳しいドワーフ族が先導すると言っても、新しい雪渓や割れ目、雪崩の危険がある雪溜まりなどは、その場で確認しながら進むしかない。

 安定しない積雪を踏み抜き、兵を失うことにでもなれば、それこそ、何と戦っているのか分からない。

 その為、「森王の谷ルート」組の進軍が遅れた。


 「仕方ありませんよ。ここで殿(しんがり)を務めて命を落とす方が気楽で良いくらいですよ」


 ガニエ将軍は力なく笑う。


 「……」


 作戦失敗の責任を取るつもりなのだ。


 「では、私は前線に戻ります。失礼ッ」


 立ち去るガニエに掛けるべき言葉が宙に霧散する。



 だが――


 とキシュウは考える。

 そもそも、自分たちに勝てる目はあったのかと。


 今回、1500名規模の討伐隊を組んだ。

 討伐隊とは名ばかりで、実際には、第一軍を投入した、明確な軍事行動である。希望は倍の3000名規模であったが、思い通りにならないのは戦の常だ。今更言っても仕方が無い。


 三分の一にあたる500名を「森王の谷ルート」に回した。そこから弓や槍、土系・水系魔術によって、麓に追い立てる。そして、麓で待ち構える1000名の王国軍で迎え討とうという作戦であった。

 これのどこが問題だったのかと。


 最初にキシュウとガニエの度肝を驚かせたのは、確かに予定よりは遅れていたとは言え、「森王の谷ルート」に回った500名の進軍を察知された上に、猿たちが当然のようにラモン村を捨てたことであった。猿たちには「拠点」の発想がないのかもしれないと勘ぐったほどだ。


 当初の予定では、ラモン村で緒戦を開き、数を減らした上で、麓に追い立てようと考えていた。しかし、猿たちは真っ直ぐに麓を目指して下りてきたのだ。


 高い位置から、丸太のような投げ槍を放ちながら。


 300m以上先から放物線を描きながら高速で飛来する丸太は、ドスンドスンと地面に突き刺さり、戦列を乱した。


 カレイニア王国が誇る宮廷魔術師の放つ炎弾や風斬りは、猿たちを驚かせる手品にもならなかった。

 高低差を利用し、恐るべき速度で迫る3mの巨猿に対しては、柵や壕なども役には立たず、容易に接近を許した。


 400kg以上ある巨体はそれだけで待ち受ける王国軍を圧倒した。


 振られた腕が当たれば、鎧の下の骨が何箇所も砕かれる。体当たりを食らい、衝撃によりショック死した者も多い。

 巨大な手で頭や腕を掴まれれば、想像を絶する握力で握り潰されるのだ。

 当然、牙もある。

 また、生半(なまなか)な弓などでは、猿たちの厚い筋肉を貫けない。飛び道具が使えないのだから、勢いに乗った猿の進軍を止める手段がない。

 高い心肺機能と巨大な筋肉に支えられた巨猿の肉体は、白い悪鬼そのものであった。

 そしてそれは兵たちの原初的な恐怖を呼び起こした。

 

 しかも、白い悪鬼だけではない。

 10頭以上いた灰色の悪鬼たちは、倒した兵の剣や槍を奪い、両手に持って振り回す。

 圧倒的な膂力によって生み出される剣速の前では、近付くことさえ容易ではない。


 鈍重かと思われた400kg以上の巨体は、その実、高速で動く殺戮兵器であった。


 一頭一頭の戦闘力もさることながら、キシュウやガニエをさらに驚かせたのは、猿たちが普通にアラト語を操っていたことであった。

 しかも、リーダーと思われるブラックピテクスの指示を実に良く理解していたのだ。


 「(あれはもう、一頭一頭が高レベルのれっきとした軍団だ。質の伴わない数では止められない)」


 カレイニア王国が投入した第一軍は決して低レベルではない。

 それはキシュウ軍務大臣も理解している。

 だが、一頭につき30名で当たれば抑えられる、という発想は間違っていた。

 実際に戦ってみて、それは人間にとって、実に都合の良い机上の空論に過ぎなかったのだと。

 数に頼れば倒せるなど、どうしてそんな思い違いをしてしまったのか。


 『一個の質は、万の量を凌駕する』


 それが戦場の掟である。


 猿たちのことを知らなさ過ぎた。

 作戦を間違えた。

 戦場の掟を忘れていた。


 「(だが、それら全てを承知していたとして、果たして、猿どもを討てたかどうか……)」


 もう一度戦うならと仮定した場合、1500名を3000名に増やしたところで、到底、猿たちに勝てるとは思えなかった。

 結局のところ、一頭につき30名が、60名に増えたに過ぎないからだ。


 杭に繋がれた馬の手綱を(ほど)きながら、キシュウは王都に戻って、どう報告したものかと考えていた。



 ▼カレイニア王国軍の被害

 ・王国軍1200名中、716名死亡(王国騎士団17名含む)

 ・辺境警備隊200名中、68名死亡

 ・ガレニア領守備隊40名中、33名死亡

 ・カレイニア王国宮廷魔術師7名中、3名死亡

 ・傭兵150名中、42名死亡


 尚、死亡は全て行方不明も含んでいる。猿王種にとって、人族の死体は食糧だからだ。死体を確認出来ない兵は全て死亡扱いとなった。


 傭兵を除き、実に1447名中、820名が死亡という、大惨事となった。

 一方、猿王種の被害は――



 ――ゼロであった。



 ◇◆◆◆◇



 すでに猿たちは、狩りに出ている数頭を除き、広場にほぼ全頭が集まっていた。

 数は幼い猿も合わせて、61頭。

 リウドが緊急の集合の合図を掛けてから、2分ほどである。

 何度も繰り返した成果であろう。


 「次に集合の合図が出た時は、今回の半分の時間デ集合して欲しい」


 集合の合図は、乾いた木と木を拍子木のように合わせて、音を鳴らし続けることである。音が鳴り終わる前に集合するように、周知している。


 その時、遅れた年嵩の猿が慌てて駆けつけた。

 手にはドワーフの腕が握られている。

 食事の最中だったのだろう。


 「ヨキ、あのノロマを殺せ」


 次の瞬間、ヨキから放たれた投げ槍が、遅れて駆けつけた猿の胸を正確に貫いた。


 「「「「「!!」」」」」


 ちなみに、集合の合図の際に粛清された猿は今回で二頭目である。

 過去に訓練の際、眠りこけていた者を殺している。


 ほとんどの猿たちは、集合の合図に関して、リウドが異常にうるさい為、集合に遅れることは「マズいこと」だと理解している。


 普段から、群れを抜けることは問題ないと周知しているので、残った猿たちは、群れを抜けたくないと考えているはずである。

 当然、猿王種にとってはあり得ないほど大きな群れなので、メリットもあればデメリットもある。

 飢えなくなったことが、最大のメリットか。

 だが、そのメリットを享受しつつ、デメリットを甘受しない者をリウドは許さない。

 デメリットはやはり大きな群れを維持する為の、細かいルールが生まれたことだろう。

 基本的に、ルールとは我慢を()いるものだ。


 ただの猿の群れが、別の何かに変貌しつつあった。



 「現在、森王の谷から人族が大勢近付いてきている。ゴドウは人族の規模を確認して来てくれ。確認したら、すぐに山を下りて俺たちに合流シろ。戦わなくて良い。先に下の人族を倒しテ、全員で上の敵を討つ」


 「了解シタ」


 「カノウは2歳以下の猿を連れて――、あの木が良いな。あの大きな木の下で待機しテいろ」


 「了解ダ」


 ゴドウもカノウも湧き上がる興奮を何とか制御しようするように、短い返事を返す。


 「一旦、村を捨てる。行くぞ、お前たち!!」


 「「「「「オオオオオ!!!!」」」」」


 ゴドウとカノウと小猿(と言っても200kg以上あるのだが)5頭を除く全頭が山を駆け下りる。

 若い猿や、灰猿たちは皆、理解しているが、年長の猿たちは普段の「狩り」と雰囲気が違うことに戸惑っていた。


 若い猿たちにとっては「(いくさ)」であったが、年長の猿たちにとっては、「狩り」の感覚が完全には抜け切れていないのだ。

 もっとも、年長の猿たちも空腹の時に出掛ける「狩り」とは違って、心の底から湧き上がる高揚感だけは、しっかりとその身に感じていた。

 

 得体の知れない熱狂が、世代を超えて猿たちの中から溢れ出す。



 駆け下りる全頭が投げ槍を二本ずつ持っている。

 麓より進軍してくる人族の列が見えた。


 「投げ槍、放てッ!」


 腕を組んで、群れの若干後方に仁王立ちのリウドが命令する。


 「「「「「オウッ!!」」」」」


 山の斜面から放物線を描いて、50本近い丸太が人族の戦列に降り注ぐ。

 猿にとっては木を削っただけの「投げ槍」であったが、王国軍にとっては、まさしく「先の尖った丸太」であった。

 矢であれば盾で防ぐことが出来る。

 投げ槍であっても、優秀な兵ならば盾で受け流したり、払い落としたり。

 

 だが、まるで柱が降ってくるがごとき丸太なら?

 王国軍にとって、位置エネルギーも伴った丸太は、もはや質量兵器と言っても過言ではなかった。

 隊列を維持するのは不可能であろう。


 先手を取ったのは猿王種。

 そして、当然のように、猿王種による蹂躙がはじまった。

 それは魔物の大暴走(スタンピード)ではない、猿王種史上初の「戦」であった。


 愚者の前に現れた運命の扉。

 その扉を開けた先に賢者への道が続くとは限らない。

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