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 第5話 「迷宮」

 リウドの心臓がバクバクと早鐘を鳴らす。

 その敵は危険だと。


 大顎系竜種・ベリオクスス。

 四本足にしては動きが速く、時には二本足の竜種さえ食い殺すことがある。体長は最大で20mにも成長する。気性は極めて獰猛。主に森の深くに生息し、ゴツゴツとした分厚い皮膚に毛の類は一切生えていない。心拍数を落とし、消費カロリーを節約することは出来るが、冬眠はしない。


 つまり、ベリオクススは寒冷地に適応した種ではない。


 ここは標高2000m近い山の天頂(てっぺん)にぽっかりと空いた竪穴。

 本来なら、このような高地にはいるはずのない竜であった。


 リウドがゴドウとカノウに視線を移すと、二頭とも完全に固まっていた。


 比喩ではない。

 ベリオクススのスキル『咆哮』をまともに食らったからだ。


 スキル『咆哮』は言ってみれば、魔力攻撃のようなものである。食らった者は身体の自由を奪われる。正確には、体内魔力の循環を阻害される状態異常に陥る。

 もちろん、『石化』などと違って、スキルを食らっても、意思のみで解くことが可能だが、初見なら瞬間的に動きが止まるのは仕方のないことであった。


 彼我の距離は70mほどだろうか。


 実際のところ、四本足のベリオクススに50m以上ある垂直に近い壁を登る術はないのだが、初めて見た猿たちに、そこまでの『解析』を要求するのは酷だろう。

 頭の先から尻尾まで20mはある。

 50mの壁は、もしかしたら登ってくるかもしれない、と本能的に恐怖する微妙な高さであった。


 「リウド……あ、アレは、何ダ?」


 ゴドウもリウドが答えられないことくらい分かっている。

 だが、尋ねずにはいられなかったのだ。

 ゴドウがリウドに尋ねたのとほぼ同時、カノウが『咆哮』による状態異常から復活した。


 リウドとしても、聞かれたところで竜種の知識などない。


 ただ、ゴクリと唾を飲み込んだだけである。


 寒冷地に適応した竜種は総じて高位の竜である。

 『強化』ではなく、寒さ対策としてのスキルか、魔術的補助が必要だからだ。

 ベリオクススは竜種の中では、それほど高位というわけではない。戦闘力としては高いのだが、土属性系以外のスキルも使えないし、寒冷地にも適応していない。

 そもそも高位の竜種はスキル『飛翔』が使える為、わざわざ餌の少ない寒冷地を生活圏(テリトリー)にすることはない。暖かくて、餌の豊富な土地に飛んで行けば良いのだから。


 つまり、基本的に、竜種と猿王種の生活圏は重ならないのだ。

 だからこそ、ベリオクススのような存在を、リウドは見たことも聞いたこともなかった。

 ゴドウに尋ねられても、答えようがない。

 村にいる年長の猿たちに聞いても、おそらくは知らないだろう。


 だが――


 「リュウ……」


 「「……リュウ?」」


 ベリオクススは周囲を見渡し、もう一度大きく吼えた。

 そして、大きな糞をヒリ出したかと思うと、ゆっくりと洞窟の奥に戻って行った。


 正確にはベリオクススではないが、リウドは竜を知っていた。


 何故か。


 リウドはマギバッグ(リウド呼ぶところの『秘密袋』)から絵本を取り出した。

 それはリウドが最初に手に入れた本であった。

 何度も何度も読み返した為、装丁はかなり傷んでいる。


 タイトルはカスれてしまって、ほとんど判読できないが――


 『勇者ジョージの竜退治』


 ――と書かれていた。


 エドラ正教会が出版した、幼年用教化目的の絵本である。

 最初に手に入れた本というだけではなく、字が大きく、挿絵も描かれている為、未だ、リウド一番のお気に入りであった。


 「少し形は違うが、多分、これの仲間だろう」


 一騎駆けの勇者ジョージが、勇ましくも竜と対峙している場面の挿絵。


 「馬鹿ナ! アンナ巨大なトカゲと、人族がタッタ一頭で闘エルワケがナイッ!」


 激昂するカノウ。

 先ほど、ベリオクススの『咆哮』により状態異常に陥ったことが、余程頭にきているようだ。


 討てるか討てないかではなく、まずは村の猿たちにどう説明しようかリウドは考えていた。

 リウドのおおよその計算では、村に備蓄している食糧(ドワーフの死体)がもつのは、あと15日ほど。


 「(山を降りることも考えなくてはならないカ……)」


 山を降りれば、(広義の)人族が数多く生息していることを猿王種たちは知っていた。

 だが、時々、人族の群れに逆襲に遭うこともまた、経験上知っている。


 「(今の俺たちでは、とてもじゃないが、あのリュウは狩れない。木を削っただけの槍では、あの厚く硬そうな皮膚は貫けないだろう)」


 リウドはあれだけ自信のあった、丸太から削り出した槍が、急に無価値なものに成り下がってしまったかのような錯覚を覚えていた。


 決断しなくてはならない。


 リウドは群れのリーダーなのだから。


 その時、リウドの足裏が、数頭の人族の動きを捉えた。

 リウドたちの方へ真っ直ぐに近付いて来ている。

 リウドの次に気付いたのはゴドウ


 「人族ガ……3頭、近付いて来テルるゾ」


 カレイニア王国『猿王種討伐隊』の斥候であった。

 ルート確認、障害物の発見と除去などが主な任務である。

 ルート確認には、道程だけではなく、兵站の規模の算出なども含まれる。

 討伐の決行日は3日後。

 事前調査が3日前なのは、用心の為である。

 絶対に失敗出来ない作戦だからだ。


 「隠れよう」


 「かっ、隠れルだと? 何デ隠れルのだ? 今から狩れバ良いジャなイカ」


 「狩るにしても、様子を見るにしても、どちらにしても隠れるのだ。ひとまず、クラドを待たせている場所へ戻るぞ」


 一気に人族を狩ってしまいたいカノウだったが、リウドの決定を無視するほどの覚悟はない。

 カノウはクラドのことをすっかり忘れていたことを少し反省した。


 リウドは素早い動きで、来た道を戻る。

 ゴドウとカノウも後ろから付いていく。


 クラドもベリオクススを見ているはずであった。

 リウドは何はともあれ、とにかくクラドの意見を聞きたいと考えた。

 人族の動向は気になったが、森王ディーマンモスが狩れなくなったのだ。一応、1頭だけ穴の底に残ってはいるが、すぐにトカゲの化物ベリオクススに食われるだろう。穴の底に降りない限り、森王ディーマンモスは狩れないのだ。

 そうなると、結局、森王ディーマンモスよりも、トカゲの化物の対策の方が重要だ。トカゲの化物は間違いなく森王よりも強いのだから。


 「長ヨ。俺タチがアンナ化物を本気デ――」


 ――狩れると思っているのか? と問おうとしたクラドであったが、寸前で飲み込んだ。

 リウド、ゴドウ、カノウの3頭の表情が、いずれも、クラドがかつて見たこともないほどに沈んでいたからだ。


 「ここなら人族からは気付かれないだろう」


 リウドはそう言ったっきり、山の斜面に寝そべり、体勢を低くする。リウドの視点は一点を見据えている。


 10秒ほど後、カレイニア王国軍の斥候がその姿を現した。


 「大トカゲに人族、ココは次カラ次に、新しイ獲物が現れルのダな」


 軽い冗談のつもりだったが、リウドの目は真剣であった。

 リウドは3人の斥候が話している内容を何とか聞きとろうと必死だったのだ。


 リウドは『猿王の力』を解放する。

 何のことはない。

 ただの『聴覚強化』である。

 だが、効果は絶大であった。



 「ここが森王の住処か」


 「あ、あそこ! ディーマンモスがいます!」


 「どうして、こんな穴の底にディーマンモスがいるんだ?」


 「ゼン、あれを見ろ。どうやら一頭というわけじゃないらしい」


 斥候の一人が、散乱した、かつてディーマンモスであった残骸を指差す。


 「まだ新しいですね。森王は満腹して、横穴の奥で一休みってとこでしょうか」


 「森王が食ったんだろうが、そもそも、ディーマンモスが何でこんな山頂の穴の中に何頭もいる?」


 3人の斥候はすぐに一つの可能性に気付いた。

 本来、いるはずのないディーマンモス。

 まともな餌が無いはずの穴の底で、20年近くも生き続けるベリオクスス。



 「『迷宮』が生まれていたのか……」



 ゼンと呼ばれた斥候がポツリと呟いた。

 ベリオクススは召喚された魔物を餌に生き永らえていると。

 そもそも、そのベリオクススとて、最初は召喚されたのではないか。

 ならば、森の奥深くに生息するはずのベリオクススが、2000m級の山頂にいることの説明が付く。


 「しかし、ドワーフどもは、なぜ、『迷宮』のことを黙っていた?」


 「黙っていたというよりも、報告していなかっただけでしょう。あるいは興味が無かったか。いずれにしても、ドワーフ族にはドワーフ族の流儀があるんだと思いますよ」

 

 

 その時、斥候の一人がリウドたちが隠れている場所に視線を向けた。

 声のトーンが一段、否、二段下がる。


 「猿どもの斥候だ。おそらく4頭」


 男の言う通り、猿王種が4頭、岩の陰に隠れているのを他二名もすぐに確認した。

 距離は離れているが、猿王種とまともに相対して生き延びられる可能性は極めて低い。

 発見の遅い早いがそのまま生存確率になる。


 「斥候かどうかは微妙だな。群れから外れた『はぐれ』が新しい群れを作っただけかも知れん。ピート、ライル、一応、臨戦態勢を取った上で、すぐに逃げられるように準備しておけ」


 三人組の斥候のリーダー・ゼンは猿たちが『斥候』を出すほどに、高度な知能を持っていることを信じたくないらしい。

 

 確かに斥候ではなかった。

 もちろん、「はぐれ」でもなかったが。

 

 「(しかし、猿どもは何故隠れる必要がある?)」



 ピリピリとした、数分の緊迫した時間が過ぎ、やがて猿たちは何を思ったのか、去って行った。


 「ふぅ~。まさか、『森王の谷ルート』の確認の最中に、猿王種に遭遇するとは思いませんでしたよ……」


 「あぁ、しかも、最低二頭はグレイピテクスだった。全く、生きた心地がしなかったぜ」


 実は4頭ともグレイピテクスだったとは、3人の斥候たちも思わないだろう。しかも、リウドに関しては、あちこちの毛が日に日に黒っぽくなってきていた。見る者によっては、ブラックピテクスと判断しても不思議ではないほどに。


 「さて、『はぐれ』も去ってくれたし、もう少し時間を置いたら、ルート確認を再開するぞ。やつらが向かったのは、村とは逆方向だ。多分、手頃な餌でも探していたんだろう」

 

 彼らが下調べをしているルートは、ラモン村の山頂から下りながら攻撃する組の進軍ルートである。ラモン村を大きく迂回しなくてはならないので、下調べが必要なのだ。


 ドワーフ族から詳細な地図を取り寄せてはいるが、新しい崖や、行き止まりが出現しているかも知れない。また、雪崩の危険がありそうな急斜面の雪溜まりも、予め崩しておく。

 念には念を入れるのは、此度の作戦の意味を理解していれば、むしろ当然の措置だろう。

 現に討伐軍の中でも、精鋭と呼ばれる者たちは皆、今回の猿王種討伐が、単なる討伐ではなく、国の興亡に関わる「戦」だと考えている。


 山頂から回り込む組は、歩兵はもちろんだが、土属性、水属性といった、重力を利用出来る魔術師が参加する。総員500人規模になる予定。

 残りの1000人はラモン村の麓から追い込む組。火属性と風属性を得意とする魔術師が参加する。

 ようは、猿たちを挟み撃ちにしようというわけだ。


 

 「クラド、お前は理解出来たか?」


 「長は毛長の四本足ヲ『森王』だト言っタな」


 「ああ、言った」


 そう言って、リウドはニヤリと牙を剥いて笑う。

 現在、クラドを背負子に乗せて背負っているのはリウド。

 リウドが笑ったことに、クラドは気付かない。


 「多分、長が『森王』ダト言っタ毛長の四本足、その正シイ名は、『ディーマンモス』ダ。そシテ――」


 リウドは人族の話をクラドが正しく理解していることに、心の底から感動していた。

 有能な部下を誇らしく感じるのは当然の心理だ。


 「そして、四本足のリュウこそ、『森王』だな、クラド」


 リウドがクラドの言葉を先回りすると、カヒッカヒッとクラドが子供っぽい笑い声を上げる。


 「「?」」


 ゴドウとカノウは二人の会話が理解出来ない。

 ゴドウもカノウも「猿王の力」で、『聴覚強化』していた。人族の話を聞いてはいたが、全く理解出来なかったのだ。


 ――「『迷宮』が生まれていたのか……」――


 人族の一人がそう言った。


 「しカシ、『迷宮』が分かラナイ。『迷宮』が『森王』以上の化物ナラ、モウ、こノ地は捨テルべきダ」


 「その心配はない。『迷宮』が『森王』以上の化物なら、『森王』だって、とっくに食われているはずだ」


 ドワーフ族の持っていた地図に記されていた『森王』の文字。

 それは以前から『森王』があの地にいたことを示している。

 つまり、『迷宮』が『森王』以上の化物であるはずがないのだ。

 あんな穴の底で『森王』と、さらにそれ以上に強い『迷宮』が二頭も生き続けられるわけがないではないかと。


 現状、猿たちが『迷宮』を『迷宮』として正しく理解出来る材料は皆無であった。

 実際のところ、『迷宮』はそういう(・・・・)生物(・・)という説もあるが、この場合はそういうことではないだろう。


 「リーダー、この辺デ良いんジャないか?」


 ゴドウが尋ねる。


 「そうだな。クラド、悪いがここで待ってろ」


 リウドたちは3人の斥候たちの風下に位置していた。

 彼らがそのまま下山していれば、リウドたちは追わなかっただろう。だが、残念ながら、彼らが向かったのはラモン村方向。

 運命の明暗はくっきりと分かたれた。

 

 「大した獲物じゃないが、無いよりはマシだ。ディーマンモスもトカゲの化物もすぐには狩れない。しかし、あの3頭なら簡単だ。今日のところはそれで満足しテおこう」


 リウドの体毛は灰と黒の半々。その為、白猿に比べると、身長も体重もサイズ的には小さい。それでも、2m50cm、400kg近くはあるのだが。

 カノウもリウドと同じか、少し大きいくらいか。

 ゴドウに至っては、灰猿にも関わらず、3m、500kg近くあった。


 その3頭が、3人の斥候に向かって、風下から恐るべき速度で殺到した。

 猿たちはたった3頭であったが、それはまさしく「殺到」という言葉に相応しいものであった。

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