第3話 「ヨキ」
現在、リウド以下、クラド、ゴドウ、カノウの4頭の猿王種が目指しているのは、「森王の谷」。
距離は彼らの足で1時間ほどだろうか。
クラドが麻袋を被せた右足に異変を感じたのは、猿王種たちが拠点にしているラモン村を出て、30分もしない時だった。人の通り道を外れ、「森王の谷」へのルートをとってすぐであった。
「(溶けタ雪が足の底につイテ、歩きにくい上に、滑りやスクなるノカ)」
左足は何も装着していないので、足を滑らせるようなことはなかったが、両足に麻袋を被せていたら、場所によっては、滑落の可能性も否定できない。
麻袋に保温用(?)の木屑を詰めただけである。
歩いている内に、木屑は指先や甲の部分に寄り、足底はほとんど麻袋一枚になっていた。足裏から体温が伝わり、溶けた雪が足裏に染みてきていた。
材質を工夫すれば別の結果が導き出されるのだろうが、猿たちにそこまでの選択肢は存在しない。それはクラドであっても同じである。
「(となるト、このままデハ使えないか)」
工夫が必要であった。
裸足と違って、雪の上に足を乗せるだけだから、どうしても後ろに蹴る時に滑るのだ。指先で地面を掴めない。
「(尖ったトゲのようなモノを底につけタラどうだろう。いや、トゲだと平らナ道ダト歩きにくイカ)」
即座にスパイクを連想するあたり、リウドが猿王種始まって以来の天才と認めるだけあって、只者ではない。
足首から下を何かで覆えば、足指を使えなくなるのだから、当然、地面を掴む力は弱くなる。靴をデザインするには、足の構造を理解し、歩く、あるいは走るメカニズムも理解しなければならない。
「(普段、何気ナク歩いてイルのに、意識して歩ケバ、ただ歩クことガ、こんなニモ興味深イものに変ワルのだナ)」
だが、クラドの知的好奇心も、そろそろ限界のようであった。
まだ、8歳。
身体はリウドよりも大きいほどだが、子供である。
大きな身体が、逆に重しとなって、体力を奪っていく。
体力を失えば、集中力を欠き、足元が疎かになる。
猿王種は、上位種に変態するに従い、身体が小さく締まっていく奇妙な特徴を持っている。つまり、ただの子供の方が身体のサイズ自体は大きいのだ。だからと言って、その大きな身体を維持できる程の筋量はない。
大人に比べて足裏の薄いクラドにとっては、長時間の雪中――どころか、所々は氷と化しており――行軍は、些か厳しいものとなりつつあった。
「長ヨ、俺はこのあたりガ限界みたいダ。我慢して付いて行っテモ迷惑を掛ケルかも知レナイ」
「……そうか。お前が無理だということは、他の若い猿たちも無理なんだろうな」
「ハァ……、コレを使えといウことカ……。サスガはリーダーだが、当たっテ欲しくハなかっタヨ」
ゴドウが諦めたように天を仰ぐ。
一同はガヒッ、ガヒッと猿王種独特の笑い声を上げる。
ゴドウが背負っているのは、ドワーフ族の「強力」が使っていた背負子である。
ドワーフ族の男がいくら厚い身体をしていると言っても、3m300kg以上の猿王種に比べれば小さい。背負子はドワーフ族の身体に合うサイズに作られている。
だが、背負子の構造自体を理解していたリウドは、ショルダーベルト(肩紐)を延ばすことで、猿王種にも使えることに気付いていた。
何の為に背負子を持って行くのか分からなかったクラドだが、やっとその意味がわかったらしい。
「あまりニ賢い長とイうのも問題ダナ。部下の心をヲ傷つける」
つまり、クラドが途中でリタイアすることは、リウドの想定内であったということだ。
リウドとゴドウ、カノウの三人は、再びガヒッ、ガヒッと大笑い。
「何、お前が袋の実験をすると聞いて、俺も実験を思いついたのだ。これは一頭につき、どれくらいの肉を運べるのかの実験だ。悪く思うな」
クラドは子供と言っても、サイズはリウド以上である。体重は300kg以上ある。
ゴドウは灰猿にも関わらず、特別に大きいし力もある。もし、ゴドウがリウドを運べなければ、怪我をした同胞を誰も運べないことになる。
だが――
「コノ背負子といウのは便利な道具ダナ。『猿王の力』を借りなくテモ大丈夫なクライだ」
ゴドウの言う、『猿王の力』とは、いわゆる、『強化』のことである。
猿王種は魔物であり、当然、魔核を持っている。体内魔力だけではなく、魔核自体に魔力を蓄えることも可能だ。
魔法陣を使った複雑な魔術は無理だが、属性変換が出来る固体は存在するし、『強化』はほとんどの魔物が使えると思って間違いない。
もし、体内魔力と魔核を併せ持つ魔物が、それら魔力を意識して『強化』に全振りしたらどうなるか。
50頭の猿王種の討伐の為に、カレイニア王国が1500名の職業軍人と200名近い傭兵を用意したのは、大袈裟でもなければ、安全マージンでもない。
相応の戦力だと看做しているからだ。
猿王種一頭につき、30名以上であたる計算になる。
「雪道でも、『猿王の力』を使えば、やはり猿一匹分程度の運搬は問題はなさそうだな」
「コノ背負子を使エば、雌でも運べるダロウ」
言葉通り、ゴドウの歩くペースは全く変わらない。雄の個体なら、300kg以上の荷であっても、どうということはないのだろう。
広義の人族の中でも、特に力持ちであるドワーフ族の「強力」がほとんど四つん這いで一歩一歩確かめるように運んでいた荷が250~300kgくらい。
猿王種にとってその程度の荷は、『強化』を使わずとも、雌でも運べる重量らしい。
それから20分ほど歩くと、下り坂になってきた。
「あれが『森王の谷』だ」
山と山の間に出来た、いわゆる「谷」というよりは、山の頂上部が抉れたような、ちょうど、火山の噴火口のような形状である。
深さは50m以上はあるだろう。
「あ、一匹ダケいル!」
最初に「森王」の存在に気付いたのはカノウ。
「前、来た時は6匹もいたんだがな。奥が陰になっていて、ここからじゃ良く見えない」
「とりあえず、周囲を一回りしてみヨうか」
一同、リウドの提案に、是非もないと頷く。
カノウとゴドウは「森王」が気になって仕方ないし、リウドとクラドは階段を掘るポイントを見つけたい。
結果、絶対に森王を刺激しない、という条件で、二組に別れることになった。
「長に背負っテもらウのは気が引ケル」
「気にするな。それより、俺が気付かないポイントもあるだろう。クラドも気にしておいテくれ」
「了解ダ」
◇◆◆◆◇
「ベラン、リーダータチはドコヘ行ったンダ?」
ベランと呼ばれた猿は、今回村に残った猿たちの中で、唯一、前回「森王」を見た個体である。
「『森王』ヲ討ツためノ準備ダロウ」
「モシ、リーダーたちダケデ狩っテしまッタら、俺タチは肉にアリツケナイのではナイカ?」
「ソレハない……と思ウ」
『森王』のサイズを考えれば、数頭の猿たちだけで食べられる量ではない。しかし、ベランはそのことを上手く説明出来ない。
「ソレヨ。『森王』とはドンなケモノなんだ?」
「俺タチ10頭合わセタよりモ大きイ、毛ムクジャラの獣ダ」
質問されることによって、ぼんやりとした思考が整理され、正しく答えることが出来たようだ。
聞き耳を立てていた他の猿たちが、ベランが「森王」について話始めた為、ゾロゾロと集まってきた。
先ほどから投げ槍の訓練を続けていたが、巨大な肉の塊が頭に浮かんでいるのだろう。一度集中力が切れると、気もそぞろになり、もはや訓練どころではないと、槍を放り出して、ベランを取り囲んでいる。
ベランが話している毛むくじゃらの大きな獣。
正式名称を『ディーマンモス』という。
平均サイズの個体で、体重は10数tもなる。長い牙と長い毛、長い鼻が特徴である。主に北大陸の大雪原に住む魔物であり、巨体を維持するためにも、広いテリトリーを必要とする種だ。
ズカンッ
猿たちの背後で、盛った土の的に、投げ槍が勢い良く当たった音が響いた。ちょうどベランの話が途切れた瞬間であった為、その音は余計に大きな音に感じられた。
「投げ槍ノ腕前は、ヨキが一番だナ」
ヨキと呼ばれた猿は、的に埋まった槍を引き抜いた後、今度は先ほど投げた場所よりも、さらに的から数歩離れた場所に移動する。
そして、投げ槍を持たず、空手で何度か投げる真似をする。
どうやら、フォームを確認しているらしい。
猿たちの中では、ヨキが最初にフォームの重要性に気付いた。
力だけなら、ヨキよりも強い猿はいたが、投げ槍の速度、命中度はヨキが最も優れていた。
ヨキはリーダーであるリウド、力自慢のゴドウ、天才クラド、そのいずれとも違うタイプの猿であった。
2031年の地球人なら、こうタイプ付けするかも知れない。
『アスリートタイプ』と。
「やハリ、投ゲ方を工夫すルことデ、槍の勢いガ全く違っテくるノダナ」
若い猿たちの進歩は目覚しいものがあった。
リウドが食糧を一括して管理、配給することで、猿同士で獲物を独占することが無くなったのだ。お陰で、過度の満腹や、飢えが減った。
さらに、役割分担することで、猿同士で知識や情報の共有が捗るようになった。このことは特に、若い世代の猿には顕著であった。
何かを一人が出来るようになると、それを真似して、次々に同じことが出来るようになるのだ。
投げ槍もその例に漏れない。
元々、身体能力の高い魔物である。
巨体に比例して、筋量も人族が想像する以上にあり、大きな身体で高山地域を生活圏としている為、心肺能力も桁外れに高い。
その猿たちが、現在、『スキル』を身に付けつつあった。
スキル『投槍』。
ヨキが猿王種始まって以来のスキル、『投槍』を取得するまで、あと僅か。
投げ方、命中精度、そしてもう一つ、投擲の角度と距離の関係。
この三点の理解と実践が取得条件である。
「鬼に金棒」ならぬ、「猿に投げ槍」といったところか。
ヨキと同じく若い一頭の猿が気まぐれに声を掛けた。
「ヨキ、オ前、あノ的にどレくらい離レタ場所カラ当テラれル?」
「やっテみないとワカラナイ。今はリーダーもイナイことだシ、試しテみるカ」
ヨキがニヤリと笑うと、僅かに上顎が持ち上がり、鋭い犬歯がギラリと光った。
運命の扉が、愚者の前に姿を現した。
それはいつも偶然を装い、選択を迫るのだ。
その扉を、開けるのか、開けないのか。
ヨキは10歩ほど下がった所で的を振り返る。
そして、さらに10歩下がる。
「(こノ辺りカ)」
ヨキが問題なく届くと判断した距離は、およそ80m。
元はただの遊びの一環であったが、集中力が高まり、現在、ヨキの目には80m先の的しか見えていない。
周囲は真っ暗、その先に的だけが白く浮かび上がっている。
だからだろうか。
槍を構えた瞬間、己の投げた槍の射線が、脳内にくっきりと見えた。
「(駄目ダ。的に届ク前に、地面に落チル……)」
ヨキは的まで届かないと判断し、戻ろうとするも、ふと、立ち止まる。
的まで届かないと感じながらも、ヨキの脳内の何かが、それを拒否したのだ。
極限にまで集中していたからだろう。
再び、投げてもいない槍の射線が脳内に浮かぶ。
「(なるホど、的に当テル工夫ではナク、遠くに投ゲル工夫をすレば良いノカ)」
ヨキはガヒッ、ガヒッと唐突に笑い始めた。
「「「「「?」」」」」
他の猿たちは、ヨキが何を笑っているのか分からない。
ヨキは笑いながら、すたすたと大股で30歩以上下がった所で止まった。
そこが限界だと考えたわけではない。
単に、それ以上は広場の外だったからだ。
現状、猿たちに知る由もないことだが、的までの距離は約150m。
ヨキが助走の体勢に入る。
「(助走ダケでは駄目だ)」
「(角度!)」
「(的でハなく、ソの遥か上ヲ狙うッ!)」
ビシュッ
鋭い音を発し、猿王種手製の槍――人族が見たなら、槍ではなく、尖った丸太だと考えたかもしれない――は凄まじい速度で射出され、長い(と猿たちには感じられた)滞空時間の後、的を越えた先にあったドワーフ族の住居の屋根に、轟音と共に突き刺さった。
「(コノ倍は伸びるダロウ)」
全身の骨格、筋肉を連動させること。槍(特に握りと重心)の改良、テコの原理、ムチ効果、回転運動、助走スピードなどなど、改良点は多い。
すぐにそれら全てを身に付けることは不可能であろう。
だが、それは時間の問題だ。
足の先から脳天に突き抜ける、数十億の細胞が伝える電気信号。
すなわち、ヨキがスキル『投槍』を取得したサインであったからだ。
ヨキら若い猿たちは、基本的にはまだ10歳前後の子供である。
屋根に穴を開けられた住居を寝倉にしていた年長の猿が、轟音に驚いて飛び出してきた。
その後、ヨキが怒り狂った年長の猿にボコボコにされたのは、また別の話。




