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 第2話 「クラド」

 投げ槍の作成は思わぬ副産物を生んだ。

 投げ槍は森王との戦いには参加出来ないであろう若い猿に任せていたのだが、その中に、異常に手先の器用な白猿がいたのだ。

 ゴドウを右腕とするなら、彼は左腕。


 投げ槍は先に尖った石を付けたものではなく、先が重くなった棍棒用の木を加工して作っていた。一本一本の性能よりも、数を最優先した結果、この形になったのだ。

 問題は、その白猿の作る投げ槍の作成速度が他の猿の数倍であったこと。そして、鋭さが桁違いであったことである。


 「お前、ベルコの子だったな。名前は?」


 「クラド……」


 「これはどうやって作ったんだ?」


 「コレはコノ道具を使ウ」


 それはドワーフ族の残したものであった。

 半分凍ったドワーフの死体を食べやすいように切る為に使っていた刃物である。恐ろしく鋭く固い石を使った刃物。

 もちろん、猿王種にとっては、宝物に等しい。

 リウドはその宝物に等しい刃物を、木を削る為に、何本か白猿に渡していた。 彼ら白猿たちは、その刃物を使って投げ槍を作っているのだ。自らの歯で噛んで削っていた、何世代か前の猿たちに比べれば、リウド配下の猿たちの進化は異常とさえ言えた。


 刃物は投げ槍の先に付ければ、素晴らしい投げ槍が出来るはずだが、そこまで勿体無いことは出来ない。


 「違ウ。ソノ刃物デハナイ。コノ台に固定サレテイル道具ダ」


 「これは一体何だ?」


 「コレはコウヤッテ使ウ」


 クラドは、リウドにすら一見何の道具か不明な金具を器用に操作する。そして、そこに長い棍棒を固定して見せた。

 いわゆる、「万力」である。


 「これは……」


 「オレも気付イタ時は驚イタ。長が驚クのも無理はナイ」


 クラドは、天才であった。

 しかも、本人も自覚しているらしく、長であるリウドよりも、自分の方が賢いことを、当然のこととして認識しているようであった。

 そのことを、リウドはクラドの言葉の端から感じたが、実際、白猿のクラドは、自分よりも賢いように思われた。


 「これは、道具を作る為の道具か……」


 道具を作るための道具。


 これこそが、人を人足らしめている要素の一つである。人は、道具を作る為の道具、さらには、道具を作る為の道具を作る為の――どこまでも際限がないほどに、人は道具を作るのだ。


 「ソウだ。コウヤッテ固定スレば、両手を使エルカラ、上手ク削レル。ココニアル道具で無駄ナモノは一ツもナイ。人族は凄イ。長よ、コッチはモット凄イぞ」


 現在、リウドとクラドがいるのは、ドワーフ族の作業小屋兼、道具保管小屋であった。さして広くもない小屋を埋め尽くすのは、さまざまな金属製の道具の数々。


 どれ一つとっても、一体、何に使う道具なのか、ただの猿王種なら、理解出来ないだろう。刃物なら切ったり、刺したり。それ以外は全て鈍器としての認識しかないと思われた。

 しかし、クラドはそれらの道具の使い方を、かなりの部分で理解出来ているようであった。


 クラドは長い木の棒の前後を金具で固定する。そして、椅子に腰を掛けると、二つの足踏み台を交互に踏む。ペダルと革製のベルトが連動し、棒を固定した金具が回転を始めた。


 当然、木の棒も一緒に回転する。


 「こっ、これは一体、何をする道具なんだ?」


 金具で固定された棍棒は、かなり高速で回転しているように見えた。クラドがペダルを踏むたびに、ブーン、ブーンと低い音が響く。


 「物ヲ固定スルトコロまでは同ジだが、ソノ後が少シ違ウ。コノ道具は、回転を利用シテ……コウスルノだ」


 クラドは回転する木の棒の先に金具をあてる。木は高速で回転しているので、金具――すなわち、ヤスリをあてるだけで、木は勝手に削れるのだ。

 少しずつ、槍先に金具を移動させてゆく。

 すると、周囲に粉末状の木屑を飛び散らせながら、ただの棍棒が、どんどん先の尖った武器へと変貌してゆく。


 あっという間に、一本の投げ槍が完成した。


 クラドは他の猿たちの数倍の速度で投げ槍を作っていたが、それすら、控え目――というより、適当に何本か作って、後は、小屋の中にある道具の使い道などに、時間のほとんどを使っていたのだ。

 そのことにリウドはすぐに気付いたが、指摘はしない。

 

 「ドウダ、長よ。驚イタだろう」


 クラドは子供らしからぬ表情で、ニヤニヤと笑っている。


 「あっ、ああ、驚イタ。本当に驚いた。いや、人族の知恵にでハない。人族が賢いのは、以前から知っている。俺が驚いたのは、お前の賢さについてダ」


 正直なところ、リウドは戦慄していた。

 それは全身の皮膚が粟立つほどに。

 もちろん、リウドの言葉通り、クラドの賢さについて。


 確かに、この小屋は謎の金属製の道具が多く散乱していた。それが何かの道具であることは、リウドも気付いていたが、何の道具かを解明するには、リウドは忙しすぎた。

 後回しになっていたことは否めない。

 しかし、仮に時間があったとして、ここまで深く理解出来たかどうか。


 「ここは『道具を作る為の道具』が保管されている小屋か」


 「サスガは長だ。他の白猿に比ベテ遥カニ賢い」


 一体、ベルコはどんな教育をしているのか。いくら賢い子だと言っても、到底、長への口の利き方とも思えなかった。

 だが、リウドはそれすらも、頼もしく感じた。


 まだ10歳にも満たないクラドに、猿王種の、果てしない可能性を感じたからだ。自分程度、踏み越えて行って欲しいとさえ思っている。


 「お前に頼みがある。まず、この道具の使い方を他の白猿に教えて欲しい。一通り教えたら、『靴』だ。『靴』の作り方を解明して欲しいのだ」


 「『靴』?」


 「そうだ。人族が足に履いている、恐ろしく複雑な革製の道具だ。これがあると、まだ足の柔らかい子猿でさえ、雪山を自由に歩くことが出来るのだ」


 「ナルホド。シカシ、今、長が言ッタ通リ、道具には目的ガアルノダ。目的が果タセレば、靴は靴でナクトモ良イノデハナイか?」


 「ン? どういうことだ?」


 鳩が豆鉄砲でも食らったように、とでも言うのだろうか。

 リウドはぽかんとした表情になる。

 クラドの言ったことが一瞬、理解できなかったからだ。


 「目的は雪山デモ足ガ凍エナイ道具が欲シイのだろ? ソレナラ、コウイウ袋で、十分ナノデハナイカ、と言ッテイる」


 クラドは近くにあった麻袋に周囲に散らばった木屑を詰めると、その麻袋に片足を突っ込んだ。麻袋の口は巾着になっており、紐を引っ張ると、足首でギュッと締まった。


 「サラニ、コウイウ紐や布を足ニ巻キツケレバ、袋が脱ゲルコトはソウソウはナイダロウ」


 道具は、簡単な道具から、複雑な道具へ進化する。

 クラドは道具の本質を理解していた。

 最初はただの袋で良いのだ。

 それを少しずつ改良して、機能性を上げて行けば良い。最初からオリジナルを、そのままコピー出来なくても、目的さえ果たせれば、道具は時間と共に進化するのだ。

 大局的に見れば、それは一人の天才が全てをこなすよりも、遥かに効率的なのだ。

 多くの者の知恵と余剰時間を動員出来るからだ。


 それは人族だって同じである。

 最初から複雑な靴を履いていたわけではないだろう。

 機能や使い勝手を工夫していく中で、人族にとって、理想的な靴の形が出来上がっていったのだ。人族と猿王種では、足の形も大きさも違う。今は簡単な構造の麻袋を利用した靴モドキであっても、その先にある理想的な靴の形は、決して人族の靴と同じではないはずだ。

 

 リウドに、その発想はなかった。

 

 だからこそ――


 「……お前は、天才ダ。間違いなく。俺はお前になら、群れの長の座を譲っても良い。お前は猿族始まって以来の天才かも知れン」


 リウドは自分よりも賢い猿が、他の群れのリーダーなどではなく、身近な白猿の中にいたことにも衝撃を受けていた。

 長の座を譲っても良いというのは本心であった。

 群れを率いるのは一番賢い猿であるべきだと、常日頃から思っていたからだ。


 「俺は長の柄ジャナイ。俺はコウイウ小屋にコモッテ、人族の考エテイルことを解明スル方が楽シイし、性に合ッテイル。長トシテ里の皆を導クコトは、多分、出来ナイ」


 白毛の子供が何を言っているのかと、リウドは口に出しそうになったが、寸前で思い留まった。

 クラドの言うことにも一理あると思ったからだ。


 リウドよりも力の強いものは大勢いる。

 一体一で戦えば、副リーダーのゴドウに、あっという間に負けるだろう。それでも、リウドは里のリーダーなのだ。それは里の皆を導く長というものが、単なる力で決まるものではないからだ。

 単なる力でリーダーが決まるわけではないからこそ、リウドが率いる猿たちは強いのだ。


 ならば、力と同じように、知力も同じではないか。

 リウドよりも賢い者がいても不思議ではないのだ。

 リーダーとは、力が強いか否かで決まるのではないのと同様に、賢いか否かで、決まるものではないのではないか。

 リウドは今まで、自分が一番賢いからリーダーだと思っていたが、そうではないかも知れない。現に、目の前の白猿であるクラドは、間違いなく、自分よりも賢い。


 リーダーとは一体何なのか。


 「(長とは、他の猿たちを『導く者』のことなのだな。他の猿たちの能力を見極め、先頭に立って進むべき道を指し示す者……)」


 その時、リウドの頭の中で、あの心地良い音が響いた。

 リウドは自分よりも賢いクラドに対して、何の嫉妬心も抱いてはいなかった。 初めて、自分よりも賢い猿を目の当たりにしたにも関わらず。


 「お前をゴドウと同じ、副リーダーに任命すル。長については諦めるが、副リーダーについては、断ることは許さん」


 「ソレガ長トイウモノナンだロウな。俺ジャ、ヤッパリ無理だ」


 それを聞いて、リウドはガヒッ、ガヒッと笑った。

 クラドも釣られて、カヒッ、カヒッと笑った。

 クラドの笑い方はまだ子供のそれであった。



 その夜、リウドは解凍済みのドワーフ族の腿肉を持って、ベルコが寝倉にしている小屋を訪れた。


 「ドウシタ、リウド。オマエ、肉クレル?」 


 ベルコの目はリウドが肩に担いでいる腿肉に釘付けだ。

 ベルコの歳は30歳を越えている。50~60年の寿命がある猿王種だが、問題は、ベルコがいわゆる旧世代の猿であることだ。

 リウドの群れは、リウドの影響によって、多くの若い猿たちに知性の芽生えをもたらした。

 しかし、一方で、旧世代の猿たちは、群れがどうして豊かになったのか、どうして若い猿たちがどんどん言葉をしゃべるようになっているのか、理解できないでいた。


 「ああ、やる。その代わり、明日から、クラドを副リーダーにするぞ。お前の息子は凄いぞ。この肉はそのお祝いだ」


 「肉アリガトウ。リーダーイイヤツダ」


 ベルコはリウドが言っていることを、ほとんど理解出来ていない。

 副リーダーとは、群れのナンバー2、あるいはナンバー3を意味するが、それが一番旨い腿肉と何の関係があるのか、理解出来ないのだ。

 リウドはクラドの父であるベルコに、お祝いの品として、腿肉を提供したつもりだが、ベルコ自身は、腿肉の交換物を提供していないからだ。


 気前の良いリーダーが、ただ腿肉をくれたと思っているのだ。


 群れの中で、知性の差により、確実に、世代間ギャップのようなものが生まれていた。

 ただ、リウドが優秀なリーダーだというのは、全ての世代で共通の認識である。その為、世代間闘争の様相を呈していないのは幸いであった。


 「(今後、旧い猿たちをどうするのか。群れには、一言もしゃべれない猿はいないが……、難しい問題だな)」


 腿肉をベルコの両手に持たせると、リウドはすぐにその場を後にした。これ以上、この場に居続けても、旧世代の猿たちに、失望するだけだと思ったからだ。


 リウドは気付かなかったが、その場を見ていた者がいた。



 「ドウシタ、カノウ。ソンナニ慌テて」


 「サ、サッキ、凄イ話を聞イテシマッタ」


 慌てた様子のカノウ。

 ゴドウは火の傍に寝転がって、のんびりと食後の余韻を楽しんでいた。


 「話セ」


 「ベルコノ息子ガ副リーダーニナルラシイ」


 「何ダト?! ベルコノ息子はクラド一人ダ。クラドが副リーダーニナルワケがナイ。クラドはマダ子供ダ」


 「デモ、サッキ、リーダーがベルコに人族の腿肉ヲ与エテイタ」


 「……」


 「副リーダーはオマエダロ、ゴドウ。タッタ8歳ノクラドがオマエに代ワッテ副リーダーにナルノカ?」


 「オレに聞カレテモ分カル訳ガナイダロ。モシ、本当ナラ、明日、リーダーガ何カ言ってクルはずダ」



 翌日、群れの主だった若手の猿がリウドの元に集められた。

 ゴドウとカノウはクラドの件についてだと知っていたが、他の猿たちは何事かと色めきたった。

 今まで、リウドが個別に指示をだすことはあっても、若手のみとは言え、一同に集めることなど、ほとんど無かったからだ。


 「お前たち、聞いて欲しい。今日から、この群れの副リーダーとなる、クラドダ。ゴドウには、戦闘面での副リーダー。クラドには、作戦面の副リーダーをやってもらウ」


 「作戦トハ何ダ?」


 ゴドウは戦闘の意味は分かるが、作戦の正確な意味が分からなかった。

 何となくは理解出来るのだが、子供であるクラドが、特に役に立ちそうな場面が想像できなかったのだ。


 「作戦とは、戦うべきか否か。戦うなら、どうやって戦うか、といったことを考えることだ。クラドは俺よりも賢い。だから、戦闘だけじゃなく、いろいろと助けてもらおうと思っていル」


 「俺タチに、タダノ白毛に従エト言ウノカ?」


 若手の猿たちが一斉にザワつき始めた。


 「いや、お前たちは、今まで通り、俺に従ってもらう。クラドが立てた作戦に問題がなければ、俺が指示を出すのだ」


 「子供のクラドが、リーダーヨリモ賢イワケガナイ。リーダーよヨリ賢カッタラ、俺ヨリモ賢イトイウコトにナルダロウ。ソレはオカシイ」


 ゴドウは、ひとまず副リーダーから降格するわけではないことに安心しつつも、クラドがリウドよりも賢いという部分に納得がいかない様子。

 リウドと一番近くで接していたゴドウだからこそ、リウドの並外れた賢さを理解しているのだ。


 だが、リウドは反論する代わりに、投げ槍を一本、マギバッグ(リウドが名付けたところの『秘密袋』)から取り出した。そして、ゴドウの足元に突き刺した。


 「それをドウやって作ったか分かるか?」


 ゴドウはそれを地面から抜くと、槍先を確かめる。

 槍先は滑らかな紡錘形をしていた。しかし、刃物で削った跡がなかった。

 一体、どうやって尖らせたのか、ゴドウには想像が出来ない。


 「……ワカラナイ」


 「お前は分からないが、クラドは分かるのだ。それはクラドが作ったものダ。クラドはお前たちよりも賢く、俺よりも賢い。今後、クラドを子供と侮るやつは、俺が許さん」


 ゴドウやカノウ、クラドすら含めた、その場にいた全ての猿たちが沈黙した。

 すなわち、肯定の意思表示であった。


 「俺は今、クラドという新たな力を得た。今日より30日の後、俺たちは『森王』を討つ! それまで、お前たちには、投げ槍の訓練を命じル! 是ならば応えよ!」


 「「「「「オオオオオオオオオッ!!!!!」」」」」


 その場にいた若い猿たちが奇声を上げながら、腕を天に向かって突き上げる。

 もちろん、ほとんどの猿は「森王」が何かを理解していない。

 

 猿王種は空気を読むのだ。



 「長よ、『森王』トハ一体何ノ話ダ?」


 一同が散会した後、聞きにくそうに、クラドが尋ねた。

 『森王』の存在を知っているのは、先日、雪山の探検をした5名のみ。他の猿たちには知らされていなかったのだ。


 「雪山を進むと、大きな谷があル。そこに住む毛と鼻と牙の長い、巨大な生物のことダ」


 「投げ槍ハソノ生物を殺す為ノ武器ダッタのか」


 「クラド、リーダーガ副リーダート認メタからト言ッテも、口ノ利き方が少シ乱暴過ギダゾ」


 クラドと同じ副リーダーのゴドウが注意する。

 子供とは言え、あまりにも酷いと感じたからだ。

 ゴドウは、言葉の意味は同じでも、乱暴か否かのニュアンスすら、感じ取れるようになっていた。


 「ゴドウ、構わん。その通り、投げ槍は『森王』を討つための武器だ。しかし、投げ槍だけではまだ足らヌ。谷を下りる手立てがない。策を頼めるカ?」


 「ソノ癖、30日ト日ニチを区切ッタノか。冷静ナヨウデ、無計画。やはり、俺はリーダーには向イテイナイようだ。マズハ、谷ト森王ヲ見テミナイことニハ策ノ立テヨウガない」


 「ゴドウ、カノウ、俺たちについて来い。これから4人で谷に行く。お前たちも谷の地形や森王について、気付いたことがあったら、すぐに教えて欲しい。攻略の糸口になるかも知れナイ」


 クラドは腰に巻きつけていた麻袋を一つ、片足にだけ履かせた。

 雪山の奥に入るというのなら、ついでに靴の実験も合わせて行なおう、といったところか。

 クラドはまだ8歳。

 靴は足裏の皮が薄い子供の猿に履かせる予定のものである。実験対象としてはもって来いであった。



 ◇◆◆◆◇



 ピレト山脈周辺国の一つ、カレイニア王国・王城。

 その日、御前議会は紛糾していた。


 「しかし、コニック財務大臣、これ以上、鍛冶師ギルドの要求を無視し続ければ、この国は大変なことになりますぞ!」


 「何じゃ、その言い草は! 私とて、好きで無視しているわけではないわ! 鍛冶師ギルドの要求する討伐隊の規模だと、一体、どれほどの金が掛かるか、お主こそ、分かっておるのか!?」


 カレイニア王国財務大臣・シルバラット・コニックに対して苦言を呈したのは、内務大臣のアルフォンス・サパス。

 苦しい台所事情の中、必死で国体を維持し、王を補佐してきたと自負するコニック財務大臣は、怒りで震える内心を隠そうともせず、アルフォンス・サパスにぶつけた。


 「金だけではない。恐らく、相当な被害が出る……」


 軍務大臣のセルティア・キシュウは手元の書面を見ながら、予想される犠牲についての所感を述べた。

 セルティアは国王を補佐する大臣の中で、唯一の女性大臣であった。彼女は優秀な軍人であったが、彼女が軍務大臣を務める最大の理由は、周辺国へのアピールの為だ。

 女性大臣は対外的に、平和的な印象を与えるからだ。

 彼女が具体的な被害予想の数字を出さなかったのは、その数字がセルティア本人にとっても、衝撃であったからだ。


 「その通りだ。大体、猿王種が50頭を超える規模の群れを作るなど、聞いたこともない。一体、どんな首級が従えておるのか、想像も出来ぬ」


 コニック財務大臣は、アルフォンス・サパス内務大臣より、ラモン村が魔物に乗っ取られたことを聞かされた時、国庫の金貨に羽が生えて、どこかへ飛んでいく絵が脳裏に浮かび、気が遠くなったという。

 サパス内務大臣とて同じである。

 冒険者ギルドのカレイニア支部長と、鍛冶師ギルドの王都支部長が揃って現れた時には、猿王種の群れを討伐出来るか否かより、王国を維持出来るか否かを考えたほどだ。


 50頭の猿王種の群れを率いる首級とは、それほどの脅威であった。

 魔物の種類が限られる過酷な山脈に住むからこそ、50頭程度の群れで済んでいるのだ。他に従えるべき適当な魔物もいないから。

 もし、これほどの首級が平地の、例えば深い森などに現れたら、一体、どれ程の規模の群れになるのか、想像がつかない。


 「ラモン村の住人たちが食い尽くされたら、猿どもは山を下りるだろう。そうなれば、麓の村や街も、大変な事になるな」


 セルティア・キシュウ軍務大臣は一刻も早く討つことが、被害を少なく、猿王種の群れを討伐出来る唯一のチャンスと見ていた。

 その為には、群れが飢える前にカタをつけなくてはならない。飢えた後では、手が付けられなくなる可能性があるからだ。


 問題は、300人ほどであったラモン村の住人の死体であった。猿王種がどれくらいの期間生きられるのか。

 キシュウ軍務大臣は、300人分の死体があれば、一ヶ月以上は持つと考えていた。今の季節なら、肉が腐ることもないからだ。

 猿王種の群れの首級が、その辺のゴブリン程度の馬鹿でないなら、群れの猿たちに計画的に食料を配給しているはずである。


 ただし――。


 「(しょせんは猿。計画的なのは、食料がある間の話。食料が尽きる前から未来を見越し、計画的に行動に移すほど賢くはないだろう。食料が尽きる前に討伐隊を向かわせれば、安心している猿どもの背後を討てる)」


 「冒険者ギルドには、とっくに依頼を出していたはずです。しかし、受注するクランが現れた話は聞いていません」


 「だから、軍を出動させろと。国が討伐隊を組織するしか、50頭以上の猿を討つ方法などない! 鍛冶師ギルドに不義理をすれば、やつら、国を去るぞ。そうなれば、猿に襲われる前に、周辺国から攻め込まれるわ!」


 軍の装備や馬具、竜具を供給しているのは、鍛冶師ギルドである。

 鍛冶師ギルドとの関係が悪化すれば、すなわち、軍事力低下を意味し、そうなれば、猿王種が町を襲おうが襲うまいが、軍を維持できなくなるのだ。


 「そもそも、周辺国だって、危機である状況は同じはずでしょう。どうして、何の連絡もないのですか?! プレミール公国やアリフェス連邦だって猿王種が山脈を下りてくれば、被害は出るはずですよ。ラモン村が我が国にあるからと言って、全てを我が国に押し付けるのは納得行きませんよ!」


 外務大臣が懸念したのは、猿王種のみならず、周辺国。

 ラモン村の惨状を知ったマット・ガレニア外務大臣は、周辺国と共闘せんと、即座に親書を送ったが、今日まで無視されていた。


 「気持ちは分かるが、それをここで言っても仕方ないだろう」


 国王バート・カレイニアは熱くなり過ぎた議論の方向を修正しようとするが――。


 「ですが、国王、我が国の軍に被害が出れば、周辺国はチャンスと見て、我が国に攻め入る可能性がありますよ。こんな馬鹿な話がありますか?!」


 外務大臣マット・ガレニアは、国軍が疲弊した場合の危険性を訴える。

 プレミール公国やアリフェス連邦は、敵国として、十分に想定出来る範囲の脅威である。

 口実は何とでもなるだろう。

 例えば、混乱した隣国の内政を建て直す為や、周辺地域の安定の為など等。

 国体が倒れれば、最終的に周辺国による、分割統治なども可能性としてあり得る。


 「我が国、我が国と連呼しているが、ラモン村はそもそも、ガレニア領、君の領地の村ではないか。君の領地の守備隊はどれくらいの規模だったかね」


 コニック財務大臣の指摘に、マット・ガレニアのこめかみがピクリと波打つ。

 ガレニア外務大臣は、ラモン村があるガレニア領を治める地方領主でもあった。産出量の減少した鉱山など、いっそのこと閉山してしまえば良かったと後悔していた。

 産出量は減少したが、一定の産出量はある為、鍛冶師ギルドの要請を受ける形で、許可していたのが仇になった形だ。契約上は鍛冶師ギルドの自己責任だが、ラモン村全滅などという事態になれば、領地経営者として、放置出来るわけがない。


 「80人ほどですよ。差し出せと言われれば、差し出しますが、うちの守備隊だけで、50頭以上の猿王種の群れを討伐出来るわけがないでしょう。最低でも、1000人規模の兵は必要です。雪山で迎え撃つなら、さらに倍、2000人は必要でしょう」


 「猿王種とはそれほどか……」


 国王バート・カレイニアは、王城の宝物庫にある、猿王種の骨格標本を思い出していた。見上げる程大きく、子供時分、偶然見つけた時は、腰を抜かして泣いた記憶があった。


 「オスの大型の個体なら、体長3m、体重は300kgを優に超えます。サイズだけなら、巨人族と変わりません」


 ガレニア外務大臣は淡々と説明する。

 北大陸の東、あるいは中央大陸北部に生息する、地上最強の種族である巨人族。サイズだけなら、その巨人族に匹敵するという。


 「体重だけなら巨人族以上か。しかも、50頭以上の群れとなると、首級は黒だな」


 猿王種は不思議な魔物で、白猿から上位種である灰猿や黒猿になると、どういう仕組みなのか、身体が小さくなる特徴があった。

 生まれた後、10歳くらいまで成長し続け、一気に体長3m、体重300~400kgほどまで大きくなる。そこから知力や体力が増すのに反比例するように、身体が小さく、しまっていくことが知られていた。

 まるで、経験を積むことで、無駄を削っていくかのように。

 もっとも、それでも、2mは軽く超える為、見た目の迫力は十分なのだが。


 「兵は何とか掻き集めるとしても、魔術師が必要だ。猿王種を肉弾戦だけで討伐するなど、どれだけ兵を損耗するか、考えたくもないよ、私は」


 キシュウ軍務大臣は、カレイニア王国軍の兵士が、猿王種の振り回す丸太に吹き飛ばされる姿を幻視した。それを避ける為には、遠距離攻撃を使える魔術師が必要であった。


 その後も会議は紛糾し、この日は現状確認だけに留まった。


 国軍中心の討伐隊の派遣が決定したのが、一週間後。討伐隊の編成が成ったのは、何と、二週間後であった。

 結局のところ、どこの部署も人員を供出したくなかったのだ。

 その間、サパス内務大臣はのらりくらりと、鍛冶師ギルドからの、矢のような催促をかわし続けた。


 ・王国騎士団20名を含むカレイニア王国軍1200名

 ・王国辺境警備隊200名

 ・ガレニア領守備隊40名

 ・カレイニア王国宮廷魔術師7名


 以上、1500名規模の大討伐隊が編成された。

 傭兵ではなく、職業軍人が約1500名となると、小国にとっては、戦争と変わりない規模と言えた。


 強力な魔物との戦闘は、人族にとっては、不毛である。

 他国との戦争なら、勝てば領地を得ることが出来るし、賠償金なども期待出来る。しかし、魔物相手ではそうはならない。しかも、猿王種が住む地域は、平地ではない。人族の生活には適さないのだ。


 猿王種の毛皮は価値があるが、冒険者が命を賭けて欲しがるほどのものではない。どこのクランも名乗りを上げなかったのがその証拠だ。傭兵だって同じ。

魔物の侵攻を止めるのは、いつだって職業軍人である。傭兵や冒険者に、命を賭ける義理はないからだ。


 ただただ、国が疲弊する。

 それが魔物との戦いであった。

 それは自然災害と戦うのと似ているかも知れない。


 いずれにしても、討伐決行の日取りは決まった。

 決行は、冒険者の一人が偶然ラモン村を跋扈する猿王種の群れを発見してから、ちょうど30日後のことであった。

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