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 第19話 「不安と不信」

 リウドにとっても初めてであったが、カノウにとっても初めてであった。

 猿王種は7~8歳から妊娠可能なので、15歳の二頭の猿にとっては、随分と遅い初交尾となった。

 猿王種が置かれた状況が過酷であったことも理由の一つだろう。


 初交尾は両猿にとって、苦痛と歓喜の入り混じった、不思議な体験であった。

 しかし、リウドは初交尾の余韻も程々に、既に対森王戦に備えて、人間たちから奪った武器の選別などをしている。


 カノウはそんなリウドの様子を満たされたような表情で眺めていた。


 「(死ンデモこの子ハ育てテミセるゾ、リウド!)」


 一度の交尾で妊娠したかどうかなど本人に分かるはずもない。

 繁殖期のない猿王種にとっての交尾は、人間と同じく、生殖だけが目的ではないからだ。コミュニケーションの意味も多分に含んでいる。ようは、一度の交尾で妊娠する確率は、繁殖期のある種と比べてかなり低い。


 だが、カノウには確信があった。


 「(リウドの子種ガ流れルワケガない)」


 他ならぬ王の子種なのだから。


 「明日の朝一番で俺たちはリュウを討つ。カノウ、お前は『死者の洞』に隠れテいろ」


 「ワカッた」


 カノウとしては、森王との戦闘を見たい気持ちもあったが、今は自分の身体の方が大事だ。

 今の自分は王の子種を宿した唯一の母体なのだ。

 安全な場所に隠れていろと言われたなら、願ったり叶ったりである。

 カノウは即座に了承した。


 「死者の洞」は入り組んだ場所にあり、めったなことでは、人間に見付かることはないだろう。

 なるほど、隠れる場所としては最適だ。

 人間の死体(食糧)を隠している穴など、保存には向いているものの、臭いですぐに人間たちに見つかるに違いない。


 「デハ、コこにイテモ仕方なイナ。早速、『死者の洞』に移動スルヨ。人間の死体を二、三体貰ッテいクゾ」


 リウドは「死者の洞」に向かうカノウの後姿を、眩しそうに眺めていた。




 一体、自分たちは何をやっているのだろうか?




 リウド、カノウ、クラド、ゴドウ、その他の猿たち……。

 それぞれ、やることは決まっている。

 カノウは「死者の洞」に隠れ、人間たちの襲撃に備える。

 リウドや他の猿たちはベリオクススを討つ。


 やることも目的もハッキリしているのに、理由がさっぱり見えてこない。

 猿王種としての本能は強敵を前に(たぎ)っているのに、どこか覚めている。

 どこに向かっているのか分からないからだ。

 賢い猿に限って、その傾向は強いように思われた。




 不安。




 それこそが、楽園を追放された猿たちの前に立ちはだかる、最初の試練であった。

 僅かばかりの「知恵」を得る代わりに、「不安」の種をその身に植え付けられたというわけだ。何とも皮肉な話である。

 今は得た「知恵」が小さい為、「不安」も小さい。

 だが、この試練は賢くなればなる程、「不安」も大きくなっていくという性質がある。


 救われないのは、猿たちにはその「不安」を晴らすための方法も、手段も、経験も、何もないことであった。

 ゆえに、彼らの取っている、あるいはこれから取るであろう行動は全て見当違いなものになってしまうのだ。

 単純な話、ベリオクススを討つ必要などないのだから。

 人間から逃げるか、人間と戦うか、二つに一つだ。

 ベリオクススを討つなど、埒外の選択肢である。


 行動自体は悪くはない。

 「不安」は恐怖の一種なので、逃げるのも一手だ。

 「案ずるより生むが易し」という言葉もある。

 まず、行動することで自分たちの置かれた立ち位置がはっきりすることもあるだろう。

 また、そこから逃げることで、新たに見える道もあるかも知れない。そして、その新たな道が間違っているとは言い切れない。起死回生の道である可能性だって十分にある。


 何も考えず、ただ逃げれば良いのに、そう単純にいかないのが、「知恵」の厄介なところであろう。


 

 「皆の者! 人間の死体は腐るほどある! 今日は好きなだけ食って、明日に備エろッ!」


 配下の猿たちを『鼓舞』しつつも、どこか白々しい気分のリウド。

 リウドに限らず、彼らは今、自分に嘘をついているのだ。


 「「「「「オオッ!!」」」」」


 彼らにその自覚はない。

 自分に嘘をつき、「不安」に押し潰されそうな精神を、必死に支えているのだ。

 つまり、たった今リウドが発動した『鼓舞』は、冒険者たちと戦う前の『鼓舞』とはスキルのLvが違う。

 もちろん、今の『鼓舞』の方がLvは高い。

 高いにも関わらず、誰一人、『狂戦士』化する者はいないという現実。

 いずれにしても、運命の歯車はとっくに動き出している。

 森王討伐は明日の朝一番ということになった。


 本来ならば気持ちの良いはずの、山頂から吹き降ろす風。

 その風が、ぽっかりと大きな穴が空いてしまったようなリウドの心を、すーっとすり抜けていくようであった。



 ◇◆◆◆◇



 「ベリオクスス!?」


 頓狂な声を上げたのは「剣狼」バックス。


 「大顎系の竜種だ。知らなかったか?」


 バックスをからかうように「灰燼」リト・ダンティスが答える。


 「知ってるよ! ドワーフの連中が『森王』と名付けている、はぐれの地竜だろ?! イーガーが渡した資料にもあったじゃねーか」


 「何だ、知ってるなら良いんだ。妙な聞き方するもんだから、知らないのかと思った」


 「そうじゃねぇ! 俺が言ってるのは、何で猿王種討伐の最中に、ベリオクススを狩らなきゃなんないんだ? ってことだ!」


 「しかも現状、完遂出来るかどうかも怪しい。ダリムさんの前じゃ言えないが、あの黒いの、下手をすりゃ逃げおおすぞ」


 横から口を挟んだのは「黒槍」ハミル。今回の臨時クランのリーダーであるダリムと同じ、『血盟戦線』のメンバーである。

 この場にイーガー、ダリム、グスタフ・トリィスト、ダグラス・シーバーの4人はいない。

 『血盟戦線』のメンバーは猿王種に3人が殺されており、この中ではハミルが一番、猿王種の脅威を身近に感じているのかも知れない。


 「全員じゃねーさ。もちろん、斥候組は斥候に専念してもらう。だが、もし、黒いやつの探索に時間が掛かるようなら、待ってる時間は有効に活用したい」


 「ベリオクススは山頂の縦穴に閉じ込められてるんだろ? 何も、今じゃなくても良いだろう」


 ハミルが反論にして、ド正論を述べる。


 「今だからさ。今ならこのメンツだ。確実に完封出来る」


 「もしブラックピテクスに逃げられたら、報酬の後払い金が減額されると。その損失を地竜で補填しようってことでしょうか?」


 「蛮勇」アヴェルが取って付けたような後付の大義をでっち上げる。

 なかなかの曲者である。


 「そういうことだ。悪いアイデアじゃないと思うぜ。どの道、袋のトカゲ(・・・・・)は今回の討伐に参加した誰かが狩るんだ。俺としては、むしろ公平な提案だと思うが?」


 黙って聞いている「牙剣」ブラガが静かに頷いている。


 「死んだ者たちの墓石代くらいには十分なるでしょう」


 「竜種は詳しくない。いくらくらいになる?」


 「牙剣」ブラガはすでにやる気のようだ。

 疑問はもっともである。ブラガに限らず、皆が知りたいところ。


 「サイズやヒレの状態にもよりますが、ベリオクススなら2000万セラ(約2億円)は軽く超えるでしょう。外敵がいない穴の底、皮の状態も良いはずです。肉は大した値はつきませんがね」


 ここは私が答えましょう、と発言したのはアヴェル。時折、ギルドの臨時職員のようなこともやっており、他の者よりは詳しい。

 ベリオクススからは皮やヒレなど、武具の素材が大量に取れる為、草食系の地竜よりは値段が高くなる。単純に肉としては草食系に譲るが、金額は大顎系が圧倒する。今回は討伐料は出ないが、当然、討伐料も大顎系の方が高い。


 「討伐料無しで2000万セラ以上なら、討つ理由には十分だな」


 リト・ダンティスはアヴェルの情報に納得の様子。


 「狩るなら、フェイトが到着する前が良い」


 「流星剣」ジライハンは既に金勘定のようだ。「爆裂娘」フェイト・ニコが加わった後なら、分け前は減る。


 「おいおい、実質、明日しかないじゃないか」


 金勘定の次は時間の算段。

 ジライハンもブラガ同様、やる気の様子。

 斥候として猿王種を追撃するより、ベリオクスス討伐の方が、リターンは大きいと見たようだ。


 「何、戦闘は1時間以内に終了する。問題はダリムさんだ」


 「リーダーだけじゃなく、ダグラスさんも駄目だろうな。ユリジアでギルド長やってるくらいだし」


 『血盟戦線』のメンバーでもあるハミルはダリムの性格を一番理解している。ダリムは多分、反対するだろうと。


 「ダグラスさんに知られないようにするのは無理だな。『森王の穴』と猿の拠点は近すぎる」


 ダグラスは一日限定で斥候に加わることになっている。

 猿王種を追えば、当然、穴にも近付かなくてはならない。


 「確かに。斥候組はまず、猿の拠点候補である穴付近を探索するはずだ。穴ん中でベリオクススと静かに戦闘なんて、どうやったって不可能だ」


 「やっぱ、ダリムさんに直接聞くしかねーな。駄目なら駄目で、諦めもつくか……」


 リトが焚き火に朽木を投げ入れる。


 ブラックピテクスの討伐途中で、別の対象を討伐するという計画は、最終的にはダリムの判断を仰ぐことになった。

 100%安全と言い切れない相手(ベリオクスス)だけに、短慮に走るのは控えるべきだ。まずまず常識的な分別と言えるだろう。


 だが――


 ◇


 「……お前ら、本気で言ってんのか……?」


 一瞬、間を置いた後、ダリムから返ってきた言葉は皆の正気を疑うものであった。


 「え、あぁ、俺としては悪くないアイデアだと思ってるんですが、やっぱ、作戦の途中で別の討伐を挟むのはマズいですかね」


 言い出しっ屁のリト・ダンティスが丁寧に説明するも、ダリムの反応は芳しくない。


 「……つまり、本気で言ってんだな」


 低い声音だが、怒気は含んでいない。

 ダリムの胸に去来したものは、怒りや困惑ではなく、落胆。

 半分朽ちたテーブルを叩く気力すら湧かない。


 「(……俺の考えは古いのか? それとも、舐められてんのか?)」


 ダリムとしては、到底受け入れることが出来ないアイデアであった。

 ブラックピテクスの討伐を受けている最中に、別の、それも彼らにとって十分に脅威となり得るベリオクススを討伐しようなど、ダリムは発想すら出来ないことである。

 討伐の道々で遭遇したゴブリンやトロールを狩るのとは訳が違う。


 今回の場合、ベリオクススは放置できる相手である。

 ブラックピテクスの討伐が終わってからで良いではないか。

 確かに穴の底に閉じ込められているベリオクススは美味しい相手かも知れない。ならば、ブラックピテクスを討伐した後に、生き残った者のご褒美として、その時改めて狩れば良い。


 第一、イーガーにどう報告すれば良いのか。

 ギルド職員が同行している国相手の案件なのに、イーガーが認めるわけがない。下手をすれば、冒険者ギルド全体の信用問題になりかねない。

 A級冒険者ともあろう者たちが何人も雁首を揃えて、一体、何を考えているのかと。


 ダリムは何だか情けない気分になっていた。

 死んだ『血盟戦線』の仲間たち3人には、心の中で詫びるしかなかった。


 「ベリオクススの件は断じて認められん。グスタフさんやダグラスさんたちには黙っておく。今後のブラックピテクス討伐に支障を来たしかねんからな」


 それがダリムの精一杯であった。


 「「「「「……」」」」」


 決定的な亀裂ではない。

 まだ、十分に修復可能である。

 だが、彼らの心に確実に芽生えたものがあった。



 状況は猿王種たちの圧倒的不利――というより、敗色濃厚。そもそも、勝利条件すら不明なのが、猿王種の立場である。

 ゆえに、冒険者たちの有利は動かない。


 だが一方で、冒険者たちも一枚岩ではない。

 臨時クランである以上、もともと一枚岩ではないのだが、クラン内の空気は一気に重苦しいものとなった。

 ベリオクスス討伐を却下したダリムが悪者になりそうな雰囲気すらある。


 大規模増援が望めない状況においては、皆の心を一つにすることが肝要である。

 さもなくば、苦境に立たされた時、挽回するための気力が湧いてこないからだ。精神論ではあるが、それが人間の心理である。


 そして今、実は冒険者たちは苦境に立たされているのだ。

 まだ、彼らにその自覚はないが。


 ベリオクススの討伐。

 そもそもその発想自体、ブラックピテクスから矛先を変えようとする無意識の「逃避」ではなかったか。


 ブラックピテクスに限らず、配下のグレイピテクスやホワイトピテクスたちですら、下手をすると殺される敵である。現に、5人も死者を出している。

 しかも、猿王種はそれなりの知恵もあり、逃げの一手を打たれたら、場所は山岳地帯、追撃はますます難しくなるだろう。


 猿王種に比べれば、ベリオクススは彼らにとって楽な相手である。

 少なくとも、逃げられることはない。

 十分に広いとは言え、穴の底に釘付けにされている相手である。完封することも難しくはないだろう。


 状況を俯瞰すれば、当然のこと猿王種の不利に違いないのだが、その当事者たちの考えはまた別である。

 見えるものも考えることも違ってくる。


 冒険者たちの間にある感情が芽生えた。




 不信。




 それは個の力で劣る者たちが絶対に陥ってはならない精神状態である。

 個の力で劣る者たちにとっては、数こそが正義なのだから。

 その実践こそ、人間の強さだったはずだ。


 冒険者たちはS級やA級になって、もう忘れてしまったのだろうか。

 

 「一個の質は、万の量を凌駕する」という真理を。


 S級だ、A級だと、たかが自分たちで勝手に作ったランクごときを信仰するあまり、強者になったつもりだったのか。



 「『討伐』などという言葉自体、既におこがましいものだったのかも知れません」



 後にダグラス・シーバーが語った言葉である。

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