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 第1話 「リウド」

 南アリア半島と中央大陸を隔てるように、長大な山脈があった。標高6000m級の山々が連なる、ピレト山脈である。


 ピレト山脈から発した湧き水は、大河を形成し、周辺の国々の生活を支えていたが、当の水源であるピレトに住まう者は少ない。山麓にドワーフ族が住むくらいであろうか。


 ドワーフがピレト山脈の麓、ラモン村に住むのは、わずかに産出する鉱石採掘の為である。麓とは言っても、標高は2000mを超えており、村人の数は、300人ほど。人が住むには、環境が厳しすぎた。


 彼らとその関係者の他には、近づくものもいない地である。人外にとっても厳しい地であった。一部の高山性魔物を除けば、危険な魔物も少なかった。脅威と言えば、たまに出没する、スノータイガーや猿王種くらいであろうか。


 下山して、鉱石を売って、その金で買った食料を「標高2000mの山麓」まで運び上げる。この至難を極める仕事をやってのけるのが、「強力(ごうりき)」と呼ばれる、ドワーフの中でも、一際屈強な者たちであった。彼らは一週間に一度、山を下りる。


 ドワーフ族は女性の方が背が高い、珍しい種族である。男は平均135~140cmほど。女は140cmほどだろうか。しかし、ドワーフの男性は、身長140cmで、体重120kgを超える者も少なくない。全身が太い骨格で出来ており、その周りを厚い筋肉が覆っているのだ。


 強力の中に、奇妙な男が一人いた。種族特性により、背は低く、全身の筋肉は厚かったが、他のドワーフに比べると、明らかに細い。しかも、背負った荷物と言えば、細い骨組みの背負子に、それほど大きくもない酒樽が一つ。30kgほどだろうか。

 それでも、平地に住む人族に比べれば、十分「強力」の名に恥じないものではあるが。


 ちなみに、一人のドワーフが運ぶ重量は、250kgを超える。今も、山を登るドワーフの一団、5名の背には、そびえる荷物が、頑丈な背負子に括り付けられている。背負子だけで20~30kgはあるのではないだろうか。5名の後ろから、酒樽を背負ったドワーフが付いて行く。


 名はヒバ、年齢は21歳。21歳と言っても、顔中ヒゲだらけで、ヒゲの中に目鼻口があるといった、典型的なドワーフの風貌だ。彼が21歳の若者であることを、他の種族の者が判断出来る材料は皆無である。


 種明かしをすれば、ヒバはマギバッグを使っているのだ。その容量300kg。マギバッグの中でも、比較的容量の大きなバッグである。


 他の強力が、ほとんど両手を付くように、必死で一歩一歩山道を登る中、ただ一人、周りの風景や高山植物などを愛でていた。



 だから「それ」に気付いたのも一番早かった。



 ヒバが気付いた時には、20頭ほどの魔物――猿王種(さるおうしゅ)に囲まれていた。


 猿王種は毛の長い二足歩行の猿である。

 胸、手のひら、足の裏などの一部を除いて、全身が白い毛で覆われており、身長は3m近くにも達し、体重は500kgを超える個体もいる。

 知性もあり、丸太のような棍棒を武器にすることが多い。


 しかし、その猿王種の一団の武器は一風変わっていた。棍棒の先に石が固定されていたのだ。中には、尖った槍のようなものを持った個体もいた。

 明らかに、敵を狩る為に進化した跡が見られた。


 そして、一団の一番後ろ、リーダーと思しき男――不思議な事に、ヒバはその時、オスではなく、男と認識した――が、腕を組み、見下ろすように立っていた。


 他の猿に比べると、二周りは小さい身長に、白と言うよりも、灰色の毛に覆われた個体。「彼」が猿王種の上位種「灰猿(グレイピテクス)」であると、ヒバが気付いたかどうか。


 その週、ラモン村の強力たちが村に帰ることはなかった。

 村始まって以来の大 事件であったが、その「事件」が即座に問題になることはなかった。

 続いて、村が襲撃され、一人の生存者もいなかったからだ。


 季節が冬であった為、ラモン村の異常に町の者が気付くのが遅れたのだ。標高2000mの村にあっては、仕方の無いことだったのかも知れない。



 ◇◆◆◆◇



 「書物ハ少ナイヨウダ、リウド」


 「そうか、残念ダ。一応、一箇所に集めておいてクレ」


 「分カッタ」


 身長3mのゴドウの言葉には、まだ若干の訛りがあった。それでも、猿王種が人にもコミュニケーション可能な言葉で会話をしているのを、人族やエルフ族が見れば、驚くのではないだろうか。


 リウドの全身は灰色の毛で覆われており、猿王種の中では、白毛白猿の一段上の上位種である。頭部や尻尾の先などが、灰色を超えて、黒くなって来ており、いずれ、黒猿、すなわち「猿王」になるのは確実と目されている。

 まだ15歳であった。

 

 猿王種は魔物の中でも比較的長寿で、50年以上生きる。15歳で黒毛が混じり始めているのは、尋常の成長速度ではなく、リウドが優れた個体であることの証明でもあった。


 猿王種は魔物である。

 

 ゆえに、体内に魔核を持っている。魔核が成長すれば、上位種へと自然に変態するのは、他の魔物と同じ。

 普通の猿王種は全身が白く、一般に「白猿(ホワイトピテクス)」と呼ばれる。灰色の毛をしたリウドは、白猿に比べて、一段階上の上位種「灰猿(グレイピテクス)」である。表面を光が反射することもあり、「銀猿(シルバーピテクス)」と呼ばれることもある。


 そこからさらに成長すると、全身の毛が黒い、「黒猿(ブラックピテクス)」と呼ばれるようになる。

 伝説ではその上があり、「赤黒猿(カーミンピテクス)」と呼ばれる個体に成長することもあると言う。


 リウドの成長が早いのは、理由があった。


 リウドが7歳の時、雪山で遭難したエドラ教皇国の宣教師を偶然見つけたのだ。仲間にそのことを伝えると、宣教師と従者は即座に猿王種たちに襲われた。二名の肉は全て他の猿王種たちの食料になった。発見者であるリウドに渡されたのは、肉の少ない足首から下の部分のみ。


 生焼けの肉をしゃぶりながら、悔しさを噛み締めていると、ふと二人の持ち物が気になった。その中に衣類や意味不明の道具に紛れて、二冊の本があることに、リウドは気付いた。

 剣やナイフなど、猿王種たちにとって価値のありそうなものは、全て他の猿のものになっていた。残されたのは、衣類と二冊の本のみ。雪山に適応した長い毛は衣類も必要としないが、二冊の本は、どういうわけか、リウドの気を惹いた。


 二冊の本は他の猿王種にとっては、全く意味を為さない、完全なるゴミである。本当の意味で、ケツを拭く紙にもならない。


 だが、運命は時に偶然を装って、愚者の前に扉を現す。


 果たして愚者は、その扉を開けるのか。


 気付くことすらなく、一生を終えるのか。


 リウドにとって幸運だったのが、その二冊の書物は、子供教化用の聖書であったことである。子供用の為、絵が多く、文字も大きく書かれていた。もちろん、理解のきっかけとなる知識が、リウドには何一つなかった。だから、例え、絵本であっても、一文字たりとも読めない。


 だが、リウドは直感したのだ。

 いつか理解できる日が来ると。


 リウドの頭の中に、「リーン」と澄んだ音が響いた。

 以来、二冊の絵本がリウドの宝物になった。



 愚者の前に置かれた運命の扉は開かれたのだ。


 それからリウドにとって、不思議なことが続いた。

 二冊の絵本を理解したいと、日々生きているうちに、リウドに知性の芽生えのような瞬間が、たびたび起きるようになったのだ。

 

 頭の中に澄んだ音が響く。

 それは、リウドに満たされた喜びを感じさせた。



 考えること。


 

 他の猿たちとの違いは、その一点であった。

 全ての事象には、リウドや他の猿たちの知らない、「秘密」があるという確信。その確信によって、考えることが苦痛では無くなった。答えがあるのだから。


 例えば、二日前に襲った6人組のドワーフ族。人族の中でも、太い手足をした者たちである。


 その6人のうち、一人だけ、荷物の少ない者がいた。そこでリウドは「考える」のだ。

その者の荷物は、他の者が持つ荷物よりも高価なものであると。高価なものを運んでいるから、彼だけが少ない荷物なのだと。高価な荷物を持つ彼こそが、6人のうちのリーダーだと判断した。


 結論を言えば、彼はリーダーではなかった。


 歳も一番若かったし、力も弱かった。

 荷物が少なかったのは、単に、高価なマギバッグを持っていたからに過ぎない。しかし、そこは重要ではない。正しかったのか、間違っていたのか、それは結果論であって、彼がリーダーであるという判断に至った経緯が重要なのだ。


 間違えたのは、知識に乏しく、正確な判断が出来なかったからだ。「愚か」と言い換えても良い。しかし、それでも、リウドは「愚か」に成れたのだ。

 他の猿王種たちは、「愚か」ですらなかった。

 何も考えていないのだから、間違えることはないだろう。しかし、それすなわち、優れていることを意味しない。


 一番力が強い者がリーダーであるというのが、猿王種の中での常識である――というより、生物としての、本能であろう。

 その意味で、リウドがリーダーだと判断した男は、6人の中では、線も細く、一番弱いように思われた。

 にも関わらず、彼をリーダーと判断するに至る理由が、リウドにはあったのだ。考えることによって、他の猿とは違う結論に達することがリウドには出来た。


 リウドがリーダーだと判断した男が背負っていたのが酒であったこと。そのことで、仲間内でのリウドの評価がさらに高まったことは、偶然である。


 「コンナ旨イ飲ミ物ヲ持ッテイルノダカラ、奴ガリーダーデ間違イナイ」


 酒を飲んで酔っ払ったゴドウは自分達のリーダーの素晴らしさに心まで酔うのだった。自分では、絶対に至らない判断(偶然ではあったが)をリーダーは下し、それが正しかったのだから。


 リウドは彼ら6人の持ち物を徹底的に調べた。


 ほとんどが食料や刃物や道具類。衣類もあった。必要なものと、不要なものを分けている時、ふと革製の袋が気になった。


 「これは?」


 何も入っていないただの革の袋である。

 しかし、リウドには、何か、妙な力を感じる袋であった。リウドが無意識に魔力を放出した時、それは起きた。たまたま袋を逆さまにしていたのも幸いした。

 袋の中から、ドサドサと大量の食料や衣類、銀貨の入った小袋が出てきたのだ。特に、食料は他の人族が持っていた荷物と変わらない程の量であった。


 「なっ、何だ、これはッ!」


 到底、小さな袋に入りきる量ではない。猿であっても、それくらいの想像はつく。


 「――この袋は、そういう『道具』なのダナ」


 どうやって作ったのかなど、リウドに理解できるはずもない。しかし、人族が「作った」ものだというのは理解できた。何でこんな袋をわざわざ作るのか。


 便利だからだ。


 考えることが常のリウドは、そう理解した。人族は、便利なものを「作る」のだ。ならば、この袋にも秘密があるはずであった。

 猿たちは、そのような道具を作らない。せいぜいが、魔物を殺す為の棍棒や、特殊な石を割って作る刃物くらいである。


 「人族は本当に興味深イ」


 袋から出したものを、入れたり、出したりしながら、リウドは独り言をつぶやいた。リウドが偶然――否、必然によって手にしたマギバッグは、図らずも、猿王種史上、最も価値のあるアイテムであった。

 リウドはその袋を「秘密袋」と名付け、以来、手に入れた本や書類を片っ端から収納することにした。

 もちろん、まだリウドには、一文字たりとも読むことは出来ない。

 それでも、断言できることがあった。

 リウドは、考えることによって、異常な速度で成長していたのだ。


 「(俺はまだまだ「強く」なれる)」


 リウドにとっての「強さ」とは、すでに、腕力や膂力のことではなかった。他の猿王種には見えないものが見えていたからだ。



 リウドが群れのリーダーになってから、猿たちの数は確実に増え続けていた。自然とリウドの群れに猿たちが集まってくるのだ。まるで、ピレト山脈中の猿王種が集結する勢いであった。

 すでに、60頭を超えている。

 通常、猿王種は家族単位で生活しており、10頭以上群れることはない。現実問題、餌が不足するからだ。

 

 10頭以上の猿王種の腹を満たす為には、それだけ広いテリトリーが必要になる。拠点と餌場を行き来するだけでも大変な距離となる。それなら、最初からそんな大きな群れを作らず、家族単位で移動生活をした方が良い。

 つまり、50頭以上もの大所帯など、本来あり得ないのだ。


 食糧の確保こそ、リーダーの役目である。

 増え続ける猿たちの腹を満たす為には、拠点の拡大と、効率的な餌場の獲得が急務であった。

 そこで、300人ほどのドワーフの村を襲うことになった。

 果たして、村への急襲は成功。

 ラモン村は、今、リウドたち猿王種が跋扈する――少なくとも魔物以外にとっては――地獄と化していた。



 リウドが現在持っている書物は、7冊。子供の頃に宣教師が残した聖書2冊から、5冊増えた勘定である。そして、今、リウドの目の前には、ドワーフ族が残した書物が、20冊以上あった。書類や地図なども合わせれば、それ以上である。特に地図はリウドの興味を掻き立てた。


 「(ゴドウは少ないと言っていたが、十分多いじゃないカ)」


 リウドは満足であった。

 この日、リウドは地図の読み方を知った。最初は、意味不明の模様のようにも見えたのだが、リウドの身の回りの世話をしている、メス猿カノウの一言で、一気に理解が深まった。知性が芽生える瞬間を、また味わえたのだ。


 「木ノ断面?」


 それは本当にカノウの何気ない一言であった。

 等高線が入った地図である。

 決して木の断面ではない。

 しかし、発想としては悪くない。

 どちらも上から見た図だ。

 ここは高い山が連なる山岳地帯である。ドワーフにとっては、等高線は、価値のある情報であった。


 「(これはこの辺りの土地を上から見た絵ダ)」


 カノウの言葉がきっかけとなり、閃いたのだ。

 足のつま先から、脳天までを、電気が付き抜けるような感覚が走る。その瞬間、初めて、「リーン」という澄んだ音が、二度鳴った。


 そして、その絵の右上に書いてある文字。これは「地図」と書いてあるのだ。何枚かの絵に共通した文字であった。その前の文字は、おそらく、土地の名前であろう。

 そうやって、日々、リウドの中に文字の知識が増えていった。


 地図の中に、現在、リウドたち仲間のいる場所を発見する。

さっそく、仲間を何人か引き連れ、地図に従って探検した。リウドの思った通り、ラモン村の近隣の地図であった。


 「ここが谷だとすると、この印は全て谷のことで、この文字は『谷』の意味だナ」


 谷の印の中に、「森王の谷」という文字が読めた。「森」も「王」も、頻出する単語だったからだ。


 「森王とは何だろウ…」


 周りを見渡すと、リウドの側近であるゴドウを含めて、4人の白猿が言葉を待っている。


 「森王を倒しに行くゾ!」


 「「「「おおおお!!!!」」」」


 その場にいた、リウドを含めた五人が有志隊となり、探検をすることになった。隊の目的は「森王討伐」であるが、リウド個人にとっては、地図の読み方についての、検証であった。

 それから二時間ほど、警戒を強めながら、地図にある「森王の谷」を目指した。


 身体は長い毛が防寒の役割を果たす為、大丈夫だったが、足の裏が冷たくて、凍りそうであった。足の裏には毛が生えていないのだ。雪山登山は、雪山に特化した猿王種にとっても、厳しいものとなった。

 しかし、その時、またリウドに知性の芽生えの電流が走った。相変わらず、心地の良い音色であった。

 人族が履いていた靴である。

 あれは、足裏の冷たさを防ぐ為ではなかったのか。自分のむき出しの足を見て考える。


 リウドはかつて、宣教師と従者の足をしゃぶって食べたことを思い出していた。人族の足裏は、猿王種たちの足裏と違って、柔らかかった。あんな足裏では、冬の山道を歩けるわけがない。


 「(やはり、靴は寒さ対策のためダな)」


 もちろん、靴の目的は防寒だけではないが、それは、今は重要ではない。人族が靴を履く意味の一つを知れたことが重要なのだ。


 全身に毛が生えていので、リウドたち猿王種に服は必要ない。しかし、靴はどうだろうか。人族は毛が生えていないから服が必要だったのだ。ならば、足裏に毛が生えていない自分たちも、靴は必要ではないか。

 自分たちはまだしも、子供の白猿たちは、この雪山登山は無理だろう。足が凍ってしまう。


 「(いつか、靴を作ろう)」


 そして遂に、一行は谷に到着した。


 「何だ、あれハ…」


 ゴドウの一言は全員の総意だったろう。

 谷の底を、巨大な四本足の生き物が二匹、のっしのっしと歩いていた。

 谷底まで遠く離れていても、その巨大さは彼らに十分に伝わった。

 毛が長く、口からは巨大な牙が生えていた。時々、雪を掘り起こしては、コケの類を、食べているようだ。

 長い鼻のようなものを、まるで手のように器用に使って。


 「……奇妙な……顔カラ手が生エテイルノカ?」


 リウドたち全員が息を飲む。

 考えていることは、たった一つ。

 全員が同じことを考えていた。


 「(あれ一頭で、何食分の肉になるだろう)」


 「リウド、行コウ! アレヲ狩ロウ!」


 「俺モ、カノウニ賛成ダ」


 ゴドウまでもが今にも涎を垂らさんばかりだ。


 リウドは考える。

 あんな巨大な四本足が、何でこんな谷の底にいるのだろうかと。事実、リウドたちは、あんな生き物は見たことが無かった。


 現在、切り立った崖の上から、四本足を見下ろしている。そもそも、谷底に行けるのだろうか。さらに、底から上に上がれるのだろうか。


 リウドは考える。

 周囲を見渡しても、降りられそうな場所は無い。谷底に降りたが最後、上がれないのではないか。


 その時、何かが閃いた。

 重要なことであった。現状、谷底までのルートが見つからない件については、降りようと思えば、誰でも気付いたかも知れない。降りられないからだ。

 しかし、次の問題は、リウドだからこそ、気付けたのではないか。


 「あの四本足は、何を食べて生きているんダ?」


 全員が顔を見合わせる。

 雪山の谷底で、満足に食べるものなどあるのか否か、考えれば分かることだ。コケを削って食べても、たかが知れている。また、他の場所で食べ物を探そうにも、あの四本足では、崖を登れまい。

 あの身体を維持する為には、どれほどの食料が必要だろうか。


 自分たちですら、食べ物に窮しているのだ。今はまだ凍ったドワーフ族の死体が山ほどあるので問題ないが、いずれそれも尽きるだろう。

 あんな巨大な四本足の生き物が、何頭も――


 「生きていけるわけがない!」


 二頭が進む方向に、さらに四頭現れた。ここからは見えない場所にいたようだ。見えているだけで、巨大な四本足が6頭。


 決定的であった。

 

 谷底には、彼らを飢え死にさせないだけの食料がある。


 「一旦、村へ帰ろウ。狩るにしても、準備が必要ダ」


 「バカナ! アンナ巨大な獲物ヲ前ニシテ逃ゲルノカ?」


 「逃げるわけじゃなイ! たった5人、それもこんな装備で、あんな巨大な生き物を狩れるカ!」


 一同は、シュンと下を向いてしまった。

 最低限、身を守る武器は持って来ているが、棍棒や、棍棒の先を尖らせただけの武器を、一人一つずつ持っているに過ぎない。猪や雪狼を狩るようには、行かないだろう。

 そもそも、谷底に降りるのも大変だ。ルートがない。さらに、獲物を狩れたとして、どうやって谷の上まで持ってくるのか。


 リウドたちは、生まれて初めて、一対一の対決で勝てない相手を発見したのだった。


 今までも、リウドたちは人族を襲ったり、猪や熊などを相手に、仲間の猿たちと協力して狩って来た。スノータイガーなどは猿王種にとってはなかなかの強敵だ。

 しかし、何と言っても、最大の戦いは、数日前のラモン村を襲った戦いだろう。何しろ、300人以上の人族を倒したのだから。猿王種史上、人族を相手にした戦いとしては、最大の規模ではないか。白猿たちも、四頭がこの戦いで死んだ。


 それでも、一対一で勝てる相手に対し、安全に戦っていたに過ぎない。人族など、一対一では、恐るるに足らぬ相手だ。

 だからこそ、ここにいるリウド以外の四人は、獲物=食べ物と発想したのだ。

 自分たちの力と、相手の力を比べた上で、狩れるか否かと冷静に出した答えではない――と言うより、そのように考えた経験がなかったのだ。


 しかし、あの四本足は違う。

 一対一では絶対に勝てない。一対一で勝てないから、仲間と協力する必要がある。

 同じ、「仲間との協力」でも、今までの協力とは意味が違うのだ。その違いに、いち早くリウドは気付いた。


 「村に帰って、武器を見直ス必要があル」


 側近のゴドウは、リウドの次に頭が良い。後ろ髪を引かれる思いであったが、リウドの言うことも理解できた。


 「分カッタ」


 ゴドウが折れると、他の白猿も次々に折れた。リーダーであるリウドと、副リーダーであるゴドウが戦いに反対したら、他の者たちでは、覆すことは不可能であった。皆を納得させるだけの材料を出せないからだ。

 もちろん、「自分一人でもやる」と突っ張ることは可能である。そこまで厳格な群れではない。しかし、あの巨大な四本足に対し、一対一で勝てないことくらい、いくら白猿でも理解できた。


 地図の内容は正しかったし、新たな発見もあった。「森王の谷」である。おそらく、あの巨大な四本足が「森王」だろうと、リウドは判断した。

 それにしても――探検から帰ったリウド以外の四人は、戦いに負けた時のような落ち込み具合であった。その様子を見ていたら、リウドは何だかおかしくなってきた。

 リウドは、「ガヒッ、ガヒッ」と猿王種独特の声で笑った。



 翌日、早速、リウドは靴の作成に取り掛かった。手本はある。ドワーフ族の靴だ。まずはドワーフ族の死体から、靴を集めさせた。


 ドワーフ族は人族の中では、足が大きいが、猿王種と比べると、一番大きな靴でも、白猿の子供くらいしか履けない。大人の猿は、やはり新たに作らなくてはならない。


 「(しかし、恐ろしく複雑ダ。こんな複雑なものを、人族はどうやって作ったのカ…)」


 靴の研究はまだ始まったばかりであった。


 リウドは、他の白猿には槍を作らせていた。四本足に突撃する為の槍ではなく、投げ槍である。投げ槍もまた、猿王種始まって以来の武器であった。投石はあったが、槍を投げることはなかったのだ。

 石は雪に覆われていなければ、その辺に落ちている。落ちている石を投げることには、気持ちの上で大した抵抗はない。

 しかし、槍は違う。

 槍は、自分で作らなくてはならない。まず、木を用意して、道具を使って加工する。この一手間が、猿たちにとっては、ハードルが高いのだ。しかも、手間を掛けて作った槍を、投げる。

 これはもう、感覚としては、財産を投げ捨てることと変わらない。


 分業が必要であった。


 つまり、槍を専門に作り続ける者の存在だ。

 器用な者が良い。

 靴も誰かに任せたかったが、構造が複雑過ぎて、リウド以外には理解できないだろうと判断した。少なくとも、軌道に乗るまでは、靴の研究はリウドが率先してやるしかない。


 さらに、谷底までの、ルート作成だ。

 これは現地に行って、降り易そうなポイントを探すしかないが、リウドは別の方法も考えていた。

 ヒントは、ドワーフ族の住居にあった。住居の中に、地下室があったのだ。床板を外すと、地下室への階段が現れた。他の白猿たちは、地下室に保存してあった食料に歓喜したが、リウドは階段そのものに驚かされた。


 「(これはまた…、この段々を降りて行けバ、安全に下に行けるというわけカ。凄いナ)」


 その構造にリウドが驚かされていると、また、知性の芽生えが全身を走った。リウドがドワーフ族の村に来てから、ほとんど毎日のように、知性の芽生えが走っていた。


 「(この段々を谷底まで作れば、安全に谷底まで降りられるし、上がる時も安全だ。四本足の肉も、楽に持って上がれるだろウ)」


 リウドは四本足を狩る為に、三つの問題を挙げた。(1)靴作成、(2)投げ槍作成、(3)ルート作成、の三つである。

 この三つを解決しない限り、リウドはあの四本足は狩れないと考えている。靴は最悪、後回しでも良いが、投げ槍とルート作成は、絶対に必要であった。


 三つの問題を挙げた瞬間、何か一瞬、リウドの頭をよぎったが、知性の芽生えまでは行かなかった。

 そこで、もう一度考える。


 (1)靴作成

 (2)投げ槍作成、

 (3)ルート作成


 リウドは物事を理解する時に、常に問題を分析するようにしていた。その結果、分析が間違えていたこともあるし、正しかったこともある。

 しかし、考えることによって、正しいことが多くなるようになっていた。他の白猿と比べても、自分の頭の良いのが分かった。自分が群れのリーダーである理由は、頭が良いからであった。

 その自分が理解できないことを、人族は無数に理解していた。

 もし、肉体が猿の人族がいたら、自分など、リーダーになどなれるわけがないと思っている。


 人族と自分たちとの違いは何だろうか。

 先の三つの問題を考える。


 『作成』


 共通する部分を抜き出してみる。

 「作成」、これしかないと思われた。人族にあって、猿にないもの。問題を克服する為に、人族は何かを作るのだ。


 足が凍えない為に靴を作る。

 食料を保存する為に、地下室を作る。

 力が弱い為に、武器を作る。

 岩を掘る為に、道具を作る。

 忘れない為に、文字を書き、書物を作る。


 そう考えた時、知性の芽生えが走った。


 「(もし、四本足を狩れたら、その時は、また一歩人族に近づける)」


 リウドは、脳内で語った自分の言葉が、いつもよりも、クリアに聞こえたような気がした。

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