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 第16話 「運命の歯車」

 猿たちは何もわかっていなかった。

 全ては無知が引き起こしたことであった。

 それは弱いと思っていた人間が実は強かった、といった単純なことではないだろう。

 もっと根源的なこと。


 生き物とは、生きる為に生きているという事実。


 100年後も1000年後も永らく生き続けることが重要なのだ。

 もちろん、それほどの長期間を一つの個体が生き永らえることは不可能だ。

 だからこそ、全ての生き物は子孫を残す。

 人間も猿王種も例外ではない。


 強き者は弱き者。

 

 弱き者は強き者。


 猿王種は強き種であるがゆえに、一頭の雌が生涯に産む子の数は多くても3~4頭程度だ。

 普通は2頭産めば(おん)の字。

 つまり、猿王種とは事故や病気で子猿が死ねば、すぐに数を減らしてしまう種なのだ。


 リウドは何故自分たちが平地と比べ食糧の乏しい山岳地帯を生息地としているのか、初めて理解した。

 強い肉体が厳しい山岳地帯に適していたからではない。


 山岳地帯には競合する捕食者が少なかったからだ。

 

 確かにホワイトタイガーは強敵だ。

 成体と1vs1で戦えば勝てない。

 だが、その程度だ。

 ホワイトタイガーは巨大な猫系の魔物だが、群れで行動するわけではない。出会がしらの敵としては危険だが、相手にしたからと言って、即、種の危機に陥るような相手ではない。

 仮に雪山で相対したとしても、基本的には個vs個の戦いに過ぎない。


 だが――



 「(……人間は違う)」



 ――個vs個では済まない。


 確かに人間は魅力的な餌に違いない。群れで行動する上に、弱い。

 一度の戦闘で、簡単に何頭もの人間が狩れてしまう。

 戦闘力の低い人間なら、いかに数に頼ろうと、猿王種の敵ではない。

 

 だが、問題は人間の中には猿王種よりも強い個体がいるということだ。

 しかも強い個体が群れで襲ってくる。

 執拗に。

 その強い個体は数百頭の人間を狩った後に攻めてきたのだ。

 数百頭もの被害を出せば、普通は猿王種との争いは避けるだろう。

 人間にとって、敵が強いか弱いかは大した問題ではないのだ。

 それは猿たちにとっては思いもしないことであった。


 今回の戦を思い返してみても、緒戦、自分たちの強さに恐れをなし逃げ出したかと思ったものの、その実、雌猿や子猿を狙って、種の殲滅を謀っていた。


 「(想像を絶する執念深さダ)」


 彼らは弱い種にも関わらず、その中の強い個体を集め、強い種の弱い部分を狙って襲ってきたのだ。


 少し前まで、リウドの人間観は「弱いのに好戦的」というものであった。

 しかし、リウドの人間観に少々、変化があったようだ。

 首のない子猿の死体を抱いたまま考え込むリウド。


 どうして猿王種が山岳地帯を生息地としたのか。



 こと此処に至っては、もはや明白な事実。



 

 平地には人間がいたからだ。




 猿王種は人間を避ける為に山岳地帯を住処としたのだ。



 『ガチャリ……』



 「(平地にいた先祖は人間に追われたか、あるいは滅びたカ……)」


 リウドは絶望の淵にあっても、思考が止まらない自身の性質が恨めしく感じられた。


 知らなかったとはいえ、何と恐ろしい敵を相手にしていたのか。

 人間たちは一度戦ったら、敵が死に絶えるまで戦いを止めないのだ。

 自分たちが何頭死のうと関係ないのだ。


 人間は賢いだけではない。

 生き物として、どこか狂っている。

 逃げる個体もいるが、中には逃げずに、執拗に追ってくる個体がいる。しかも、それは十分に猿たちの脅威となる得る数だ。


 リウドはラモン村にあった、ドワーフ族の道具小屋を思い出す。

 あそこにあった道具の数々。

 人間の執拗な性質を知った今なら理解できる。

 あれは賢い者が作った便利な道具、というだけではない。

 あれは執念深い人間が作った、敵を殲滅するための「呪具」のようなものではないか。



 周囲に首のない死体が転がっている。

 正視に耐えない。


 どうして首だけを奪っていったのかは分からない。

 だが、はっきりしていることがある。


 人間たちは猿王種を食べる為に狩っているのではないということ。


 食べる為に人間を狩る自分たちとは違う。

 自分たちなら、むしろ逆。

 首や内臓を捨てて、身体を持ち去るだろう。

 当然だ。

 頭部は他の部位に比べて重い上に、可食部が少ない。

 頭部を焼き、熱々の脳みそを好む猿もいるが、面倒だし、所詮は珍味の類だ。普通は頬の肉を一口二口齧ったらあとは捨てる。


 否、そんな理屈は必要ない。

 ただ、周囲に転がる同胞たちの死体を見れば一目瞭然だ。


 「(人間は……)」


 脳内で言葉にすることさえおぞましい。


 「(……俺たちヲ殺したいから殺しタのダ)」



 『ガチャリ……』



 分かってしまった。

 人間は腹が満たされていようと、満たされていまいと、そんなこととは無関係に猿たちを殺しに来る。

 これからも。


 ◇


 「長ヨ、これかラどうする……?」


 クラドが放心状態のリウドを心配し、声を掛ける。

 未だ、首のない子猿の死体を抱いたままだ。


 他の死体は全て彼らが「死者の(ほら)」と呼ぶ洞窟に持って行った。

 猿王種は仲間が死ぬと、死体は「死者の洞」に運ぶことになっている。

 身体の一部が欠損した死体はそれほど珍しくはないが、今回のように、20頭もの死体を一度に「死者の洞」に運び込むことなど例がない。


 数が多い上に、「死者の洞」はかなり離れた場所にあるので、戻ってくるのは明日になるだろう。



 戻ってくる?



 戻ってきて何をするというのか。



 リウドがどう判断するかは分からない。再び人間と戦うのか。あるいは拠点を放棄し、逃げるのか。

 いずれにしても、クラドはその前に確認しておきたかった。


 しかし、機先を制するように先にリウドが口を開いた。


 「人間は……怖いナ……」


 その呟きはリウドの偽らざる本音だろう。

 クラドも全くもって同感だ。 

 人間は子猿も雌猿も関係なく、殺した後、首だけを持って行った。

 しかも、腹を割き、内臓をぶち撒けて。

 食べるわけでもないのに、どうしてそんなことをするのか。

 リウドは、人間の猟奇的、偏執的な習性を知るにつけ、背筋が冷たくなるのを止められなかった。


 群れのリーダーらしからぬ弱気の台詞であったが、幸い、この場にはリウドとクラドしかいない。

 王の弱気は、群れの士気に関わる。

 併せて、群れの未来が士気に左右されかねない状況にあることをクラドは思い知る。


 まさか、人間ごときに、ここまで追い詰められるとは思ってもいなかった。


 追い詰められた?


 果たして、それだけか?


 「拠点ヲ移すナラ早い方ガ良い」


 気休めだ。

 リウドにははっきりとそれが分かった。



 『ガチャリ……』



 クラドは今回の一件で、はっきりと理解したことがある。

 それは「人間は戦っては駄目な相手」だということだ。

 もはや、この場に居続けることは何のリターンもない、リスクのみの行為だ。


 では、どこに拠点を移すのか。

 そもそも、拠点を移すことに、何の意味があるのか。


 もちろん、今より多少は安全になるだろう。

 だが、「安全」とは本来、護るものがある場合に重要な概念だ。

 生き残った雌猿はカノウ一頭だけ。

 カノウがこの先産むであろう子猿はどんなに多くても3~4頭だ。

 完全に未来が潰えたわけではないが、まぁ、冷静に考えれば――


 「(――モウ終わリダ)」


 それがクラドの結論。

 そして、その結論はおそらく正しい。


 クラドはもう人間と戦うのは無理だと考えている。

 戦う理由がない。

 手に入れるべき未来が残されているのなら、多少のリスクには目をつぶるべきだろう。

 弱い人間なら食糧としては上等だ。

 簡単に狩れる上に、旨い。


 だが、本格的な戦闘は不可能だ。


 リスクを犯す理由がないのだ。


 「とりあえず、此処にいてモ仕方がなイ。俺たちも行こう」


 リウドがゆっくりと立ち上がる。


 皆から遅れることおよそ数時間。

 リウドとクラドの2頭も「死者の洞」に着いた。


 ◇


 一体いつからなのか。

 ここピレト山脈の猿王種の間で、ほとんど本能のように続けられている慣習があった。

 それは死者を弔うということ。


 通常、二足歩行の魔物は同属の死体を放置したりはしない。

 よほど飢えていない限り、共食いもしない。

 彼らは仲間の死体を埋めるのだ。

 それは最下級の二足歩行の魔物であるゴブリンやコボルトであっても同様である。

 その行為は、「埋葬」であり、彼らは死者の為に「墓を掘る」と言えなくもない。

 明確に弔いの一種だろう。


 だが、ピレト山脈の猿王種は墓を掘らない。

 その代わり、ある場所に死体を運ぶ。

 言ってみれば、「共同墓地」。

 あるいは、猿王種にとっての「聖地」か。


 当然、そこは人類未踏の地である。

 ただでさえ峻険な上に、厳しい自然環境。

 さらには猿王種やホワイトタイガーが出没するとあっては、近付く人間は皆無だ。

 猿王種を特別に観察、研究している者もいないのだから、猿王種にそのような慣習があるなど、人間たちが知る由もない。



『ガチャリ……』



 入り口は狭い。

 もちろん、猿王種にとっては、ということであるが。

 自然に出来た洞窟ではなさそうだが、人工的な感じでもない。

 入り口も通路も猿王種の大きな身体では一頭ずつ通過するのがやっとであったが、奥は意外と広い。

 30頭程度の猿王種が一同に介せるくらいには広い空間であった。

 天井も高い。

 その一番奥。


 死者を祀る、ある種の祭壇だろうか。

 ツルツルとした碧い石で出来た台座であった。


 どういうわけか、台座の前で猿たちが途方に暮れていた。

 台座の上には首のない雌猿の死体が横たわっている。


 「リーダー、死体が消エナイ」


 「石ガ光カラナイ。呪ワレタノか?」


 「?」


 見ると、子猿たちの死体はない。

 雌猿の死体だけが台座の周囲に横たわっていた。

 しかも、よく見ると、全ての雌猿の死体が残されているわけではないようだ。

 ヨキの母親であるテイラの死体はない。

 残されている雌猿の死体は7頭。

 それらの死体は、ことごとく腹が無残に割かれていた。

 内臓を無理矢理(えぐ)り取ったような形跡もある。



 『ガチャリ……ガチッ……』



 それは(とき)の環が収束し、運命の歯車がかみ合った音。


 もちろん、その音がリウドに聞こえるはずもない。


 猿王種の――否、猿王種は近々滅びる。

 少なくとも、ピレト山脈一帯に生息する猿王種は。

 何しろ、群れと呼べる猿はリウド率いる60数余りだけだったのだから。

 あとははぐれ(・・・)の白猿が広大な山岳地帯にパラパラと生息するのみだろう。

 とても自然繁殖出来るような状態ではない。

 それは間違いない。

 よって、猿王種の滅びの運命は変わらない。

 では、一体、何の運命の歯車がかみ合ったのか。


 やがて、リウドが望むと望まざるとに関わらず、かみ合った運命の歯車はゆっくりと動き出した。

 どうやら、その歯車は皮肉にもリウドが「楽園」を追放されることで、初めて起動する仕組みだったらしい。


 ◇


 クラドとしては、状況は理解したが、意味が分からない。

 クラドは今回初めて「死者の洞」を訪れたが、此処がどういう場所かは聞いている。


 「死者の洞」とは、死者を死者の世界におくる場所だと。

 第一、死者を死者の世界に送れなければ、洞窟は死者で埋まってしまうではないか。

 

 今まで死者は全て死者の世界に送ってきた。

 中には手負いの猿が死期を悟り、自力でやってくることさえある。

 はぐれの猿であっても、である。

 確かに、途中で力尽き、台座に辿り着く前に死ぬ猿もいるにはいる。

 残念ながら、彼らは例外だ。

 そんな彼らも次に来た猿たちによって、その「残骸」は新たな死体と共に死者の世界へと送られた。


 此処はそういう場所だ。


 ふとクラドが隣にいるリウドを見ると、わずかに残っていた灰色の毛はすっかり抜け落ち、全身が黒く光っていた。


 黒毛の王が何かを思いついたらしい。

 歩みに迷いがない。


 「(さスがは長だ)」


 種の未来が閉ざされたというのに、厳粛な空間も相まって、いつにも増して堂々としているように見える。

 自身が仕える王が誇らしい。


 リウドは台座に寄ると、抱いていた首のない子猿の死体をそこに寝かせる。


 すると、台座全体が青白く光り、数瞬後、子猿の死体はすっかり消えてしまった。


 「「「「「!?」」」」」


 消えた瞬間は分からない。

 子猿の死体が載った台座と、何も載っていない台座が一瞬で入れ替わったような印象だ。


 次に、リウドは地面に横たわる雌猿の死体に近付くと、おもむろに割かれた腹に腕を突っ込む。

 やはり迷いがない。


 「「「「「ッ!?」」」」」


 我らが王は狂ったのか?

 同胞の内臓を食らおうとでも言うのか?

 猿たちに動揺が走る。


 「やはりな……」


 「リウド、ドウいウことだ?」


 尋ねたのはゴドウ。

 普段よりも一段低い声音は、わずかに怒気も含んでいるか。


 「死者の世界に送れナい死体は、腹から石が抜かれテいる」



 リウドが率いた群れは、わずか60数頭。

 はぐれ――とまではいなくとも、単独での狩りを好む猿もいる。

 彼らは群れを出たり入ったりしている。常に群れと行動を共にしているわけではない。

 明確に「群れの一員」と呼べる猿は60頭以下だろう。


 それでも、通常、群れを作らない猿王種にとっては巨大な群れだ。

 例え、それが本能的に種の危機を察知した個体による、自然発生的なものであったとしても。


 いずれにしても、他の種と比べれば、60頭以下は個体数を維持出来るギリギリの数だろう。

 それが今や30頭未満――正確には29頭。

 しかも、繁殖可能な雌猿は一頭のみ。


 種にとって、絶望以外の言葉が見付からない。

 果たして楽園を追われた猿たちが歩む道はどんな道になるのか。


 そもそも、冒険者たちの追撃すら始まっていない。

 種の殲滅が彼らの目的なのだから、群れの規模を半分にした程度でその攻勢が止むはずがない。

 戦闘は終わっていないのだ。


 リウドが選択する道は、種にとっては、いずれも滅びの道である――というより、既に滅びていると言っても過言ではない。


 彼らの刻の環は閉じ、円環となって、時間と共に徐々にその径を狭めていくだろう。

 絶望の中、リウドがたった一つの希望を見出すことが出来るか否か、今はまだ、その答えは風に舞っている。



 ※第一章 知恵の実編 完

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