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 第15話 「涙」

 ゴクリ……、と息を飲んだのは誰だったか。

 バックスを除くこの場にいる全員が目の前の光景を信じられない、といった様子で眺めていた。


 「くふふ。俺も巣を見付けた時は驚いたよ」


 「剣狼」バックスが押し殺した声で呟く。


 冒険者たちが驚いたのは、子猿や雌の猿たちに、全くと言って良いほど、緊張感が無かったからだ。

 『闘気』をまとっている猿など、一頭もいないだろう。

 油断や気の緩みといったものではない。

 雄の猿たちが種族の運命を賭けて戦っているのを知らないか、知っていても理解出来ないか。

 あるいは、敵である人間をこれっぽっちも怖れていないか。


 いずれにしても、漂う空気は戦時のものではない。

 そこにあるのは、猿王種の陽だまりのような日常であった。


 ダグラス・シーバーは改めて思い知った。

 山岳地帯こそ、猿王種にとっての楽園なのだと。

 ここピレト山脈に生息する猿王種にとっての悲劇――それは、ラモン村を襲ったことだ。

 ラモン村は希少金属を産する一帯の鉱山で働くドワーフ族の村であった。

 正確には、襲った上に、村を滅ぼし、さらには討伐軍まで退けたこと。

 猿王種にはそれだけの能力があった――そのことが悲劇なのだと。

 

 「(率いる黒猿はなるほど猿の中では大した知恵者なのだろう。力もある。だが、それだけでは人間には勝てないよ。挑めば全てを失うということを思い知ることになる。取り返しは付かない)」


 あの黒猿はこの楽園を護れなかったのだと。

 どうして護れなかったのか、あの黒猿は気付くだろうか。

 そう考えると、残雪や小石で遊ぶ子猿たちの姿が、ダグラスには何か尊いもののように思えてきた。


 「好都合じゃねーか」


 「灰燼(かいじん)」リト・ダンティスが吐き捨てるように呟く。

 臨時クランとは言え、一応は仲間だ。

 その仲間が5人も殺されている。

 これから彼らの死体は猿に食われるのだ。

 ひょっとするともう既に食べられているのかもしれない。

 そのことを考えると、リトははら(はらわた)が煮えくり返るような怒りを覚えるのだった。


 「確かに好都合。あの黒猿以下、戦闘に参加していた猿どもは間違いなく化物ですが、奴らはそもそも戦を知らないようです。そこが付け入る隙です」


 「蛮勇」アヴェルがリトに同意する。

 付け入る隙が目の前に広がっている。

 猿たちの日常こそ、付け入る隙。


 黒猿率いる猿王種の群れは、死んだ5人の仇である。

 ゆえに、絶対に討伐しなくてはならない。

 猿王種を討伐しなくてはならない理由は様々あるが、そこに仲間の意趣返し、という理由が加わった。


 「深く考える必要はあるまいよ。黒を討てなきゃ、最悪、繁殖不可の状態に持っていくだけだ」


 「王格」グスタフが槍先に付着した猿の血を、魔物の皮を加工した特殊なウエスで拭き取る。

 軽く拭いただけなのにあっという間に元の輝きが戻った。

 さすがは天下の至宝「ガー・ジャック」といったところか。


 冒険者たちのやることは決まっている。

 猿たちの未来を殺すことだ。


 「(悪いが、猿どもには絶滅してもらう)」


 どれだけ犠牲を払っても、である。

 グスタフはもう一度気合を入れなおす。


 今回の討伐はカレイニア王国からの要請をギルド本部が受けた形だが、猿たちは人間の味を知ってしまっている。

 放置すれば、猿たちが山を下りるのは時間の問題だろう。

 彼らにとって、人間は餌である。

 餌の多い場所に移動するのは、生物として自然の行動だ。

 山岳地帯で少ない餌を探し回るよりも、人間を狩る方が手っ取り早い。

 食糧の安定供給を目指すなら、山を下りることは必然の一手だ。


 「(あの黒猿はきっとそう考えているはず)」


 ゆえに、黒猿たちの興味は人間の住む村や町に移行していると、「血海」ダリムは考える。

 子猿も食糧も、どちらも猿王種にとっての未来である。

 果たして、黒猿たちはどちらを優先するだろうか。


 「バックスとジライハン、ブラガの三名は穴の周囲をグルリと回って、奥から攻めてくれ。俺が合図する。挟み討ちだ。音響弾が鳴ったら、即座に撤退。廃城でイーガーと合流だ」


 「「「了解」」」


 ◇


 約10分後、冒険者たちが猿の群れを急襲した。


 そこからはまさに地獄。

 

 子猿は小さい個体で体長100cm以下。人間なら乳児や幼児にあたるだろう。大きい個体でも150cmから170cmほど。

 人間と比べれば身体は十分だが、当然、戦闘経験などほとんどない。

 しかも、襲っている冒険者たちはただの村人ではない。

 

 待機していた第二陣が一斉に飛び出した。


 「(鉄槍の残弾は18発。もう後先を考える必要はねぇ。全弾、水平射出させてもらう!)」


 廃城にはまだ槍は残っているが、今回の戦闘に持ち込んだのは20槍。

 慌てる雌猿や子猿を葬るには十分だ。


 ダグラス・シーバーが巨大な炎弾を山なりに放った。

 速度は遅い。

 簡単に避けられる速度である。

 だが、遅いからこそ――


 「命中ッ!」


 ――「黒槍」ハミルの鉄槍が雌猿の乳とも筋肉ともつかない分厚い胸板を貫いた。

 

 宙空の巨大な炎弾が猿たちの注意を引くからだ。

 

 「グギャア!」


 あちこちで子猿の断末魔が響く。

 その後も次々に冒険者たちの飛び道具が当たり、白猿の毛を赤く染めていく。


 歯応えがありそうなのは雌猿だが、武器も持たず、子猿たちを守りながらでは、まともには戦えようはずもない。

 老いた雌猿などはほとんどその場で討たれた。

 さすがに気力の充実したA級以上の冒険者たちを相手にするのは実際問題、無理であろう。


 冒険者たちは、2時間ほど前の戦闘の鬱憤を晴らすように、子猿や雌猿たちを殺していく。

 戦闘時間は10分にも満たないのではないか。

 その数、実に19頭。


 「雌猿を1頭逃がした!」


 「いや、もう1頭、合わせて2頭だ!」



 パンッ



 撤退の合図が出た。

 逃げた雌猿を追ったバックスたちも時機戻るだろう。

 群れの討伐はいわば電撃作戦。

 ラモン村にいる黒猿や灰猿たちが群れに合流したら、体力的にも戦力的にもとてもじゃないが相対できない。

 柔らかい子猿の毛皮は高価で取引されるが、今は時間が惜しい。

 手際良く首だけを落とし、マギバッグに詰め込んでゆく。


 「逃げた雌猿はラモン村に一目散か……。猿の死体を処理したら退却だ!」


 ダリムとしても、これ以上の臨時クランの損耗は許容出来ない。

 追撃するにしろ、一旦、廃城に戻り、態勢を立て直す必要がある。



 ◇◆◆◆◇



 リウドは白猿たちから与えられるままに、冒険者たちの肉を食らっていた。

 もちろん、リウドが食らっているのは血のしたたる心臓である。

 内臓の中でも心臓は特に珍重される。

 リウドは軽く火を入れて、表面の脂を焦がした方が好みだが、戦闘直後は生で食らうのが猿王種流。

 

 「(殺した直後の人間の心臓は焼かなくても旨い)」

 

 実は猿王種は火を使う。

 しかも自然発火した火を利用するのではなく、日常的に火を使う。

 どこで覚えたのか、割った石を打ち合わせ、火花を飛ばし、着火するのだ。

 魔物の中でも、火系魔術ではない火を使うのは猿王種と一部のオーガのみである。


 リウドとしては、思うところがないわけではなかったが、皆が勝利を喜んでいる以上、今更水を差すわけにも行かない。

 自分は群れの為に存在しているのだから。

 群れの喜びが、自分の喜びである。

 ならば、今は勝利を誇り、敵の肉を食らおう。

 

 常にない強敵との戦闘で、皆、軽い興奮状態が続いている。

 倒した敵の肉を喰らい、高ぶった気を鎮めるのは悪いことではない。


 リウドはそんなことを考えていた。



 パンッ



 「ん?」


 殺した直後の心臓は、血も脂も全く臭みがなく、噛み千切った肉はツルリと喉を通っていく。

 新鮮な肉は、喉越しが実に心地良い。


 「!?」


 だから、ほんの少しだけ反応が遅れた。


 噛み千切った肉が喉元で止まる。

 代わりにリウドは自分の心臓がきゅっと鷲掴みにされたような気がした。

 嫌な予感がする。


 今、鳴った音――


 あの音を境に、人間たちは逃げ出したのではなかったか。

 恐らくあれは逃げる時の合図なのだ。


 逃げる?


 どうして、再び逃げる必要がある?


 さっき逃げたのではなかったのか?


 では、人間たちは何から逃げているのか。


 リウドはクラドを探す。


 クラドも右手に人間の腕を持ったまま、リウドの方を見ていた。


 異変の予感。

 何かが近付いてくる。

 他の猿も気付いたようだ。


 果たして表れたのは、リウドと同じ歳の雌猿、カノウ。

 カノウの全身は血だらけであった。


 「リウドッ、早クっ!!」


 足取りが確かなのは、見た目ほど傷は深くはないのだろう。

 だが、怒りなのか、恐怖なのか、カノウは小刻みに震えていた。

 

 そして、カノウの右手にあったものは――


 「「「「「!?」」」」」


 ――子猿の千切れた左手であった。


 

 それで十分であった。



 ウゴアァアアッア!!!



 リウドの咆哮で、周囲の空気が震える。

 旨そうに人間の肉を頬張っていた猿たちの動きが止まる。


 「ガハッ、ガェロロッ」


 リウドは全てを理解した。

 さっき食べた肉が胸元に()りあがり、胃液と共に吐き出してしまった。


 リウドは「森王の穴」に向かって全速力で駆け出した。

 人間との戦が一段落したら、本拠にしようとしていた場所へ。


 すぐさまクラドが追う。

 少し遅れてゴドウ。

 残りの白猿たちも、カノウが話せばリウドを追いかけるだろう。


 ◇


 散乱する子猿たちの手足。

 全ての死体には首がなかった。

 どうして人間たちが首だけを持っていったのか、リウドには知る由もない。


 だが、言えることは猿王種の未来が完全に閉ざされたということ。

 視界がやけに暗く感じる。

 リウドの胸は張り裂けそうであった。


 群れに雌猿はもうカノウ一頭しか残っていない。


 リウドはペタリと腰を落とし、首のない子猿の死体を抱きしめる。

 一番大事なものは何だったのか。

 頭の中がぐちゃぐちゃで、思考が定まらない。


 一番大事なものは「未来」だったはずだ。

 腕の中の子猿の死体にはもう「未来」がない。


 頬を涙が伝う。

 頭の中で澄んだ音がした。

 レベルが上がったのだ。

 いつもは心地良いはずの音が、今はやけに耳障りだ。


 リウドは悲しい時に涙が流れることを知っている。

 だが、次から次へと溢れ出てくる涙は、悲しい時の涙とは少し違う気がした。



 気配を察し、振り向くと、ゴドウが血だらけのテイラを背負っていた。

 ゴドウは静かにテイラを地面に下ろした。


 「途中デ拾っタ。死んデイタ」


 「そうか……気付かなカッたヨ」


 そんなことにも気付かないほど、リウドは慌てていたのだ。

 テイラはヨキの母親である。


 後から来たヨキがテイラの死体に気が付いた。

 この場で頭のついた死体はテイラのみ。

 続々と白猿たちが集まって来る。


 そして、一面の惨状を目撃した。


 血だらけの地面。

 転がる手足。

 首のない子猿たちの死体。

 首のない雌猿たちの死体。


 「「「「「ウガァアウァアア」」」」」


 遅まきながら、白猿たちも理解した。

 敵はただ食べられるだけの餌ではないということを。

 そして、「戦」がただの力比べではないということも。

 自分たちは何も知らなかったのだと。



 リウドが初めて知った涙。

 それは「絶望の涙」であった。

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