第12話 「戦鎚」
どちらにとっても負けられない戦である。
単なる陣取り合戦ではないからだ。
相手の命を奪うことが目的である。極めて原始的で野蛮。しかしそれゆえ純粋な戦と言える。
陣取り合戦なら、仮に負けたとしても領土の一部割譲、賠償金支払いなど、落とし処はいくつも考えられる。
だが、少なくとも一方、今回の場合なら冒険者側の望む勝利条件は敵性種の殲滅である。猿王種側にとって負けて良いはずがない。
考えられるのは戦場からの遁走だが、結局のところ問題の解決にはならない。どこかで人間と激突することになるだろう。
猿王種の数を増やすには多くの食糧が必要であり、それには山を下りらねばならない。しかし、食糧が豊富で、人間のいない平地などどこにもないのが現実だ。
猿王種陣営でそのことを正しく理解している者はリウド、それにクラドくらいか。
そのこととは――猿王種60数頭の未来は岐路に立たされているということ。
「明日」とは寝て起きれば誰にでも訪れるという類のものではない。今日勝った者にのみ、「明日」は訪れるのだ。
この時、猿たちが「明日」という概念を正しく理解していたかどうかは分からない。
戦の本質とは、結局のところ、後になって振り返った時にのみ、その戦が持っていた意味を正しく知ることが出来るのだ。戦時においては、猿に限らず、お互い必死に戦うだけであり、その意味を正しく理解することは出来ない。
その猿は特殊なスキルを持っていたのかも知れない。
あるいは、無意識に『闘気』を纏っていたのか。
いずれにしても、リウドやクラド、ゴドウたちよりも早く敵の存在に気が付いた。
濃厚な「死の臭い」とでも言おうか。何者かによって、自身の命が鷲掴みにされているような気がしたのだ。
しかし、そのことが彼の未来を明るくする決定的要因とはなり得なかった。
「うっグェっ!」
なぜなら、数瞬後、彼の身体の中心を黒い槍が深々と貫いていたからだ。
まさに「串刺し」という言葉が相応しい、見事な一撃であった。
その槍は一体どこから飛んできたのか。
ドサリと倒れた者の傍にいた猿たちが軽い恐慌状態に陥る。
禍々しい黒い槍が白猿の毛に良く映えていた。
「「「ガうワやワアアッ!!」」」
カレイニア王国一軍の精鋭たちですら、かすり傷を負わせるのが精一杯であった白猿の肉体。悪鬼を具現化したような身体スペックは体長約3m、体重は400kgを優に超える。
その白猿の命を、「黒槍」ハミルの放った一撃はたやすく奪うことに成功した。
「まずは一頭目!」
青い魔法陣がハミルの上空10mほどに出現したかと思うと、その中心より、即座に黒い鉄槍が撃ち出された。
早朝の薄暗い中に蒼く浮かびあがる魔法陣は美しかった。
「召喚」と「射出」のタイムラグはほとんどない。
彼我の距離は約100m。威力も申し分なし。
薄暮の中、黒い槍は光をほとんど反射しない。さらに撃ち下ろしで速度を増した槍を避けるのは初見では難しいだろう。
ならば一撃必殺も当然の結果か。
これがS級クラン『血盟戦線』の後衛職、「黒槍」ハミル・エルナンデスの得意魔術である。
平野での戦闘、攻城戦、大型の魔物との戦闘と、戦場を選ばない優秀な技だ。
「さすがだな。昨日の『投槍』持ちの猿もビビったんじゃねーか?」
「どうだか。黒どころか、昨日見た灰が見当たらねぇ。おっと二頭目!」
※現在、猿王種側戦闘員35頭、冒険者側戦闘員15名
『遠距離攻撃を持つ個体を確認したら、優先的に仕留めること』
それが昨晩、追加決定した作戦の一つ。
丸太を削った槍については事前調査で判明していたことである。様子を見に行っていた「黒槍」ハミルと「剣狼」バックス。二人が隊にもたらした情報はすぐさま作戦に反映されることとなった。
何頭の猿が『投槍』を持っているかは分からない。だが、丸太槍を持っている猿は全て『投槍』持ちと判断するべきだ。
足元をすくわれる可能性が僅かでもあるのなら、早めに摘むのが戦場での鉄則だ。
10頭ほどで固まっていた集団が散開した。
ハミルの槍を見て反射的に取った行動だろう。逃避に近い。軍としての訓練を受けているわけではないのだから、当然と言えば当然の行動か。猿たちに「陣」などという発想はない。
その様子を確認したダリムは満足そうな表情で、地に伏せていた身体を起した。
ドンッ
ダリムの目前に迫って来た猿を一刀両断――とはいかず、太い鎖骨と頑丈な肋骨に阻まれ、ダリムの巨剣は胸の辺りで止まる。
「堅いな」
そこはS級冒険者。慣れたもので、止まった剣に慌てることもなく、すぐさま剣を引き抜き、距離を取る。
「グィぃイガァァ……」
斬られた白猿は唸り声を一つ上げただけ。
ダリムの剣は心臓に到達していたらしい。巨剣によって斬られた痕は傷口も大きく、血が噴水のように一面に飛び散った。
高位冒険者にしてみれば、所詮、個の戦闘力に頼った群れに過ぎないということか。
※現在、猿王種側戦闘員34頭、冒険者側戦闘員15名
ハミルはひとまずは最低限の役目は果たしたことに安堵した。
猿たちの散開を合図に、冒険者たちも一気に散らばる。
「戦闘開始直後に串刺し2頭なら上出来よな」
さらに3発の槍が射出される。
中空に浮かぶ魔法陣は先ほどの物と同じ。
同じ魔法陣から連続で射出されているのだ。
通常、『投槍』ならば、一つ一つの魔法陣ごとに一発射出する方が敵にとっては厄介だ。避けにくいからだ。
にも関わらず、ハミルの召喚魔法陣は一つだけ。
これでは「避けてくれ」と言ってるようなものである。
つまり、この場合、ハミルの召喚魔法陣は敵を射殺すのとは別の目的があると考えられる。
少なくとも、命中した最初の2発と今発射した3発は目的が違う。
すなわち、敵の耳目を釘付けにする砲台。
それが後衛職ハミルの本来の役割だ。
撃ち出される槍も、黒曜鉄を使った一撃必殺の「黒槍」ではなく、通常の鉄で作られた、一般的な鉄槍に変更してある。
敵の誘導と(仮の)拠点と思わせることが主な目的になる。しかも、砲台が気になって、前衛職の者たちへの攻撃が雑になることも計算の内。少しでも猿たちの集中力が削げれば、後衛職の目的は達するというわけだ。
「そんじゃ、ちょっくら行ってくるわ」
ハミルの近くで護衛をしていた「流星剣」ジライハンが飛び出した。
ちなみに護衛だけではなく、槍の持ち運びも彼が手伝った。
ハミルは高位魔術師なので、今回の討伐にも二つのマギバッグを持ち込んでいるが、それでも足りないと踏んだからだ。
ジライハンが向かったのは、散会した猿の各個撃破が目的である。
こうして、散り散りになった猿たちは集団としての力を発揮する機会すら与えられず、個としての戦闘力だけで戦わなければならなくなった。
「血海」ダリムが巨大な剣を肩に担ぐ。
「第一陣の猿約10頭、一頭も漏らすなッ! まずはラモン村を奪還するッッ!!」
「「「「「おうっ!!」」」」」
冒険者側としては、ここラモン村の拠点で、一頭でも多く狩っておきたいところ。
魔剣士「灰燼」リトが一頭の猿を追う。
1vs1で戦うことは猿側としても望むところなのだが、リトのタイミングが絶妙であった。
ハミルの槍で浮き足立っている時に追われると、つい反射的に逃げてしまうのだ。しかも、リトは火系魔術が得意な魔剣士。炎弾を放ち逃げ道を限定しながら追う。
人間の、それも魔術師相手の戦闘経験が浅い白猿はどうしようもない。
「オオオオオォォッッ!!!」
またもリウドのスキル『鼓舞』が発動。
それは経験の浅い白猿の闘魂を呼び覚まし、瞬時に戦闘態勢を整えさせるには十分であった。
王の声に応えるように、猿たちが一斉にスキル「咆哮」を発動する。
『咆哮』自体は高位冒険者たる彼らにはほとんど効果は無かった(食らった者も、即座に意志の力で『解除』したから)が、それでも並みの相手ではないことを思い出させる程度には効果があった。
ともあれ、王のたった一声で、半恐慌状態であった猿たちの目に再び闘志が宿った。
特に若い白猿の眼は、短いインターバルで二度目の『鼓舞』を受けた為、赤く染まっていた。
「ほぅ、あれがリーダーのブラックピテクスか」
ラモン村の高台になった場所にある鐘突き堂。
ここからラモン村全景を見下ろすことが出来る。
腕を組んだ黒い猿王種が冒険者たちを見下ろしていた。
「大した貫禄だ。ゆえに、ここで討たねばならん」
元S級冒険者「王格」グスタフ・トリィストがゴクリと唾を飲み込んだ。
と同時に、三叉槍を持つ手に力が入る。これほどの威圧感は彼としても、竜種以外では経験がない。
『トリィスト卿、ブラックピテクスは群れの白猿が減れば、逃げるでしょうか? それとも応戦するでしょうか?』
『ブラックピテクスが真に猿の王なら応戦するだろうな。だが、黒に成り立てだと逃げるかも知れん。分からんよ。そも、俺はブラックピテクスを見たことすらない』
昨晩、討伐隊のリーダー、ダリムはグスタフに相談していた。
包囲戦を仕掛けられるほどの人員はいない。猿の方が数は多い。しかも、ラモン村は猿たちの拠点と言っても、仮宿のようなもの。配下の白猿を囮にして逃げられる可能性もあった。
さすがに一目散に逃げるブラックピテクスを追って仕留められると思うほど自惚れてはいない。
「ありがたい。逃げずに戦ってくれるらしい」
ダリムはリウドからユラユラと立ち上る『闘気』を見て確信した。
長期戦になるかと思われたブラックピテクスの討伐。しかし、リウドの出方次第では一気にカタが付く可能性が出てきた。
「毛が黒いだけじゃねーな。オーガキングなんかとは桁違いだ」
余所見をしている場合ではない。「閃光」リーヴァス・ブルームと相対していた白猿の足元にハミルの放った槍が突き刺さる。
白猿の纏っていた「闘気」が反応したのか、寸前で槍を避けたまでは良かったが、その隙を見逃す「閃光」リーヴァスではない。A級冒険者というのは、そういうミスは犯さない。
リーヴァスの「閃光」と称される高速剣が無防備な白猿を襲う。
「スゲぇな……」
思わずリーヴァスの心の声が漏れた。
白猿の右腕から鮮血が飛び散る。
一瞬の隙に3太刀攻撃を加えたが、右腕以外は皮一枚裂いただけ。
その右腕も手応えとしては十分で、リーヴァスは間違いなく斬り飛ばしたと思ったのだが、まだ繋がっている。さすがに剣筋は神経にまで達しており、自由に動かすことは出来なさそうであったが。
確かに一撃の威力を犠牲にして、リーヴァスの高速剣は成立している。
だが、まともに食らえば魔物の腕の一本やニ本斬り落とすことなど、経験上造作もないはずであったが――
「――『闘気』の質が高いんだな」
慌てて追撃を仕掛けることはしない。放っておけば出血多量で昏倒するはずだ。冷静な状況判断が無用のピンチを回避する。
「イデェエエエエ!!!」
興奮した白猿がリーヴァスに襲い掛かる。
待ってましたとばかりに首筋を一閃。
太い猿王種の首をはねるほどの威力ではない。
だが、首筋を走る動脈を、リーヴァスの切っ先は正確に捉えていた。
ビュウッ
白猿の首から血が吹き上がった。
『先制攻撃で猿どもが散開したら、その後、俺たちはどうすりゃ良い?』
『隊列は組まん。自由に暴れてもらって構わない。散った猿を隊列を組んで追うのは無理だろう。逃げられるリスクが増えるだけだ』
『確かにこちらもバラけた方が、猿たちからすると攻撃しやすいかもですね。ラモン村は奪還しますが、基本的には陣取り合戦ではありません。逃げられては元も子もないです。多少の餌は必要でしょう』
前日、質問したのは「三日月」ガトリン・ベル。熊種の鉄槌士だ。
答えたのは「血海」ダリムと「蛮勇」アヴェル。
ガトリンの質問は妥当なものであったし、現に、戦の展開もそうなっている。単純にして明快な作戦である。
しかし、言うは易し、行なうは難し。
前提条件があるからだ。
少なくとも、猿王種との1vs1での戦闘で引くようでは、この作戦は成り立たないということだ。
そのことをガトリン・ベルは実感していた。
ガトリンは戦鎚という鉄製のウォーハンマーを武器としている。それを縦横に振り回すのだから、相対する敵はたまったものではない。身長はダリムとほぼ同じ2m超。体重は200kgを超える。その堂々たる体格と相まって、構えた姿はかなりの迫力である。
しかし、それはあくまでも人間同士でのこと。
敵は身長3m超、体重400kg以上の山岳の怪物である。
全身はしなやかで巨大な筋肉に覆われ、肉体そのものが暴力的な雰囲気をかもしている。
その猿王種が低い体勢からのナックルウォークで突進してくる。
凄まじい速度である。
威圧感もただ事ではない。
勢いのついた灰猿の高速タックルをまともに食らえば、一体どうなってしまうのか。
ガトリンに怖気が走る。
「(灰も混じってやがる!)」
ガトリンは普段パーティーで活動する時にはガードもこなす鉄鎚士である。その場合、巨大な盾も使用する。
だが、今回の作戦には携行していない。
局地戦で終わる保証はなかったし、猿王種は簡単にヘイトを操れるほど馬鹿でもない。それに、猿の出方次第では追撃戦となり、山岳での移動距離は長くなるだろう。
マギバッグは本部職員のイーガーから借りていたが、それは猿の死体を入れる為。武器を持ち運ぶ為ではない。
「(盾を古城に置いて来たのは間違いだったか)」
その猿は明らかに動きが違っていた。
速いだけではなく、突進して来つつも、何というか、「含み」があるのだ。
フェイントでもなく、タイミングを測っているのでもなく、わざと地面を強く踏んでいる雰囲気すらある。
そして、灰色の毛が混じった猿が突然、止まった。
「!?」
だからガトリンの反応が遅れた。
数は猿たちの方が多いのだから、当然の作戦だったのかも知れない。別に常に1vs1で戦わなければならないルールなどない。
目の前の白灰混色の猿に気を取られた瞬間、ガトリンに一瞬の隙が生まれた。
気付かなかったのだ。
ガトリンの斜め後ろから超高速で飛来する投槍に。
300m近い距離を、それも丸太製の槍の投擲を可能とする筋力で、通常の人間の槍を投げたらどれほどの速度と破壊力を生むのか。
「軽スギテ狙イをつケルのが難シイ」
槍を放ったのはヨキ。
猿王種史上初めて、スキル『投槍』を取得した猿である。
真っ白だったヨキの全身の毛は、僅か数日のうちに完全な灰色になっていた。
「(倒せないことはないが、こっちの被害も大きくなる……か)」
リウドの視線の先には、ヨキの投擲した槍に貫かれたガトリンが「信じられない」といった表情で棒立ちになっている姿があった。
「串刺し」ではなく、「貫通」。
ガトリンが自身が頼む武器、巨大な鉄槌を振り上げる。
だが、振り下ろされることはなかった。
立ち止まり、ヨキの槍が貫通する様子を見ていた混色の灰猿が突進する。ガトリンは超高速の体当たりをまともに食らい、弾丸のように弾き飛ばされた。
遅れて、ガトリンが手放した戦鎚がドサリと地面に落ちる。
「コレは良い武器ダ」
人間にとっては巨大な戦鎚だが、猿王種にとっては丁度良いサイズのようだ。
人間の武器はその軽さだけではなく、基本的に握りが細くて猿たちにとっては取り回しが難しい。握った時に指が余り過ぎてしまうからだ。
その点、巨漢ガトリンの手に馴染んだ戦鎚は握りもカレイニア国軍から接収した武器と比べると段違いの握り易さであった。
混色の猿は戦鎚を右手に持ち、ヒュンヒュンと振り回す。
「コノ武器で人間ヲ叩くノは良い気分ダロウ」
彼の名はクラド。
猿王種始まって以来の天才である。
若さゆえ戦闘はまだ得意とは言えないが、わずか200kg程度の人間を弾き飛ばすくらいは可能だったようだ。
普段は冷静なクラドだが、仲間の白猿が何頭もやられて、怒りが湧き上がっていた。
もちろん、怒りに身を任せ、前後不覚に陥るほどクラドは間抜けではないが、溢れる『闘気』は隠しようもない。
「ガヒッ、ガヒッ」
あまりに扱いやすい武器を手にした喜びから、思わず笑顔が漏れたクラドの瞳は赤く染まっていた。
※現在、猿王種側戦闘員32頭、冒険者側戦闘員14名




