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砂浜にて死体男を拾う

周囲を海で囲われたその小国の名前をバッフルという。津波を防ぐ要塞じみた灰色の壁が、広大な砂丘に取り残されたかのような国であった。

一たび門をくぐれば赤錆びた工場群の煙突に、曇り空が歪に切り取られたように見えるだろう。

視界が霞むのが、ひっきりなしに吐き出される煙によるのか、海に冷やされた霧なのか。

たとえどちらだろうとこの国に住む人間は、長く吸い込めば自身の寿命を縮めると知っていたから。

金のある者は、例え工場が駆動していない朝でも外出時にガスマスクを手放さなかったし。それ以外の者は金の為に、工場で煙を生み出しながら寿命を縮めている。

いつか手に入れた金で、わずかでも自分の砂浜を手に入れるのを夢見て。大抵ガスマスクすら用立てることが出来ず、死んでいくのだった。





そんな国の早朝に、引いている荷車に使い古したランプを提げた青年の名をモリオンと言った。

若い浜守の男である。四つある内の北側の門が、彼が死んだ両親より譲り受けた砂浜に近い。

門前をひしめくように並んだ数十人と一緒になって、死んだように静まり返る中で開門の時を待つ。

しばし待てば開門を知らせる鐘が鳴って、ずるずると石造りの門が何人もの警備隊の手で開けられていく。

それから皆自分の順番を行儀よく待ち、各々台車や籠を引きずりながら自分の浜辺に今日の収穫物を探すのだ。

すっぽりと頭ごと覆う特注のガスマスクに重たげに背を曲げながら、モリオンは浜辺の門番へと通行許可証を差し出す。

通行許可証に映し取られているのは、モリオンの家に代々伝わるマスクだが。この国でまずお目にかかることのない屈強な体つきのせいで、華奢に見える荷車を背を丸めて引く彼を間違う門番は少ない。

問題ないと小さな会釈をいただいて、自分の砂浜を目指して…すぐに、砂浜にロープで引かれた境界を越えないように、何人かがひっそりと彼の砂浜を覗きこんでいるのが見えた。



「ごきげんよう、何をしているのですか」



なじみ深いガスマスクの連中から、ごきげんよう、と口々に返された。気がした。

ここに集まる全員が、ガスマスクを苦も無く用立てられる富裕層だ。だから何を話したところで、ガスマスクにくぐもっていて聞き取りづらいのだった。

この国では顔馴染も、親しい友も、恋しい人も。作るならば酒場で知り合うか…もしくは砂浜で拾うしかない。

彼の問いに答えるように、モリオンさん、と泣きそうに声を上げたのはイカリである。彼の隣に子ども一人ようやく座れる程度の砂浜を持つ、やっと10を越したばかりの少年だった。

訝しく思っていたら、ようやく人が退いた。力なく投げ出された長い足が、見事にイカリの領域を踏みつぶしているのを見て納得する。

転がっていたのは首元を布でリボン結びにした、仰々しい正装の男だ。シャツの襟元が赤茶けた海色に染まっているから、酔ってここに寝ころんだ『海行く人』ではないだろう。

巻き毛の男は何故か丁寧に胸の前で手を組み、遺体はモリオンとイカリの砂浜を横切る形で安置されているようである。



「死人か…」


「胸は動いていないから、死んでるとは思うんですけど…」



生きてようが死んでようが、久々の厄介者である。人ばかりは売っても貸し出しても元は取れない。

生きていれば独り立ちできるよう、砂浜を持つ人間が面倒を見なければならなかった。

死人でも『海行く人』に頼んで弔いをする費用を考えたら、小さな砂浜しか持たないイカリでは今日の朝食にすらありつけないだろう。

彼の家族は母と妹の二人だけだ。

死ぬ気で働いた父が、モリオンの両親から破格の料金で少しばかり砂浜を買い取り、最期に遺して逝った。

通常砂浜をまたぐ形で漂着した物資は山分けが基本であるが、こうした配分は相当に揉める。

砂浜に何が落ちるかも知れぬ状況で、見知らぬ他人の為に少しでも損はしたくない。

幸い今回は二つの砂浜で済んだが。小さく区切られた砂浜に死体が流れ着いた時のやり取りは、大抵悲惨を極めた。

モリオンは自身に泣きついた少年を待たせて、数歩ほど自分の砂浜を歩く。

しばらく探したところ、汚泥のような砂の中に、きらきらした赤い石と、緑の石を見つけて。形状と色、大きさを帳面に描き取った後で、呆然と立ちすくんでいたイカリに声をかけた。



「イカリ、足を買い取りたい」



じゃらり、と大ぶりなそれを掌に落とされると、イカリは弾かれたように頭を下げた。

進んで厄介を買う理由は相応にある。イカリはモリオンとも相当に縁の深い少年だった。

そも、金を払っても譲られることの少ない砂浜を得たのは、彼の父親とモリオンの両親の仲が良かったからである。

父親の屈託のなさと明るさを継いだような少年が、つまらぬことで死なないよう、モリオンも多少は気にかけている。

モリオンが養うべき同居人はたったの一人だ。これまで貯蓄も欠かしていない。

この国では広大、と言える砂浜を持つ彼に、葬儀の肩代わりを迷う理由もなかった。



「モリオンさん…!ありがとうございます!」


「買ってやる代わりにこの前に増えた工場と、煙突について詳しく教えてくれ。記録したい」


「えぇ…」



イカリの弾んだような声がすぐさま小さく唸るようなそれになる。

ガスマスクで顔は見えない、見えないが。

まともな書籍はなく、看板も全て絵で示されるこの国で文字なんて使うこともないのに。変な人だ、と言いたげだった。というか、一度か二度くらいははっきりと言われていた。

バッフルでは幼少の頃から、悪しきは口より入り、肺に住み着くと言い聞かされる。その程度には口をつぐむことを美徳とする国だが態度には存分に出るのである。ガスマスクで隠れる表情と、くぐもる言葉を補うように身振りの大きい人間が多い。

無論、モリオンとて時間を買う以上その都度報酬は払っているのだが、妙に皆モリオンが話を聞きたがると嫌がるのが難点だ。今日のように恩を売りつけた上で、法外な値段で買うしかなくなる。

しかし助けられたイカリにだってちゃんと言い分があった。

帳面に変化の少ないこの国の全てを、書きつけて記録に残したい。正確な情報であれば糸目をつけない報酬に、気軽に釣られてしまえば昼夜に渡って説明を要求されるのだ。

どうせ報酬をもらうにせよ楽な仕事がしたい。面倒な取引をしてしまった。きっと、満足するまで微に入り細に穿ち、恐ろしく几帳面に問い立たされる。きっと、朝から夜にかけてかかることだろう。

そんな病的な記録魔の本棚は、適当な包装紙に書きつけた分も含めて相当な量が収められているのだった。その内一割はイカリが提供したと言っても過言ではない。いくら懐が潤っても、できれば他の金のない連中に押し付けたい仕事だった。

この時ばかりは、運よく酒場に店員として潜り込んだ自分を恨む。職業柄様々な話が入ってくる彼は、よくモリオンの被害に遭う回数も多い。



「酒場で聞いた話、だけなんですよ?」


「構わない」



考え直してほしい。そしてあわよくば他に被害を出してほしい。

家族を養うべく、富豪の道楽につき合う暇がない少年の切なる願いは、握らされたきらきらしたのが打ち消している。

この二つだけでも、家族みんなが2週間はたっぷり食べていける上等なものだった。きっと国も気前よく報酬を払ってくれるし、取引を拒む商人…『海行く人』もいないだろう。

ただその代わりに、休みを多く取ったことに嫌味を言われながら働くことになる。

そしてそれを心得ているモリオンが、暇がないなら取引はやめておくか、と白々しく口にした辺りで腹を決めるしかなくなった。

いつだって富豪は汚い。買い取るだけなら素直な感謝で済むのに、わずかな砂浜しか持たないイカリが誘惑に買った試しがない。



「…明後日まで、暇が、ないので!」


「じゃあ4日後に頼む」


「はい…」



最高に話が単純で、モリオンはイカリを好ましく思っている。

小さな砂浜しか持たないと兼業している者も多い。当然、休まされる分も上乗せで請求してくる。無駄にごねられたときの交渉はいつだって面倒だった。

門の方にゆっくりと歩いていくイカリを見送って、モリオンは船一隻分はある砂浜の捜索を始める。

今日の成果は男の死体、透明度の高い石を10個、何が入っているか定かではない装飾のある瓶。こちらの記録は持って帰ってからでいいだろう。

おぞましい魔物を模った像は、仔細を書きとどめてから羨まし気に眺めていた連中に、親切ごかして進呈した。抱えて帰るのは面倒だ。

後は死体を積むなり、立たせて帰るだけだが。…先程まで確かに死んでいた癖にどういう仕組みか。僅かに死体の胸部が上下している。

生きてるだろうと声をかければ、覗きみるようにちら、と細く瞼が開いた。図体がでかいが、ガキのような仕草だ。

青白い肌色はそのままだったが、申し訳なさげにひょっこりと持ち上げるように首を曲げた。砂浜にくたばったままなので、会釈に誠意は感じられない。

立って歩くなら、宿くらいはただでいい。そう声をかけた途端、跳ね起きた男はすこぶる元気そうである。


話が早くって助かります!


口をしっかりと動かして、ただ空気は揺らさない。頭に直接響くような声は、彼が微かに覚えのあるそれだ。

ああやっぱりな、と妙な反響にくらくらと頭を揺らしながら思う。

上背はありそうだが、モリオンからすれば十分に細くて軽い男の胸倉をつかんで、苦し気に開いた口を覗きこむ。

ぱかり、とさらされた口唇は冷えて色が悪い。そうして彼は、モリオンの思った通りに。



「…大変流暢にお話される方ですね」


待って死んでしまう!



舌がなかった。

精霊に伺いを立てて力を借り受け、削られる精神を保つために享楽に生きる。魔法使いである唯一の証左である。

…両親が死に、出奔した姉に教えられ、ずっと探し求めていた生きている舌なしだった。

何で知ってるのか、とまた頭に響いてくるのを、少し黙れと下ろしてやれば、また見事に死体に戻った。

顔面から突っ伏すような死に姿に、砂も汚染されてるだろうにと素直に感服する。

死体男も湿った砂を踏む音と、粗悪なガスマスクが擦れる音が近づいているのは気付いていたのだろう。

間もなく、遠くの方から声がかかった。



「モリオンさん!どうしたんです!」



唐突な奇行に、先程漂流物を譲ったデミトリー親子が声をかけてくる。

おこぼれを余分に取りたがる。面倒な大物がかかった時は重宝したが、立て込んでいる時の相手は面倒だ。



「いえ、なんでもありませんが、いかがしましたか」


「だって舌なしでしょそいつ、生きてたら何されるか…。ほら!何か持っていたり!」


「喉に何か詰まっていたようなので、石でも詰まってないかと吐き出させていたのです。どうかお気遣いなく。お身体が冷えてしまいますよ」


言外にもうやるような物はないと告げると、未だぐずぐずと言っていた。

これだから察しの悪くて厚かましい連中は困る。もう行ってしまえと門の方を指してやった。

露骨にあしらわれて、憤慨したように親子はガスマスクを揺らしながら歩いていく。しかしそんなことは気にかからない。

ざらざらとモリオンの背筋を這いあがるのは、薄暗くはあるが確かに歓喜だった。

恐らくは迂闊で考えなし。…そして明確な言葉を持つ漂着物は、今の彼にとっては喉から手が出るほどに欲しい情報源だったのだから。

これで、あの子を国から出せる。解放してやれるのだから。



「…宿無しになりたくなかったら、うちに来るまでその芸当は控えた方がいい。わかったか?」



必至で頷くのを確認して、モリオンは男に小型のガスマスクを放った。

澱んだ海水に晒された肌は多少ひりつくだろうが、今の持ち合わせはそれしかないのだ。

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