緑色の月の光
あれはいくつの時だったか……小学校の作文の時間に『緑色の月の光』と書いて教師に怒られたことがある。親からは「月の光は白だろ、普通」となじられ、3つ年上の兄からは「先生が喜ぶように書けばいいのに、お前は馬鹿だなあ」と嗤われた。
ただ一人だけ、祖父はひどく褒めてくれた。皮の厚い掌で何度も頭を撫でて、大仰に感嘆の溜息をつきながら「お前は天才だ」と、何度も言ってくれたっけ――
――今頃になってそんなことを思いだしたのは、祖父の3回忌の帰り道だからだろうか。長い読経と、両親の歓待に疲れ切って車を走らせる今、南天近い空の高みに白銀色の満月がこうこうと輝いているからかもしれない。
残念ながら祖父がほめてくれたほどの天才にはなれなかった。ありきたりの大学を出て、ありきたりに就職し、結婚して、今では二児の父だ。
(これはこれで幸せな人生だ)
バックミラーを覗きこめば、後部座席の息子たちは、かぽっと口を開いて眠りこけている。助手席の妻もずいぶん前から無口になった。嫁としての務めを果たした気疲れで眠ってしまったのだろうから、起こすつもりはない。
車内に満たされた寝息と眠気を少しだけ逃がすため、細く窓を開ける。流れ込んできた冷たいほど新鮮な夜の空気を肺で捉え、眠気を払うため、思考を走らせる。
(あれは、適当なじいちゃんだったな)
祖父はことあるごとに「天才だ」を連発しては頭を撫でてくれた。
しかし、子供など誰でも天才だ。息子たちのふとした言動にさえ、ひどく感心させられることが多い。
例えば上の子は絵を描くのが得意で、子供ゆえののびのびとしたタッチと大胆な色遣いは非凡の域である。下の子はクラスで一番足が速く、高学年になったら陸上部に入るのだと公言している。どちらも親の目から見れば才能であり、抜きんでた『天才』だ。
だが、それが果たして世間に通じるものなのかといえば、そうではないことを心得てもいる。芸術でも運動でも世に出られるほどの『天才』などほんの一握りだ。
――それでも、祖父が浴びせる『天才』の言葉に騙されて、若いころはいっぱしに夢など見た。ごつい掌で頭を撫でまわされるように、世間が賞賛を浴びせるような何かが自分にあるのだと思い込んで、今思い返せば赤面するような文章を書き散らしたり、終電間近い駅のコンコースに座り込んでギターを爪弾いたりしたものだ。
(若気の至りともいうのか)
こうして思い出せば若さゆえの恥ばかりだが、全てが無駄だったわけではない。
あの頃知り合った何人かとは今でも付き合いがある。一生の友達というやつだ。それに、甘酸っぱいようなくすぐったいような気恥しさを含んだ笑いは、『青春の思い出』というかけがえのない宝だと、かなり本気で思っている。
だから、息子たちにも……もちろん、プロにしようとか思っているわけではない。そんなに現実が見えないほどの親ばかではないのだ。ただ、そういった『青春の思い出』づくりのためにも、息子たちがあきらめない限りはその夢を応援してやろうと思っている。
親の務めとはそういうものだ……
そこまで思考したとき、車はちょうど田舎道に差し掛かった。
この時間、高速に近い表道は大型トラックでにぎわう。それを避けての裏道なのだが、田んぼの真ん中を通る広さだけが取り柄の農道だ、街灯すらない。
それでも夜空をくりぬいたように輝く満月に照らされた風景は微かに明るい。ゆったりと広がる平らな田んぼの向こうには農家や、茂った林がポツリ、ポツリと、寂しげに影帯びて並んでいるのが見えた。
実は、先ほど眠気覚ましに飲んだコーヒーのせいか膀胱が少しきつい。幸いにも人通りなどない農道なのだから、立ちションを見咎めるものもいないだろうと車を路肩に止める。
ライトを消せば、妙に冴え冴えとした月の光が車内に差し込んだ。
寝息を消さぬよう静かに車外に出るが、田んぼの近くはさすがに気が咎める。かといって歩道の隅をアンモニア臭い水分で濡らすのも、これまた気が引ける。だから空地の、荒れ藪の、茂った灌木の端を踏み分ける。葉裏にでも隠れていたのか、アマガエルがぴょんと飛び出した。
「おっと、あぶない!」
片足を上げてアマガエルをよける。そのついでに何気なく空を見れば、空からは……
――空からは緑色の月の光が降り注いでいた――
種を明かせば、木に巻き付きながら育った葛葉のてっぺん、柔らかくて薄い新葉を透かして空に輝く月を見ただけなのだが、生命力にあふれた緑色を透かす光の鮮烈さに息が止まる。
すでに南天高くに上った月は白い。金属に似た鋭い光をまとって夜空に浮かぶ銀盆だ。
しかし地上に届く光には、なにがしかの緑色が含まれているのではないだろうか。その証拠に、あの葛葉はこんなにも輝いている。
振り向けば、田んぼの上を風が吹き抜けた。水面はさざ波の形に月光を返し、それは植えたばかりの小さな苗の間に砕けてはきらきらと消える。あの小さな稲たちが若い緑色なのは、月光の緑に染まったからではないのだろうか。
そういえば、遠くに見える森の影も純然たる漆黒ではなく、わずかに緑を含んでなお昏い。その隣にならぶ農家も微かな緑色を帯びて見えた。
(これが『緑色の月光』か)
あの作文は確か、祖父とカブトムシ取りに行った時のことを書いたものだった。常識にとらわれず、ただ心の感じたままに月の光を書く幼い心というのは、なんと才気にあふれたことなのだろう。
私はかつて、確かに『天才』だった。日々にすり減り、埋もれてしまうほど凡庸であったとしても、子供がもつ可能性としての『天才』を間違いなく持ち合わせていたのだ。それを信じきれなかったのは実は自分自身だったのかもしれない。
祖父はあんなにも盲目的に未来の可能性だけを信じてくれたのに……
「じいちゃん」
そっと呟けば、まるで答えのようにアマガエルが鳴きだす。
ふと悔悟が湧く。
わたしは祖父のように子供たちの未来を信じてやったことがあっただろうか、ただ盲目的にほめそやしてやったことがあっただろうか。
小気味よいアマガエルの声が「けけけけけけけけけ」と、田んぼの上を転がる。どこから飛んできたか、大きなオオミズアオが目の前を横切った。白味の強い緑、これこそ月光の化身だ。そして私の頬に一筋つたう、温かい水。振り返れば、止めてある車の中にまで射し込んだ月光は、薄く色のついた影法師のように私の家族を照らしている。
硬質な碧玉のように静かで澄み切った月光、その、きんと耳鳴りがするような光の下で見る息子たちの寝顔は少し誇らしげで、未来にはかけらほどの疑いも持っていないように安らかでもあった。
そのまましばらく動けなかったのは、なぜだろう。
――ああ、月がこんなに緑色だからか。
そう思いながら私はズボンの前を開けた。




