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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

いんが×おうほう!

今回のテーマとしては、

「人外と結ばれたんだから、人としての生き方は捨てるべきだよね!」

「人外もので氾濫してる、人としての生を捨てたのに普段と変わりなく人間としての生活を得るなんて都合のいい展開なんて無理じゃね?」

の元作成しました。

「ゲホッ……! 糞っ……!」


ズルッ……

ズルッ……

 男の口から咳とともに少量の血飛沫が飛ぶ。男は飛んだ血飛沫を拭うこともせず、只管歩き続けている。

ズルッ……

ズルッ……


「ち、畜生……。こんな、こんな所で……!」


 金色に輝く満月が天に昇り切った深夜。

多くの動物ですら当に深い眠りに沈み込んだ闇夜の森を、息も絶え絶えに一人の男がよろよろと歩く。

 男の姿は全身に分厚い鎧を纏っている。その外見は誰もが思い描くような、全身を隙間なく覆う銀に輝く騎士の鎧であり、多くの人間は誰もが一目で騎士だと思う姿のそれである。

だがその姿は異様であった。全身に纏った鉄壁の頑強さを漂わせていたであろう鉄の全身鎧は、あちこちが罅割れ凹んだ結果酷く歪んでおり、所々は砕けている有様であった。鉄の篭手は片方が無くなり、頭部を守るヘルムは何処にもなかった。泥と汗で汚れきった金髪が風に揺れる。

 腰に帯刀した両刃の剣は砕け、杖代わりに使っている槍の刃先も同様にへし折れ、柄となる部分も歪んでいる。二つの武器は最早使い物にならぬ事は、誰の目からも明確である。

 まさしく満身創痍。最早死に体も同然の有様たる自身の体を奮い立たせ、騎士の男は必死に闇の森を彷徨い歩き続けていた。


「簡単な討伐任務の筈が、まさかこんな事になるとは・・・・・・、ゲホッ、ゲホッ」

 男がこんな闇夜を満身創痍で歩き続けたのには理由があった。



◆ ◆ ◆



 男はある王国に務める騎士の一人であった。男は主である国王から、領内の外れの森に住み着き、そこを根城にしながら被害を齎していたある魔物の討伐任務を任されたのである。当然一人で行く訳ではなく、同僚である騎士数人と隊を組んでの出撃である。

 領内を荒らしていると報告のあった魔物も、数が多い位しか大した特徴はなく、同僚含め自分達の腕前位ならば、充分に討伐可能とされた。

 その前提通り、多少は消耗を喰らったものの、問題なく王国に害なす魔物を討ち倒し、王城に帰還する途中悲劇は訪れた。

 報告に一切なかった新たな魔物の出現である。

十メートル超はあろうかという背丈に、真紅の体毛と鋼鉄のように輝く無機質な鱗に覆われた、爬虫類と巨大な熊が混じり合ったかのような禍々しくも悍ましい外見の魔物は、男が生涯見てきた魔物とは全く異なっていた。

 さっき自分達が討伐した魔物などコレと比べれば(ゴミ)にも等しい。

 その魔物は文字通り『次元が違う』としか形容できない威圧を以て、隊目掛け襲いかかった。

 その力は凄まじく、自分を含め同僚全員で挑んでも一切相手とならなかった。ある仲間は魔物の太い筋肉質の剛腕と鉤爪の前に、紙の如くバラバラに引き千切られ臓物と血をまき散らしながら吹き飛んだ。ある仲間は魔物の強靭な大顎と矢尻の如き牙で、生きたまま鎧ごと貪り喰われた。ある仲間は鱗と真紅の体毛に覆われた、太く長い尾に纏めて弾き飛ばされ蹴散らされた。現在森を彷徨い歩いている男も、その弾き飛ばされた集団の一人だった。

 男が幸運だったのは、偶然他の仲間とは違う方向に弾き飛ばされた事と、弾き飛ばされた先が、あの魔物の知覚範囲からギリギリ逃れた事である。だが一人崖を転がり落ちて難を逃れた男が目覚めて聞いた音は、不幸にも生きていたであろう仲間の生きながらの断末魔者の苦痛に歪む絶叫だった。

 三十秒も経たぬ短い時間だったが。男にとっては永遠に等しい地獄だった。響く仲間の絶叫と生生しく貪り喰われる音は脳内と鼓膜で反響し、男は声も上げる事も指一つ動かす事も出来ず只管(ひたすら)震え続けた。

 それが功を成したのか。それとも唯腹が膨れて満足したのか。何も気に留める事無く山の中へ還る、紅き魔物の気配を感じ取り安堵した男を襲うのは絶望と慟哭であった。

 仲間たちよ、見捨ててすまない。申し訳ない。

 只管男の心には謝罪の言葉が流れ続ける。男は声を上げて泣き喚こうかと思ったが、あのバケモノが、その声に気が付いて俺を殺しに来るかもしれない。そう考えた瞬間、男の脳裏に描き、行動に移そうとしていたあらゆる行為が震えと共に停止した。

 身体と魂が死に震える。あの恐ろしき魔に唯震える。落雷に怯える幼子のように震え続ける。その姿は騎士とは程遠い、悪く言えば矮小とも卑屈ともいえる有様だった。

 劫忘れられそうに無い絶望と恐怖に震える男を次に襲ったのは、耐え難き激痛である。

 当然だ、あの鉄塊の如き尾に叩きのめされ、更に崖から転がり落ちたのだから。傷を負わないはずがない。

 右足と左腕は不自然に折れ曲がり、体内の幾つかの内臓は重大なダメージを負い、アバラは数本砕けている。背骨自体も凄まじい悲鳴を上げ、全身の筋肉はズタズタとなって激痛が全身を苛み蝕んでゆく。首や頭等に被害を受けなかったのは不幸中の幸いだったが、常人ならば最早動けぬレベルの致命傷といえるだろう。

 だが男は幸か不幸か騎士だった。修練により体得した、常人を上回る身体能力はこんな重症でありながら、ギリギリ活動できるだけのスペックを備えていたのだった。

 男は満身創痍と化した身体を、偶然残っていたボロボロの槍を杖に、魔物の脅威を王に伝える為、死力を振り絞って亡者の如く彷徨い歩くのだった。

そして場面は冒頭に戻る。



 ◆ ◆ ◆



 男は森の中を彷徨い歩いている。目を血走らせ、亡者の如く動き続ける。速さこそ老い枯れ果てた老人如き速度だが、それでも一歩一歩確実に道なき道を進んでいる。全ては自らに訪れたあの魔を相手に伝える為。騎士の忠義を果たし、民草を護りぬく為。男は只管進み続けた。

 だが音も、夜の星の輝き以外光の存在しない闇を歩き続けた男の鋼の忠義は、刻一刻と疲労と苦痛により摩耗し壊れていく。摩耗は騎士の鋼の精神に罅割れを生み、負の感情が精神の罅割れから漏れ出していく。

 彷徨い歩けば歩くほど、その罅割れが連鎖的に膨れ上がる。


 こんなに歩いたのに何故人がいないのだ。

 もしや人に逢うことはもう出来ないのか?

 誰にも看取られず、塵のように俺は死ぬのか?

 俺はあんな化け物から生き延びたのに、なぜ誰もいないのだ。

 ……人が、恋しい。

 ……もう立ち止まりたい。

 

 際限なく膨れ上がる疑心、恐怖、孤独、絶望。

 抑え込もうとしても、一度抱いた負の念は収まるどころか逆に抑え込もうとする抑圧を餌に変え、清水にドス黒い絵の具を流し込む様に広がってゆく。


 何故こんなに苦しい思いをしてまで、俺は進まないといけないんだ?

 魔物だって、もしかしたら偶然迷い込んだだけかもしれない。

 ……もう、諦めよう。


 そして、男の精神は砕けた。

 負の感情をかろうじて押し止めていた男の精神の壁は、最早消え失せ激流の如く負の念が総身を蝕む。一度壊れた壁を止めるすべを、今の疲労し切った騎士の精神には存在しない。一歩ずつ歩を進める度に騎士の精神は崩れていく。

 自身の屈強な精神によって何とか動くことが出来ていた男に、最早今迄のように長い距離を歩くことは不可能に等しかった。ゆっくり歩いていた男の歩みは最早限界に等しい。一歩歩く度に脳内が真っ白に塗り潰される。


 もう限界だ、もう倒れてしまおう。このまま楽になりたい。


 完全に膝を付く瞬間、男の眼に仄かな光が映った。死の間際の幻覚か、それとも自らの走馬灯かは男に最早判別する事は出来なかったが、その一筋の希望は正しく、乾ききった喉を潤す水の如く男の心を満たしていった。急激に全身に力が漲り活力が戻る。

男は光に誘われる蛾の如く灯へと進んでいく。限界を超えた自身の身体が強引に覚醒し、全身の尽く(ことごと)が悲鳴を上げる。男は汗や血を全身から流しながら必死に進み続け、やがて謎の灯の正体が視界に映った。


 それはやや大きな石造りの一軒家だった。赤い屋根には石の煙突が見え、そこから煙が立ち昇っている。窓からは幾つも火の光が漏れ、生活感が漂っている。男は歓喜した。


 遂に! 遂に俺は生き延びたんだ! 俺は助かったんだ!

 

 歓喜に震える男は、一刻も早く休むために家の扉へと向かった。大きな木製の頑強な扉を男は息も絶え絶えに叩く。動かす度に腕が悲鳴を上げるが無視して必死に叩く。何度も叩いていると、扉の奥から物音が聞こえる。

 良かった、人が居た、助かったんだ……。

 そう安堵した瞬間全身から力が失せ、石造りの地面に膝から崩れ落ちていく。その瞬間意識も急激に遠のき、扉が開き中から誰かが現れるのを認識するも最早顔を見ることも叶わない。


「……? ……!」


 声が聞こえる、綺麗な女の声だ。だが男はそれに意識を向けるよりも早く気を失った。

 だが男は気が付かなかった。自分の心から、自身が大事にしていた騎士の誇りが跡形もなく消え失せていたことに。



   ◆   ◆   ◆



「ん……」


 騎士が目覚めて最初に認識したモノは暖かさを感じさせる蝋燭の灯と、樹で出来た天井、そして柔らかなベットの感触だった。おぼろげな意識の中此処はどこかと考え、己が身体を動かそうとした瞬間、激痛が走る。


「……!」


 木造であろう部屋の中を、声なき呻き声が漏れてゆく。

今までの無謀な行動のツケが回ったのか、全身を今まで感じた事の無い程の痛みが襲う。全身が焼き切れるのではないかと錯覚する程の激痛が、男の身体に走り続ける。

全身からは破裂したかのように脂汗がしたたり、全身から血や胃液等の体液を吐き出しながらもがき苦しみ、同時にその動作の影響で全身が蠢き、またそれが激痛へと変わり全身を苛む。それは一種の拷問のようであった。

そんな光景の中、部屋の扉から飛び出す様に一つの影が現れる。


「大丈夫ですか!? しっかりしてください!」


死にかけ同然の虫けらを思わせる惨状と醜態の中で、綺麗な声と一筋の蒼く安らぎを感じさせる光が上から翳された掌より輝く。その瞬間光に照らされた肉体から、地獄の苦痛と高熱が薄れ消えてゆくのを男はしっかりと感じていた。


「全く、一体どんな無茶をしたらそんな怪我をしたんですか! 私が回復術を使えなかったら今頃どうなっていた事か……」

「……回復術、か。道理でこれほど早く痛みが引いた訳か」


 回復術はそれなりに技を磨いた一流の魔法使いならば皆等しく習得している魔法である。シンプルながら高い効果を発揮するこの呪文の普及率はとても高いが、これほど迅速に重傷を癒せる魔法使いを男は殆ど見た事がなかった。

 一週間前に家の前を倒れている男を発見したらしいこの女性は、自身の回復術と家にあった薬品を用い、ほぼ寝ずに付きっきりで男のダメージを回復させ続けたという。我ながらあの死んだ方がマシとも言える程の致命傷が、たった一週間でここまで治癒したなんて思っても見なかった、と男は常々そう思った。

王国お抱えの魔法使いでも、あの重傷をここまで回復させるには半月はかかる程の傷だったと男は考える。回復術は技量も大切ながら、術の中で最も重要となるのは術者の魔力量と集中力である。寝ずの番で治癒させ続ければ、疲労も加わり集中力は劣化し、魔力の量も術の質も低下する。

 それだというのに、この女性は一週間不眠不休でありながらここまで肉体を治癒させたという事は、最早その筋の人間からしてみれば、夢想の領域に近かった。これほどの力があれば王国、いや世界にどれ程の影響を与えたのか、男には想像がつかなかった。

 激痛の余り発狂しかねなかった程の男の精神も、次第に落ち着きを取り戻し、身体が軽くなるのを実感しながら、男はゆっくり深呼吸を始める。肺や気管支に傷を負っていたのか、呼吸をする度に痛みが走るも男は深呼吸を止めなかった。

 そんな痛みに耐えながらも何とか数度深呼吸を行い精神を落ち着かせた男は、ゆっくりと目を開ける。ほのかな蒼い光を目に写しながら視線を光を放つ腕に沿って見れば、其処にいたのは、ローブにも似た衣服に身を包んだ目も眩むような絶世の美貌を備えた女性だった。

 年は二十前にも三十前に見え判断し難い。

 腰まで届くゆったりとウェーブを描いた黄金に輝く髪に、磨かれた宝石の様に美しい蒼い瞳。ふっくらと妖艶な唇に高く綺麗な鼻、全ての要素が究極的に整った顔立ちはどんな美女でも嫉妬で狂うだろう。

 肌は美しい大理石の如く輝き、胸には成長した子供の頭程はあろう程大きな双丘、腰はローブで上手く輪郭がはっきりしないが、おそらくきっちり引き締まっているであろうと想像出来そうな曲線を描く。その姿は、正しく人体の黄金比だ。

 一切無駄なモノは削げ落ち、それでいながら肉感的で健康的な長い四肢は見るものすべてを魅了するはずだ。

 そんな異常ともいえる美貌は、下手をすれば「美」の化け物と恐れられ、同時に「女神」と称賛されるような、そんな異質ともいえる存在にも思える。

 人間では永劫到達出来ないだろう、この世全ての男と女の欲望と願望を極限まで凝縮させて形に成した存在に等しき美貌の身体には、老若男女全てが一瞬で抗えることなく魅了されるだろう。

 だがその異様な美貌にも嫌がおうにも目を背けられない、人間では到底あり得ぬ異物も又存在していた。

美しい黄金の髪の中からは羊を思わせる捻じれた角が覗き、背からは天使の羽を夜そのものに溶け込ませたような漆黒の翼が折りたたまれていた。その姿は、各所の特異なパーツだけ見れば御伽噺に出てくるような悪魔や堕天使そのものだ。

 男は自らの肉体を癒す蒼い光とその美貌に、魂を抜かれたかのように放心した後、ハッと我を取り戻したように女性に語りかける。


「あ、貴女は、一体……」


 まだ目覚めたばかりで意識がはっきりしていないなのか、それとも女の美貌に茹で上がったのか、正気に戻っていない霞んだ目で男は質問する。


「そういえば申し上げていませんでしたね。私、この家に一人で住んでおりますメルディアナと申します」


 そう優しい口調で、メルディアナと名乗った女性は礼をした。


「お一人で、ですか」

「ええ」


男は呆然としながら聞き返し後、素朴な疑問を抱いた。

 これほど美人な女性ならば恋人くらいは居そうなものなのに、たった一人で暮らしているというのが驚きであった。更に質問を投げかけようと男は身体を動かすが、その瞬間容赦なく激痛をその身に走った。


「ぐっ……」


 全身に走った痛みは、あの逃避の道を彷徨っていた時と比べれば程遠い。しかしそれでも男は顔を露骨にしかめ、悶絶する以外の行動をとる事が出来なかった。口からは呻き声が漏れ、同時に強い痛みが骨や神経を苛んでゆく。


「大丈夫ですか⁉ 貴方は今病み上がりなんだから、大人しく寝ていてください!」

「す、すまない……」


怒気を孕んだ剣幕に男は気圧(けお)され、男はタジタジになりながらもメルディアナへと謝罪をした。


「私の傷の治癒の為に、ここまで力を尽くしてくれた事に、感謝する。ここまで傷が治るとは予想外だった。だが私は急ぎここから出なくてはならない。どんな代償や命を支払おうとも、この礼は必ずお返ししよう。だから……ッ!」


 そういってベッドから起き上がろうとした男は、動くことは出来なかった。いや、動こうとしても身体が思ったように満足に動くことが出来なかったのである。上半身くらいならばギリギリ動かせるが、下半身はほぼピクリともしなかった。


「ダ、ダメですよ! 貴方の身体はまだまだ安静にしていないといけないんですから!」

「し、しかし私には任務、が」

「だからといって、今無理しては満足に任務すら続けられません。せいぜい途中で行き倒れて、そのまま獣の餌になってしまいますよ?

 任務を優先するんだったら、まずは傷を完全に癒してからの方が確実に遂げられるというものです」


 確かに正論だった。傷を蔑ろにして生き急ぎ死ぬより、傷を完全に癒して確実に任務を遂げる。どちらが王国にとって有益かは自明の理である。男は自らの思考が熱くなり過ぎていた事に恥じた。


「……すまない、目が醒めたよ。なら傷が完全に癒える迄の間、すまないが宜しく頼むメルディアナさん」

「いえいえ、そんなさん付けなんて必要ありませんよ。怪我が治る迄一緒に暮らすんですから、呼び捨てで構いません」

「そう、か。ならよろしく頼む。メルディアナ」

「はい、よろこんで」


 そういってメルディアナは、その美貌を惜しげもなく、男に対し子供を元気づける母親の如く柔らかく微笑んだ。

 その微笑みを直視した男の心臓が激しく鼓動を刻み、顔が茹できったタコの如く真っ赤に染まる。男は堪らず目線をメルディアナから逸らした。その様子を見て、メルディアナの微笑みはより一層深くなった。


「そういえば、貴方のお名前ってなんて呼べばいいんでしょうか? 名前が分からないと大変ですし、教えてくれれば助かるのですが」


 メルディアナは微笑みを解き、興味深そうに男へと尋ねる。

「……私の名前は、カーズだ。カーズ・アストルフォン。まあカーズと呼んでくれればいい」


 そういって、頬に若干の赤みを残しながら、カーズは丁寧な口調でメルディアナに名乗った。


「その代わり、忘れないでくださいね? 貴方が言った『支払い』の事」

「あ、ああ……」


 そう言ってメルディアナに軽く尋ねられた事に、カーズは軽く同意した。



   ◆   ◆   ◆



【カーズ・アストルフォン】

 ガリアード王国騎士団所属。

 若く高位にこそ立ってはいなかったが、その実力と精神はまさしく人々が想像する理想の騎士そのものであり、鋼の闘志を心に秘めた猛者。

 このまま修行と修練を積んでゆけば、ゆくゆくは

「ガリアードの騎士達を束ねる技量と精神を身に着けるであろう」

とまでに将来を有望〟されていれた〟騎士である。若き才能に満ち溢れたその青年騎士は、魔獣討伐の任の際に姿を消した。

 本来騎士団にとって簡単な任務であった筈の魔獣討伐の任務は、派遣した騎士全員の全滅という形で王国に暗い影を落とした。しかし不思議な事にカーズ・アストルフォンの死体等は、現場に影も形も残る事は無く、現場にはカーズ・アストルフォンが身に着けていた武具の残骸があちらこちらに散らばるだけであった。

騎士達を殺した存在の行方も、王国の必死の捜索にも関わらず姿形も残っていなかった事も重なり、この事件は「ガリアードの惨劇」として後世に残る事になる。

 人々は


「騎士カーズは仲間を殺した魔獣に復讐する為一人復讐の旅に身を投じた」

「あの騎士は自分が殺されないために魔獣に襲われる仲間たちを見捨てて王国の外へと逃げ出した」

「勇者カーズは魔獣を打ち倒した後、その身を恥じて屍を残さぬよう王国を後にした」


 など諸説に事欠くことは無い。結果才能こそあれ無銘であった筈のカーズ・アストルフォンは、このガリアード王国では知る人ぞ知る勇者にまで祭り上げられる事になったのである。

 カーズ・アストルフォン。

かの英雄の正体はいったいどんな人物であったのか、今現在も一部の歴史研究者たちの中では議論の種となっている。

『ガリアード王国英雄研究書五百七十二号、【カーズ・アストルフォン】より抜粋』



   ◆   ◆   ◆



「どうですか、カーズ? 身体の方は大丈夫?」

「ああ、ありがとうメルディアナ、昔はあんなに苦しかったのに、ここまで元気になるなんて、正直予想していなかったよ」


 春の日差しのように柔らかい笑顔を振りまくメルディアナの言葉に、悩みや暗い影も何も存在しないかのような柔らかい笑みを返す男が、ロッキングチェアに揺られながら存在する。

 金の髪と蒼の瞳を備えた美青年は、カーズ・アストルフォンそのものであった。

憑き物が全て消え失せたかのような笑みをカーズは浮かべるが、その柔らかい微笑みとは反対に垣間見える瞳のその奥は、一切の光も何も存在しない、グズグズに腐りきった黒の様な光だった。

 その瞳から注がれる視線は、メルディアナへの欲望と依存に満ちている。そんな視線を注がれているメルディアナは、あらゆる欲望がドロドロに煮立ったような視線が一身に向けられているを自覚し、それでも尚カーズはその視線を心地よさそうに全身で味わっている。それは正しく、ある種の異常とも断じられる光景に見えた。

 結論を言えば、カーズは二度と再起を図る事は出来ず、結果更に精神を酷く病む事になった。

 メルディアナという女性に助けられてからのカーズとメルディアナとの一年近い介護生活は、苦痛と苦難の隣りあわせだったといっても過言ではなかった。

 謎の紅い怪物“メルディアナ曰くグレンヒヒトカゲ”から受けたカーズの傷は、メルディアナによりある程度治癒されたとしても、それでもカーズの肉体を生涯五体不満足にするには十分すぎるダメージだった。腰から下は完全に再起不能且つ半身不随の状態であり、そもそもカーズがメルディアナの家に辿り着いたことという事自体が奇跡であったという有様であった。

 一歩歩いた瞬間、激痛と麻痺により動く事すら叶わず崩れ落ちてしまう彼の肉体に、彼が心に決めた目標を果たさせるのは不可能に等しく、身体能力も傷を負う前の何分、否何十分の一以下にまで落ち込み、下手をすれば子供にすら負けかねない程に酷く衰え果てた肉体の存在を、心身共に実感した彼の絶望と落胆は、彼自身想像し得なかった程に大きかった。光すら宿さぬ程に輝きを失った瞳は廃人のソレであり、 最早立ち直ることなど不可能であった。

 だがそんな絶望を「仮初ながらも」何とか会話を可能とするまでに乗り越えられたのは、献身的に看病したメルディアナの存在あってこそだった。時には励まし、時には叱咤し、又ある時は心の支えとなりカーズを癒す。食事や体の世話に至るまで、徹底的且つ身も心も融かすかのような看護は、荒れ果て朽ち果てかけたカーズの精神を、ゆっくりと癒していった。――表面上は。

 その光景は見る人から見れば、死の傷を負った兵士を癒す女神の姿そのものであったが、又ある者から見れば善人を堕落させようとする悪魔の姿にも映る、正しく混沌とした光景であった。

 カーズはゆっくりとメルディアナへと依存していった。

 それは当然だろう。人と比べる事すらおこがましい美貌の女性に、只管自分の身体の何もかもを、延々と世話され続けるのだ。並の精神の持ち主であれば、この欲望を強烈すぎる程に揺さぶる絶対なる美貌を備えた女性からの終わりなき献身に、健常な精神の男であるならば耐えきれる者などそうはいないだろう。

 いうなれば、華を育てる際に過剰なまでに肥料や水を与えて世話をするという行為に似た看病だ。どんな精神の持ち主でも、きっと精神が蕩けさせられ、そのままボロボロにされていくに違いない。それは言うならば悪魔の誘惑(かんびょう)だった。


「どう、身体の調子は? 何か欲しい物はあるかしら?」


メルディアナからの慈悲に満ちた聖母の笑みを至近距離から認識したカーズは、縋り付くように虚ろな瞳で、母が離れていく事を怖がる赤ん坊の様に、満足に動かす事すら叶わぬ体を必死に震わせながら懇願の視線を送る。


「いらないさ。メルディアナ、君さえ傍に居てくれるなら、私は何も要らないよ……」


 だがもしかしたら、万全な状態の精神の、あの極めて頑強だった頃カーズの精神ならば、万が一にも耐えうる可能性を秘めていた。だがその鋼の精神は、グレンヒヒトカゲによる蹂躙の際に砕け崩れ果てていた。そんな継ぎ接ぎすら碌に出来ていないカーズの精神が、精神の巨大な隙間を埋め尽くし、腐らせかねないメルディアナの愛情に満ちた“看病〟に、耐えうる筈もなかったのである。

 そんな震えるカーズの姿を微笑みながら見つめ、メルディアナは更に笑みを深くしてゆく。


「ええ、ここに居るわ。私の愛しい人。

 愛してあげる。何年も、何十年も、何百何千何万年経とうとも、あらゆる全てが滅び、朽ちて消え去ろうとも愛してあげる。

 脆弱なヒトと私は違う。魔の愛は永久無限。互いが朽ち滅び去るまで愛は尽きず、愛は永劫の時が流れようとも終わらない。神の愛に理由は無い、理屈もない。

 ……全ては運命。私と貴方は運命で結ばれた唯一無二の存在ならば」


 そうカーズの耳元で優しくささやくメルディアナの声に、カーズは恐怖する事はなく、寧ろ喜びに満ちて受け入れた。


「貴方は何もかも捧げると私に言った。故に貴方は我が愛すべき永遠の伴侶として迎え入れましょう」


 そう呟き、メルディアナはロッキングチェアに揺られていたカーズの身体を背後から細腕で抱え上げ、胸の中に抱いた。メルディアナの暖かな体温がカーズの肉体にしみこんでゆく。メルディアナの身体の暖かさ、柔らかさを直に感じたためか、カーズの顔がだらしなく呆けた様な、リラックスした表情へと変わっていく。


「ど、どうしたんだ、メルディアナ……」

「……いえ、何でもないのよ。カーズ。何でもないわ」


 子供をあやす様にメルディアナはカーズの身体をより深く抱きしめ、そしてほそぼそと呟くようにメルディアナは言葉を発する。


「私は貴方に永遠の快楽を、永遠の幸福を、永遠の安心を捧げよう。故に貴方からは私は人としての時を、人としての生を、人の世界との関わりを消そう、貴方はもう人には戻れない。人の世に還る事はない。人の生や生涯など必要ない。そんなものは我々の揺り籠には無用の長物。

 ここで、この愛の揺り篭の中で永遠に私と暮らすの。永遠に、離れることなく……」


聖母の様な慈悲の笑みを揺るがせることなく、メルディアナは語り続ける。美しい笑みでありながら、そこから紡ぐ言葉は人の持つ価値観とは程遠い。人には図れぬ、人には到底理解しえない狂気の(ことわり)。人外の法。

 だが、それゆえに人“外”。人を外れたヒトならざる者の精神としては、これほど分かりやすくも理解不能な精神構造は、これ以上にありはしないだろう。そんな人ならざる化物に愛された者は、果たして本当に幸せなのだろうか。


「そういえばカーズ? 風の噂で聞いたんだけど、ガリアード王国って国が滅んでしまったそうよ? 王侯貴族も兵士も国民も、生存者ゼロ、ですって」

「どう、でもいいさ。私には、メルディアナさえ、居れば何も要らな……い」

「ふふっ、酷いことを言うのね。貴方があんなに護りたがってた国をそんな風に……。あら、寝ちゃったの? 全くもう、お眠さんなんだから……」


 愛される者から自分の大切なものを奪ったり奪われたり、愛する者の手により生贄に捧げられたり捧げたりしようとも。そしてそんな人外に愛される者も、そしてそんな相手を愛する者も、その未来はきっと幸せであることには変わりない。


「大丈夫。私は貴方を絶対捨てたりしない。死なせない、絶対に死なせるものか。世界が滅び消え失せるまで、私は未来永劫、ずっと貴方の傍から離れない。

だから、安心して? 愛しのカーズ……」


 何故なら番となる二人は、互いに愛し合っているからだ。相手を愛する者がその相手に愛されている限り、相手から愛されているものがその相手を愛する限り、その愛は如何なる者にも撃ち砕く事は出来ない。

それがどんなに歪で狂った、理解しがたい関係であろうと、それが「愛」である事に変わりはないのだ。


 愛とは何か。それは純然たる狂気の発露である。

 愛とは罪か。否、愛する方法に罪などない。

 愛に形は存在しない。至極当然。

 愛に明確な定義など存在しない。

 赤の他人ごときが愛の定義を決める等誠に無粋である。


 共に生きる男と女が互いを心から愛し合っていると考えるならば、それは全て誰にも否定しようのない“愛”以外にありえないのだから。

 この狂った愛の形を育む二人の男女に、永久の幸があらん事を。



                        完

タイトル詐欺?知らぬ見えぬ聞こえぬ(棒)


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