声が聞こえる-2-
彼女に対する最初の印象は、「きれい」だった。
腰まで伸びたこげ茶色の髪、こめかみあたりについている白いヘアピン、整った顔……。 その澄んだ瞳が見つめる本にさえ彼女の魅力が移りそうな感覚に陥った。
「……本借りに来たんですか?」
「は?」
彼女はパタンと本を閉じて、俺に向かって不思議そうな顔をした。
「本の貸し出し……ではないんですか?」
「いや……俺図書当番なんだけど」
「ふえぇ!? すすすすっ、すいませんっ!!」
ガタンと音を立ててすごいスピードで椅子から立ち上がり、即座に俺に謝った。 何かと忙しい奴だな、いろんな意味で。
「私、1年の可美村理緒です! 今日からよろしくお願いします!」
「ああ……うん、よろしく。 俺は高橋直也」
「高橋先輩……ああ! さっきの委員会で寝てた人ですよね!」
「お前……見てたのかよ」
「はい! 委員長の笹木先輩が呆れ顔で高橋先輩のこと見てたのがなんだかおもしろかったのでつい……ってすいません!!」
「まだ何も言ってねえし怒ってねえし ……はぁ」
最初の印象は、180度変更しなければならない。 こいつは「騒がしい」。 俺が一番苦手とするタイプだ。
……しかし、なぜか嫌な気はしなかった。
俺もカウンターに座り、今日出された課題を解く。 当然、可美村とは話さない。 図書室だって当然静かなわけで、シャーペンの音とページをめくる音しか聞こえない。 はずだったんだが。
「それ、難しいですか?」
隣で本を読んでいた可美村が、俺の課題を覗き込む。
「……別に」
「解いてみてもいいですか?」
「……直接書くなよ」
「はいっ!」
何を思ったのか、俺はあいつに課題になっているページが開かれた数学の教科書を渡した。 つーかあれ2年のやつだからまだ解けないんじゃねえのか……。 俺は近くにあった小説を本棚から取り出し、読み始めた。
「解けましたっ!」
可美村は得意げに計算式が書かれたルーズリーフを俺に見せてきた。 無言でそれを受け取った俺は、自分が解いて答え合わせしたやつと見比べてみる。 まあ案の定
「全問不正解」
ここまでは想定範囲内だった。 しかし……
「お前……中2の計算式間違ってるぞ」
「えっ!?」
今回の課題は、中学校で習った文字式を用いたものだった。 それを可美村はものの見事に間違えている。 移項時の符号ミスならまだしも、いろんなことを根本的に間違っている。
「大体なんでXがyになってるんだよ、どこで入れ替わった」
「忍法二十面相です!」
「数学に忍法なんてねえし、それ忍法じゃねえし」
はあ……とひとつ、ため息をつくしかなかった。 可美村は「アハハ……」と苦笑いを浮かべながらルーズリーフを自分のもとに戻す。
「待て」
「え?」
「……教えてやるから、それよこせ」
俺は半ば強引にルーズリーフを俺のもとに戻した。
「あっ、ありがとうございます!!」
そういってニコッと笑った彼女の笑顔が、なぜか脳裏に焼き付いて離れなかった。
空が紫色に染まり始めたころ、ようやく下校を告げる放送がなり始める。 図書室の鍵を返して職員室を出ると、図書室で待っていると言ったはずの中島がそこにいた。
「ゴメンね? 図書室に行ったら直也君がいなくて、1年生に聞いたら鍵返しに行ったって言うから、きちゃったんだ」
1年って……まさか可美村か。 いや、それ以外にいないな。
「ああ、悪いな。 で、話ってなんだよ」
「……」
一呼吸おいて、中島は俺に告げる。
「直也君のこと、ずっと前から好きです。 こんな私でよければ付き合ってくださいっ」
そして、訪れる沈黙。 俺は当然のことながら断ろうとした。 そんな考えを打ち消したのは、やはりあいつ。
『君は愛を知るまで死ねないよ』
そうだ、こいつと付き合って、愛を知っていけばいいのかも。 中島は俺を好いてくれているわけだし、俺が後々好きになっていけば……死ねる。 俺は早く死にたいんだ。
「……いいよ」
「えっ?」
中島は狐に顔をつままれたような顔をしている。 さしずめ、振られるとでも思っていたのだろう。 俺は次の言葉を告げる。
「中島……つきあ」
『マジで!? やっと直也君と付き合えるのか!!』
「っ!?」
こいつ、いきなり雰囲気が変わった……?
「中島……結構口調変わったな」
「えっ!? 今何もしゃべってないけど……」
この時、同時に流れてきた言葉は、実際に中島がしゃべっているのとは全く異なる内容。
『直也君って結構モテるのに何人も振ってるから、皆に自慢できるなー♪ あと、直也君ってクラスでの権力も高いほうだし、守ってもらえて私の地位も確立するなー♪』
信じがたいが、これが現実。 俺にはこいつの『心の声』が聞こえるようだ。
「俺はお前を守る気なんかねえよ」
「っ!?」
証拠に、中島は表情で言っている。 「どうして私の気持ちを理解しているの」と。 俺は茫然とする中島を置いて昇降口を飛び出し、ただただ夢中で家まで走った。
「----------なんなんだよ、これ!!」
苛立ちを抑えきれず、床に鞄を乱暴に投げ、ベッドにダイブする。 今日起きたことの意味が分からない。
相手の心の声が、脳内に入り込んでくる現象。 幻想、空想。 そんなのは信じないたちだったが、この現実を突き付けられ、誰が否定などできようか。
「簡単には死なせないよ」
その言葉を合図に、窓からサァッと風が入ってきて、カーテンを揺らす。 落ち着きを取り戻したカーテンの陰から現れたのは、あの自称神だった。
「お前……ずいぶん変わったな」
自称神は前に見たときより大きくなっていた。 金髪も今ではロングヘアーになり、もう幼女とはとても呼べない。
「だってさ、君がずっと幼女幼女ってバカにするからさ、幼女スタイル嫌になっちゃったんだよ! あれ結構気に入ってたし」
「成長したわけじゃねえのか」
「だって私神様だよ! なんにでも変身できる……よっと!」
自称神がくるりと一回転すると、茶色のプードルへと姿を変えた。 また一回転すると今度は蝶へと姿を変え、また一回転して元に戻る。
「便利なんだな」
「でしょ♪」
そして最後に、得意げにドヤ顔を披露してくれた。
「ンなことより……何の真似だよ」
やっと理解した。 こんなことできるんだ、きっと原因はこいつだ。
「何のことかな?」
「ふざけんな! てめぇ俺が愛を知る気になったのに何妨害してんだよ!」
俺は元の姿にもどった自称神の胸ぐらに掴み掛る。
「ふざけているのはそっちだろう!!」
しかしそれもむなしく、罵声と女とは思えない力共に俺の体は床へとたたきつけられた。 叩きつけられた部分にじわじわと痛みが走る。
「私はお前の考えに心底呆れ果てた……。 お前が知ろうとしているのは偽りの愛だ、ましてや本当にお前を愛していないやつだったろう! あれはあの能力がなければお前の一方通行で終わっていた! だから私は真を伝えるためにあの能力をお前に授けたんだ!」
自称神の言葉が確実に、深く重くのしかかる。
「何が授けただよてめぇ偉そうに……っ! だから言っただろ! 愛なんてくだらねえもんだって!」
逆上する俺。 また自称神も逆上するかと思えば、冷静に、そして冷酷に告げる。
「……愛されないことを恐れるお前に何がわかる」
「っ!!」
その時のあいつの瞳に、光なんて宿ってなかった。 まるで何かを憐れむようなオーラで、俺をにらみつける。 恐怖が再び俺にまとわりつく。 もう何も言い返せなかった。
「……ふふっ♪ 神様に喧嘩売っちゃダメだって1つ覚えたね☆ 私神様だから人の心読めるんだよー?」
またいつもの明るい口調に戻る。 けど……目が本気だった。
「それにさ、君はもう気づいてるはずなんだけどなー。 鈍感さんなのかなあ? まあ今日伝えたかったのはこれだけ、じゃあねー♪」
茫然とする俺ににっこりと笑いかけ、自称神は月明かりが差し込む窓からひらりと下に舞い降りていった。
部屋に残るのは静寂と、愛を知らない悲しい男の涙だった。