トラの尾
「『小説家になろう』で企画競作するスレ」から、お題「夏休み」で書きました。
夏休み、の言葉で思い出す風景はいくつかあるけれど、そのうちでも印象深いのは十二歳の時のそれだ。
小学校六年生だった。
地元の花火大会へ出かけた。
当時の担任というのが、今思えば地元の名士の家だったのだろう、毎年優待席を確保していて、都度の受け持ちの子供を招いてくれたのだった。
彼は体育会系で、インドア派の僕としては正直そりが合わない感じもあったが、それはそれ。クラス全員が長期休みの間に一所に集まるというのは、なかなか得がたく、楽しみなイベントと言えた。
詳しい経緯は忘れたけれど、そこで僕は一人の女子と隣り合わせに座った。
高畑さん。下の名前は……確か美景さん。
みけ、という綽名で呼ばれていたように思う。
よく学級委員をやる子で、先生の受けもよかった。
仕切り屋で口やかましい女子は別にいて、彼女はその隣で要所を押さえているような、そんな印象があった。
少し癖のある髪を、ピンで留めていた。
ひゅるる、と光の線が伸びて、一瞬後にどぉん、と弾ける。
最初のうちは見入っていた僕たちだったけれど、だんだん飽きてきた。
優待席は、よく見えすぎて、ありがたみが薄かったのかもしれない。
夜店の食べ物や、おしゃべりに気を取られて、上を向いている子供の方が少なくなっていた。
その中で、高畑さんだけが、ずっと空に顔を向け続けていた。
髪を留めたピンが、時折鈍く光った。
「花火、おもしろい?」
何でそんな聞き方をしたのか、自分でもバカだなと思うけれど。
おもしろいか、と尋ねながら、心のどこかでは、「違うよな」とうっすら感じていた。
何となく、泣きそうに見えたから。
――泣きそうに見えたから、僕は声をかけたのかもしれない。
「……ひゅるるってね」
彼女は人差し指だけ立てた右手を伸ばし、花火の上がる軌跡をなぞった。
「伸びていくだけの花火があるでしょ。あれを見てた。五千発の中に数えられているのかなあって」
意味がわからなくて、僕は首を傾げた。
五千発、は今夜打ち上げられるとされる花火の数。
でも、「伸びていくだけの花火」って?
「ほら」
と彼女がまた指を指したけれど、僕には別に変わったものは見えなかった。
その光の筋は、単に打ち上げられた花火が普通に残している火の粉としか思えなかった。信じて疑っていなかったのだ、そのときまで。
「よーく見るとね、その花火の隣に煙の筋が昇っていくのが見えるよ。そっちが昇りきった場所で、大きい花火が開くの」
言われて目をこらせば確かにその通りで、大輪の花が咲くのは、「伸びていくだけの花火」よりも少し上の位置だった。
「でも、あれって花火の一部じゃないのかなあ」
認めがたくて、僕は反論した。
「スペースシャトルを打ち上げたときにロケットを切り離すようなものじゃないの?」
「そうなのかな」
高畑さんは膝を抱えた。
「そうかもね。そうだといいかも」
――大輪の花火を引き立てるためにだけに身を燃やし燃え尽きる、そんな役割を背負っている花火があるのは寂しい。
同じ花火なのに。
まして、続けて開く二発目、三発目ともなれば、ひゅるひゅると伸びる細い光の線になど、誰も注意を払わない。
多分、彼女はそんなことを言いたかったのだろう。
僕はそう思ったから。
高畑さんは、成長期をすでに迎えていたのか、女子の中でも背がすらりと高かった。
なのに、伸ばした指先だけが、妙に細く、爪は丸くて、少し子供っぽかったのをやけに覚えている。
そのときの短いやりとりを、初めて人に話したのは十年後、僕が二十二歳の夏だった。
大学四年生だった。
サークルの仲間と、花火大会に来ていた。
学校近くの河原で開かれるそれを、毎年誘い合って見に行っていたのだ。
「今年が見納めだな」
そう呟いたのは、一番仲がよかった神野だ。
神野行寿は、まあ何というか優秀なやつで、顔よしスタイルよし頭よし性格よし、それでいて茶目っ気もあり、人に嫌われる要素の全く無いような男なのに、こちらにコンプレックスらしきものを抱かせたりもしないという、全く希有な人間だった。
そうでありながら時折覗かせる少々の毒が、また僕を引きつけて止まなかったのだが、それはさておき。
僕も全く同じタイミングで「見納め」と考えていたので、何だか嬉しいやら寂しいやらで、つい口が滑ったのだ。
「あれもさ。あの、ひゅるひゅるってやつ」
僕はいつかの高畑さんのように腕を伸ばして、光の軌跡を指さした。
「数に入ってるのかな。四千発とかの」
神野は瞬き一つの間を置いて、それから答えた。
「入ってるんじゃないかな。俺も時々気になるんだけど、最初から数えてる訳には行かないし」
少しだけ拍子抜けした。
あの夏の自分のように面食らってくれるのではないかと期待もしていたので。
「何だよ?」
僕が次の言葉に詰まったので、神野が怪訝そうに眉をひそめる。
「いや、小学校の頃なんだけどさ」
何となく、取り繕うのもおかしいかなと思って、僕はそのまま昔話をした。
といっても、特にドラマチックでも何でもない普通のやりとりだったから、言葉を選ぶのにかえって困る。
つかえつかえ、どうやら顛末だけを話し終えて、でもこれじゃあ本当に伝えたいことが伝わらないよなあ、と頭を掻いていると、神野が静かに言った。
「……生きづらいな」
「え?」
「いや……生きづらそうな子だな、って思ったんだよ、その子が」
生きづらい。
これまでの自分の人生についぞ出てこなかった言葉に――面食らった。
面食らわせるつもりで振った話で、返り討ちにあってしまった。
そのとき、ひときわ大きな歓声が上がった。
花火大会は中盤の山場に差し掛かっていた。
気合いの入った演出で大きな花火が連続で割れ、色とりどりの星が夜空に散っていた。
歓声を打ち消すような、破裂音。
どぉん、と腹に響く振動。
「トラの尾」
神野がぽそりとつぶやいた。
「え?」
「その、ひゅるひゅるの名前。確か、トラの尾っていうんだ」
何故彼がそんな名前を知っていたのか。
たまたまなのか、あるいは彼もまたそれを気に掛けて調べたことがあったのか。
ついぞ聞けずじまいだった。
その冬、彼は自殺を図った。――という、噂だった。
一命は取り留めたらしい。――自殺自体が噂だから、その言い方が正しいのかもわからないけれど。
噂が真実だったとしても、原因は不明。
就職活動が上手く行かずに、という話は同年代の間に稀にあって、ニュースでも取り上げられたりしていたけれど、彼だったらとっくに内定のひとつやふたつ、もらっていたはずだ。
それとも、そうだと決めつけて、僕が深い話を聞いていなかっただけなのか。
他に何か、理由があったのか。
聞けなかった。
そのまま彼は休学して、これまた噂では海外へ留学したという話だった。
会えないままに、僕は卒業を迎えた。
怒りとか、戸惑いとか、悲しみとか、やるせなさとか、そんな感情に揉まれながら、でも結局何も出来ないままで、社会人になった。
言わなかった彼を責めたらよいのか、聞けなかった自分を悔いたらよいのか。
痛みはしかし、新しい生活の中に埋没していった。
それからさらに十年が経って、僕は三十二歳になった。
最初に勤めた会社は八年で辞めて、地元の企業に再就職していた。
その企業が寄付をしていた関係で、僕はこの夏、あの後回を重ねた花火大会の、優待席にいた。
大学四年生の時のことがあって以来、どこで開かれる花火にも積極的に足を運んだことはなかったのだけれど、今回は、事務の東堂さんが行くというので。
つまりは、まあ、そういうことなんだけれど。
「昼間は暑くてどうなっちゃうかと思ったけど、けっこう風があって気持ちいいですね」
彼女はすこぶるご機嫌で、敷物と飲み物と、次々にカバンの中から取り出している。
優待席は全体的にブルーシートで覆われているが、場所取りのためにも敷物は正解だ。
「うん。河原だからかな」
何となく手伝いながら、僕は答える。
水面を渡る風は、独特の匂いがする。
アスファルトの照り返しに忘れていた、懐かしい感じの、夏の匂い。
「ここの花火は何回か来たことあるけど、こんないい席で座って見られるのは初めてですよ」
「あれ、優待券は? もらったことなかったの?」
素朴な疑問を返すと、準備の手が止まった。
「――だって、今までは、一緒に来たいなって人が……」
小さな声でつぶやいて、しかもその語尾を消して、彼女は勢いよく立ち上がった。
「あの! 今のうちに夜店、見てきます! 荷物お願いします!」
財布だけを握って、止める間もあらばこそ、行ってしまった。
取り残された僕は、少し苦笑いで、でも多分他人から見たらにやけていると思われる表情で、それを見送った。
そのとき、視界を横切った人影。
「あ」
思わず声を上げてしまう。
それであちらも気がついて、座っている僕の顔にちらりと目線を落とした。
面影があった。全体的に大人びてはいたけれど。髪の毛は、昔よりもだいぶ癖が取れていたけれど。
「高畑、さん……?」
「やだ、久しぶり! ――小学校卒業してから、会ってないよね?」
そう、確か、彼女は私立の中学校へ行ってしまったから。
同窓会でも、顔を合わせたことが無いから。
実に二十年ぶりの再会だった。
しかもこの場所で、なんて、驚きだけれど……よく考えたら、彼女の実家はこの近辺なのだし、都内のビル街で出会うよりはよほど確率は高いのだ。
「今もこっちに住んでるの?」
「ううん、結婚して、家は出たわ」
今日は花火大会だから、実家に寄ってるの。
そう言った彼女の薬指には、確かにプラチナらしき細いリングが光っている。
その指は、あの夏の幼い指ではなくて、やや骨張って、少しかさついた、年相応の大人の指だった。
そうだな、僕だって三十二歳になったんだ。彼女も同じだけ歳を重ねているはずだ。
「主人と子供は、夜店を回ってるわ。私だけ先に場所取りよ」
大きな肩掛けカバンには、やはり敷物や飲み物や、子供のためのあれこれが入っているのだろう。
少し汗ばんだ頬に張り付いた一筋の髪は、しかし生活にやつれているようには見えない。
むしろ、生命力の発露に思えた。
生きづらい、とかつて評されたその言葉を、まったく打ち消すように。
あの花火、トラの尾って言うらしいよ。
言いかけて、でもあまりにも唐突のような気がして、飲み込む。
向こうが覚えていなくても、あるいは覚えていてくれたのと驚かれても、気恥ずかしい気がした。
「高畑さんは……」
場つなぎのように口にして、あ、と思う。
「もう『高畑さん』じゃないか」
「別にそれでも構わないけど」
笑って、彼女は言った。
「コウノ。今はコウノ・ミカゲよ」
「――え?」
コウノと言われて僕が思いつくのは、高野でもなければ河野でもなく。
……神野……?
旦那さんの下の名前や特徴を、聞いていいのか聞くべきなのか、僕は迷う。
隣が空いているから、ここへ敷物を引いたらどうかと、誘うべきかやはり迷う。
そうこうしているうちに、「神野さん」が子供を連れてやってくるかもしれない。
迷いながら、僕は、思う。
夏休み、というものが学生時代の十分の一くらいになってしまって久しいけれど。
それでも、十年先も僕は、夏休みと聞けば花火大会を思い浮かべるだろう。
願わくば、十年後の僕が思い浮かべるそれらに、この一夜が含まれますように。
幸せな記憶として、刻まれていますように。
「そうだ、あのね、豆知識よ」
照れくさそうに、『コウノさん』が笑う。
「花火が上がるときに、ひゅるひゅるって昇る光の筋があるでしょう。あれね、ひとつひとつ独立した花火で、ちゃあんと『打ち上げ何千発』の数に入ってるみたいなの。実際に数えたことがある人がいてね、って、実はうちの主人のことなんだけど――」
交通調査が使うようなカウンターを片手に空を見上げてかちりかちりとやっている男の姿を思い描いて、僕は笑った。
先日、地元の花火大会に行ってきました。
夫が会社で優待券をもらったので、ゆっくり座って見物することが出来ました。
という体験を踏まえて書いた、全くそのままじゃん、というお話。
結局、あの「ひゅるひゅる」が本当には何なのか、ネットで調べきれませんでした。
「曲導付」といって、打ち上げ花火に別の花火をくっつけて、途中でも小さく花が咲くような、凝った細工のものもあるようなんですが、動画見るとどうも違うような……。
というわけで、名前を一目見て「可愛い!」と思った「トラの尾」を採用。
まあ、作中登場人物が勝手にそう言ってるだけだよね、思い違いしてる可能性もあるもんね、という逃げ道を作りつつ。
作りつつ、タイトルにしちゃいましたけど。
「トラの尾」って聞いたら、「虎の尾を踏む」という言い回しを思いつくのですが、まあそれもコミの命名です。
ていうか、あのひゅるひゅるが本当に独立のものなのか、何千発の中に含まれるかも不明のままに書きましたが。
どなたか、真実をご存知の方がいらっしゃいましたら、教えていただけると嬉しいです。
暗い話ばっかり書いててもあれだから、たまにはハッピーな方向で! と思って書いたらしいです。
仕上がったのを見ると、大して代わり映えしませんけど。
夏休みと聞いてもう一つ思いついたネタは、友達以上恋人未満の男女が最終日に宿題を一緒にやる、というものだったんですが、そして多分こちらの方が爽やかに明るくほのぼのハッピーだったと思うんですが、何か書けなくて取りやめました。
あと、ダム湖に沈んだ村を訪ねる話とか。……ハッピー?
「夏のホラー2012」の企画に参加しようと思って、まず手慣らしと、あと制限の8000文字ってどれくらいかな、とつかむために書いたというところもあるのですが、この作品で5000文字。
……字数って、読めない。
ではではまた、「夏のホラー2012」でお会いしましょう。




