第二十八幕:二重の罠
侍大は刀を鞘に納め、ゆっくりと雷光斬の構えを取った。
「おい、ヘボ忍ども!一度だけ機会やる。今すぐ消えろ。じゃなきゃ、ここで死ぬぞ!」
盾が声を上げて笑いながら、侍大を馬鹿にする。
「ははははは!聞いたかよ!?このガキ、自分が俺たち『血鎖の兄弟』を相手にできると思ってんのかよ!」
「うるせぇ、チビ!!ガキって言うな!!見た目てめぇの方が年下だろが、ボケ!!」
「……士武。君のその勇気だけは認めるよ。ただ、それを最悪の折に発揮するのは、ただの愚か者だ。どうやって、俺が君を守りながら、この三人の精鋭忍と戦えと?」
「そんなの俺の知ったこっちゃねぇよ!どうにかしろ!俺は、従者たちを全員生きて連れて帰るまで動かねぇ。お前が俺の護衛なんだろ?だったらしっかり守れよ?できなきゃ、親父にクビにされるぜ?」
「……お前って、誰も見てないときは本当に別人になるんだな」
侍大はゴクリと喉を鳴らす。気づけば、すでに「士武のフリ」をやめていた。
「う、うるせーよ!てめぇがムカつくからだろ!お前と喋ってると、あの侍大のアホよりイライラすんだよ、雪頭!」
そのとき、蔵人が馬から降り、凪一のそばに歩み寄った。
「凪兄さん。作戦変更を提案します。有利な新情報が入りました」
「……お前がそう判断したなら、いちいち俺に確認しなくていい。お前の判断を信じる」
蔵人は頷くと、駕籠の方へ向かって叫ぶ。
「亜茂明日、作戦変更だ。従者たちを人質に!」
その言葉に、侍大と模宏は目を丸くした。
「ま、まさか……!」
その直後、駕籠がわずかに揺れ、中から音がした。そして、担ぎ手たちと鈴が駕籠から引きずり出された。その首元には、もう一人の女中が小太刀を突きつけている。
「な、なんだと……!?くっそ……!!」
「早光家の息子が、従者の命を大事にしている……
それがわかれば、人質に使えるということだ。
どうだい、坊ちゃん。さっき大声で『彼らの命は大事だ』って言ってたよね?
じゃあ、抵抗しないで降伏してくれないかな。彼らの命と引き換えにさ」
「てめぇら……外道どもが!!」
「……すべてお前のせいだよ、士武様。俺は忠告した。『その態度は愚かだ』って。お前は敵の前で、自分の『弱点』を叫んだ。相手が忍なら、それだけで命取りだよ」
「今こそ、侍として――いや、『男』として決断するときだ。降伏して、くだらない演説をやめるか。それとも――現実を見て戦うか」
侍大は沈黙する。目元は髪で隠れていて、表情は読み取れない。そして静かに言葉を発した。
「……やっぱ、誰も信用できねぇな……。結局、全部自分でやらなきゃいけねぇ」
「なぁ、雪頭。お前、親父の一番弟子でいたいなら、死ぬ気で俺を守れ。俺はな、もう一歩も引かねぇ。言ったことは撤回しねぇ。お前の理屈なんざ知ったこっちゃねぇ……武士道でも詰め込んでケツに突っ込んでろ!!」
侍大の脚が緊張で膨らみ、筋肉が唸る。地面を強く踏みしめたその瞬間――足元が陥没し、彼の姿が一瞬で消えた。
《――疾歩!》
三人の忍、そして模宏でさえ、侍大の動きは捉えられなかった。気がつけば彼はすでに、駕籠の女中――小太刀を持っていた裏切り者の目の前に立っていた。
そして、鞘に収めた刀で、その顔面を横殴りに打ち抜いた。衝撃は凄まじく、女中は駕籠の中に吹き飛ばされ、そのまま反対側から外へと弾き出され、木に叩きつけられた。
侍大は地面に着地し、四人の担ぎ手と鈴の中央に立った。担ぎ手たちは驚きの表情で、「士武様」が突然自分たちの側に現れたことに困惑している。だが鈴は、ためらうことなく侍大に抱きついた。
「きゃっ、ジンさまあああっ!助けてくださってありがとうございますっ!ジンさまはアタシの勇者ですぅ!」
「おい、鈴!何やってんだ!?当主の御子息に、そんな気安く抱きつくな!」
その瞬間、四人の担ぎ手たちの周囲に鎖が現れ、巻きつこうとした。侍大は即座に反応し、鞘を持ったまま低くかがみ、担ぎ手たちの脚に打ち込んだ。
それによって担ぎ手たちは地面に倒れ込み、鎖は彼らを捉えることなく空を舞って互いに絡まった。
侍大はすぐさま、その絡まった鎖を鞘ごと叩き上げ、空中に弾き飛ばしたが、その隙に盾の手裏剣の鎖が侍大を包み込もうとする。
しかし、侍大は何もしないまま、鎖が自壊し始めた。金属製の糸が次々と破断し、手裏剣の鎖がバラバラに解けて、侍大はそのまま解放された。
「おい、今だ!お前ら、走れ!全力で!来た道を戻れ!振り返んなよ!!」
担ぎ手たちは四つん這いで侍大の背後に逃げ込み、そこから立ち上がり、鈴の腕を引いて全力で駆け出した。
「な、なんだ今のは……!?俺の手裏剣の糸は、戸鎖特製の超合金製だぞ!?勝手に切れるなんてありえねぇ!!」
「――まぁ、そういうこともあるだろ、チビ助!見かけだけで『高品質』って思い込んで、いざという時に裏切られることって、あるあるなんだよ。世の中そんなもんさ、な?それに――」
侍大の姿が消えた。盾は周囲を見渡し、上を向いた。上空そこに侍大がいた。刀を抜き、猛スピードで落下してくる。
盾はかろうじて身をかわし、その一撃で笠が真っ二つに裂けた。彼は転がり落ち、駕籠の上から地面へ落下する。
侍大の一撃は、駕籠の上部を真っ二つに断ち切っていた。
「おいおい。お前、あのおもちゃがなけりゃ、ただのクソガキじゃねぇか」
「て、てめぇぇぇ!!」
一方、蔵人は無表情のまま、絡まった鎖の接続部を外し、背中の箱に繋がっている新たな鎖と素早く入れ替えた。
そして、矢じりのような金属の先端がついた鎖を、逃げる担ぎ手たちに向かって放つ。
それに気づいた侍大は、すぐさま駕籠の上から飛び降り、その鎖を叩き斬ろうとする。だが蔵人は指先を軽く動かしただけで、鎖はまるで蛇のように進路を変え、侍大の刀を回避して進んだ。
侍大はすかさず腰から鞘を引き抜き、全力でそれを投げつけた。鞘は鋭く飛び、鎖の先端に突き刺さり、地面へと落ちた。蔵人は表情を変えずに言った。
「驚きました。亜茂明日の記録では、早光家の後継は無能で非力な少年とありましたが」
「……状況と緊張は、人を変えるんだぜ?それに、誰だよその『アモアス』って……?」
その時、さきほど侍大が吹き飛ばした女中が、ふらりと立ち上がり、侍大の方へ歩き出した。
ゆっくりと自らの顔の皮を破り――皮膚を剥ぎ取り、地面に投げ捨てた。その下から現れたのは――まったく別の女の顔。その顔は、不気味な粘液に覆われ、妖艶で、異質だった。
「……正直、私も驚いたわ。あの士武って子、侍大よりはるかに劣ると思ってた。ずっと女中として仕えてたけど、見る限り目立ったところなんて何も……」
侍大は息をのむ。変装が、最悪のタイミングで崩れていた。
「いっ、い……いかれてんのかお前!?間者のくせに、全然役に立ってねぇな!
俺が月影の森で祈跡先生との試験でやったこと見てたら、こんなもんじゃすまなかっただろ!バカ!
てめぇ、顔を捨てるのが毛抜きみたいに簡単ってどういうことだよ!?意味わかんねぇ!!」
模宏は遠くから様子を見ながら、目の前の凪一をにらんでいた。凪一の手にはチャクラム付きの鎖がある。
『まずいな。あいつはおそらく蛇島の一族の忍……偽皮と蛇の術を使う、変装に特化した一族だ。
しかも、戸鎖と同時に動いてる……つまり、同じ藩の忍が連携しているということ。
これは偶然じゃない。長期に渡って準備された攻撃だ』
模宏が一気に凪一に突進する。だが、凪一はチャクラムのついた鎖を投げる。模宏は剣でそれを弾こうとするが、凪一は手を上げて指を構える。
《忍法:二重鎖!》
鎖から新たな鎖が枝分かれするように伸び、まるで幻のように剣をすり抜け――次の瞬間、実体化して刀に巻きついた。凪一が鎖を強く引くと、模宏の剣が手から外れる。
空中で鎖を掴んだ凪一は、もう片方の手で鎖を引き、チャクラムが回転しながら模宏の剣を砕いた。チャクラムは凪一の手に戻る。
「……ったく、こういう忍術のまやかしじみたところ、マジでムカつく……!」
侍大は刀を構え、蔵人と亜茂明日をじっと見つめる。その時、後方から声が飛ぶ。
「待ってくれよ蔵人兄貴!そいつは俺にやらせてくれ!!俺はあのガキにバカにされたままじゃ気が済まねぇ!」
振り返ると、盾が立ち上がっていた。笠が取れて、顔がはっきり見える。
凪一と同じように剃った頭。しかし顔立ちは女のように整っていて、長い睫毛、丸い輪郭、柔らかな唇をしている。彼はマントの下から新たな鎖手裏剣を取り出した。
「どうやって壊されたかは知らねぇが、今回は違ぇぞ!これが俺の『秘密兵器』だ!」
「は?同じ武器じゃねぇかよ。……まさか、そのテカテカ頭で俺を目潰しでもする気か?ピッカピカすぎて、俺の金玉と見分けつかねぇな!」
「き、貴様……!」
盾は怒りのままに鎖を放つ。侍大の体に鎖が絡みつく。
『……また同じ技かよ。どこが秘密兵器だっての』
だが、鎖は空中で変形し、自らを組み替えて網のような形になる。まるで両手で糸を操って模様を作る「糸あやとり」のように――
「忍法:あやとり!」
侍大はとっさに刀で上部を受け止め、全体をかぶらないようにこらえる。だが、下部の網が彼の腕や脚をかすめ、激しい痛みが走る。
「クソオオオオオオォ!!」
亜茂明日は、まるで何事もなかったかのように、侍大の方へと歩み寄ってきた。
「――私のこと、出来の悪い間者だって言ったわね?でもね、あれだけ苦労したのよ?私が早光家の屋敷に入り込んだのは、あなたの双子の弟が裏町から戻ってくるずっと前」
「その頃から、ずっとあなたたちを観察してたの。今日この日……あなたたちが黄昇を離れ、緑環都の武士学園に向かう日。そのために、情報収集と内部工作を積み重ねてきた」
「例えばだけど……私があなたの護衛の飲み水に毒を入れたって知ってた?
あの二人、あの『血鎖の兄弟』が現れる前から、もう毒でまともに戦えなかったの。
つまり、彼らが現れる頃には、護衛はすでに死にかけてたのよ。
模宏も、その水を飲んだわよ?」
侍大は目を見開き、言葉を失った。
「あなたは、運が良かっただけ。あの時、渡そうとした毒入りの水――
杯が突然割れてしまったの。だから、毒を飲まずに済んだのよ。
でも――もう運は尽きたわ。あなたの最後の護衛も、あそこまでよく持ちこたえたけど……もう死ぬ寸前。
さあ、残るはあなた一人。忍四人相手に、何ができるかしらね?」
侍大はふと横を見ると、模宏が地面に膝をついていた。
「もちろん、あなたを殺すつもりはないわ。だって私たちは、早光勝侍の『跡取り』が欲しいんだから。だから、生かして連れて行くわ。
でもね……毒は盛る。致死じゃないけど、相当苦しいやつよ。
『死んだ方がマシ』って思うくらい、苦しんでもらうわ」
亜茂明日は、しゅるしゅると手を侍大の顔元に伸ばす。その袖の隙間から、一本の蛇が姿を現した。蛇は、金網の隙間から侍大の首元へと滑り込む。
侍大は、刀で網の上部を支え、両腕を上げたまま動けない。




