第二十七幕:戸鎖(とくさり)一族
模宏は、侍大から放たれる強い怒気と殺気をはっきりと感じ取っていた。
「士武様……まさか、こんな連中に情けをかけようとしておられるのですか?
彼らは、自ら『お前を殺す』と口にしたのですよ?そんな者たちを赦すと?
それはただの甘さです。赦されぬ者もいるのです」
「……私はそこまで甘くはありません。誰もが救われるべきだなんて、さすがに思っていません。
けれど、『救われぬ者がいる』という事実を口実に、何の判断もなく殺しを正当化する。
それこそが、愚かです……いや、非道そのものです!」
侍大は右手の親指で、鞘からわずかに刀を押し出した。その仕草に、模宏の目が細くなる。
『……身バレは絶対にできねぇ。俺は今、【士武】でいるべきだ。
でも……言わなきゃ気が済まねぇ!俺のこの気持ちを、士武だったらどう言う……?
アイツなら、俺のこと分かるんだ。なら、俺だって、アイツのこと分かるはずだ』
侍大は、再び薬指に赤い細糸が結ばれているのを感じた。その糸のもう一端は、古世道の遥か彼方へと伸びていた。
胸の奥に、誰かの気配が流れ込む――そう感じた瞬間、侍大の表情が変わる。
「……ご存知でしょう。私の弟、侍大は、長年盗賊として生きていました。それが……模宏殿、あなたにとって恥でしょうか?私やあなたより、劣った存在だと?違います!」
「彼は、生き延びるために必死で戦い、今こうして『早光』として立っている。
それは、あなたのような人間のおかげではない。
あなたのような人間がいたからこそ――彼は『殺されかけた』のです。
彼の過去を知ることも、彼の痛みも、夢も、何一つ知られることなく……!」
「これは誰にでも言えることです。あなたが武士であるからといって、状況も見ずに人を裁いていいとでも?
違います!武士であるならこそ、その場に最も適した判断をする知恵と責任がある。
でなければ、盗賊と同じ、ただの人殺しです!」
「では、士武様。今この場も……話し合いで解決できると、本気で思っているのですか?あるいは……世の中が『あなたの理想』と違うから、苛立っておられるのでは?」
「……なんだと?」
「立派な言葉です。美しい理念です。ですが、言葉だけでは命は守れません。一秒の迷いが、死を招く。それが戦場です。
士武様。もしあの盗賊たちが、あなたとの話し合いを拒んだ直後に、私が斬り伏せていたとして
――それでも、あなたは納得できたのでしょうか?本当は、ご自身の『無力さ』に苛立っているだけなのではありませんか?」
侍大は唇を噛んだ。力が入りすぎて、血が滲む。
『……兄貴、ごめん……。でも俺は……もう我慢できねぇッ!!コイツ……どれだけ親父に気に入られてようが、どれだけ腕が立とうが……俺の大嫌いな侍の部類だ!!殺してやる……ここで、今!!』
侍大は刀を抜こうとした――その瞬間。
異音が、駕籠の方から響いた。侍大と模宏はすぐさま音の元へと駆ける。
――わずか一秒。
そこには、無惨に切り刻まれた北土と南人の死体があった。
その中央に、笠を被った長身の男がひとり、鎖を構えて立っていた。
さらに、馬の近くにはもうひとり。こちらも笠をかぶっており、背は少し低め。両腕に鎖を巻き付け、腰には四角い箱を提げている。
そして最後に――
駕籠の上に立つ小柄な影。その身長は雷士と同じくらい。彼の手には、中心に穴の空いた多数の手裏剣が糸で繋がれており、それを器用に操っていた。
「おやおや……どうやら、あの連中は時間稼ぎにもならなかったようですね。まあ、仕方ありません。計画というのは、現実に備えるためのものであって、未来を予知するものではありませんから」
模宏が小声で侍大に囁く。
「……よく聞いてください、士武様。あの連中、おそらく戸鎖一族の忍です。
炎嶽様が相模や伊豆を旅された際、その折に、彼らに関する報告を受けたことがございます。伊豆諸島を拠点に活動している忍一族ですよ」
侍大はこくりと頷くが――内心では叫んでいた。
『伊豆ってどこだよぉぉぉぉぉぉぉぉ!?』
長身の忍が中央の少年らしき人物に声をかける。
「――蔵人。確認しろ。この者たちは、名簿の中の誰に該当する?」
「絵と特徴から見て、早光士武──この地の上士の長男と、その側近の一人、一面模宏だな」
蔵人は懐から数枚の紙を取り出し、長身の忍に手渡す。その中には、祈跡、雷士、北土、南人――他の護衛たちの似顔絵まで含まれていた。
「……ふむ。大師堂祈跡だったらもっと都合が良かったのだが……まあ想定内だ」
男は紙を蔵人に返すと、ゆっくりと笠を外す。
そこには、スキンヘッドに顎髭、そして目元を覆うように縛られた濃い色のレンズ――異様な風貌の男が立っていた。
「……蔵人、盾。連結構えを。状況次第では、次の『鎖の輪』に切り替える」
すると、駕籠の上にいた少年が元気よく叫ぶ。
「了解っす、凪一兄貴ぃ!」
凪一は袖の中から二つの奇妙な金属道具を取り出し、それぞれ鎖の先端に取り付けた。
一つは輪の形をした金属で――まるでチャクラムのよう。
もう一つは、サッカーボールほどの大きさの金属球だった。
「士武様。今から馬を一頭奪い、援護します。貴方はそれに乗り、明界街道まで戻って祈跡殿に報告を。……そのつもりで準備してください」
「はあ?お前、ついさっきまで『親父の一番弟子』だの『上士並みの侍』だの言ってたじゃねーかよ?その割に逃げ腰なんだな?どうした、その自信満々な態度は?」
模宏は横目で侍大を見た。
「士武殿。戸鎖一族は、伊豆の藍霞藩に仕える五大忍一族のひとつ。
その中から三名を選び、明らかに早光家を標的にしている以上、相手は『雑魚』ではありません。
貴方の父上でさえ、この状況では最悪の事態を想定するでしょう。今、状況を甘く見てるのは、他でもないお前のほうだ」
黙り込む侍大。その目は地面に向けられ、ちらりと北土と南人の無残な遺体を見た。そして、駕籠の中の使用人や女中たちを思い浮かべる。
「……敵が精鋭の忍で構成され、しかも他藩から派遣されたものだとしたら、本来の判断は『撤退』です。
だが、この地を歩いて逃げれば、ただの的になります。せめて一頭の馬が必要です。
だからこそ――俺が取りに行く」
その言葉とともに、凪一が足元の金属球を蹴り上げる。彼は軽々とリフティングのように扱い、タイミングを見計らって――
「はっ!」
金属球を蹴り飛ばした。鋭く飛ぶ球体は、模宏の顔面めがけて迫る――!
模宏はそれを紙一重で避けつつ、凪一へと一気に詰め寄った。一瞬――侍大の視界から模宏の姿が消える。
次に見えたのは、凪一の眼前に迫る模宏の姿。そして――
振り下ろされる模宏の一閃。
だが――
刀が凪一の首元に届く寸前、彼はチャクラムを滑らせて刃に絡ませ、力強く引き寄せた。
刀は進路を逸れ、模宏の手からほとんど抜け落ちそうになる。
模宏は咄嗟に柄を握り直した――。
模宏はすかさず後方へ跳躍した。
彼の背後から、猛スピードで金属球が迫ってくる。凪一が鎖の張力を利用し、金属球を戻していたのだ。
模宏は即座に察知し、素早く身をかがめる。金属球はそのまま頭上を通り過ぎ――凪一の目前へ。
だが凪一は、右脚を高く振り上げ――そのまま足で金属球を押さえつけ、再び地面に落とした。
「おやおや。まさか、自分の武器でやられるような素人だとでも?」
「さあ、どうだろうな」
模宏はふたたび足を構えた。その姿勢を見て、侍大の目が見開く。
『あの構え……!あいつ、疾歩を使う気か!?この泥棒野郎!てめぇ、自分の技ぐらい使えよなッ!!』
だが――次の瞬間。模宏の姿が視界から消えた。
《幽歩!》
ほんの一瞬で、模宏は凪一の背後に回り、剣を振り下ろす。だが、その瞬間――彼の周囲に、無数の手裏剣が出現し、四方八方から包囲するように飛び交う。
それらの手裏剣は極細の金属糸で繋がれており、まるで手裏剣が連なった鎖のようだった。互いの間隔も狭く、鋭い刃が絶え間なく迫ってくる。まさしく、「手裏剣の鎖」だった。
「忍法:鋸歯状の鎖!」
模宏は即座に剣を振るい、鎖を叩き落とすようにして距離を取った。幽歩を背に数メートル跳ね退く。
『あれが……北土と南人を殺した技か……!
あの鎖状の手裏剣で相手の身体を巻き込み、そのまま一斉に回転させて切り刻む……。
一度でも捕まったら終わりだ。あれは……避けるしかねぇ』
『あとの二人は手を出さずに観察してる。たぶん俺が凪一を本気で追い詰めるか、隙を見せた瞬間に動くつもりだろう。つまり……見かけは一対一でも、実際には三対一の【静かな】連携戦だ』
「……士武様。状況変更です。一人で逃げてください!全力で明界街道まで走って、祈跡殿に報告を!俺が、ここで追撃を止めます!」
『……へぇ。本人がそう言うなら、逆に都合いいな。ちょうどブッ殺したかったし。これなら兄貴の名は汚れねぇし、親父の家臣を俺が直接やったわけでもねぇ。最高じゃねぇか』
侍大は背を向け――疾歩で逃げる準備をする。だがそのとき――思い出す。あの駕籠の中にいる、使用人や女中たちのことを。
『あいつら……。俺は、【守る】って言ったんだ。あいつらを守るって、誓ったんだよ。
逃げたら、俺は約束を破ることになる。あの模宏の野郎……
最初から、あいつらなんて眼中にねぇ。狙われても見殺しにする気だ。
アイツは……士武しか見てねぇ』
侍大は、ふたたび前を向いた。そして、刀を抜き――身体の後ろに構える。足を踏みしめ、構えをとる。
『なっ……!?あのガキ、何を……!?』
《――疾歩!》
瞬間、侍大の姿が消えた。彼の足が蹴り込んだ地面には、小さな凹みができていた。
凪一が攻撃に移ろうとしたその瞬間、侍大は彼の頭上を一気に飛び越え、そのまま駕籠の上にいる盾へ一直線に突っ込んだ。
だが、盾はその動きにすぐさま反応し、手裏剣の鎖を巧みに操って侍大を包囲しようとした。縛り、挽き裂く準備は万端だった。
それを見て、侍大はにやりと嘲るような笑みを浮かべた。
「……俺はなァ。全方向から高速で暴れまわってくる巨大な妖怪蛇を斬らなきゃいけねぇ状況があったんだよ。それに比べりゃ、てめぇのその忍者のおもちゃなんざ、どうってことねぇよ」
宙に浮いたまま、侍大は手裏剣の鎖の複数箇所を的確に叩き、構造を崩して張力を無効にした。
盾は再制御を失い、そのまま構えを崩した。侍大は地面に着地し、模宏に背を向ける形になった。
「士武様、これは無謀ですし、愚かです!私を助けに来る必要などありません!この旅では、私の役割が貴方の護衛なのです!」
「うっせーよ、この傲慢米髪野郎が!誰がてめぇなんざ助けに来たって言ったよ!?テメェ、ホントに自惚れてんじゃねーぞバカ!ここで死のうが俺の知ったこっちゃねぇ!!」
侍大は立ち上がり、駕籠を真正面から見据えた。
「……俺が来たのは、あいつらのためだ。守ると約束した。だから、俺は守る」
「な、なん……士武さ… ど……士武!あいつらは、ただの使用人だぞ!?お前の命と同じ価値があるはずが……!」
「あるに決まってんだろがあああああああああああ!!!!」
模宏は言葉を失った。
「くだらねぇこと言ってんじゃねぇよ……命に上下なんてあってたまるか。俺は、いつか黄昇を治める上士になる。だから、俺は――俺は、『弱き者を守る侍』になる!!」
『親父がどんな侍なのか、そして俺にどんな侍になってほしいのか、正直わかんねぇ。
でもな、俺は……俺だけは、自分の領地で、俺と同じように苦しむ奴を絶対に見捨てねぇ!
俺は、平民を見下すような偉そうな侍にはならねぇ!!俺は、全ての人間に、生きる価値を与える侍になるんだ!!』




