第二十六幕:古世道(こせどう)の伏兵
──回想。
一行が分かれる少し前、士武は侍大に最後の注意を促していた。
「よく聞いて、侍大。君が模宏殿のことを苦手に思うのは分かるけど、落ち着いて振る舞ってほしい。彼は変わってるけど……実力は本物だよ。
祈跡先生と同じくらいの強さだと思っていい」
「分かってるっての!お前、ホントに俺のこと信用してねーな!」
「違うよ。君が『私のふり』してるときに、『模宏殿のことは私の方が知ってる』って言ったでしょ?
そのままの態度を保つなら、彼を祈跡先生並みの武士だと考えて行動すれば、違和感はなくなる。
頭もキレるし、戦い方は侍と忍者の混合型だよ」
「はいはい、分かってるよ……」
「それと、父上の家臣のうち、君の方には二人の従者がつく。
祈跡先生と模宏殿を除けば、今回の旅の護衛には四人の初士がいる。
そのうち君と同行するのは北土と南人」
──現在。
半数の一行が道を折り返し、古世道へと向かう。
侍大が乗る駕籠の周囲には、馬に乗った三人の護衛と、従う女中が二人。
駕籠の中から外を見渡しながら、士武に聞かされた護衛の顔を確認する侍大。
北土はがっしりとした体格で、太い口髭とボサボサの髪。左眉から顎にかけて、縦に大きな傷跡が走っている。
南人は長い黒髪をなびかせ、中性的な顔立ちをしている。
同行している侍女のひとりには、鈴の姿もあった。
(北土)「一面殿。もし何も起こらなかった場合、我々はそのまま緗へ向かうのですか?滞在はどのくらいに?」
「この時間帯では、着いてももう夜だろう。だから一泊することになる。まあ、考えようによっては、他の連中よりマシかもな。野宿より村の宿の方がマシだろう?」
『こ、こいつ……!なんなんだよ、その話し方!なんでいちいちムカつくんだよ!!皮肉ったような言い方と、いちいちイラつかせる物腰……!マジで尻から刀ぶっ刺して、口から引き抜いてやりてぇ!!』
***
一方、本隊の方では――
祈跡に加え、残り二人の護衛と先導役の斥候、それに女中三人がいた。
侍大(=士武)、雷士、そして恋雨もその一行に加わっている。
だが恋雨は侍女としての身分を装う必要があり、他の女中たちと共に歩いて随行していた。
本来、彼女が士武に同行できるのは、士武の『幼なじみ』として、個人的に仕えていることになっているからである。
だが今回は、侍大(偽士武)が別行動をとっているため、雷士とともに駕籠に乗るわけにはいかなかった。
駕籠の中で、士武は不安げに足を揺らし、指先で膝をトントンと叩いていた。
「侍大兄さん?なんだか心配そうだね」
「……あぁ、だってさ、あいつにとっちゃ、これが初めての『戦』なんだぜ。
いや、『任務』って言っとくか。あの臆病者、まともな戦いなんて一回もしてねーし。
あいつ、一人じゃ何もできねーんじゃねーかって心配してんの」
雷士は少し言葉に詰まり、躊躇いながら口を開いた。
「……士武兄さんのこと、弱いと思ってるの?」
士武は胸を殴られたような衝撃を受けた。
侍大のふりをしている以上、侍大の目線で自分自身を見なければならない――その事実が、彼の胸を痛めつけた。
「……ま、俺よりは弱えのは事実だしな。経験もねーし……下手すりゃ、何かやらかすかもな」
雷士は少し周囲を見回し、それから士武に近づくように手招きした。
「……内緒だよ?兄さんには言っちゃダメ。……でもね、士武兄さん――雷光斬を使えるんだよ」
士武は、雷翔の言葉に目を見開いた。
『ちょ、ちょっと待って!?雷士って……私が雷光斬を使ってるの、見たことあったのか?つときどき私の稽古を見に来てたってこと……やっぱり、そうだったのね……』
「……ああ、気にすんな、雷士。それは隠す必要ないだろ。俺、月影の森の試練のとき、士武が雷光斬使ってるの見たし」
雷士は少し顔を赤らめ、視線を伏せたまま、小さな声で続けた。
「……でも……兄さんにだけは知られたくないんだ。僕……たまに兄さんの稽古を、こっそり見てて……それで、裏道先生の授業も合わせて……雷光斬、覚えたんだ」
『な、な、な、な、なんて……なんて可愛いのぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!こんな雷士、見たことない……!赤面して、こんな……こっそり私のこと見てたなんて、しかも真似して覚えたなんて……!』
「ゴホンッ……ま、いいぜ、雷士。黙っててやるよ。侍は約束を守るもんだからな、信じていいぜ」
──数時間が経ち、時刻はすでに申の刻《午後四時》ごろ。
古世道を進む士武(=侍大)たちの一行は、平穏そのものだった。
駕籠の中では、侍大がひとりでイライラを募らせていた。
『クッソォォォォォ!!なんも起きねぇ!!つーか、一人ぼっちで誰とも喋ってねーぞ!!頼むから、誰か話しかけてくれぇぇぇぇ!!』
「士武様?」
「はいッ!!」
完全に反射で返事してしまった。外から話しかけたのは、女中のひとりだった。
「何かご事情でも?少し落ち着かないご様子でしたが……ご気分が優れませんか?」
「あ、あぁ……いや、別に……。その……ちょっと喉乾いただけで。水とかあるか?――じゃなくて、すみません、もしよろしければ……お水をいただけますか?」
「はい、ただいま」
女中は陶器の水筒から器に水を注ぎ、それを駕籠の横から侍大に差し出した。
だが――その器が、侍大が口をつける寸前に、パリンと音を立てて砕けた。
「なっ……なんだ今の!?これ、古かったのか?」
「いえ、そんなことは……。でも、なんだか……縁起が悪いような……」
その時、模宏が前方に異変を察し、手を上げて一行を制止させた。
そして――数秒後。
周囲の茂みから、二十名を超える盗賊たちが姿を現し、道を塞いだ。
皆、刀や棍棒を構え、明らかに血気盛んな様子。
「へっへっへ……なんだぁ?ちょうどいいとこに上等な連中が通りかかってくれたなァ!さっさと馬から降りやがれ。運が良けりゃ命くらいは取らねぇでやるよ。運が良けりゃなァ!」
「お前ら、あと何人いるんだ?この程度じゃ、まだ体も温まらねぇんだけど」
「な……んだとコラァ!?誰に向かって口きいてんだ、このガキがァ!!」
侍大は駕籠の隙間から外を覗き、状況を理解した。
『おおおおおッ!!ついにきたァァァ!!やっとだ、やっときたぞ戦が!!ひとりで黙ってるの、もう限界だったんだよ俺はァァァ!!』
その瞬間――
一筋の矢が、模宏の顔めがけて飛んできた。
だが模宏は、微動だにせず、顔すら背けず、左手で矢をつかみ取った。
『すっげぇぇぇぇぇぇぇぇ!!……って、いやいやいやいや!?今のナシ!アイツを心の中で褒めるなんてダメだ、俺!!……べ、別にそんなにスゲーわけでもねぇし!!』
「なるほど……貴様らとは、話し合いで済ませるつもりだったが……残念だな。今日は村でゆっくり休めると思ってたんだが……その予定、潰れちまったじゃねぇか」
「うるせぇぞ、金持ち坊ちゃんが!全員やっちまえぇぇ!!」
数本の矢が、今度は模宏ではなく、一行全体に向かって放たれた――
だがその瞬間、突風が吹き荒れ、空中で全ての矢が真っ二つに裂かれた。
その光景を見えたのは、侍大だけだった。
模宏が空中を疾風のように駆け、次々と矢を斬り裂いていたのだ。
《拾術映型刃流・第一段:鎌鼬!》
技が発動してから着地まで、わずか二秒ほど。
模宏は一行の反対側に、すでに着地していた。
侍大は目を見開き、口をぽかんと開けたまま、その光景を見ていた。
『す、すっげぇぇぇぇぇ!! あれ……あれって、雷光斬の完全形に疾歩を合わせた感じじゃねーか!?でも……なにが違うんだ!?』
「で、どうした北土、南人。命令が欲しいってか?今、盗賊に囲まれてんだぜ?殺されて金盗られるって状況で、まだ刀抜く理由が足りねぇのかよ?」
北土と南人は馬から降り、すぐに刀を抜いて盗賊たちに斬りかかっていった。
その様子を見ながら、侍大は駕籠の入口に構えて立ち上がった――
が、視線の先に、怯えた様子で身を縮める女中たちと駕籠の担ぎ手たちがいた。
侍大はすぐに駕籠から飛び降り、彼らの前に立った。
「大丈夫です。誰も死なせませんし、傷つけさせもしません。下ろしていいですよ、この駕籠。中に入って、身を守ってください」
女中たちと担ぎ手たちは戸惑う。
主君の子である士武に、自分たちが彼の駕籠に入るように言われるなど、考えもしなかったのだ。
「士武様……?よ、よろしいのですか?このような非常時とはいえ、我らが士武様の駕籠に……」
「あなたたちが名家の出でないからといって、劣っているなんてことはない。みんな同じ人間だ。人間として、ちゃんと生きていいはずだ。民を見下すような主君に、治める資格なんてないよ」
その言葉に、皆が目を見開き、そしてすぐにためらいもなく駕籠に入った。
侍大は静かに刀の柄に手をかけた。
『……そうだ。俺は……ずっと、ボロボロの野良犬みてぇな暮らしだった。
生きるために人を襲って、盗んで、殺して……。でも、今は違う。
今は……由緒ある家の生まれだからって、他人を見下すような侍にはならねぇ。
民を苦しめるんじゃなく、守る側になる。それが……俺がなりたい侍なんだ』
ふと、遠くで何人かの盗賊が火をつけた矢を構えているのが見えた。
侍大は一瞬の迷いもなく、一歩を踏み出すと、前脚に力を入れ――
《疾歩!》
その瞬間、空気が唸った。
超高速で駆け出した侍大は、敵の目前に迫ると、次々と矢と弓を切り落とした。相手の体は一切傷つけず、道具だけを正確に破壊する。
「やめとけよ。こっちは早光家の一行だ。黄昇周辺を治めてる家だぞ。もし金か食いもんに困ってやってんなら……話し合いでどうにかできるはずだ。死ぬ必要はねぇよ」
『……そうだ。俺も、かつては盗賊だった。生きるために、仕方なく人を襲ったこともあった。
でも――だからこそだ。あいつらだって、昔の俺と同じかもしれねぇ。
もしそうなら……そんな奴らを殺す資格、俺にはねぇ。
だって……守るべき民が、盗みでもしなきゃ生きてけねぇってんなら――それは俺の責任だ』
「なにィィィ!?なにわかったような口きいてんだ、ボンボン野郎がァ!金でなんでも解決できるとでも思ってんのかァ!?……ああ!?テメェみたいなガキが一番ムカつくんだよッ!」
盗賊たちは一斉に侍大を取り囲み、襲いかかろうとした――だが。
ズバッ。
彼らの首が、次々に宙を舞った。
《拾術映型刃流・第三段:抜首》
模宏はいつの間にか、侍大の隣に立っていた。
まるで最初から、そこにいたかのように――
「士武様。勇気あるお考えは素晴らしいと思いますが……今は、外交の訓練をする時ではありませんよ。
ましてや、あのような野蛮な盗賊相手では。彼らは社会のクズです。情けをかける価値などありません」
侍大は道の両側に散らばる盗賊の死体を見渡す。侍大は怒りに満ちた目をしながらも、必死に表情を抑え、言葉を選んだ。
「……あの、模宏殿。あなたは……これまでの人生で、食べるために盗みをしたことは、ありますか?」
「は?なんですか、その馬鹿げた質問は。士武様。そんなこと、侍として恥ですし、我らの誇りに傷がつきますよ」
「……誇りや恥よりも、大切なものって、あると思います。生きることです。
あなたは、『なんでもしなきゃ生きられなかった』経験なんてないんでしょうね。
食べ物もなくて、腹が減りすぎて痛くて、眠れないほど辛い思いをして……
そんな時に、『誇り』だの『恥』だの言われても、そんなもん
――クソの言い訳にもならねぇんだよッ!!」
その一言で、空気が変わった。模宏が眉をひそめた。侍大の目は、もはや怒りを隠していなかった。
その視線は――初めて士武に出会ったときに似ていた。いや、それ以上だった。
模宏は静かに気づく。彼が今、明らかに――殺気を自分に向けて放っていることを。
――――
一方その頃――
森の影から、三つの黒い影が音もなく現れようとしていた。




