第二十五幕:ふたつの道
昼食を終えた後、双子は少し離れて、ふたりきりで話し始めた。
「なあ、バカ兄貴。あの模宏ってやつ、頭おかしいんじゃねえの?刀、投げてきたぞ!」
「うん……まあ、模宏殿はちょっと……変わってるんだ。でも父上は彼を信頼してるよ。自分の一番弟子って言ってたから」
「はあ?あいつが?マジで?じゃあ、祈跡先生は?あの人こそ親父の右腕かと思ってたんだが?」
「それはそうだよ。家老という立場は、剣の腕だけじゃなく、政の経験や、他の上士や大士からの信頼も必要だからね。祈跡先生はその点で圧倒的なんだ。
模宏殿はまだ若いから、そこまでは難しいんだと思う」
「若い?何歳だよ、あいつ?」
「確か……二十二歳だったはず。でも実力だけでいえば、祈跡先生と同じくらいの程度なんだ。父上も、そのうち先生を超えるって期待してるよ。もしものときは、家老の代わりに据えるつもりらしい」
「へぇ〜。でも、なんであの仮面なんだ?最初、忍かと思ったぞ」
「それは私も知らない。誰も素顔を見たことがないって聞いた。でも、模宏殿が忍っぽく見えるのには、ちゃんと理由があるんだ。あの人、見たものをすぐに身につけるような天才でさ」
「覚える?なんだよそれ、あいつ侍じゃなくて、ただの勉強バケモンじゃねーか」
「いやいや、違うんだよ。例えば、彼は雷鳴瞬光刃流を正式に学べない。
早光家の者でもないし、流派の守り手でもないから。でも、それでも父上の動きを見て、いくつかの技を独学で再現できたらしい」
「うっそだろ……!」
「しかもそれだけじゃない。今まで戦ってきた忍者たちを真似して、忍術の基本的な型まで自分で身につけたって。
つまり、模宏殿の戦い方って全部、敵から盗んできたものなんだ。
剣術と忍術をごちゃまぜにしてるけど、それが逆にすごいんだ」
「……兄さん?」
ふたりが振り向くと、雷士が近づいてくるのが見えた。
侍大は一瞬身構え、自分たちの正体がバレたのではと焦るが士武はすぐに弟のふりをして対応する。
「なんだよ、雷士?盗み聞きか?」
「ち、違うよ。ただ……呼びに来ただけ。大師堂殿が、話があるって」
────
間もなくして、士武、侍大、雷士、そして模宏は、他の使用人たちとは離れた一角で祈跡と合流した。
「よいか。誰かに尾けられている、あるいは伏兵が潜んでいる可能性がある。確証はないが、早めに調査しておくのが賢明だ」
「祈跡殿、それはどういった根拠で?」
「この先百間ほど進んだ道に、新しい足跡が一つ、明確に残されていた。われらの存在をあえて知らせ、進路を変えさせようという意図も考えられる」
「祈跡先生、それ……ただの通りすがりの山賊とかじゃね?……いや、その……えっと、こちらに気づいて、姿を隠した可能性もあるかと……」
士武は驚いた。
『い、今の……まさに私が言おうとしてたことだ!でも私は、侍大がそんなこと言うかどうか、分からなくて言えなかったのに……!』
「見事な推察ですな、士武殿。戦略の授業の成果が表れておりますぞ」
侍大はつい得意げにニヤリと笑ってしまう。士武が正体を悟られぬよう、そっと彼の脇腹をつねって制するが、侍大はそれを嫉妬の挑発と受け取り、つねり返す。
二人は気づかれぬようにひそかに叩き合いを始めるが――
パシッ!
模宏がふたりの頭をぺしっと叩いた。
「一面殿、いけません!彼らは早光様のご子息方ですよ!」
「おやおや、祈跡殿。真面目な話をしている最中に、子どもじみた喧嘩を始めたのはあのふたりですよ?時には多少荒っぽい教育も必要ではありませんか?」
叩かれた双子は、バツが悪そうに黙りこむ。雷士は口元に手を当て、咳払いで笑いを誤魔化した。
「……さて。士武殿の推論は非常にもっともであり、拙者も同意見でございます。しかし、用心に越したことはありませんので、念のため策を講じました」
祈跡は道端の土を使って簡単な地図を描き始めた。
「我らが進んでいるのは明界街道で、このまま進めば緑環都に至ります。
ですが、少し前に古世道との分岐点を通過しました。そこは緗の村へと続く道です。
もし敵の目的が、我々をそちらへと退かせることだった場合、逆手に取ることができます」
「模宏殿が駕籠のひとつと数名の従者を連れて古世道へ向かい、残りはそのまま明界街道を進みます」
「え?それってどういうこと?つーか、もし本当に罠だったら、古世道に行くほうがヤバくない?それに、駕籠を出すって……誰か、いや、俺たち兄弟の誰かが行くってことじゃんか……?」
「ご明察です、侍大殿。武家の御子息、ましてや上士の子に対し、伏兵を仕掛けるのは並大抵の度胸ではありません。
ゆえに、ただの山賊とは考えにくい。おそらく君たち三兄弟の誰か
――いや、君たち全員の可能性もある、ということです」
「こういった事例は珍しくありません。故に、多くの名家が子を緑環都の武士学園へ送り出す際には、必ず護衛付きの大名行列に準じた形をとります」
「敵にとっては、跡継ぎを捕らえる絶好の機会なのです。人質として脅しをかける、あるいは復讐、名家への直接攻撃――動機は様々」
「それゆえ、あえて駕籠ひとつだけを古世道に向かわせ、警護も最小限に見せかけることで、敵を誘き寄せる。敵が姿を現したら、迎撃して殲滅する。その後、合流して旅を続ける」
「でもさ、それでも模宏殿ひとりで行くのって、やっぱヤバくね?もし相手がガチの伏兵だったら、その囮部隊がマジで危ないだろ……」
「ふふっ。俺のこと、侮ってますね?侍大殿?」
「え?いや、別に……知らねーし、ただそう思っただけだよ。俺はずっと一人で生きてきたからさ、最悪のことを考えて動くようにしてるだけ」
その言葉に、侍大は目を見開いた。
『なっ……!?お、俺……そんなこと、一度も言ったことねえのに……。でも……今の、まさに……俺の生き様そのものだ……。こいつ……何でそんなこと……知ってんだ……?』
模宏は侍大(士武)の頭に手を置き、やや呆れたような、しかし明らかに見下した口調で言った。
「おやおや、侍大殿。お忘れですか?あなたがたは、早光家の跡継ぎ候補なのですよ?こうした状況こそ、実戦訓練の好機。むしろ歓迎すべきですな」
「それに、もし本当に敵が現れて、あなたがその敵を退けたとしたら
――『早光様の御子息、自らの力で襲撃者を討ち果たす』
――そんな噂が青葉藩に広まれば、以降の襲撃も抑制されましょう。
御家の威光も高まり、跡継ぎとしての器も証明される。一石二鳥というやつです」
そう言いながら、模宏はすっと立ち上がり、くるりと背を向けた。
「それにね、俺、早光様とほとんど同じくらいの実力なんですよ、本人がそう言ってたし。
上士になれないのは、名家の出じゃないし、早光家に仕えてるからです。
つまり……ただの山賊ごときが、俺の相手になるとでも?」
『この野郎……どんだけ自信家なんだよォォォォォ!!マジでイライラすんだけど!こいつのこと、仮面野郎とかいろいろ罵ってやりてえのに、俺が士武のフリしてなかったらなァ!!』
「てめぇ、仮面野郎……マジでイタいぞ。親父に一回褒められただけで、同じ程度気取りかよ?ぷっ!」
侍大は再び目を見開いて士武を凝視する。
『ど、どうなってんだ!?あいつ……なんで俺の思ってたこと、まんま言ってんだ!?俺がさっき心の中で思った【仮面野郎】って言葉まで……!』
ふと、侍大の視界に赤く細い糸のようなものが映る。彼の薬指と士武の薬指を繋ぐように。
『な、なんだ……これ……。言葉にはできねえけど……何かを感じる……。これって……まさか、士武……?』
「おやおや、侍大殿こそ、自分の立場を証明すべきではありませんか?本当に早光家の御子息で――いや、もしかして――」
「一面殿!」
侍大はすっと立ち上がり、凛とした声で言い放った。その迫力に、士武さえも一瞬たじろぐ。
「弟はまだ未熟で、武家の子としての振る舞いにも不慣れです。
ですから、多少の無礼は大目に見るべきでしょう。
しかしながら、あなたは成人の侍であり、早光家に仕える家臣です。
子どもの挑発に乗るようでは、あなたの方が恥をかくことになります」
雷士も士武も目を見開き、思わず感嘆の眼差しを向けた。雷士は感激が顔に出すぎており、隠しきれていない。士武の顔には、驚きと同時に誇らしさが滲んでいた。
『侍大……君……すごかったよ……!なんか……ちょっと誇らしい……』
「なるほど、模宏殿。士武殿の言う通りですな。
それより、そろそろ出発の時刻です。計画を進めましょう。
……さて、早光様の三人の御子息のうち、どなたが模宏殿と共に古世道へ向かうべきか……?」
「私が行きます!」
侍大は即答した。
「明らかに、あいつが行ったらまともに振る舞えないだろ。模宏殿のことも、私の方がよく知ってるし。雷士くんはまだ若すぎて、こんな危険は避けるべきだ」
士武が立ち上がる。
「待てよ、士武!本当に大丈夫なのか?」
模宏は士武の肩に手を置いた。
「どうだ、坊主?お前の兄貴は、立派に侍として、そして指導者としての振る舞いをしてるぞ?」
――――
一同は再び本隊へと合流した。
祈跡は使用人たちに余計な不安を与えぬよう、本当の目的は伏せたまま隊を分け、指示を出していく。
侍大は駕籠に乗る直前、士武に腕を引かれ、耳元で囁かれる。
「なあ、侍大。さっきの……君、ほんとにすごかったよ。ちょっとゾクッとした」
侍大の顔が一気に赤く染まり、視線を逸らす。
「……マ、マジで?やっぱ俺、かっけーよな……!」
「うん。でもさ……ひとつ言っておきたいことがある。君、模宏殿に自分を認めさせたくて、いろいろ頑張ってるのは分かるけど……君、『私のフリ』してるって、忘れてないか?」
侍大はその場でフリーズした。完全に、それを忘れていた――。
「つまり、今君がどんなに頑張っても、その成果は全部「私」のものになるってことだよ。
私が褒められて、私の評価が上がる。それに疾歩も使えない。
君は使えるけど、私はまだ習得していない。もし使えば正体がバレてしまう」
侍大は完全に硬直した。微動だにせず、呼吸すら止まっているかのようだった。だが――ふと目に涙が浮かび、彼は士武の腕をぎゅっと掴んだ。
「な、なぁ兄貴……俺……どうすりゃいいんだよ……。俺、ただ自分の価値を証明したかっただけで……」
士武はそっと自分の額を侍大の額に寄せた。
「大丈夫だよ、君はもう証明できてる。私のフリをしていながら、君は立派な侍として振る舞ってた。今回は『私』の功績になるかもしれない。でも最前線に立つのは、君だよ」
士武は一振りの刀を手に取り、侍大に差し出した。
「だから、今は他人に認められることを考えないで、自分に胸を張れるかどうかを考えてほしい。
たとえ模宏殿が『私』の功績だと思っても……本当にやったのは君だって、私たちにはわかってる。
それは、誰にも変えられないし、消せやしない」
感極まった表情を浮かべながらも、侍大は士武を突き飛ばす。尻もちをついた士武に向かって、顔を真っ赤にして叫んだ。
「バカ兄貴!だからそういうクッサイこと言うなっての!俺が弟だからって、俺が弱えわけじゃねえ!つーか、年下っつっても多分数分だろ!そんな差、数えるなよ、バカ!」
「うん、分かったよ。そもそも――あの時、滝で、そして今も、兄貴みたいに頼もしくしてたのは君だからね」
侍大は、はじめて穏やかな笑みを士武に向けた。そして、そのまま駕籠に乗り込んだ。
模宏は馬に乗り、数名の従者と警護役とともに侍大の駕籠を守る形で進路を変え、古世道へと向かっていった。




