第二十四幕:仮面
早光家の一行が黄昇を発ち、緑環都の武士学園へ向かってから一時間が経った。駕籠の中では、侍大のふりをした士武が、雷士と対峙する。
「俺たちは『敵』じゃねえ、『兄弟』だ!『競い合う仲』って思うなら構わねえ。(多分)……俺もあんたたちをそう見てる。だが『敵』扱いする理由はねえだろ」
雷士はその言葉に驚く。
「でも、あなたは士武兄様を二度も殺そうとしたでしょう?
少なくとも僕は兄弟を殺そうなんて思ったことありません。
そんなあなたが、僕に説教なんてできるんですか? それも不名誉な方法で」
「そりゃあ、俺がまだ侍の修行中だからだ。俺は……士武のことが大嫌いだ。
だが祈跡先生の試練で学んだ。偉大な侍は、敵とさえ手を組む時があるってな」
士武は明らかに、森での試練中に侍大から聞いた言葉を繰り返していた。
「でもよ、俺は士武を『敵』じゃなく『仲間』って見られるようになった。
過去の過ちは二度と繰り返さねえ。
だからこそ、あんたに言えるんだ。俺みたいな奴でさえ士武と組めるんだ。
なのに、あんたが俺や士武を『敵』だなんて思う必要はねえだろ!」
雷士は当惑し、返答に詰まる。ふと、彼は「士武」のふりをした侍大との会話を思い出した。
【侍大は……悪い人じゃない。ただ……誤解されてて、孤独で……さびしがり屋なんだと思う】
『もしかして……士武兄様の言う通りだったのか? 侍大兄は、本当に寂しがり屋で……?
表面的には士武兄様を憎んでいても、心の底では僕たちが争うのを望んでいない……?』
「それなら……初めて会った日に言ったことは? 覚えてますか? 『父上の後継の邪魔をするな』って。
僕が『弱い』から勝てないとも……。それに、ほとんど手を出そうとしたじゃないですか」
『侍大、そんなことしてたのか!? あのバカ!!
──ってことは、あいつ……来た初日に雷士に相当ひどいことしたんだな。
完全にブチかましてんじゃねえか。雷士が『敵』だと思うのも無理ない……』
士武は雷士の前に深々と頭を下げた。
「……あの時のことは詫びる、雷士。
あの頃の俺は憎しみに囚われてた。だが、俺は変わろうとしてる。
祈跡先生から多くを学んだ。親父に恥じぬ侍になりてえ。
だから……あの時のことは忘れてくれ。後継を争う『競い合う仲』でいい。だが……『敵』じゃない」
雷士は、「侍大」が自分に頭を下げる姿に胸を打たれる。
『この人は……士武兄様にそっくりだ。もし侍大兄が本当に侍らしく振る舞えるようになったら……僕にはもう見分けがつかなくなるかもしれない』
彼は「士武」の言葉を思い出した。
【あいつ……いや、侍大は、自分じゃ気づいてないかもしれないけど……誰かに愛されたくて、優しくされたくて……たぶん、ぎゅって……誰かに抱きしめてほしいんじゃないかな、って……思って……】
『士武兄様は言ってた……【誰も見てない時なら、侍大兄も警戒しないかも】って』
雷士は躊躇いながら近づく。士武が顔を上げた瞬間、彼は思わず「侍大」を抱きしめた。
「……大丈夫です、侍大兄。許します」
士武は少し頬を染め、感動を覚える。そして、そっと抱き返した。
『信じられない……雷士とは乳児の頃から一緒だったが、こんな風に抱き合ったことなんて……。
でも、侍大のふりをしたら、あっさりうまくいくなんて。
……いや、侍大本人なら、もっと喜ぶだろうな。
今度こそ、雷士に【本物の侍大】を抱きしめさせてやらないと』
***
数時間の旅の後、一行は小休止を取った。駕籠が止まるやいなや、侍大が飛び出し、士武めがけて突進した。
「じ、士武!どうしたんだ!?」
「話がある!緊急だ!大変なんだ!」
侍大は士武の腕をつかみ、自分の駕籠へ引きずり込む。周囲は困惑した面持ちで見つめるだけだった。女中たちが囁き合う。
『まさか旅先でもあの二人は喧嘩するつもり?大師堂様が同行しているのに?』
駕籠の中では、侍大が半ばパニック状態だった。
「士武、約束は破棄だ!もう元に戻ろう!」
「は?どうしたんだ急に?」
「な、なんでお前に言わなきゃなんねぇんだよ、バカ兄貴!!ただ……もう限界だ!お前のフリはごめんだ」
士武は侍大の赤面し神経質そうな様子に気づく。突然、悟った表情を浮かべる。
『待てよ……まさか……侍大、恋雨のことが好きなのか!?』
士武はこれまで二人が一緒にいる場面を思い返す。恋雨が近くにいる時、侍大が必ず赤面し、妙に緊張し、大人しくなることを思い出す。
『まさか……弟が幼馴染に片思いだなんて!可愛いじゃないか!兄として何かしてやらねば!これは立派な兄になる機会だ!』
「駄目だ、侍大。約束は約束だ。旅が終わるまで君は私のフリを続けるんだ」
侍大は士武の腕にしがみつき、半ば脅すように、半ば泣きそうになりながら訴える。
「約束もクソもねえよ、この野郎!!!俺……もう一日もお前のフリなんてやってらんねえ……」
士武はゆっくりと侍大の肩に手を置き、落ち着かせようとする。
「侍大、聞け。恋雨との接し方を教えてやる」
侍大がギクッとする。
『え……待てよ!?この変態兄貴が……自分たちの恋人同士のやり方を教えて、俺に【あれ】をさせようってのか!?』
侍大は顔を覆い、恥ずかしさのあまりしゃがみ込む。
「嫌だ!そんなのまだ早すぎるよ、このエロ兄貴!!俺はまだ純粋なんだ!!!」
「純粋な芝居だな、それ。いったい何想像してんだよ?変態はどっちだよ、まったく」
士武は侍大の頭にそっと手を置く。
「いいか、恋雨と話すのは確かに難しいかもしれない。あの子は真面目で冷静沈着だ。感情がないように見えるが、それは忍の修行のせいだ。橘子と接する時と同じように振る舞えばいい」
侍大はゆっくりと立ち上がる。この状態では、士武への対抗心も一時的に薄れている。
「俺が橘子と?ありえねえ!恋雨さんはあんな風に扱われたら許さねえよ。あの子はもっと……上品だ。橘子は男勝りだし」
「そういう意味じゃない。私と恋雨は、君と橘子のような関係だ。あの子の前で黙り込んでオドオドしてたら、正体がバレるぞ。そして君は(恥ずかしさで)死ぬ」
侍大は反論せず、ただうなだれる。
「覚えておけ、君は今『私』なんだ。普段なら私たちは日々の出来事や旅の話をする。
|恋雨は甘いものと雨が好きで、役に立つことが好きだ。
わざと間違ったことを言って、あの子に訂正させるのもいい。心底あの子はそれが好きなんだ」
侍大はまだ不安げで自信なさそうだ。
「わ……分かんねえよ、兄貴。俺には無理だ……」
士武は侍大の顔を両手で包み、真っ直ぐに目を見つめた。
「君ならできる! 滝から飛び降り、妖怪たちを倒した勇気があるだろう? 君は私より勇敢なんだろう? なら証明してみせてくれ。この双子の臆病者が誰なのか」
侍大は視線を逸らすが、心臓の鼓動が早くなるのを感じていた。
「わ…わかったよ。やってみる。でも…もし無理だったら、元に戻す。頼む」
「約束する!」
────
兄弟が駕籠から出ると、一行は昼食を取っていた。
女中たちが双子と雷士に給仕する中、恋雨は料理の手伝いをしている。
駕籠担ぎたちも食事後の休息中だった。
その時、仮面の侍が二人に近づいてきた。侍大が士武に耳打ちする。
「おい、バカ兄貴。あれ誰だ? 恋雨さんの忍び仲間か?」
「ああ、一面模宏殿のこと? いや、あれは侍だ。父上の直臣だ」
「直臣?」
「父上と早光家に仕える侍のことだ。足軽とは違う、正式な身分の持ち主だ。
偉大な侍には皆、祈跡先生や恋雨、炎嶽様、雷士の師匠である裏道殿のような直臣がつくものなんだ」
「俺のことを知りたければ、直接尋ねればよいのではないですか、侍大殿?」
侍大がぎょっとする。模宏は二人の囁きを聞き逃さなかったのだ。幸い、二人は手で口を覆っていたため、正体はバレずに済んだ。士武が即座に「侍大」の振りを再開する。
「あ、すみません、のり…模宏…さん。その…祈跡先生が説明してくれた時、ちょっと寝ちゃってたみたいで…」
侍大は士武を睨みつける。
『このバカ!!! みんなの前で言うなって!!そんなこと言ったら俺が怠け者みたいじゃないか! 俺のフリして馬鹿にしやがって!』
「いえ、全て私の不徳の致すところです、模宏殿。この愚兄が弟に貴殿のことを説明せず、まことに申し訳ありません。私は何と無能で、兄として恥ずかしい存在でしょう…!この無礼、切腹でお詫びすべきでしょう」
今度は士武が侍大に向かって目を剥く。
『こいつ!!!私はそんな話し方しない!私のフリして茶化してやがる!』
「あら、兄上、本当に説明してくれなかったんですね。悲しいなぁ、俺、傷ついちゃいましたよ。この硝子のような心が傷つきました。これ以上貶められたら泣いちゃいますよ」
「すまないな、弟よ。この無能で臆病者の兄さんは、口を開けば必ず駄言ばかり。生きてるだけで早光家の恥だ」
「そんなことないです。俺の方が恥ですよ。『一寸法師』すら満足に読めないんですから」
「何だって!? もう一度言ってみろ!!」
「聞こえた通りだ!!」
駕籠担ぎや女中たちは呆れ顔だ。
『自己否定でケンカ始めるって何!?』
双子は互いに飛びかかり、衆人環視の中で取っ組み合いを始める。女中たちは呆れて顔を手で覆う。雷士はそっと距離を取り、「知らない人です」という表情で恥ずかしがる。
「スケベ! 腰抜け! 甘えん坊!」
「泣き虫! 赤ん坊! ツンデレ!」
突然、模宏が刀を抜き、双子の間に投げつけた。
しかし刀が顔に届く前に、模宏は瞬く間に双子の背後に回り、箸で刀の先端をピタリと止めた。
侍大は衝撃で固まり、士武も驚きながらも何とか平静を保とうとする。 模宏は穏やかに語りかける。仮面の下で笑っているような印象だ。
「士武様、侍大様。
大師堂様と早光様から、お二人のことは全て聞いております。
大師堂様が周辺の偵察に出られた今、私がお二人の監督を任されております。
そしてお父上の名において申し上げます――この模宏の面前で、兄弟喧嘩は許さん」
***
数メートル離れた場所では、祈跡が斥候と話していた。彼らは進行方向とは逆の足跡に気づき、見つめ合う。
「では大師堂様、これは?」
「二つの可能性がある。単独の野盗か、あるいは――この足跡は偽物だ。生々しいから、本物なら犯人は近くに潜んでいる。だが偽装なら、わざと経路変更させておびき寄せる罠だろう」




