第十九幕:栄光と別れの朝
森を抜け、双子たちはようやく黄昇の城下町の門にたどり着いた。
門前の見張り小屋には、万純がもうひとりの年上の足軽と共に立っていた。士武と侍大の姿を見つけると、万純が嬉しそうに手を振る。
「おおっ、士武様、侍大様! お帰りなさい!どうでした? ちゃんとやり遂げたんですよね?」
侍大が得意げに、三つの徽章を掲げる。顔には自信満々のニヤケ顔、まるで大きな「へ」の字のような笑みを浮かべていた。
一方、士武は明らかに疲れ切っており、空腹のせいかほとんど無反応だった。
「当たり前だろ? ほら見ろよ。将来の早光家の後継が、こんな簡単な試練で失敗するわけねーだろ?」
「いやー、さすがです!ね、朔賭さん!俺の勝ちですよ!」
「……勝ち?」
もうひとりの足軽、朔賭がゆっくりと前に出てきた。彼は体格がよく、筋肉質な腕と角張った顔に、立派な口ひげを蓄えていた。
「おいおい、何が『勝ち』だ。お前、二人が昨日中に戻るって賭けたんじゃなかったか?」
「えーっ、それでもまだマシでしょ?朔賭さんは最終日ギリギリに戻るって言ってたんだから。だったら、俺の方が近かった分、半分くらい勝ちでよくないっすか?」
「なんだその定めは!? 最初にそんなこと決めてなかったぞ!俺たち二人とも外れたんだから、引き分けでいいだろ!」
「へぇ〜、一日で戻れるって思ってくれてたのか?」
「当然だろ? お前らは早光様のご子息だ。協力すりゃ、あんな訓練なんて朝飯前だと思ってたぜ」
その言葉に、侍大の目がキラキラと輝き、顔が自然と大きなニッコリ笑顔に変わった。ちょっと照れくさそうにしている。
それを横目で見ていた士武は、無表情のまま弟の反応に内心で呆れていた。
「まあ、言わせてもらえば……万純さんには事前に試練の詳細は伝えてなかったわけですし、実はそのうちのひとつは夜をまたぐ必要があったんです。だから、昨日中に戻るのはそもそも無理だったんですよ」
「でもね、ちょうど今の時間って昨日出発した時刻とほぼ同じですから、二十四時間以内に戻ったってことで、万純さんが賭けに勝ったってことでいいんじゃないですか?」
「ほら見ろ〜!士武様もそう言ってるぞ?さすがにご本人の前で否定はできないでしょ〜?」
朔賭は渋々、懐から小銭を取り出して万純に渡した。
「ちっ……。ほらよ、五文な。……で、侍大様、徽章を確認させていただきます」
侍大はまだニヤニヤしながら徽章を手渡す。一方で、士武はその浮かれ顔に冷たい視線を送っていた。
「……うん、確かに。祈跡様から聞いていた説明通りですね。では、おふたりとも、おかえりなさいませ」
――――
黄昇に再び入ると、双子は籠に乗って屋敷へ戻った。
そして、彼らを出迎えたのは――盛大な朝食であった。
侍大は普段通りのラフな姿勢で食べ始める。
士武はまだ疲れが残っているのか、ゆっくりと箸を動かしていた。
やがて、大師堂祈跡が部屋に入ってきた。
それを見た侍大は、すっと姿勢を正し、急に行儀よくなって箸を口に運ぶ。
「ふむ、思し召し以上に良き成果を得たようで。さて、両君は……和解されたかな?」
祈跡の問いに対し、侍大は言葉に詰まり、そっと士武の方をちらりと見る。
だが、士武はほとんど夢遊病者のようにぼんやりと朝食を口に運んでおり、祈跡の言葉にも気づいていないようだった。
「ええと、先生……少なくとも、もう……あいつを殺そうとは思わなくなりました。……これで、十分でしょうか?」
祈跡は目を細めてうなずき、士武に視線を向ける。
「士武殿。貴殿の見解も聞かせていただけますか?」
士武はその言葉でようやく目を覚ましたように、ぼそりと返事をする。視線はまだ下がったままで、疲労が色濃く残っている。
「祈跡先生が授けてくださった三つの徽章――その中のひとつは『忍耐』でした。先生が教えてくださった通り、物事にはしかるべき時機というものがあります」
「だから、侍大君がすぐに私を好きになったり、敬意を持つようになるなんて……そんなふうに期待するのは、まだ早すぎると思います」
「でも……試練を通じて、彼が私を仲間として受け入れてくれたのなら、今はそれだけで十分です」
士武は再びゆっくりと汁をすする。侍大は「君」と呼ばれたことに軽く頬を染めるが、それよりも兄が自分のことを気遣ってくれたと気づき、静かにその思いを受け取った。
「……はい、祈跡先生。俺は、兄上に勇気ってものを教えてやって、兄上は俺に信頼ってもんを教えてくれました」
「別に仲良しじゃなくても……兄上として力を合わせることはできると思います。俺……これからは、もっと侍らしく振る舞うつもりです」
祈跡は目を細め、深く頷いた。
「士武殿、侍大殿……正直、私はもっと苦戦するかと思っておりました。貴殿らの不和と協調不足が障壁になると危惧しておりましたが――見事に、その不安を払拭してくれました」
「貴殿らはまさしく、早光家の血を継ぐ者。誇りに思います。勝侍殿にもすぐに報告いたしましょう。きっと、あの方も喜ばれることでしょう」
侍大はその言葉に目を潤ませ、あわてて涙をこらえようと顔をそむける。士武は静かに食事を続けたまま、弟には何も言わなかった。
「さて――今日はゆっくりと休むがよい。何しろ、間もなく侍大殿の武士学園での初日が始まりますゆえ。この試練もまた、立派な修練であったのですからな」
祈跡が席を立ち、ふたりに一礼して部屋を出ようとする――だが、ふと足を止め、後ろを振り返る。
「……そういえば、侍大殿。貴殿のご友人、橘子についてですが……ひとつ、向き合うべき問題があるようですな」
侍大は顔色を失い、慌てて立ち上がる。
「……え? き、橘子に何が?」
「ふむ、それは直接本人から聞くとよいでしょう。ただ――この屋敷の奉公人としては、少々不適切な振る舞いをされておるようです」
「は、はぁ……?」
────
食事を終えると、侍大はすぐに使用人の部屋へ向かった。
座敷に着くと、正座した橘子がしょんぼりと頭を垂れていた。
「橘子、大丈夫か!? 何かあったのか?」
「……あっ、ジオ! う、うん……それが、その……」
年長の女中・千代が横から口を挟む。
「若様。この娘は、奉公人としてまったく使いものになりません。一日で飯を焦がし、魚も台無しにし、食膳をひっくり返し、挙句の果てに、ふんどしまで裂いてしまう始末です」
侍大は呆れた顔で橘子を見るが、彼女は気まずそうに視線を逸らしていた。
「……ちょっと、ふたりきりで話してもいいか?」
侍大は橘子の腕を取り、そっと部屋を離れる。
ふたりが廊下を通り過ぎるその姿を、廊下の奥から、雷士がじっと見つめていた。
やがて、ふたりは部屋に入り、侍大は静かに戸を閉めた。
「橘子……」
「なによ? あたし、料理なんてやったことないし、家事も全部初めてなんだから!」
「でも……わざと失敗したんじゃないのか?」
「はぁ? ジオ、あたしのこと信じてないの?」
侍大が真剣な眼差しで橘子を見つめると、彼女はふてくされた顔でため息をつく。
「……ったく。あたしはキツネなんだよ?人間の生活様式に馴染めるわけないじゃん。それに、変化が解けたらすぐバレるし、また変わるには少し時間かかるの」
「もし本当にお前の家の使用人として働く気があったとしても、すぐバテちゃって、いつか誰かの前で元の姿に戻っちゃうよ」
侍大はしょんぼりと床に座り込み、目を伏せる。
「……じゃあ、これからどうするつもりなんだよ」
「いつも通りよ。森で暮らして、気が向いたら会いにくる。あたし、いつも一緒にいなきゃいけないわけ?」
侍大は小さな声で、そっぽを向いたまま呟く。
「……最初からずっと一緒にいてくれたら……俺、一人であんなに長いこと……生きなくてよかったのに」
橘子は一瞬目を見開き、そしてそっと彼の膝の上に座り、両腕を彼の首に回してじっと見つめる。
「……ごめんね、ジオ。でも、妖怪の世界にも色々事情があるの。信じてほしいけど……あたしだって、あんたと一緒に裏町で暮らしたかったよ。一応、妖怪の中ではあたし、ちょっとは大事な立場にいるんだからさ」
「……わかった。でもさ、もっと頻繁に会いに来てくれるって、約束してくれる?」
「はいはい、わかったわよ、泣き虫ジオ」
ふたりは見つめ合って微笑み合い、額をそっと合わせる――
その瞬間、扉が勢いよく開く。
「侍大、風呂のお湯がもう――……」
士武が入ってきて、ふたりの姿を見た瞬間に真っ赤になり、鼻血を噴き出して戸を慌てて閉める。
「ご、ごめん! 邪魔するつもりはなかったから!!」
侍大と橘子は、その場に固まったままぽかんとしばらく見つめ合い、そして何事もなかったように立ち上がった。
「……で、兄とは仲直りできたの?」
「……まあ、なんとなく」
侍大は顔を赤らめ、そっぽを向いたまま口ごもる。
「少なくとも……思ってたより悪いやつじゃないってわかったよ……」
橘子はクスッと悪戯っぽく笑う。
「でもさ、あいつは相変わらずスケベじゃん。絶対ふたりきりにはなんないでね、ぜったい!」
「ふーん……ジオにはもう、あたしはいらないってことか」
「え? な、なに言ってんだよ! いるに決まってるだろ!」
「でもさ、今のジオにはサムライのパパもいるし、いい兄弟がふたりもいるじゃん」
「ふたり?」
「え? ライトのこと、もう忘れたの?」
侍大はしばらく考え、ポンと手を打つ。
「…………ああ、あの小奇麗なガキか。あの女の息子か………てか、ほとんど出番なかったから忘れてたわ」
「……ジオ、あんたってほんとバカね」
橘子はそっと侍大の耳元に近づき、ひそひそ声で囁いた。
「でもさ、ジオ。あんたの親父の女……あの女には絶対に気を許しちゃダメよ。あいつは……危険だから」
侍大は戸惑った表情を浮かべる。橘子が誰かに対してこんなに真剣な顔を見せるのは初めてだった。
彼女は障子の方へ向かい、背を向けたまま言った。
「ジンと気が合わないなら、ライトと仲良くしてみなよ。あんた、きっと彼のこと気に入ると思うよ」
「……次、会えるのはいつ?」
「すぐだよ。あんたが油断した頃に、ひょっこりね」
――――
そう言って橘子は屋敷の門へと歩いていく。
門の前では雷士が待っていた。手には小さな箱を持っている。
「はい、橘子ちゃん。僕、おにぎりを作っておいたから。道中に食べてね」
「ありがと、ライトくん♡」
ふたりは見つめ合い、クスクスと笑い合う。
「じゃ、ふたりだけの秘密は……ちゃんと内緒にしとこ?」
「もちろん。あんたの親父に知られたら、あたしが狩られちゃうもん」
「それに……今度は士武兄さんと侍大兄さんも誘ってみようよ。四人なら最強の組み手になれると思う」
「……まあね。もしジオにバレたら、今度はあいつがあたしを殺しに来るわ」
橘子はにやっと笑いながら手を振り、門を後にする。雷士も微笑みながら、静かに手を振り返した。




