お祖母ちゃんの顔を見に 関所を越えたい娘さん
とある国の辺境伯領に、一人の若い娘が現れた。
国境を越えようとする彼女を、関所番が押しとどめる。
「娘さん、悪いことは言わない。
今、関所の向こうは魔獣の活動が盛んになっていて、一人旅の者は危険すぎて通すわけにはいかないんだよ」
「あら、困ったわ。
旅費に余裕が無くて、戻るにも……」
「それなら、辺境伯様の館を訪ねるといい。
お力になってくださるだろうから」
「ありがとう。そうしてみます」
「ごめんください。関所番の方から、こちらを訪ねるように言われたのですが、辺境伯様にお目通りはかないますか?」
辺境伯の立派な屋敷には門番がいなかった。
娘は、草ぼうぼうの庭で素振りをしていた男に話しかける。
「僕がお尋ねの辺境伯です。何かご用ですか?」
「嘘!」
「いや、嘘って言われても本当なんだけど……」
「辺境伯様と言えば、マッチョなナイスミドルと相場が決まっているはずなのに……」
「市場違いです」
「それは失礼いたしました。
実は一人旅では関所を通せないと言われまして困っています」
「冒険者ギルドでCランクのパーティーか、Aランクのソロ冒険者を雇えば通れますよ」
「それほどの持ち合わせはありませんので、何かこの辺で仕事を探さないと」
「街には商業ギルドもあります」
「それは、ご親切にありがとうございます。
……時に、辺境伯様はお金持ちでしょうか?」
「強盗の下調べ的な質問でしょうか?」
「いいえ、滅相もございません。
こちらのお庭が草ぼうぼうですので、ここを手入れしたら幾らかになるのでは、と思っただけで」
「なるほど。実は、僕は辺境伯になったばかりで、まだ誰も雇っていないんです。
あなた、メイド仕事は出来ますか?」
「メイドはやったことがありませんが、暮らしに必要なことは一通りいたします」
「ならば、二か月、ここで働いてもらえませんか?
それで、だいたい、護衛を雇うのに必要な金額の給金を、お渡しできるかと」
「それは、ありがたいです。よろしくお願いします」
草刈りは後回しにして、娘は屋敷の中に案内された。
広く、しっかりした造りの屋敷の中は、しばらく空き家になっていたらしく薄っすらと埃を被っている。
「僕は、前の辺境伯と縁戚なのです。
辺境伯が亡くなって、しばらく代官が治めていたのですが、僕が跡継ぎに指名されまして」
王都の学園で騎士科に通っていた彼は、卒業と同時に辺境伯に任命され、赴任してきたという。
「ペーペーの騎士が辺境伯だなんて期待外れもいい所ですね。
僕自身、特別強いというわけでもないので、自信は全く無いんですが」
「いえ、わたしのほうこそ勝手な思い込みでした。済みません。
それから、冷静な方が辺境伯に就かれるのは、良いことだと思います」
「ありがとう。実力不足は慎重さでカバーするよう心がけます。
あ、部屋はここを使ってください。
僕の部屋と隣り合わせでは、不味いですか?」
「いえ、使用範囲を広げると隅々まで掃除しなくてはいけませんし、手が回りません。
生活優先で最低限の面積を確保するほうが、いいと思います」
「賛成です。一応、内鍵を確認してください。
では、使用する部屋は寝室が二つと台所とパントリーに小食堂、風呂とトイレ、でいいのかな?」
「そうですね。そのくらいなら、今日中に片付くかと。
食事の用意はどうしますか?」
「今日は掃除優先で。昼食はパンとチーズがあるので、それで済ませましょう。夕食は街の食堂で、ご馳走しますよ」
「まあ、ありがとうございます」
寝室として使う二部屋は、実は使用人用の部屋だ。
主寝室やら書斎やらは二階にある。そこだと階段を使うことになり、掃除範囲が広がり過ぎてしまう。
彼は質実剛健が主義のようだ。
「ところで、国境を越える理由を聞いてもいいですか?」
辺境伯本人も手伝って最低限の掃除を済ませた二人は、地元で人気だという食堂に来ていた。
「もちろんです。
実は、隣国に住んでいる祖母を訪ねたいと思いまして」
「お祖母様はどちらにお住まいで?」
「隣国の、とある公爵家の別邸にお世話になっています。
前夫人の侍女をしているのです。
高齢ですので、一度様子を見に行くよう両親から頼まれまして」
「つかぬことを聞きますが、お祖母様は平民ではないんですか?」
「ええ、少々込み入った話になりますが」
「差し支えなければ教えてください」
「はい。父の生まれは伯爵家だったのですが、やらかしまして平民に」
「何をやったんです?」
「卒業パーティーで婚約破棄を」
「定番ですね」
「ええ。それで父は伯爵家から追い出されました。
でも、母も生家の男爵家を出て父について行ったのです」
「別に、婚約者の座をかすめ取ろうとかいう話ではないんですね」
「そうらしいです。
真実の愛かどうかは知りませんが、まあまあ純愛と言っていいかと」
「羨ましい」
「そうですか?」
「真っ当に生きてると、なかなか巡り合う機会すらないので」
「あら」
「いや、話が逸れてしまいましたね。それで?」
「はい、父の実家の伯爵家は弟であるわたしの叔父が継ぎまして、問題なく存続できたのです。
父の婚約者だった方も、そのまま叔父に嫁いだので慰謝料の請求も申し訳程度だったとか」
「何か裏事情がありそうですが、詮索は止めましょう。
本筋に戻りますと、お祖母様は元伯爵夫人というわけですか」
「はい。それと祖母の実家は侯爵家でした」
「しっかりしたご身分ですね」
「隣国の前公爵夫人という方は、若い頃、この国に留学に来られたそうです。
たまたまクラスメートになった祖母と非常に気が合ったらしくて。
卒業後も長らく文通を続けていたと聞いております。
それで、祖父が亡くなった後、暇を持て余していた祖母を侍女として誘ってくださったのです」
「素晴らしい友情ですね。
……それで、貴女のご両親は今どうしていらっしゃるんです?」
「街道沿いの小さな村で、食堂をやっています。
村に一軒しかない店なので、長い休みは取り辛いのです。
それで、わたしに行って来いと」
「元伯爵家の嫡男が食堂のオヤジさん、ですか?」
「はい。そもそもの両親の出会いが、教会の炊き出しの手伝いだったそうです。実家が裕福ではないせいで家事が一通り出来た母が、料理の仕方を父に教えたのだとか。
その後、学園内で顔を合わせて急接近したらしいです」
「素敵な馴れ初めです」
「ありがとうございます。
父は出会いのきっかけになった料理に興味を持ち、平民になったことだし、と高名なレストランで修行をしようとしたのですが、軒並み断られたそうで」
「どうしてですか?」
「レストランの厨房で働こうという平民は、遅くとも十二歳くらいまでに見習いの修行に入るのが普通なようで。
学園も卒業して、成人と認められる年齢では鼻で笑われるだけだったとか」
「足切りにあったわけですか」
「それでも父は諦めず、日雇いで凌ぎながら、なんとか雇ってくれるところを探して、どんどん田舎に移って行き、とうとう見つけたのが、今の店の元オヤジさんで」
「素晴らしい根性だ」
「頑固オヤジ一人でやっていた食堂で下働きから始め、修行の結果、店を継ぐことになったのです」
「その後、頑固オヤジさんは?」
「そのまま、一緒に暮らしています。
年齢的に無理は出来ませんが、まだまだ舌はお前より確かだと言って、よく父と喧嘩しています。
わたしは、生まれた時から可愛がってもらっていて。
少しは厳しくしないと、と父が文句を言うので、それでまた喧嘩になってました」
「素敵な家族ですね」
「自慢の家族です」
そうして娘は辺境伯の屋敷で働き始めた。
「お早うございます」
「お早う。早いですね」
「今日からメイドですから。朝食は鍛錬の後でよろしいですか?」
「ええ、お願いします」
騎士の心得として、身の回りの一通りは出来る辺境伯。
洗顔の水を運んだりといった手間は必要ない。
メイドになった娘が、忙しく立ち働いていると表から話し声が聞こえて来た。
「済みません、朝食を一人分追加できますか?」
「はい、大丈夫ですよ」
来客の予定もないため、表玄関は締めてある。
通用口から戻って来た辺境伯は、娘が無意識に描いていた辺境伯像に近いマッチョなナイスミドルを連れていた。
「いきなりお邪魔して申し訳ない。
私は、辺境伯騎士団をまとめている者です」
「これはご丁寧に。
わたしは臨時でメイドに雇っていただいた者です。
よろしくお願いいたします」
「これは、しっかりしたお嬢さんですね。
いやいや、広い屋敷で一人で生活する辺境伯様を心配していましたが、安心しました。
何も土産が無かったので、家で採れたリンゴを持ってきました」
「まあ、ありがとうございます。
まだ、野菜や果物の用意が無いので、ありがたいです」
「三人で一緒に、食事が出来るだろうか?」
「メイドのわたしが同席しても、よろしいのですか?」
「機密事項なら、騎士団の執務室で話しますからね。
少々、世間話でお近づきになりたいですな」
朝食は買い置きのパンとチーズ、そして昨日の食堂で分けてもらったハム。
お茶を淹れ、リンゴを出せば立派なメニューが出来上がる。
「同じ料理でも、こう、綺麗に並べてもらうと味が違いますな」
「彼女は実家が食堂だったそうだ」
「はい。料理の腕は人並みですけど、盛り付けには少々自信があります」
彼女の母親も貧乏とはいえ元貴族。見栄を張るための底上げ技術はちょっとしたもの。
食堂で手伝いながら、娘もそれを受け継いだのだ。
そうこうしているうちに二か月は瞬く間に過ぎた。
給金は十分にもらえたが、魔獣の活動は更に活発化しており、雇いたくとも護衛を引き受ける者がいなかった。
「どうしましょう」
「とりあえず、もう少しだけ様子をみましょう」
娘との生活が気に入っている辺境伯は、引き留めることにした。
そして更に一か月後、関所の向こうでは信じられないことが起こった。
なんと一夜にして、魔獣が消え去ったのだ。
報告を受けた辺境伯が、軍を率いて確認に行く。
すると、関所を越えて、やってくる馬車があった。
「あれは、隣国の公爵家の馬車!?」
お供を大勢引き連れた豪勢な馬車から降り立ったのは、二人の年配の貴婦人である。
「もう、国境の向こうに魔獣の脅威はありません。
安心してお通りなさい」
「貴女は、前公爵夫人でしょうか?」
「いかにも」
「では、もうお一方は、食堂の娘さんのお祖母様?」
「まあ、孫を御存じ?」
「今、僕の屋敷でメイドをしてもらっています」
「そうなのですね。
実は、わたしも歳が歳ですから祖国に帰ろうかと思いまして。
ところが、国境には魔獣が増えるばかり。
それで、教会で女神様に、何とかしていただけないか毎日お祈りしたのです」
「ええ、わたくしも一緒に毎日、教会に通ったの。
そうしたら、ある日、お告げがありました」
『祖国を思い、家族を思うその心尊し。
二人に一度きりの、浄化の力を授けましょう』
お告げを受けた二人は、国境を目指し、そこで浄化の力を使い、魔物を殲滅した。
「なんとそれは。女神様にも、貴女方の祈りにも、感謝を捧げなくては」
「では、わたくしはこれで。
しばらくは浄化の効果が続くでしょうから、安全なうちに帰るわ」
「お気をつけて、お帰りください。
総員、この度、聖女の役を立派に果たされた淑女方に敬礼!」
前公爵夫人は、辺境伯軍の堂々たる見送りに気を良くして帰っていく。
辺境伯は、老婦人を連れて、屋敷に帰った。
「お祖母様! ご無事でお帰りになったのね」
「わたしに会いに来ようとして、随分苦労させたわね。
ごめんなさいね」
祖母と孫は、久しぶりの再会に固く抱き合った。
「さてと、かわいい孫に会えたところで、少し休ませていただけるかしら?」
「もちろんです。ただ、今のところ使用人が足りないので狭い部屋になりますが」
「急に訪ねて来てご厄介になるのです。もちろん、構いませんわ」
「急いで一部屋お掃除してくるわ」
娘は慌てて走っていく。
「ところで辺境伯様、二人暮らしのようだけど、あの子とは、そうなの?」
「とんでもない! まだ、手も握っていませんよ」
「まだ?」
「あ、はい。もう少し二人きりだったら、危ない所でした」
「ホホホ、正直で結構。あの子もまんざらでは無さそうだけど」
「そうなのでしょうか……」
翌日のこと。
「ごめんください!」
屋敷を訪ねて来た者があった。
「はい、どちら様……って、お父さん?」
「お母さんもいるわよ」
「どうしたの? 食堂は?」
「それが聞いてくれよ。
村にチェーンの食堂が進出してきてな。
安くて、まあまあ旨いもんで、客を全部取られちまったのよ」
「まあ、おじいちゃんまで」
「あの村に居ても、しょうがないんで、皆で次の商売をする土地を探そうと思ってな」
「どうせ馬車で旅に出るなら、あなたを拾いに行こうって話になったのよ」
「なんの騒ぎ?」
「母さん!」
「おかあさま!」
「おい、この別嬪さんが、お前のお母様かい?」
「あらあら、別嬪さんだなんて嬉しいこと、どうぞお上がりになって。
って、あら、わたしも居候の身でしたわね」
とりあえず、前日に祖母のため、娘が掃除した居間が役に立った。
皆でそこに落ち着いて、お茶を飲む。
「母さんは、伯爵家に帰るつもりなのか?」
「いいえ。あの子は手紙一通寄こしはしなかった薄情な息子だもの。
わたしが会いたかったのは、あなたたち家族なのよ」
「おかあさま、駆け落ちしたわたしたちを本当に許してくださるのですね」
「許してあげるから、わたしが死ぬまで面倒を見てちょうだいね」
「もちろんですわ」
「……儂も一緒でかまわないのかね?」
「わたしのほうが新参者ですもの。
よろしくお願いしますわ、おじいさま」
「こりゃこりゃ、ご丁寧にどうも」
「おじいちゃん、真っ赤だわ」
「ちょっと、お水を持ってきてあげて。血圧が心配だわ」
「年寄り扱いすんじゃねえよ。まあ、年寄りだけどさ」
辺境伯はすっかり呆気に取られていたが、はっと気を取り直す。
「では皆さん、しばらくはこの屋敷で暮らしてください。
部屋はたくさんあります。掃除すれば使えますので」
「まあ、よろしいのですか? それでは、お言葉に甘えて」
こうして辺境伯の屋敷は、いきなり賑やかになった。
その後、娘の父親は騎士団の食堂のオヤジとなり、母は辺境伯屋敷の家政婦に就任した。
そして、一家の住まいは相変わらず、辺境伯屋敷である。
「なんだか、僕のほうが間借り人みたいです」
「申し訳ありません」
「賑やかなのは好きですよ」
辺境伯と娘は、どんどん距離を縮め、今では手を繋いで散歩する仲だ。
「よかったら、そろそろ婚姻しませんか?
そうして、もっと賑やかな家族を作りましょう」
「まあ、辺境伯様ったら」
「嫌ですか?」
「嫌なわけありません!」
イチャつく孫たちを、屋敷の東屋から見守るのは、祖母と偽祖父。
「若いっていいわねえ」
「貴女も、まだまだお美しいんだから、羨むことはねえでしょう」
「あら、お上手ね」
と、こっちもそれなりにイチャついていたのだった。