06「《護人》継承」
「届睦の着替えなら、私が付いて来ることなかったじゃない」
激痛を訴える頭を抱えながら、美護はささやかに抗議してみた。壮護はギロリと睨みを返す。
「それだけじゃないから、お前も引っ張ってきたんだ」
「じゃあ、何があるのよ」
壮護は娘の腕を引き、部屋の前から離れた。廊下の角に隠れ、声を潜める。そのただならぬ様子に、神経がざわついた。
「何?」
「……顔合わせだ。俺は他の奴らと、客間で待ってる。届睦と一緒に来い」
「《シキンドウ》の? 待って! まだ三日しか経ってないのよ? 早過ぎる。父さんだって、そう言ってたじゃない!」
「《集め屋》の御意志だ。従わねばなるまい?」
「あの野郎ッ……!」
苛立たしげな舌打ちと共に、吐き捨てる。
また拳骨が飛んでくるかと警戒したが、壮護は宥めるように肩を叩くだけだった。
悲しみの色が、瞳に映っている。
「届相がいなくなって、俺ももう引退だ。全てを、お前に託す。今日から《護人》はお前だよ、美護。頼んだぞ」
「父さん!」
美護の呼び掛けは、悲鳴に似ていた。
狼狽と不安を両手に抱えたまま、父の腕に縋る。
壮護は一度優しく娘の頬を撫で、次いで、軽くその頬を打った。
乾いた音が、廊下に染み入る。
「しっかりしろ。《シキンドウ》と離れて育った届睦にとって、頼りはお前しかいないんだ。情けない顔するな、それでも《護人》か?」
「あ……」
「大丈夫、俺にだってできたことだ。しっかりアイツを導いてやれ。届相にも、頼まれただろう?」
「うん」
「一二代目へ、先代より命ずる。
三六代目《見届け屋》を、導き、己の命を賭しても護り抜け。それが、我ら《護人》の使命。
……良いな?」
うっすらと濡れた双眸が、父を見つめる。
壮護もまた、逸らすことなく娘を見つめた。
彼女の瞳に、一刻ごと決意の色が増していくのを、静かに見守る。
思い返せば、美護が息子でなかったことを恨んだ日もあった。
どんなに武芸の道を極めても、男女の間には決して埋めることのできない身体的格差がある。護衛役である《護人》には、女だということが致命的であった。
しかしそれよりも、可愛い娘の小さな手に、花や人形ではなく、竹刀や傷しか与えてやれないことが苦しかった。
武術の腕が上がっていくのに比例して、美しさを増していく美護を見るのが辛かった。
壮護の心を知ってか知らずか、美護は一度も《護人》を継ぐことに不平を漏らしはしなかった。
そして、立派に後継者として育ち、壮護の前に立っている。
美護は掴んでいた腕を放し、脇に揃えた両の拳をきつく固める。
凛と美しく立つ彼女の口からは、やはり同じ美しさを纏った声が奏でられた。
「一一代目《護人》鞍馬壮護が一子、美護。一二代目《護人》の任、謹んで承ります」
もう一度強く壮護を見、深々と礼をした。
「……うむ」
短く答え、壮護は一人客間へと足を運ぶ。
無人の廊下を渡っている内、頬に熱い物が伝うのを感じた。
中庭に面した窓からは、切り取られた青い空が見えた。
「届相、動き出したぞ」
今は亡き親友に語りかける。彼は、あの青空に辿り着いただろうか。
そうであることを願い、壮護は先を急いだ。
「何やってんの? そんなとこで」
着替えを終えて部屋から出てきた届睦の前には、廊下に正座した状態の美護がいた。
危うくドアをぶつけそうになったが、慌てたのは届睦だけで、彼女は真顔を崩さなかった。
慎重にドアを閉めて振り返ると、美護は恭しく頭を下げた。額が床に付きそうなくらい、深々と。
「え? 土下座?」
救いを求めて左右を見回すも、壮護の姿はなかった。
「お迎えに上がりました、我が主」
平伏した彼女から発せられた声は、くぐもっていたはずだが、届睦の耳には鮮明に届いた。
「美護……?」
届睦の声に応えて、彼女は顔を上げる。真顔というよりは無表情に近く、彼は背中に冷たい氷が滑るのを感じた。
「何なんだよ」
「先程、父より継承致しました。
一二代目《護人》鞍馬美護、三六代目《見届け屋》深見届睦様を、我が生涯と命を懸けてお護りすることを、ここに誓います。どうぞ、お傍に使えることをお許し下さいませ」
「はい?」
「お許しを、届睦様」
軽く会釈をし、美護は口を閉じた。じっと届睦の返事を待つ。
度重なる直面したことのない事態に、届睦の頭は混沌と化していた。
そのようなケースでは、大抵の場合、思考はトンデモナイ所に行きつくものだ。
このように。
「えっと、メイドプレイ?」
言い終わるが早いか、美護のすらりと伸びた足が、届睦のそれを払った。
いわゆる、足払いだ。
後ろから払われて、届睦はなす術もなく転倒した。磨き上げられた床は、ただでさえ滑りやすいのだ。
派手に床を軋ませて尻もちをつく。
「いってぇー!」
「やかましいわ、このボケーッ!」
続けて怒号と平手打ちが、彼を襲う。
「美護がいきなり『我が主』とか『お許し下さい』とか言うからだろー!」
「当たり前だ! 《見届け屋》は《護人》の主! 二十一年間大切にしてきた御役目の第一歩を、お前はーッ!」
「やめろ、死ぬー!」
「メイドプレイだと! やっぱり破廉恥じゃないか! 一遍死んでこい!」
届睦の防御を無視して、美護は遠慮なしに拳を叩き込む。
彼女は《護人》として、少々立派に育ち過ぎたようだ。荒ぶる闘争心が、主までをも襲ってしまっている。
この時、客間で壮護が頭を抱えていたことを、彼女は知らない。
「お前を気遣った私が馬鹿だった! ほら、とっとと行くぞ!」
「ぐえっ!」
ネクタイをわしづかみにし、リード代わりに引っ張った。主従逆転である。
「行くって、どこへ?」
これ以上転倒しないよう、必死に美護についていく。
届睦は首の自由が利かないのは、かなり不便であることを知った。生きていく上で活用される可能性が極端に低そうな知識だが。
「《シキンドウ》の奴らが、客間に来てる。顔合わせだとよ」
当初の予定になかった、《護人》の引き継ぎ場面です。
《護人》に関しては、初めは存在すらなく、できてからも設定が二転三転しています(^_^;)
でも、結果的にはこれで良かったかなと。美護の暴走は書いてて楽しいです(笑)
次回、《シキンドウ》残りの面子が出揃います。お楽しみに☆