05「葬儀での一戦」
一様に黒い服を身にまとった人々が、家の中へ吸い込まれていく。
ある種異様とも見えるその光景が、届睦の眼に映されては流れていった。
ちらちらと彼を窺う目もあったが、彼はマネキン人形のように微動だにせず、立ち尽くしていた。時折吹く生温かい風が、サラサラ髪を揺らすだけである。
「届睦」
参列者と同じく漆黒のパンツスーツに身を包んだ美護が、静かに寄り添う。
だが、その声は届睦には届かず、腕に触れられてようやくこちらを見た。
「ごめん、ボーっとしてた」
どこか、自嘲めいた笑みを浮かべる。
普段ならば周りを和ませるはずの笑顔に、今は鈍い痛みを覚えた。
「……無理して、笑うなよ?」
――こんなことを言っても無駄だとわかっているのに、どうして言葉にしてしまうのだろう。
美護は、前日の行動とも合わせて、自分に嫌悪感を抱いた。こういう時こそ、いつものように厳しく叱った方が良いのか。己がすべきことを判断しかねて、何とも動けない。
「『泣くな』の次は『笑うな』かよ。めんどくせぇな、美護は」
「ごめん……」
彼女は返す言葉など持ち合わせておらず、それきり黙り込んだ。
髪を下ろしてくるべきだったと、今更後悔する。そうすれば、この情けない顔を見られずに済むのに、と。
美護は届睦に背を向け、黒い人波に紛れようとした。一歩踏み出した瞬間、背中に届睦の声が弾ける。
「父さんが死んだ時のこと、気にしてんだろ」
届相が逝ってから今日で三日経つが、あの日以来、美護は極端に届睦との接触を避けていた。彼でなくとも、傍から見ていれば誰もが気付く。
それでもハッとして、届睦を振り返る。
軽く投げ掛けられた言葉が、彼女には信じられない程の重みを持って響いた。
唇が細かく震え、今にも泣きそうになる。必死に堪えようとしても、涙がじわじわと視界を冒していった。
「責めるつもりは、ないんだ。っていうか、ちょっと感謝してる。美護があそこで暴れてくれなかったら、俺、ずっとストレス溜めこむ羽目になったかもしれないから」
届睦はそう言って、美護の頭をくしゃくしゃと撫でる。手は冷え切って、力無かった。ともすれば崩れてしまいそうな程、頼りない。
儚げに浮かべる笑みもまた、頼りなかった。恐らく、意識しての笑顔ではないのだろう。人生においては、笑うしかない状況というものが、確かに存在するのだ。
「ごめん、届睦。泣かないって、決めてたのに。私は《護人》だから、お前を守らなきゃならないのに。なのに、傷付けて、挙句に自分が傷ついた風に泣いて……。ごめん、最低だ、私」
黒いスーツに撥ねた涙は、彼女を彩る宝石のようだった。陽の光を浴びて、虹色に煌めく。
――こうやって大人しくしてれば、可愛いのになぁ、美護は。
意地の悪いことを考えて、フッと笑いが漏れる。
喜怒哀楽が激しい点が、美護の短所であり、長所でもあった。それに振り回されたこともあるし、救われたことが幾度もある。今回は後者であった。
「俺の代わりにいっぱい泣いて。俺が泣くと、きっと父さんは心配するから」
「うんっ……」
自然に。
そう、ごく自然に。無意識といっても良い。
届睦は、泣きじゃくる美護を抱き寄せた。
悲しいことに武芸や力技では彼女に及ばないが、身長は勝っていたので十分包んでやれた。
むず痒い幸福感が届睦の心に芽生えた刹那、鳩尾に鈍痛が芽生えた。
危うく胃の中身が逆流しかねない衝撃であった。
小さな小さな幸福の芽は、あっという間に枯れ果ててしまった。
原因はもちろん、「両手両足を縛りあげて、黙らせておけば美人」な美護嬢の繰り出した拳である。
残念だが、届睦は彼女の四肢を拘束し忘れてしまったのだ。
「ごふっ!」
低い呻きを吐き出して、地面に崩れ落ちる。その頭にさえ、容赦なく手刀が直撃した。
「がっ!」
「届睦てめぇ何しやがるっ! 私はお前をそんな破廉恥な野郎に育てた覚えはない!」
できることならば「お前に育てられた覚えはない」と言い返してやりたいところだが、実際、男所帯の深見家で家事を担ってくれていたのは、美護である。母代わりである彼女に、そんなことは決して言えなかった。悔しいが、ぐっと飲み込んで痛みに耐える。
「破廉恥って、別に俺は」
「文句あんのか? 上等だ、言ってみろ!」
顔に朱を散らした美護が叫ぶ。
先程のしおらしさはどこへやら、涙もすっかり乾いていた。
「別に、美護のことそういう目で見てないし」
サラッと言ってのける。
届睦としては「家族として見ているから」という意味だったのだが、見事に誤解を招いた。
空気が帯電し、本能的に危険を察知するも、回避が間に合わない。
先の尖ったデザインのバンプスが、ガラ空きの脇腹に喰い込んだ。
「どうせ私は男女だっ! 私が男女なら、お前は女男だ! 湿気たツラしやがって! 男が情けねぇ顔を見せるなっ!」
勢いで罵られている当の本人は、依然地面に這いつくばって悶えていた。脇腹クリーンヒットは、いくらなんでもキツかったらしい。
もがいたせいで、喪服が白く霞がかっている。
「何やっとるんだ、馬鹿娘!」
届睦の前に勇ましく仁王立ちしていた美護の頭上に、壮護の拳骨が降り注ぐ。思わず目を背けたくなる鈍い音が、周囲に響いた。
脊髄に電流が走ったような痛み。
美護も地に伏せ、二人は仲良くそろって痛みに呻いた。
そして、そろって首根っこを掴まれる。
「まったく、ここは葬儀の最中なんだぞ? ぎゃんぎゃん騒ぐな、場をわきまえろ! 届睦も、コイツが暴走せんように抑えておけよ」
「ごめんなさい」
ぶら下げられた二匹の子猫が謝ると、壮護は彼らを家の中へ押しやった。
人目を避けるように、奥へ奥へと進んでゆく。
「壮護さん、どこ行くんですか? 戻らないと」
「葬式の方は、下っ端と葬儀屋に預けてきた。」
「下っ端?」
「うむ」
そういえば、届相の部下らしきサラリーマン風の男たちが挨拶に来ていた。呆けていてほとんど印象に残っていないが、後で礼を言っておかなければならない。
本来ならば、式を預かるのは親族の役目だ。葬式や救急車の手配も、壮護と美護に任せっきりで、何もしていない自分が恥ずかしくなった。
せめて、労いと礼くらいは言っておかないと、と頭のメモ帳に書き込む。
「でも、本当にどこ行くの? まさか、お説教じゃないでしょうね」
心底めんどくさそうに問う美護を、視線で一喝する。
美護は肩を跳ね上げ、首をすくめて大人しく後に従った。
「届睦、まだ他にスーツ持ってるか?」
彼の部屋の前で立ち止まり、壮護が尋ねる。視線が届睦を上から下まで往復し、溜息を吐く。
「その格好じゃ、ちょっとな」
美護との一戦で、彼の喪服はまだらに白く染まっていた。故人の息子がこの格好では、確かに色々とよろしくない。
軽く汚れを払ってみたが、繊維の奥に入ってしまって、クリーニングに出すよりほかにないようだ。
「ですね。着替えてきます」
「早くな」
頷いて自室に籠った届睦の耳に、再び鈍い音が聞こえた。他には何も聞こえず、どうやら声も出ない程の破壊力らしい。
内心ぞっとして、届睦は着替える手を早めた。
《シキンドウ》についてを語る予定でしたが、色々無駄な話が入ってきて先延ばしになってしまいましたm(_ _;)m
今日はあと二話投稿しますが、7話で少し語られます。少々お待ちを……(汗)