04「台風娘来襲」
届相には目もくれず、父親譲りの鋭い眼光で届睦を射抜く。
「届睦ぁ!」
「は、はい!」
返事をした瞬間、身体が浮いて世界が反転した。口の端を引きつらせた、逆さまの壮護が一瞬映り、気付いた時にはもう視界から消えている。
彼女の得意技、背負い投げが綺麗に決まった。
届睦の身体が見事な弧を描き、次いで畳に叩きつけられる。身長も体格の面でも幾らか彼の方が勝っているのだが、美護にはその程度はハンデの内に入らない。
護衛役である《護人》一族の彼女は、当然の如く武芸が達者であった。
痴漢など裸足で逃げ出す。
彼らの世界にブラックリストという物が流通しているのならば、美護は間違いなくそのトップに載せられているだろう。美貌を裏切り過ぎている戦闘能力で病院送りにされた者は、両手どころか両足の指を足しても、まだ足りない。
駆け付けたお巡りさんが思わず同情してしまう程、彼女の制裁は凄まじかった。目撃者の証言に曰く、「どっちが被害者なのかわからなかった」、と。
それを考えると、軽い背負い投げで済まされている届睦は、運が良い方だと言える。
あくまで、比較の上での話だが。
届睦の、舞い散る埃と涙に彩られた世界に、鬼の形相の美護が鎮座していた。
「男がピーピー泣くなって言ってんだろッ! それでも深見の跡取りか!」
「ぃぎっ!」
背中の痛みに喘ぐ届睦に構いもせず、更に腕を捻り上げる。
もはや単なる暴力としか思えない彼女の「教育的指導」の前に、文字通り捩じ伏せられ、届睦の口から悲鳴が漏れた。
「いてててててっ! 美護っ、美護! ストップ、ギブギブギブギブ!」
「この程度で音を上げるようじゃ、テロリストには勝てねぇぞ!」
「一般市民が戦う相手じゃねぇし! そもそもテロリストに出くわす機会もないわ!」
「バッカ野郎! 人生いつ何時不幸が降り掛かるかわからんだろうが!」
「うむ。まさに今、不幸が降り掛かっているな」
沈黙を守っていた壮護が、神妙な面持ちで呟く。
届睦に不幸をもたらしているのが自分の娘だということに、彼は気付いているのだろうか。
いっそ潔い程の他人行儀っぷりである。
「壮護さん、感心してないで助けて下さいよ!」
長年の経験で振り解けないことがわかり切っているので、届睦は無駄な抵抗をせず、大人しく美護の下敷きになっている。
畳に押しつけられ、腕を締め上げられている痛みで、その顔は真っ赤に染まっていた。頬に流れる涙が、何とも憐れだった。
今更ながら気の毒そうに眉を顰め、壮護が追い払うように手をヒラヒラさせた。
「退け、美護。仮にも届睦はお前の主、深見家の現当主だ」
「はぁい」
気の抜けた返事をし、届睦を解放した。いかに勝気な美護でも、父親に逆らうことはできなかった。それが、一族の掟だ。
雑な手つきで、起き上がるのを手伝ってやる。
よろめきながら身体を起こす届睦越しに、美護はようやく届相の遺体を目にした。
「届睦が、現当主って……。届相さん、は?」
呆然とする彼女に、今度は届睦が視線の矢を浴びせる。苛立ち紛れの、刺々しい矢。
「見ればわかるだろ? 死んだよ、さっき。意味わかんねぇ遺言残して」
視線と同じ鋭さの声で吐き捨てた。
「え……え……?」
届睦と届相、壮護の三者の間に、忙しく視線を彷徨わせる。
壮護は無言で頷き、届睦は依然として睨みを利かせている。届相は永遠の沈黙を守り、彼女に応えるはずはなかった。
「ご、ごめん、届睦。私、知らなくて、こんな……。ごめんなさい」
血の気の引いた顔で、震えた手を差出す。
彼を支えるつもりで出した手は、どこか縋るようであった。
届睦は、その手を思い切り払った。
「ほんと、視野狭いのな、お前」
強がってはみたものの、美護を直視できずに避けた。彼女が泣くことを知っていたからだ。
自分から突き放すように叱っておいて、こちらが遠ざかろうとすると泣きながら引き止める。
昔から、そうだった。
喜怒哀楽が激しく入れ替わる。
ちらりと横目で窺うと、涙を溜めてはいるが、必死に耐えている。切れて血が滲みそうなくらい、強く唇を噛み締めていた。
「……美護?」
「泣かない。一番辛いの届睦でしょ? だから、泣かない。届睦、泣いて良いよ」
袖で涙を拭い、キッと顔を上げる。拭いた端から、涙が溜まっていく。そして、また拭く。
「なに、それ? 気遣ってんの?」
「届睦……」
「俺、同情されてんの?」
固く閉じられた届睦の拳に、涙の雫が跳ねる。
「中途半端なんだよ!
泣くなって言うなら、ちゃんと叱れよ!
何で父さんが死んだの気付かないんだよ!
遺体の横で背負い投げすんな!
俺が美護の主ってどういうことなんだよ!
《シキンドウ》も《見届け屋》も《護人》も知らねぇよ!
壮護さんだってそうだよ!
父さんが死んですぐに役目がどうのとか言われてもわかんねぇよ!」
雫が一つ弾ける度、言葉も弾けていった。
壮護も美護も、じっと眼を伏せたままで聞いていた。聞いてやる以外には、何もしてやれることはなかった。
自分たちを罵倒して、それで気が済むのなら、どんな非難でも受け入れる。
だが、二人への不満をいくつ吐き出しても、心は軽くならないだろう。
本当に言いたいことは、ただ一つだけ。
伝えたい人は、もう冷たくなっていて、伝わらない。
それでも、言わずにはいられなかった。
死に顔を覆っていたハンカチを剥ぎ取り、胸倉を掴んだ。
「アンタが一番中途半端なんだよ! 全部説明してから逝けよ!」
「よせ、届睦!」
さすがに壮護が制止に入り、後ろから羽交い絞めにして引き離す。
腕をでたらめに振り回すが、逃れることはできなかった。
自由になるのは声だけで、ありったけの声量で叫ぶ。
本当に、一番伝えたいこと。
「何でアンタまで俺を置いていくんだよ! 息しろよバカ親父―ッ!」
ちょこっとだけコメディーでした(?)
届睦は真面目ッ子なので、どうもシリアス寄りになってしまいます(^_^;)
これから出てくる《シキンドウ》メンバーは結構ぶっ飛んでる人々なので、もうちょっと軽めにできるかと……?
次回、いよいよ《シキンドウ》について語られます。乞うご期待☆