02「親の心、子知らず」
「お前に、伝えなければならないことがある。よく、聞け」
体中から最期の力を掻き集めて、届相は息子の手を握り返す。
父の手を握り直し、不安げな目をする届睦は、まだ間違いなく「子供」だった。
いくら手が大きくなろうとも、成人式を迎えようとも、変わらない。
小さな頃から変わらない、愛しい息子。
「ごめんな、届睦。父さん頑張ったんだ。お前に頼まなくてもいいように、頑張って代わり探したんだよ。でも、見つからなかったんだ」
「いいよ、父さん。なに?」
「ごめんな、ごめんな」
伝えると決心してもなお、躊躇いがしがみついてくる。
言葉は出てこないくせに、涙が溢れ出てきた。
「後のことは、壮護と美護に任せてある。二人を頼りなさい」
違う、これじゃない。
早く言わなければ、命が尽きる――。
それは、何人もの最期を看取ってきた彼にわかる、いわば勘であった。
「届睦、頼むぞ。お前にならできる」
「……」
届睦は無言であった。
確実に死へと向かいつつある父の手をしっかりと握り、眼を見据える。
その眼は、涙に濡れてはいなかった。
その姿に幾分か安堵を覚えて、届相は詰まっていた言葉を吐き出した。
「深見は、代々《自殺見届け屋》の家系だ」
「俺で三五代目、お前が三六代目になる。そして《シキンドウ》を治めるのも、《見届け屋》の役目」
力強く握られていたはずの手が、解放されてゆく。
届睦の力が緩んだのか、届相の感覚が失われていっているのかはわからなかった。あるいは、両方かもしれない。
「黙っていてすまない、届睦。でも、頼む」
もう、目が見えない。
むしろ、好都合だった。
息子がどんな顔をして聞いてるのか、知るのは怖過ぎる。
「わかったよ、父さん。安心して任せて」
予想に反して、届睦は至極穏やかな声であった。
応えるように、届相は穏やかに笑んだ。
「……逝ったか?」
届睦が振り向くと、襖から壮護が半身を覗かせていた。父子の最期の時を邪魔するまいと、隠れていたのだろう。
大柄な彼の繊細な気遣いが、少しおかしくて、とても暖かかった。
頷いて返すと、部屋に上がってくる。
届睦の隣にどっしりと腰を下ろし、届相の死に顔をじっと見つめた。
悲しみの色は窺えない。だが、思う所は、届睦以上にあるはずだ。わかっているが故に、その様を静かに見守った。
壮護は届相の幼馴染であり、ほぼ兄弟同然に育った間柄だった。だからこそ、息子を彼に託したのである。
亡骸の胸に手を当て、聞きとれない程小さな声で、何かを呟いた。
恐らく、「お疲れさん」、と。
「届相は、《シキンドウ》のことは言っていたか?」
取り出したハンカチで親友の顔を覆いながら、問う。
届睦の方は、見なかった。
「なに、父さん、壮護さんにまでそんなこと言ってたの?」
フッと、堪え切れない笑いを洩らす。
壮護は、怪訝な顔で届睦を見た。
「何がおかしい?」
届睦も、同じ表情で見返す。
「何かおかしい?」
「遊んでる場合か」
「別に、ふざけてるわけじゃないよ」
「……届相は、どこまで話した?」
「どこも何も……。深見家が《自殺見届け屋》だとか、《シキンドウ》を治めるのが役目とか。びっくりしたよ。そこまで病気、悪かったんだね」
ハンカチで顔を隠され、見るからに「死人」と化した父を見て、思わず溜息が出る。ついでに、少しだけ涙も。
「届睦、あのな」
「痴呆だってわかってれば、もっと傍にいてあげたのに……。俺の前じゃ平気な振りして、父さん……」
「お、おい」
「母さんの自殺、やっぱり引きずってたんだ。《自殺見届け屋》だなんて、変なうわ言を言って」
「届睦!」
いきなり両肩を掴まれ、届睦はビクッと身体を震わせた。
身体も顔も厳つい壮護に詰め寄られては、大の男でも身が竦む。届睦の防衛本能が働いて、無意識に距離を取ろうと後ずさる。が、がっしり肩を掴まれていては、そんな努力は無意味であった。
壮護のことは父のように慕っているが、一つ文句をつけるとすれば、この脅しがかった話し方だろう。幼い頃は、よく泣かされたものだ。
「壮護さん?」
「あのな、届睦、よく聞け」
正面から睨みつけられて、悪いことをした覚えはないのに、反射的に「すみません」と謝ってしまう。
いや、届睦に自覚がないだけで、彼は謝罪に値する罪を犯していた。
「届相のことは信じているか?」
「は? まぁ、父親ですし」
「俺のことは? 信じられるか?」
「はい。……あの、一体?」
「そうか。お前の信頼する父親と俺が言うんだから、信じろよ」
「だから、一体何ですか」
「《シキンドウ》も、《見届け屋》のことも、うわ言なんかじゃない。事実だ。そして俺は、《見届け屋》の護衛を務める《護人》だよ」
届睦の犯した罪。
父が決死の思いで告げた遺言を、病人のうわ言として流そうとしていたのだ。
それを反省したい気はある。嘘ではない。
だが、する気になれないのは何故だろうか。
理由は簡単。
「有り得ねぇ……」
ということだ。
出ました、史上最低の遺言。
果たして届睦は、三六代目《見届け屋》を継ぐことができるのか?
ここから、彼の受難と奮闘が始まりますっ。