動く者《2》
「――敵は目を覚ますと同時、手錠をされたまま両隣の隊員の意識を一撃で刈り取り、扉を蹴破って出て行ったようだ。すまない、せっかく君が捕らえてくれたのを無駄にした」
すぐにやって来た第二防衛支部で、田中のおっさんからそう謝られる。
「いえ、これは俺のミスです。敵が強いのをわかっていながら、中途半端に任せてしまいました。せめて、田中さんに直接身柄を任せられるまでは、同行すべきでした」
「どのような敵だった? 何か特徴は?」
「まず、武器はマインゴーシュを使ってました。今回はそれしか持っていませんでしたが、恐らく二刀流です。本来は右手にレイピア等を持って戦うんでしょう」
そもそもマインゴーシュは防御用の武器のはずだ。鍔が大きいという特徴は、敵の剣を受け止めるためのものだからだ。
また、奴は左手にそれを握って振るっていたが、動きを見た限り別に左利きという訳ではなく、普通に右利きだと思われる。
にもかかわらず右手を開けていたのは、本来もう一本別の武器を持って戦うからだろう。
武装からしても、あくまで偵察が目的で戦闘は想定していなかったことが窺える。
「実力は相当ですね。というか、偵察に使うような兵じゃないですね。強さは……恐らく、レイト辺りと同じくらいかと」
「……大した強さだな、それは」
レイトは、この人からの評価も高いらしい。
奴の実際の戦いっぷりが、ちょっと気になってきた。
「問題は、何故そのような強兵が君を尾行していたか、だが。何か心当たりは?」
「いえ、特には。強いて言うなら、五ツ大蛇討伐で、まあそこそこ頑張ったんで、それ関係かなと」
「そこそこ、という程度では無かったと思われるが……なるほど、それでどこかの者が君の実力を探りに、ということか」
「ただ、気になるのは、多分日本人じゃなかったことです。アジア系ではありましたし、日本語も全く違和感無かったので、確証がある訳じゃあないんですが」
「飛鳥井殿の情報に関連した動きであると?」
「わかりませんが、タイミング的にその可能性もあるんじゃないかなと」
俺の言葉に、田中のおっさんは考える素振りを見せる。
レイトから話を聞いて、数日もせずにこれだ。
関係が無いとは、流石に思えない。
「……了解した。とにかく、隊員達にはしばらく警戒するよう伝えておこう。今回の件については、監視の対応のみに留まっていたが、本腰を入れて対処することにしよう。これが、海凪君を狙ったものではなく、我々組織に対する行動ならば、早急に目的を掴まねばならない」
これが俺目的の行動なら、わかりやすいし面倒が無くていいが、何かの作戦行動のため無差別に偵察を行っていて、それでたまたま俺が気付いただけ、という場合だとマズい。
すでに相手は動き出しているのに、こっちは目的すら掴めておらず、攻撃されているという認識すら持っていなかったのだから。
「君に協力をお願いすることもあるかもしれん」
「わかりました、問題ありません。もう俺自身も、当事者ですんで。――ところで田中さん、何か困ってることとかってあったりしますか?」
「何だね、急に?」
「いえ、最近田中さんにお世話になりっ放しなので。仕事って田中さんは言いますが、面倒を掛けているのは間違いないので、その借りを返せたらなと」
「そうか。自覚があるのならば多少は自重するようにしたまえ。君が現れてから、私の仕事は倍増している」
真顔で言われ、思わず苦笑を溢す俺である。
「あー……善処します」
「冗談だ。君が望んで問題を起こしている訳でないことはよくわかっている。……ふむ、借りか。ウータルト君とは、例の家で共に住んでいるのだったな?」
「? えぇ、まあ」
「では、清水君を、数日君の家で見ておいてくれないか。彼女は未成年だ、可能性は低いとはいえ、隊員が狙われているかもしれない以上、一人にさせておく訳にはいかないだろう」
……なるほど、もっともな意見だ。
彼女本人に了承を得てから、と言いたいところだが、事情が事情だ。
ウチ程安全な場なんて、他にはそうそう存在しないだろうしな。
「わかりました、そうしましょう」
「助かる。生活費等はちゃんと記録を取っておいてくれ。後程私が出そう」
「別にキョウ一人分くらいなら、こっちで出しますが……」
金ならあるし。
「いいや、駄目だ。金勘定はなあなあに済ませるべきではない。たとえ、少額でもな。トラブルの元となる」
「わ、わかりました。……今更ですが、田中さんとキョウとの関係を伺っても?」
キョウの生活費を、この人が出す。
それは、単なる上司と部下という関係ではあり得ないだろう。
俺の問いに、彼は問いで返す。
「彼女のご家族が亡くなっていることは?」
「……直接聞いてはいませんが、一人暮らしだとは聞いていましたので。それに、こんな仕事をしている以上、その辺りに理由があるんじゃないかとは思っていました」
「そうか。では、他言無用で頼む。清水君のご家族は魔物に襲われた。その現場に向かったのが、私だ。――私は、彼女の家族を救うことが出来なかった。彼女を残して、ご両親と兄君が亡くなられた」
「…………」
「罪滅ぼしから、私が彼女の後見人となった。後日、彼女が戦闘の技術を覚えたいと言ってきた。この業界の過酷さを知りながら、私は否と言わなかった。彼女とはそれ以来の付き合いだ」
罪。
救えなかった罪。
それは、相手にも、己にも降りかかる、とても重いものだ。
この人は、それをずっと抱えているのか。
「つまらない話をしたな。――私の方からは以上だ。これから、少し荒れそうな予感がしている。君も十分注意してくれたまえ」
その会話を最後に、俺は第二防衛支部を後にした。
◇ ◇ ◇
――飛鳥井 玲人。
現在大学二年生で、今年で二十歳となる。
能力は非常に高いものを持っているが、堅苦しい家業を継ぐのが嫌だったため、面倒臭がって家を飛び出して一人暮らしを行っており、しかし腹違いの兄――誠人が起こした問題で、実家に戻ることとなる。
当主たる父は玲人に呆れ、「好きにせよ」と生活資金だけ渡して放任しており、兄を次期当主候補として育てていたが、『候補』止まりで完全には次期当主として明言しておらず、そこだけは濁していた。
それだけ、弟の能力が特出していることを知っていたからだ。
そして、結果として『飛鳥井』という家は、玲人が継ぐこととなった。
父は、誠人が起こした問題の責任を取って当主を引退しており、すでに飛鳥井家は、玲人が回しているのである。
特に当主としての教育を受けた訳でもない彼が、しかし完全に部下達を掌握し、問題無く家を回せている時点で、その高い能力を如実に表していた。
戦闘能力、魔法能力のみならず、卓越した人心把握能力。
紛うことなき、天才。
幼い頃に神童と呼ばれていた彼は、齢二十となっても、ただの人とはならず天才のままであった。
兄である誠人が、周りが見えなくなる程酷く焦りを覚えていた、大きな理由である。
だが、そんな彼から見ても、『海凪 優護』という突如として現れた存在は、筆舌に尽くしがたかった。
初めて彼と会って、玲人が抱いた印象は、一つ。
――怪物、だ。
淀みなく巡る魔力。
抑えられた強大な気配。
視線の配り方や、自然体での身体の動かし方。
天才が持つ天才故の観察眼が、海凪 優護という男の能力を、正確に見抜かせていた。
よくこんな怪物を相手に、兄は居丈高に振る舞えたものだと、逆に尊敬してしまったくらいである。
そして、さらに笑えないのが、そんな彼と共にいた少女。
ウータルト=ウィゼーリア=アルヴァスト。
こちらに関しては、もはや玲人では理解することが出来ない。ともすれば、五ツ大蛇討伐戦で活躍した優護よりも強いかもしれないと、そう思う程の隔絶された存在感だった。
この二人組ならば、五ツ大蛇並の魔物が、仮に二体同時に出て来たとしてもどうとでもなるだろうな、なんてことまで考えてしまったくらいである。
だから、玲人が二人に直接会った時の衝撃の凄まじさは、もう言葉にならない程だったのだが……すぐに「まあ別に、僕の敵じゃないし」と思い直して、もしかするとこじれる可能性もあった謝罪をしれっと終わらせ、優護とそこそこ友好的に会話を行えたことは、彼の胆力というものをよく表していた。
そんな玲人は今、大学に通いながらも、いつも持ち歩いているタブレットで仕事も同時に行っていたのだが――。
「海凪君に、尾行、ね……」
「玲人、どしたの?」
「遊びに行くんでしょー?」
「いやぁ、ごめん。家の用事が出来ちゃったよ。最近ちょっとゴタゴタしててね。今日は僕抜きでみんなで遊んで来て」
「玲人いないのかよー」
「厳しい家なんだっけ? 大変だな、お前も」
よくつるんでいる友人達――と言っても、実際のところ玲人自身は特に仲間意識を持っていないのだが、まあ大学生っぽいかなという理由からとりあえずつるんでいる友人達にそう声を掛け、一人大学を後にする。
――仮面、ね。
どうも自分は、人付き合いが下手らしい。
こんなことを言うと、反感を買われるのがわかっているので、絶対口に出したりはしないが、他人が結構馬鹿に見える。
幼い頃から「え、そんなこともわからないの?」と素で思ってしまうことがよくあり、だがそれを口にすると、父や母が大袈裟に喜んだり、兄が苛立ち混じりにこちらを睨んで、親のいないところで怒鳴ってくるので、それが面倒でいつからか笑顔を顔に貼り付けて誤魔化すようになってしまった。
尊敬出来るのは、己では及びも付かない実力を持ち、全然可愛くない子供であろうこちらを、まるで祖母のようにただただ可愛がってくれた狐の少女や、一から戦い方を教えてくれた、今もなお全く敵わない、剣の師である鬼族の当主くらいで、それ以外は、正直なところ同じ名家の当主などを見ても、大して凄いとは思えなかった。
自分でも同じくらいのことが出来そうだからだ。
知り合いの、今は『田中』と名乗っているらしい工藤家の当主などは、その強さも覚悟も大したものだと思うが、それだけだ。仕事仲間だという以上の感情は覚えない。
だから――こちらとそう変わらないように見える歳で、隔絶された実力を持っている優護には、実際のところ玲人はかなり興味を抱いていた。
「このタイミングでの動きであることから見ても、多分例の一団と関係はあるんだろうけれど……目的は彼の実力を確かめるため? そんなことでわざわざ日本まで来るのかな? いや、彼程の実力者が一人日本に増えたら、国家間のパワーバランスまで変わるし、理由にはなるか。実際は二人増えてる訳だけど」
一人、呟く。
言わば、シロがもう一人増えたことに等しい。
核兵器と同等の戦略兵器を、この国が得たということだ。十分調査の理由にはなる。
五ツ大蛇討伐で、彼が活躍したことはすでに知られている。それが向こうの国にも知れ渡ったのか。
「……ちょっと弱いかな」
――今回は、たまたま、という線の方が強そうだね。
優護が尾行されたのは、たまたま。向こうが調査を開始したタイミングで、偶然彼が対象に選ばれただけ。
そして気付かれ、撃退された。こっちの方がしっくり来る感じだ。
ただ……彼が全くの無関係とも思えない。
何故なら、今の日本の裏において、彼の出現ということ以外で、特別なことは何も起こっていないのだから。
彼が現れてから、我々の業界が急速に動き出している。
そんな印象である。
「んー……まだ情報が足りないね」
例の一団の動きは、特に無い。
全うに職務を行い、日本の政府要人と会談を行い、事前のスケジュール通りで予定を消化している。
部下と思われる、同国の人間達も、特に動きは無い――と思われていたところで今回の件であるため、どう考えても欺かれていると判断するべきだろう。監視体制の見直しは必須か。
他家と協議して――だと面倒だし時間が掛かるので、己の子飼いの調査員をまた送り込むべきか。
「全く……彼が出現してから、こっちは本当に毎日大変だよ」
恨み節を溢す玲人であるが、しかしその顔には、微かに笑みが浮かんでいた。
まるで、己の能力を十全に発揮出来ることに、喜びを覚えているかのように――。




