正社員の仕事
今日は、レンカさんの店でバイト――いや、もうバイトじゃなかったわ。
仕事の日だ。
ノリで正社員になった俺だが、仕事自体はぶっちゃけ、以前と全然変わらない。違うところと言えば、正社員だからということで、レジ締めも任されるようになったくらいか。
今まで以上に料理も任されることになって、色々教えてもらっているが、料理を教わること自体は前からあったしな。
正社員になったからとて、毎日通っている訳でもなく、シフトもバイトの時と全く変わらない。
ただ、最近少し仕事で面白いのが、レンカさんに教えてもらう美味しいコーヒーの淹れ方だ。
コーヒーなんて、昔は全然飲まなかったというか、わざわざあんな苦いの飲むの、ぶっちゃけイキってるだけでしょと思っていた時期が俺にもあったが、大人になったら欠かせなくなってしまった。
何でだろうな。もうなんか、ふとした瞬間に飲みたくなって、で、無いと普通に萎えるようになってしまったのだ。
あと、この店で飲むコーヒーと、家で飲むインスタントに大きな差を感じるようになって、微妙な気分になってしまうので、ついにコーヒーミルを買ってしまった。無駄にしないように使いまくろう。
まあとにかく、レンカさんに色々飲ませてもらい、違いを覚えながら、美味しいコーヒーの淹れ方を日々勉強している現状である。
「――そういう訳で、猫飼い始めたんですよ。ただ、今の家、流石に狭いんですよねぇ」
「うーん、刀が猫になるとか、何にも知らなかったら何を言っているんだって感じではあるけど、裏を知ってるとそんなこともあるかって思えちゃうね。この業界、意外と何でもありだし」
昼飯時を過ぎた今、今日も今日とてお客さんが全然来ないので、レンカさんと雑談を交わす。
「レンカさんを筆頭にですね」
「いやぁ、君を筆頭にでしょ。優護君の周り、なんか色々おかしいもん」
「……それは俺じゃなくて、他の奴がおかしいだけでは?」
「ううん、優護君だよ。君がそんなんじゃなかったら、君の周りは絶対そんな風にはなってないね。賭けてもいいくらい」
「…………」
自覚はあるので、何も言えなくなる俺である。
「まあ話を戻すけど、確かに引っ越すべきかもね。そもそもあの家で二人暮らしは、ちょっと窮屈だろうし。アパートだから音とかも……あー、結界張ってるんだっけ」
「結界張ってますね」
「……当たり前にそういうことが出来るの、いったいどうなってるのって感じではあるけど、とにかく今後も二人暮らししていくなら、さらにペットもってなると、考えた方がいいんじゃない? 確か、よく遊びに来てる人間じゃない女の子もいるそうだし」
「リンですね、その内店に連れてきます。お狐様で、ウタみたいにまだ素性が隠せないので、あんまり外に連れてくってことが出来ないんですが」
「お狐様?」
「お狐様です」
「……そっか。年始とか、神社じゃなくて君の家に行った方がご利益ありそうだね」
「そうかもしれません。考えてみれば、リンと出会ってから俺は、レンカさんとも出会うことが出来ましたし、他にもたくさん良いことありましたから」
俺がこの世界に戻って来て、まず出会ったのは、リンだ。
初日に彼女と出会って、日本での俺の生活が劇的に変わって行った。
同時に色々大変になったような気もするが……ま、それはリンがどうのというよりは、俺の選択だな。
リンと出会ってからの俺は、良いこと尽くめだろう。俺にとって彼女は、本当に幸運の女神なのかもしれない。
と、そんなことを思っていると、レンカさんは少しだけ頬を赤くして、こちらをジト目で見てくる。
「……君は本当に、そういうところだよね」
「え? な、何がです?」
「いいや? 別に。――お金が問題ないんなら、もうちょっと良いところに住んでもいいかもね。その相手と、いったいどれだけ仲が良いのだとしても、プライベートな空間っていうのは必要だと思うよ。自分一人だけの場所が無いと、だんだんストレスって溜まっていくものじゃないかな。少なくとも私はそうだけど」
……確かにそうかもな。
別にウタとリンと一緒にいて苦になることなんてないが、それでも自分の部屋は必要か。
引っ越し、引っ越しか……前々からどうしようかとは思っていたが、そろそろ本当に考えるかな。
五ツ大蛇討伐の報酬がまだ決まりきってない今なら、シロちゃんに家欲しいって言えばくれそうだし。
……帰ったら、我が家の面々に相談してみるか。
「帰ったら相談してみます」
「それがいいね。決まったら教えてね、お祝いのお酒持って行くから」
「それレンカさんが飲みたいだけでは?」
「正解!」
「正解、じゃないですが」
――と、そんな感じでグダグダと続けていた雑談が一区切りした時、切り替えるように彼女が言った。
「さて、ユウゴ君」
「はい」
「君は、正社員になったね?」
「そうですね。仕事内容も仕事量もバイト時代とほぼ全く変わってませんが」
「全然繁盛してないからね、ウチ。忙しいの嫌だから、あんまり繁盛されても困るんだけど」
「店長の言葉とは全く思えませんが、まあ実際あんまり忙しくなってもって思いはありますね」
いや、本当に店長が言っていい言葉じゃないが。
「細かいことはいいんだよ。とにかく、そういう訳で正社員になった君は、さらに多くの仕事をしないといけない立場になった訳だ」
「仕事があるならやりますが」
そう言うも、レンカさんは首を横に振る。
「ノンノン。繁盛してない店で、社員の君がすることは一つさ。――そう、店長と一緒にゲームをすること!」
長い前振りから出て来た彼女の言葉に、思わず苦笑を溢す。
「いつもしてる気がしますが、いいでしょう。店長がそう言うのなら、部下は従うのみです。で、何やります?」
「新しいソフト買ってねぇ。でも一人用だから、優護君、アドバイス係ね!」
「了解です。任せてください、元勇者の眼力で――あ、いや、何でもないです」
「君、時々それ言うけど、実際に勇者でもやってたの?」
「……まあ、そんなところです」
「ふぅん?」
思わず口を滑らしてしまった俺だったが、レンカさんは特にそれ以上をツッコんでは来ず、ゲームを始めた。
「……ところで優護君。君は、タバコを吸う女性ってどう思う?」
「え? 別にどうも思いませんが。それはそれで、魅力的かと」
タバコを吸う女性、なんかちょっとカッコ良く見えるんだよな。俺だけだろうか。
「……そう。それじゃあ、お酒好きな女性は?」
「節度を守れるのなら、問題ないと思いますよ。そりゃあ、アルコール中毒とかは駄目でしょうけど、大人なら大なり小なり、誰でも酒くらい飲むでしょうし」
「節度、節度かぁ。まあ確かに、ウタちゃん上品だもんね。そっか、優護君の好みは上品な子か」
上品……上品?
……いや、考えてみればアイツ、上品か。
普段一緒にいるとそんな風には思えないが、一つ一つの所作が綺麗なことは間違いない。
まず、食事の時の食べ方がすごく綺麗だ。最近はもう普通に箸が使えるのだが、元から日本人だったみたいに、器用に使いこなして食べている。
とても綺麗に、本当に美味しそうに飯を食べるので、俺、アイツが飯食ってる姿見るの、好きなんだよな。
歩く姿なんかもすごい綺麗だし、戦っている時の姿も、今も鮮明に思い出せる程、綺麗だった。
アイツが振るう剣は……見惚れる程に、美しいのだ。
あと、結構綺麗好きだ。掃除も最近はアイツが気付いたらやっている。寝転がってたら掃除機掛けられて、ツンツンされることもしばしばだ。
育ちの良さが、見え隠れするのは確かだな。
「……べ、別に、好みって訳じゃないですが」
「そう?」
「そうです」
「ふぅん」
「……何ですか、その笑みは」
「いやぁ? 何でも」
意味ありげにこちらを見てくるレンカさん。
「……そうですか。まあ、レンカさんも上品じゃないですか。料理作ってる時の姿とか、俺結構好きですよ」
「そ、ありがと。優護君の給料五十パーセントアップ」
「この店長どんぶり勘定過ぎる」
そんな冗談を彼女と交わしている内に、今日もまた店での時間が過ぎて行った。
正社員になっても、やっぱり変わらない緩い仕事である。




