ウタと自転車
いつものように、ウタと二人でスーパーで買い物を終えたある日のこと。
店を出たところで、ウタは言った。
「そう言えばユウゴ、ずっと気になってたんじゃが……あれは何じゃ?」
彼女が指差したのは、自転車だった。
……そう言えば、向こうの世界に自転車は無かったな。バイクはあったが。
「自転車だな。簡易的な移動用車両だ。車両っつっても、エンジンなんか付いてないから、動力源は人だが」
「……ばいくみたいなものじゃろうとは思うが、えんじんも付いてないのでは、動力が足りずに倒れるのではないか? 大人も子供も乗っておるようじゃが……はっきり言うて、曲芸の類じゃろう、あれ」
怪訝そうな表情のウタに、思わず俺は笑う。
「はは、まあ最初はそう思うよな。それが、慣れると全然問題ないんだわ。練習は必要になるが、乗れると遠くまで行けるから、かなり便利だぞ」
「ほう……」
少し、興味を持ったような表情のウタ。
「ウチにも一台あるから、明日にでも試してみるか?」
「うむ!」
◇ ◇ ◇
そして翌日。
あんまり使っていないのだが、一応持っていた自転車を押してウタと共にやって来たのは、近場に流れている川の土手。
ここなら、転んでもそんな痛くないだろうという判断だ。
「じゃあ、まずは乗り方な。こんな感じでサドルに跨って、ハンドルを手に持つ。慣れないと腕を突っ張ることが多いと思うが、ハンドル持つ手にはほとんど力入れるな。このペダルを回すと動くぞ。ブレーキはこれな」
サドルを俺用のものから一番下まで下げ、ウタが跨がれるようにし、交代する。
「む、ちと安定せんな」
「俺用の自転車だからな。お前が乗るにはサドルがどうしても高いかもしれん」
ウタの足が届くギリギリの高さなせいで、子供が大人の自転車に乗った時みたいになっている。
練習でこれは、ちょっと危ないかもしれん。ちゃんと見ててやらないとな。
「まあ構わん、これくらいのはんでは問題ないぞ!」
「じゃ、最初は俺が後ろから押してやるから、動く感じを覚えろ」
そうして、俺は自転車の荷台を押し、ウタの進みを安定させる。
当然ながら、最初は上手くいかず、かなりガクガクしていたが……やはりコイツ、身体を動かすことの才能があるらしい。
あっという間に安定する乗り方を覚え、わずか十分程で、俺が支えていなくても一人で漕げるようになっていた。
「ほほーう、これはなかなか、楽しいの! 風を切る感覚が心地良い! それに、確かに移動が楽そうじゃ」
「五キロくらいなら、そう時間を掛けず行けるからな。通学通勤とか、あと近場を行くのにみんな使うんだ」
「なるほどな。金を掛けず、歩くよりも速く移動出来る手段か。確かに童らの通学などには持ってこいじゃろうな」
と、しばらく自転車を漕いで楽しんでいたウタだが……ふと、俺のところまで戻ってくると、言った。
「のう、ユウゴ」
「おう」
「これー……面白いし楽じゃが。儂らの場合は、走った方が速いな?」
「気付いてしまわれたか……」
だから俺、こっちの世界に戻ってきてから、自転車乗らなくなったんだよな……数十キロ走っても、今の俺ならちょっと疲れるくらいだし。そっちの方が速いし。
そもそも普段行くスーパーも、わざわざ自転車に乗ろうと思う距離じゃない。五分で着くとは言わないが、まあ十分は掛からない位置にあるし。レンカさんの店には、電車使って通ってるし。
多分、向こうの世界で自転車が発明されなかった理由もこれだろう。
身体強化魔法があるから、別に必要じゃない。これに尽きる。
こっちの世界と違って、魔法が一般的である以上、ちょっと離れたところに行くなら身体強化で走って向かえばいいのだ。それ以上の距離は車に乗ればいい。
手頃な距離を移動するための手段が、必要なかった訳だ。
「まあ、うん、魔力を使わんでも楽に速く移動出来るってメリットはあるから、近場ならお前も自転車使えばいいんじゃないか? 自転車乗ってると、一般人って感じするし」
「ふむ、そうか……一般人に見えるか?」
己を見回すウタ。
「あぁ、俗っぽい感じがして、人間の少女らしさが増すな。誰もお前を元魔王とは思わないだろうぜ」
「それはそれでちと複雑じゃが、良いな! 今の儂は元魔王であり、主体は主婦――うにゃあっ!?」
「あっ、バカ」
ふふーん、と胸を張るウタだったが、高さの合っていない自転車に跨りながらそんなことをしたら、バランスを崩すのは当然であり。
自転車に片足を引っかけながら、すてんと転ぶウタ。
あー、今の転び方は痛いな。片足巻き込んでるし。
「……ユウゴぉ! 痛い!」
向こうの世界なら、緋月に突き刺されても笑っていたのに、今は自転車で転んだだけで普通の少女のように痛がるウタを見て、苦笑を溢す。
痛いのをちゃんと痛いと言える今の彼女に、少しだけ俺は、安堵というか、嬉しくなっていた。
コイツの精神もまた、日本準拠のものになってきているのだろうということを感じて。
「全くお前は……ほら、回復魔法使ってやるから」
こうなることを見越して、今日はジーパンを穿かせていたので血が出るような怪我はしていないだろうが、捻りはしたかもしれない。
すぐに魔力を練り上げ、回復魔法を掛けてやる。
まあ、ウタはウタで回復魔法が使えるはずなんだが……今くらいは、俺が掛けてやるとしよう。
すると、すぐに効果を発揮したようで、「うぅ……ありがとの、ユウゴ」と言いながら、立ち上がる。
「……人間っぽくなれるのは嬉しいが、儂は健康的に、歩くことにする! 外行くの、リンの家かすーぱーくらいだし! 全然遠くないし!」
「はは、まあでも、自転車欲しくなったなら、ちゃんと買ってやるぜ? この自転車がお前の背丈に合ってないのは間違いないし、ピッタリなのを買えば今みたいに転ぶこともなかったろうよ」
「む……けど、そう安いものでもないじゃろう、これ。現時点でお主には色々買ってもらっておる上に、使う機会もそう多くはないであろうこれを、さらに買ってもらうのは……」
急に遠慮し始めるウタに、俺は笑いながら言葉を返す。
「今更何言ってんだ。お前の面倒を見てるのは俺だ、なら金くらい出すよ。今は無い訳じゃないしな。それに、高いって言っても、高が知れてる。必要なものならちゃんと買うから、遠慮せず言え」
すると、少し悩む様子を見せてから、ウタは言った。
「……それなら、一台買うてくれるか?」
「わかった、それじゃあ明日にでも自転車屋に見に行くか。確か、近くに一軒あったはずだから、一緒に行こう」
「うむ、頼む。ありがとう」
微笑み、そして、何か思い付いたような顔をするウタ。
「……よし、ユウゴ! 儂は足を痛めたので、肩車!」
「は? い、いや、今回復してやっただろうが」
「うーむ、先程捻った部分が、熱を持ってまだ痛い気がするのぉ! これは、一人では歩けんな!」
ニコニコと、とても楽しそうなウタに対し、俺は「いや、普通に立ってるじゃんお前」とか、「自分で回復魔法使って治せるだろ」とか、そんな言葉が頭に浮かぶが……。
「……ほら」
「かか、うむ!」
自転車をアイテムボックスに放り込み、ただその場にしゃがみ込んだ。
首に柔らかい感触と、重みを感じたところで、立ち上がる。
「お主にしてもらう肩車は、やはり心地良いのぉ! さあ、ユウゴ号、発進せよ!」
「落とすぞ」
「落とすのか?」
「……落とさないが」
ウタは、からからと笑った。
そのまま俺は、彼女を肩車した状態で、家まで帰った。
道行く人々に微笑ましそうな視線を向けられ、微妙に恥ずかしかったが、ウタは終始楽しそうだった。
……全く、コイツは。
 




