山を食らう蛇《8》
『八岐』っていっぱいって意味あるのか……知らんかった。
グラボイズ正解。
ビュンと鞭のように舌を伸ばし――と言っても、ベロだけで大木くらいはあるのだが――、攻撃を仕掛けてくるベロ剣。
見るからに呪いの魔剣といった見た目であり、見るだけで気分が悪くなるような、非常に濃い負の魔力が渦巻いているのがわかる。
あれが、五ツ大蛇の核か。
反射的に俺は、こちらを突き刺さんとするそれを緋月で斬り飛ばそうとしたが……。
「何ッ!?」
ガキン、と刃同士がぶつかる。
鍔迫り合い。
つまりは、緋月が斬ることに失敗したということ。
後、両者が弾かれる。
一瞬驚きで俺は固まり掛けるが、肉体が勝手に動き、しなる動きで追撃を放って来ていたベロ剣を回避。
こちらもまた反撃を行うつもりであったが、やめて一度距離を取る。
刹那遅れ、先程まで俺がいた位置に放たれる唾液弾。
チラ、と確認すると、その場所がジュウ、と溶けて大穴が開いていた。強酸性か。
「……おいおい、あっちの五つ首と比べて、随分動きが俊敏じゃねーか」
動きの正確性が、全く違う。今の一連の攻撃、ただ本能によるものではなく、俺の動きを予測して放たれていた。
理性、合理性が、コイツにはある。
――いや、そうか。
理解した。
コイツ、頭はこっちだ。
あの五つの頭部の方が、尻尾だったのだ。だから斬っても斬っても、意味がなかったのだろう。
俺達は、無限に再生し続けるトカゲの尻尾を相手にしていたということだ。五本首全部落としても、普通に魔法で反撃が出来る訳だ。
となるとコイツ、さては八岐大蛇とは別種だな? 流石にここまで、気持ちの悪い生物じゃないだろう。八岐大蛇。
恐らく、ワーム系。
あのとてつもない再生能力も、ワーム系であるのならば納得出来る。なんかこの口も、ワームみたいで気持ち悪いし。
「……ムカつくな、お前」
過去、まだ妖刀にすらなっていない頃の緋月ならば、敵わない刀剣もあった。
刃毀れし、危うく折られかけることもあった。
だが、今のコイツとなってからは、まともな鍔迫り合いが出来たのはウタの使っていた『禍罪』だけ。
この結果はつまり、このキモい剣が、俺達の武器と同等ということになるが……。
「――いいや、違うな」
お前程度、俺達の足元にも及ばない。ただ、キモいだけだ。
そう、俺が決める。
コイツは俺達よりも格下だと、傲慢に、定める。
そのために俺は――コイツをここで、必ず叩き斬る。
俺達の方が上だと、示すために。
「緋月。――食うぞ」
今までとは違う。
いや、今までも本気ではあったが……俺の意識がさらに一段階切り替わったのを感じ取った緋月が、黒の刀身に赤を滾らせたまま、魔力を漲らせた。
◇ ◇ ◇
刹那の間に数十の斬撃を互いに放ち、受け、斬り合いを行う。
巻き込まれた木々が宙を舞い、大地が大きく陥没し、瞬く間に地形が変形していく。
凄まじい攻撃の密度だ。
回避が遅れればそのまま死ぬだろうが、まあそんなのはいつものことなので問題ない。
――蛇頭の方とは、コイツは全くの別物だと考えるべきだろう。
種が違うというより、戦い方自体が根本的に違う。
こんな見た目だが、コイツは、剣士として見るべきだ。
ビルサイズの首を俊敏に動かし、突撃するのと同時、自在に動くベロ剣で牽制を入れてくる。
緋月と斬り合えるのは剣だけで、それ以外の部位は普通に斬られるということをコイツも理解しているため、ベロ剣が確実に俺の攻撃を防いでいるのだ。
そうして有利を取っている間に、肉体で押し潰さんとし、同時に魔法まで放ってくる。
逆のパターンもあり、例えば先に魔法を放って、俺がそれを緋月で斬って防御しようとすれば、同時にベロ剣が死角から詰めてきて俺の肉体を串刺しにしようとした瞬間もあった。
加えて、ベロ自体が相当な太さと長さをしているので、一撃があり得ない程重い。下手に受けたらそのまま吹き飛ばされるな、これ。
いつもならば、敵の剣ごと斬り飛ばしてそれで終わりなのだが、緋月と斬り合えるとなると、ちゃんと組み立てて動かないとならない。
恐らくまだ、ベロ剣と戦闘開始してから一分も経っていないだろうが、体感では、すでに十分は戦っているような濃密な殺し合いである。
五本首が縦横無尽に暴れ回っていた時は全然そんな風に思わなかったが、『脅威度:Ⅴ』というものの強さを、俺は今感じている。
――微かに聞こえる異音。
見ずに、身体を捻って回避。
刹那遅れて、背後の地面から飛び出す、ヘドロ棘。
同時、詰めて来た剣をするりと受け流し、そのままベロを叩き斬ってやろうとしたが、そこだけグネリと曲がって回避される。
一々ウザい動きだ。ベロの柔軟性が、かなり厄介な感じだ。
関節なんてものは存在しないので、ヒトの剣士ならば不可能な軌道で剣が迫ってくる。コイツの魔法も巨体もそんなに脅威ではないが、この剣だけはとてつもない脅威で、一番強い。
ここからコイツを倒し切る算段を、俺は刹那の思考で幾つも思い浮かべ、だが確実性が無いと判断して却下する。
シロちゃんとアヤさんが命懸けで首を抑えてくれているのに、未だ倒せる算段が付いていないことに、少し焦りを覚え始め――。
「……やめだ」
――そこで、思考を放り捨てた。
もう、ゴチャゴチャ考えるのはやめだ。
面倒くせぇ。
だって面倒くせぇもん。
俺には、ウタのような莫大な魔力も無ければ、緻密な魔力制御技術も無い。
まるで未来でも視ているのかと思わんばかりの的確な判断能力も無いし、常人離れした筋力も無い。
俺に出来るのは、斬ることのみ。
なら――そうするだけである。
奴のベロ剣での重い一撃に逆らわず、俺はわざと吹き飛ばされるような形で一旦距離を取る。
両者に空間が出来たところで、俺がアイテムボックスから取り出したのは、鞘。
この鞘は、緋月用に調整された、専用のものである。
普通の鞘だとそのまま斬ってしまうため、この鞘には内側に一枚空間魔法が張られており、刀身と接触しないようになっているのだ。
魔法を形成している魔法式にさえ刀身が触れなければ、緋月に内部を壊されることも無いしな。
それでいて、ガタガタしないでピッタリと収まる、かなりの優れものだ。ぶっちゃけ、この鞘だけで三軒家が建つくらいの金が掛かっている。
わざわざそれを取り出して腰に差した俺は、一旦緋月を納刀すると、構える。
――居合。
俺は、その場で、全ての動きを止める。
見る。
集中する。
極限の集中状態による、世界が停滞していく感覚。
一秒が数十倍に伸び、スローモーションのように風景が流れ出す。
聞こえる音が間延びしていき、やがて遠退いていく。
世界から、俺と奴以外が消滅し、シン、と静まり返った。
◇ ◇ ◇
――優護の、敵はワーム系だろうという推測は正しい。
正式名称は、『試験体六号「イミウィルム」』。
草薙剣を模した偽剣に負の魔力を貯め込み、生み出された魔物。
とにかく生物を殺すことに特化しており、効率的に殺傷を行うための思考を行うことが可能で、本能の先にある理性を獲得した、狡猾性をも持ち合わせている恐ろしい魔物である。
際限なく魔力を取り込み、生物を殺してその魔力をも取り込み、無限の食欲を満たさんがために行動するのだ。
――そして現在、己を脅かす攻撃力を持った存在が全く動かなくなったことで、その思考は若干の困惑状態にあった。
理性は言う。
今がチャンスで、即座に攻撃を仕掛けるべきだと。
今なら、確実に殺すことが出来ると。
だが、同時に奥底の本能が言う。
――ここから即座に逃げ出せ、と。
凶暴性を付与され、ただ暴れ、命を食らうことだけに特化しているはずの思考に、怯えが生まれていることを、イミウィルムはそこで初めて自覚する。
……否。
己は怯えなどしない。
己は、この矮小な生物を、ただ殺すのみ。
たとえ危険だとしても、こんなにも隙だらけでいるのだ。ならば、チャンスである。
圧倒的な力で暴れるだけのイミウィルムは、理解出来ないのだ。
ただ一刀に全てを掛けるという、その意味が。
その、重みが。
まずは、全方位からの魔法攻撃。
逃げ道を前方だけに残し、そして逃げてきたところを己の舌で貫く。それで勝ちだ。
相手を殺す算段を整えたイミウィルムは、即座に魔力を練り上げ――。
――目の前に、優護がいた。
同時に魔法が発動するが、すでに彼はこちらの懐へ跳び込んでおり、故にイミウィルムの動作が一手分遅れる。
だがそれでも、前方へと追い込んだことには間違いない。
作戦通り、このまま舌の剣で貫けばいいと、溜めたバネが弾かれたような動きで突きを放ち……空振り。
空振り?
いいや、そんなはずはない。
今の軌道ならば、この矮小な存在は己の舌で貫かれているはずで、相手は横に避けたりもしていない。
何故、攻撃が当たらなかった?
――そう、空振りではなかった。
数秒後、カランと地面に転がるもの。
それは、剣の半分。
冗談のように綺麗で、滑らかな断面。
つまりは――緋月が、斬ったということ。
『――――ッ!!』
斬られたことを理解したイミウィルムの、音なき悲鳴。
全ての動作をやめ、外せば死ぬ、という中での極限の集中。
筋繊維の一本一本までをも強化するような丁寧な身体強化。
そして、全身を使った、最速で、美しさすら感じさせる程の綺麗な抜刀。
それら全てが合わさった優護の居合は、先程まで斬れなかったイミウィルムの心臓を、両断した。
「俺の勝ちだ。虫野郎」
彼の声を、イミウィルムが聞くことはなかった。
その巨体が、爆散するように、宙へと消えていく――。
何とか年内に二章終わらせられそうだな……。




