山を食らう蛇《1》
「――そんじゃあ俺、デカい蛇シバいてくるわ」
「うむ、いってらっしゃーい」
俺がバイトに行く時と同じような、すごいのんびりした口調のウタである。
「……あの、ウタさん。一応俺、今から殺し合いしてくるんですが」
気が抜けるわ。
「? お主程の男が、蛇如きに負ける訳なかろう。仮に負けたとしたら、それは油断したからじゃ。故に、油断せぬように! というか、儂以外の相手に負けたら、普通に怒るからの!」
俺が負けるとは露程も思っていないどころか、苦戦すらしないだろうと思っているらしいウタの信頼に、小さく笑みを浮かべる。
「大丈夫だ、勇者は慢心しないからな」
「そうか。不安なら、おまじないを込めて、いってらっしゃいのチューでもしてやろうか?」
「うっせ」
かか、と笑うウタに見送られ、俺は家を出た。
◇ ◇ ◇
第二防衛支部に入ったところで、俺は見知った顔を見つけ、声を掛ける。
「キョウ」
「ん、優護」
ビルの玄関近くに立っていたのは、キョウ。
戦闘準備はもうほぼ終わせているようで、左腰に雅桜を差し、タクティカルベルトを着けている。
今はそこに何も付いていないが、実際に出撃、となったらすぐに装備を終えて出られることだろう。
「キョウも今回の作戦に参加するのか?」
「あぁ。一応、あたしの相方はアンタってことになってるからな」
「相方?」
「『脅威度:Ⅰ~Ⅱ』の魔物討伐の時以外は、基本的に退魔師は組んで行動すんだ。で、優護のそういう時のペアとして登録されてるのが、あたしだ。まあ、安心しろ。アンタの足は引っ張らないよう、実際の行動は別になるだろうからさ」
「別に、一緒でもいいぜ? キョウくらいは守ってやるが」
そう言うと、彼女は苦笑を浮かべつつ言葉を返す。
「あたしが嫌なんだ。優護の足枷になるのはな。けど、なるべくアンタの戦いが見えるところでは戦うよ。アンタの貴重な戦闘を見るいい機会だしな」
「……そうか。ま、キョウなら、強い魔物以外だったら、そうそう後れは取らないと思うがな。ところで、ブリーフィングルームってどこだっけ? 前案内してもらった気もするんだが……」
「……だろうと思ったよ。こっちだ、付いて来い」
「うい」
もしかして、俺が場所がわからない可能性を考えて、玄関口で待っていてくれたのだろうか。
そうしてキョウの案内で、俺はブリーフィングルームに入る。
室内にはバックアップチームらしき面々の他に、この支部の所属なのだろう退魔師達の姿がすでに見え、総勢で三十人程だろうか。
あれがこの支部の退魔師達か。初めて見たな。
「ここにいるのが、この支部に所属してる退魔師全員か?」
「いや、全員じゃない。けど、半分以上はいると思う。……ぶっちゃけ、この組織結構秘密主義だから、あたしも実際の人員がどれだけいんのかは知らねぇ。挨拶したことある退魔師も数人だしな」
「そうなのか。……なんか、こっち見られてないか?」
別に声は掛けて来ないが、退魔師らしき人らからの、視線を感じる気がする。
俺がそう言うと、キョウは呆れた顔を浮かべてこちらを見上げた。
「何だよ」
「いや? 優護は本当に自分の評判とか無頓着なんだなと思って」
「しがない一般人の青年である俺が、そんな評判になってる訳ないだろ」
「アンタもウタもしがないってよく言うが、一回辞書でちゃんと言葉を調べた方がいいな」
「知ってるさ。取るに足らないとか、つまらないって意味だろ? 誰がつまらないだ」
「あたし何も言ってねぇが」
空いていた席に並んで座り、そんなことを話している内に、やがて前方にやって来る田中のおっさん。
「――状況を説明する」
そして彼は、ブリーフィングを開始した。
「とある情報筋から、本日26時頃にテロリストグループが行動を起こし、『脅威度:Ⅴ』の特殊害獣――『四ツ大蛇』の封印を解くという情報が入った。本来ならば、その阻止に動くところだが……今回は巫女様の指示により、そのまま解かせることが決定した」
田中のおっさんの言葉に、ザワ、とした空気が流れる。
今日――というか、明日もう封印が解かれるのか。随分急だな。
とある情報筋というのは、十中八九ツクモのことだろうが……。
「このギリギリでの作戦説明となったのは、敵にこちらの動きを掴ませないためだ。テロリストグループについては、すでに編成されている別の班が対応することとなっている。四ツ大蛇討伐班も同様だ。よって、諸君らの任務は、四ツ大蛇の気配に呼応して出現するであろう、魔物達の討伐が主となる」
田中のおっさんは、説明を続ける。
四ツ大蛇は、『脅威度:Ⅴ』という最大の脅威度を持つ魔物であり、凄まじい量の『負の魔力』で構成されている。
濃密で、濃縮された、生物には毒となる程の負の魔力。
そのため、ワイン樽に一滴毒を溢せば、全てが丸ごと汚染されて二度と飲めなくなるように、四ツ大蛇が持つ魔力に触れた魔力は穢れ、『負の魔力』へと変換されてしまうらしい。
そうして四ツ大蛇は、どんどん色濃くし、己の過ごしやすい環境を作り上げていくのだという。
向こうの世界にもいたな、そういう魔物。アンデッド系統に多かったが、つまり魔力型の毒を常時排出し続けている、ということだ。
それがあまりにも濃くなり過ぎれば、空間が歪曲してダンジョンとなることもあり――何より、魔物が出現する。
以前ツクモが俺に見せたように、濃密な負の魔力の中から、新たな魔物達が続々と生み出される可能性がある訳だ。
単純に、外からも集まってくるだろうしな。
魔力の濃い地域、ということは、呼吸をするだけで大量の栄養が得られるということであるため、魔物はそういう場所を好み、それが溢れる地域があれば寄って来てしまう。
正の魔力も負の魔力も関係なく。
故に、四ツ大蛇討伐班が余分な敵と戦闘せず集中出来るように、木っ端の魔物達を散らす必要がある。
それが今回の任務であると、田中のおっさんは言った。
「各自、すぐに準備に取り掛かれ。出発は本日24時のため、仮眠を取っても構わん。時間となったら、順次ヘリと車両で移動を開始する手筈となっている。今回は過去に見ない規模での作戦となるだろう。気を引き締めろ。――以上だ、解散」
そうして十五分程でブリーフィングは終了し、皆出撃に向けて、すぐに準備を開始した。
と、その中で、田中のおっさんがこちらに声を掛けてくる。
「海凪君、清水君、君達はこちらに来てくれ」
呼ばれ、彼の下へと二人で向かう。
「まず、海凪君。君の任務は、我々とは違う。君は向こうに到着次第、巫女様と共に行動してもらうことになる。話は聞いているな?」
「はい、大丈夫です。俺が四ツ大蛇討伐班ってことですね」
「そうだ。詳細は私も知らぬ故、巫女様に直接聞いてくれ。……入ったばかりの君に負担を掛けて申し訳ない」
「気にしないでください、これは俺の選択です。選択肢は提示されたものでも、そこから俺が決めました。田中さんが謝ることではありません」
これは、間違いなく俺の選択だ。
責任があるのも、俺だけである。
「……そう言ってもらえると助かる。向こうでは、困った時は綾姫殿に問うといい。色々と手助けしてくれるはずだ」
あの鬼の人か。まあ面倒見良さそうだったしな。
「隊長、そうなるとあたしは、隊長と共に優護に近付く付近の魔物を排除ってところですかね」
「そうなる。状況によっては激戦が予想されるため、今回は参加しないという選択でも構わん」
「冗談言わないでください。こんな仕事しているのに、自分だけ怖いから逃げるなんて、出来ませんよ」
「……そうか」
参加を当たり前のものとして考えているキョウと、その様子に少し言いたげな様子ながらも、ただそれだけを溢す田中のおっさん。
……この二人の関係、ちょっと気になるところだな。
「私からは以上だ。すまないが、色々と準備せねばならないことがある故、ここで失礼する。時間までに、食事を取るなり、仮眠を取るなり、しっかりと準備を。仮眠室等を使用する場合は、清水君、海凪君に色々教えてあげてくれ」
「わかりました」
そうして彼は、足早にこの場を去って行った。
「優護、あたしはこのまま待機してるつもりだが、アンタはどうする?」
「おう、その前にキョウ。これやるわ」
そう言って俺は、アイテムボックスからシルバーのシンプルな腕輪を一つ取り出し、ポンとキョウに渡す。
「これは……?」
「身代わりのリングだ。一回なら致命傷を肩代わりしてくれる。今回は流石に嵌めとけ」
かなりの優れもので、一回使ったら壊れるものの、軽い怪我とかでは発動せず、一撃で手足が飛んだり致命傷に至る攻撃だったりする場合のみ発動する。
猛毒の攻撃が掠っただけ、とかでもそれが致命傷なら発動するので、非常に使い勝手が良い。当然コストは高いが。
なお、ウタの攻撃は無効化しても無駄で、そのまま貫通してこっちを殺し切るので、この腕輪を使っても意味が無かったりする。
だからまあ、あまりにも高過ぎる火力の攻撃だと意味が無いのだが、それでも残機が一つ増えるようなものなので、キョウに持たせておくにはちょうどいいだろう。
「……いいのか? そんな凄い道具なら、優護が使えばいいんじゃ……」
「俺は負けないから別にいらん」
すると、キョウは苦笑し、少しだけ躊躇った様子を見せながらも、大人しくそれを腕に嵌めた。
「……わかった、ありがとう。また優護に一つ、借りが出来ちまったな」
「借りなんて思うな、お前を助けるのは当たり前のことだ」
「……そ、そうか」
俺から視線を逸らす彼女に、少し不思議に思いながらも、言葉を続ける。
「それよりキョウ、お前子供なんだし、待機じゃなくてちゃんと仮眠取っといた方がいいんじゃないか? 行動開始まで、まだ時間ある訳だし」
「子供なんだしって言葉が引っ掛かるところだが、そう言う優護はどうなんだ。四ツ大蛇討伐班なら、万全の体勢で戦うために、寝といた方がいいんじゃねぇか?」
「俺はその気になれば七十二時間不眠不休で行動出来るから大丈夫だ。社会人の得意技だぞ」
「優護社会出てねぇだろ」
「おっと、特大パンチが来たな? けど残念、実はちょっと前に就職したんだ、俺」
ノリで。
「は? そうか。そりゃおめでとう。……じゃあ、こっちはもう引退するのか?」
ほんの少しだけ不安そうな顔になるキョウに、俺は笑って言葉を返す。
「んなすぐバックれないって。この仕事を長くやるつもりは無いし、やってもバイト以上になるつもりは無いが、俺の生活圏内に現れた魔物くらいはこれからも排除してくつもりだ。――安心しろ、キョウとの縁はそう簡単に切ったりしない」
「……そうか」
ただそれだけを溢す少女に肩を竦め、言葉を続ける。
「ま、じゃあ、ちょっと寝とくかね。キョウも、少しでいいから寝とけ。あ、不安で眠れないってんなら、添い寝してやってもいいぜ?」
「ヘンタイ」
と、ノータイムで言うキョウだったが……。
「……じゃあ、お願いするわ」
「――えっ?」
何を思ったのか、突然そう言った。
「添い寝してくれんだろ? だったら頼む。不安だからな」
「……い、いや、まあ待て。考えてみたら、二人寝られるような広いベッドなんて無いだろ? ざ、雑魚寝みたいな形だろうし、他の人の視線もあるだろうし」
「個室があるから問題ない。普通の部屋みたいに、ベッドも広いぞ。アンタが言い始めたんだ、今更冗談とか言わないよな?」
「えー……ごめんなさい。調子に乗りました」
「ん、よろしい」
微妙に勝ち誇った様子で、頷くキョウだった。
その身体から、無駄に入っていた力が抜けていた。




