地球事情《1》
結局、その後に来たお客さんは三組だけで、俺は皿洗いと店の掃除を軽くしていただけで仕事が終わってしまった。
掃除と言っても、基本的にレンカさん綺麗にしてるので、そんなに掃除するところもないのだが。タバコの吸い殻くらいか。
ただ、あのタバコ……多分、魔除けだな。おまじないに近いような効果のものだろうが、本当に軽く魔法が発動していた。ともすれば、気付かないような出力のものだ。
それ以外にも、店からも何か、軽く魔法の気配が感じられているし、表沙汰になっていない魔法関連の技術が使える以上は、まあ彼女も何か事情のある人なのだろう。
と言っても、別に彼女が何者でも俺には関係のない話なので、何でもいいのだが。
そうしてレンカさんの店で夕方まで働いた後、彼女が作ってくれた賄い飯を食べ、帰路に就く。
マジで美味くて、「余った食材だから遠慮しないでいいよ」と言ってくれたので結構ガッツリ食べてしまったのだが……あの店、経営状態大丈夫なのだろうか。入ったばかりの俺ですら心配になるレベルなんだが。
……まあ、あの様子だと、もしかすると道楽の仕事なのかもしれない。収入自体は他にもありそうだ。
「……明日の飯買っとくか」
満腹の良い気分のまま俺は、近場のスーパーに寄ると、明日の飯と、あと何となく甘いものを買って帰る。
ワッフルの四個入りの奴だ。
別に甘いものが特別好きだったりする訳ではないのだが、俺にとっては久しぶりのものなのだ。何となく目に入って、懐かしさから買ってしまった。
ぶっちゃけ、食い切れるかわからない。まあ、急いで食べる必要もない訳だし、ゆっくり楽しんで食べるとしよう。
ところで、さっきから見覚えのある狐耳幼女に見られているのだが、俺はどう対応するべきだろうか。
例の神社を通り過ぎた辺りからだ。
精霊種だからなのか、本人が何か力を使っているのか、他の通行人は気付いていない。が、俺の目には、電柱の影からこちらを見ているお狐様の姿がバッチリ見えている。
幼女が出歩くような時間帯じゃない、なんてことがふと脳裏を過ぎったが、そもそも精霊種はどれだけ年月が経っても見た目が変わらない者の方が多いので、見た目通りの歳かはちょっとわからんな。気にしたところで無意味か。
少し考え、俺はビニール袋からつい先程買ったワッフルを取り出し、袋を開ける。
そして一個を取り出して、物陰の狐耳幼女の方に向かって言った。
「一緒に食べないか?」
「…………!」
気付かれたことに驚いたのか、ピコンと耳と尻尾を立てるお狐様。
「買ったはいいけど、俺一人だと食い切れるかちょっと微妙なんだ」
お狐様は、少しだけ悩んだ様子を見せた後、電柱の影から出てトテトテと近付いてくる。
そして、恐る恐るといった様子で俺からワッフルを受け取ると、その小さな口でパクッと食べた。
「……おいしっ」
気に入ったのか、バクバクと食べる彼女に、俺は笑って袋を丸ごと渡す。
「ほら、やるよ」
「……いいの?」
「あぁ」
「……ありがと」
「おう、気にするな。――俺は、ユウゴだ。君の名前を聞いてもいいか?」
「……凛」
「そうか、リン。よろしく――って」
お狐様改め、リンは名乗るや否や、またその場に溶けるようにして消えてしまった。
なるほど、どうやら彼女は恥ずかしがり屋であるらしい。
ワッフル、結局一個も食わずに全部あげちゃったが……ここを通る時は、また何か彼女が好きそうなものでも買っておくか。
そうだな、稲荷寿司とかならもっと喜んでくれるかね。
何となく微笑ましい気分のまま、自宅のアパートに辿り着き――というところで、また別の見覚えのある者が、敷地の塀に寄りかかっていることに気付く。
「帰って来たな」
「うわっ、いつかの物騒な女子高生」
「……アンタ割と失礼な奴だな?」
思わず口から出てしまった俺の言葉に、微妙に呆れた顔でこちらを見て来る少女。
――そう、そこにいたのは、オーガ退治の際に出会った女子高生だった。
前回会った時は、その綺麗な黒髪を短いポニーテールにしていたが、今は特に結んでいない。髪型としては、ショートボブ、になるのだろうか?
女子の中でも小柄な体躯で、一見すると愛嬌を感じさせる可愛らしい子なんだが……瞳に見える意思の強さがな。
それが全ての評価を翻して、男勝りな印象だ。まあ、それは荒っぽい口調も理由だろうが。
「失敬。それより、何でウチの前にいるんだ?」
「アンタを探してたからな」
「……こんな短期間で、探して見つかるもんなのか? 俺の名前も知らないだろうに」
「国家権力使った」
あ、はい。
すると、少女は手元のタブレットを見ながら、すらすらと話し始める。
「海凪 優護。二十三歳。生まれも育ちも関東で、学歴は大卒だが、その後職に就かずフリーター生活。武術等を学んだ経験は一切無く、魔法的事象に遭遇した経験も無し。――ついこの前までは」
……なるほど、本来俺が、こんな実力を持っている訳がないところまでバレた訳か。
「……で、何の用だ。銃刀法違反で逮捕は勘弁してください」
「強気だか弱気だかわかんねぇ奴だな? まあ、そんなこたぁしねぇよ。あたしら別に警察じゃねぇし。今日は勧誘に来ただけだ」
「勧誘?」
「あたしらの組織のな。――アンタ、魔力が扱えるんだろう? 悪いが、この国の法として、魔力が扱えることが確認された者は必ず登録しないとならないことになってる。そっちが望むと望まざると、だ。危険だからな」
道理だな。
魔力が扱えるということは、銃で武装しているということと何ら変わりないし。
「わざわざ全員管理しようなんて思うってことは、やっぱり日本で魔力を使える奴は少ないのか?」
「そうだ。全体で五千にも満たねぇ。その中で戦える者ってなると、さらに一握りだ。つまり、あたしらの業界はすっげぇ人手不足でな。である以上ウチの組織としちゃあ、アンタみたいな素性の知れない怪しい奴でも、戦えるなら欲しいんだ」
「勧誘しようって相手になかなか言うな」
「お互い様だろ」
俺は肩を竦める。
「ま、勧誘の方はあとであたしの上司からもされると思うから、そっちはゆっくり考えといてくれりゃあいいが、魔力を扱える以上その登録は義務だ。これを断りゃあ、普通に逮捕になる。……アンタを逮捕出来るような者が、果たして日本にいるのかは知らねぇが」
「義務と言われちゃあ、善良な一般市民としてはやっておくしかないな」
「どこが一般市民だ、どこが」
俺は至極普通の一般人だぞ。
ただ異世界転移したことがあるだけで。
――なるほど、つまりは今、俺が敵になるのかどうか見極めている状況、ということか。
登録とかは、別にいい。何か測定したりとかあったとしても、多分誤魔化せるし。
けど、己の生活圏に降りかかる火の粉を払うくらいはするが、斬った張ったの生活はもう勘弁なんだよなぁ……。
俺は、もう、のんびりと過ごしたいのだ。
……ただ、どうであるにしろ、このちょっと謎な地球事情を知る良い機会ではあるか。
ぶっちゃけ、静かに過ごせるのならば、仮にここが地球のパラレルワールドだったりしてもどうでもいいというのが本音なのだが、それでも情報自体は欲しい。
軽く確認しても歴史とかに違いは一切無かったし、俺の家に俺が帰ってくる、なんてことも無かったので、ここが俺の知っている地球と同一である可能性の方が高そうではあるんだけどな。
「それで、わざわざウチの前で待ってたってことは、このあとすぐに登録に来いってことか?」
「あぁ。早々に連れてかねぇと、アンタどっかに逃げそうだし」
「あのな、そんな簡単に引っ越しなんて出来る訳ないだろ。俺は職無しの貧乏フリーターだぞ?」
「貧乏フリーターは、不意打ちの銃弾を斬ったりなんて出来ねぇんだよ」
「出来るフリーターもいるかもしれないだろ」
「ソイツはフリーターとは言わねぇ。化け物っつーんだ」
「酷いこと言うわ。まあ俺はただの一般人だから関係ないが」
「もうツッコまねぇからな? それ」
別に嘘じゃないんだがなぁ。