白き、黒き者《1》
その日、俺は一人で買い物に出ていた。
最近は、こういう時にウタが付いて来ることが多かったのだが、今日はリンが家に遊びに来ていたので、彼女と一緒に遊んでいる。
俺も途中まで一緒だったのだが、ちょっと買いたい日用品があったため、一人で出て来た形だ。
向かった先は、電車に乗って数駅離れた先にある、駅前の繁華街。
この地方で最も栄えた駅で、ここに来れば大体何でも手に入る。見つからなかったら、多分普通に探し方が悪いと言えるくらいには栄えている。
俺は、駅と一体化している大型デパートに入ると、目的のものを探し始め――。
「…………」
すぐに、違和感を覚えた。
周囲を見る。
何の変哲もない、日常の風景。
人が通り過ぎて行き、店員が笑顔で接客し、穏やかなBGMが流れる店内。
だが俺は、その穏やかな空気の中に、何か異物が混じっているのを、微かに感じ取っていた。
――何か、いるな。
カチリと意識が切り替わる。
何かあった時のため、すぐに今入っていた店から出て広い場所に来ると、ゆっくりと左右を確認する。
いつでもアイテムボックスから緋月を取り出せるように、自然体のまま、警戒を強めていく。
そして――発見した。
「こんにちは、お兄ちゃん」
人込みの中から、ソイツは、現れた。
丈の短いスカートを穿いた、活発そうな、勝ち気そうな印象を受ける少女。
一見すると、お洒落な中学生か高校生だな、くらいの印象を受けるだけの少女であるが――その印象を、口元に浮かんだ妖艶な微笑みが、百八十度覆していた。
「――ツクモ」
そこにいたのは、見覚えのある、九尾の狐だった。
◇ ◇ ◇
……俺が感じていた違和感の正体は、コイツか。
当然、今は耳も尻尾も見えない。ウタと同じように、何らかの手段で人間に化けているようだ。
恐らくは本体だろう。だが、その気配はほぼ完全に抑えられており、リンと同程度にしか感じられない。
俺がコイツの気配を覚えていなかったら、違和感には気付けなかったかもな。
「……何してんだ、こんなところで。というか、誰がお兄ちゃんだ、誰が」
「えー? 優護お兄ちゃんは、私のお兄ちゃんでしょ? もー、何言ってんのさ」
「…………」
「くふ、冗談じゃ、冗談。ま、人社会に紛れるならば、それなりの演技が必要になるでな。――ま、妾も普通に買い物に来ておっただけぞ。妾にも日常がある。それで、たまたま見知った顔を見つけた故、声を掛けただけのことよ」
「そうかい。んじゃ、これで挨拶したし、またな」
「まあまあ、待て。妾は今、ちと暇でな。しばし付き合え」
「嫌っつったら?」
「ここで大声で泣いて、痴漢されたって叫ぶ」
「お前とんでもねぇ悪党だな!?」
一番最悪な手じゃねぇか!?
「くふ、何、悪いようにはせんよ。ほれ、付いて来い」
「…………」
不承不承ではあるが、元勇者と言えどその手で来られると打つ手無しであるため、とりあえず今はツクモに促されるまま、大人しく共に歩く。
ただ、この間合いならば、コイツが何かをしたところで、俺の方が速く動ける。
先んじて、斬れる。その自信はある。
俺より魔力量が上であろうこの狐が相手でも、やりようはあるだろう。
「……で、本当にどういうつもりだ」
敵意は感じられない。
魔力の高まりも感じられず、警戒も感じられない。
少なくとも今、こちらと敵対する気は無いのだろう。
「前にも言うたであろ? 妾は貴様に興味を持ったと。故に、少し話がしたくてな」
「お前の伝言なら、ちゃんと伝えたぞ。本人にも会ってな」
俺の言葉に、ツクモは意味ありげな笑みでこちらを見てくる。
「ほぉ。では、貴様はシロについて、どう思った」
「……皆が頼りにするのも、わかる人だなと思った。それだけの強さがあり、包容力があり……助けを求められたら、動いてしまうんだろうと」
「その通りよ。彼奴は人を守る。人が好き故な。ずっとそうして、生きてきた。――そして人は、それに頼り過ぎる」
「…………」
「妾も、シロと同じく人が好きぞ? 可能性に溢れ、妾達では到底思い付かんものを生み出していく。特にここ百年は、面白い程に変化してゆき、世の中から物理的に暗闇を消し去りおった。全く、すごいことよ。しかも、月にまで人が進出するなど、考えもせんかったぞ。――変化。それこそが、人間が持つ最たる優れた点よ」
ツクモの思いは、彼女の恰好を見ればわかる。
シロちゃんは、想像通りの和服を着ていたが、ツクモの恰好は、完全に現代に馴染んでいる。
ウタがテレビで見ていたから覚えていたが、今流行りのなんちゃら、みたいなファッションで、しかもそれがものすごく似合っている。
変化というものを優れていると思うからこそ、己もまた、現代に合わせて変化しているのだろう。
……七百年前には存在が確認されてたって話だし、つまりはバリバリの鎌倉時代人、室町時代人な訳だが、それでいて現代のファッションにも精通してるって、普通にすごいな。
「……そうか。じゃ、変わらん人間に対しては、どうだ?」
ツクモは何も言わず、ただ口端を吊り上げ、妖艶に笑った。
冷酷で、無慈悲な、大妖怪としての格を感じさせる笑み。
それだけで、いったいツクモが『特殊事象対策課』に対し、どう思っているのか。
言葉にするよりも、明白に伝わって来ていた。
……なるほどな。あの明華高校での一件は、シロちゃんにお守りされるだけで全く成長しない者達に、お灸を据えようとでもしていた訳だ。
子供達の集う場所である以上、特殊事象対策課の面々も本気で、迅速に対処する必要があっただろうしな。
――痛みを感じなければ成長しない。
それが人間の特徴の一つであることは、否定出来ない事実だ。
それが理由でテロが許されることはない。
だが、ツクモが求めるものは……少し、見えただろう。
「ふむ、それにしても貴様、本当にビビらんな。以前妾を討伐しに来た阿呆どもは、こうやって笑うだけで、ビビッて動けなくなっておったが」
「……そういう顔してた奴と、ずっと殺し合いしてたからな。お前みたいなのには慣れてんだ」
随分と家庭的になった今のウタが、そんな顔をする日はもう来ないだろうがな。
俺も……もう二度と、アイツにそういう顔はさせないつもりだ。
「くふ、ますます貴様という人間が気になってくるの。調べさせても、特に大した情報は出て来なかったというのに」
調べさせる、ということは、ちゃんと部下がいるのか、コイツ。一匹狼みたいな雰囲気を漂わせているくせに。
「随分人社会に馴染んでんだな?」
「妾、テロリストぞ? ならば、情報収集を欠かす訳にはいくまい。基本よ、基本」
「おう、自分がテロリストだって自覚はあるのな」
「テロリズム、テロリスト、という言葉が日ノ本で使われる前から、同じことをしておるでな。筋金入りよ」
「やっぱここでお前を殺しといた方が世のためな気がしてきたわ」
俺の言葉に、しかしツクモは楽しそうに笑う。
「くふふ、お主はせんよ、そんなこと。この短い時間であるが、大体『海凪 優護』という男のことはわかってきた。敵には容赦せぬが、貴様は『敵』に当てはまる者の範囲が狭い。仮に妾をほんに敵と見なしておったのならば、こんな風に長話などせず、即座に攻撃を開始しておったはずよ」
「どうとでも思っておけ。少なくとも、俺の生活圏内でちょっかい出して来たら、怒るぞ」
「くふ、肝に銘じておこう。つまり、ちょっかいでなければ、怒らずまた妾と遊んでくれるということであろ?」
「誰が遊ぶか、誰が」
全然関係ないのだが、ウチの居候もシロちゃんも横文字が苦手そうだったが、ツクモはスラスラだ。
こういうところからも、面白いものや新しいものが好き――つまり、変化が好きというのがよくわかるな。
何と言うか……俺よりも、心が若そうだ。
と、そう話している内に俺達はデパートから出て、人気の全く無いところまでやって来る。
「さて、着いたぞ。見よ」
そう言って、ツクモが指差す先にあるのは、路地裏。
そこにあるのは……いや、そこから感じられるのは、淀んだ魔力。
向こうの世界では、『負の魔力』などと呼ばれていたものだ。
人が死した時に必ず発生するもので、体調不良だったりする時でも、微量だがそれが生み出されることがある。
戦場では、それらが死体に溜まることで魔物――ゾンビやスケルトン、リッチなどに変化することがあり、故にアンデッド対策に関しては、必ずしなければならないような、かなり優先度の高い戦場における掟の一つだった。
俺も、アンデッドを斬ったことは何度もある。緋月のおかげで、負の魔力を直に吸い取れるので、倒すのはそう難しくなかったがな。
日本でも、人が死した際寝ずの番の風習があり、世界でもまた似たような風習が存在しているが、恐らくは負の魔力を散らすための儀式なのだろう。
「海凪 優護。魔物は、繁殖以外で、どのように出現すると思う?」
「魔力が高じた時だ」
「そうよ。生命が、無意識に肉体から発している余剰魔力。それ自体は微々たるものであっても、人間は特に数が多い故、こうして結構な量の魔力が溜まる。それが、負の属性を帯びていれば……あとは簡単よ」
ツクモがポケットから取り出し、ポン、と放ったのは、小さな魔石。
すると、それを中心に負の魔力が集まっていき、徐々に形を成していき――やがて生み出されたのは、生物のなり損ない。
一番近い言葉は、恐らくキメラ、になるだろう。
ネズミのような、コウモリのような。
しかし、およそ通常の生物とは思えない形状で、まるで継ぎ接ぎされたかのように、手足の位置や羽の形などがおかしくなっている。
「ま、今の魔力量ならば、この程度か。『脅威度:Ⅰ』未満。そこらの野生生物にも負けるであろうし、放っておいたら数日も持たずに死ぬであろう。が、多少手を加えた魔石さえあれば、魔物はこんな簡単に生み出せる。――人間どもは、魔力を知らん。感じ取ること自体は出来る者がそこそこおるが、それが何かを知らぬ故、対処出来ん。だから、こうして魔力溜まりの出来る場所を己らで造ってしまう」
ツクモはスイ、と指を動かし、次の瞬間、今しがた生まれたばかりの魔物がグチャリと潰れる。
少しして、その姿が宙に溶けるように消えて行き、最後に残るのは、ツクモが投げた小さな魔石一つ。
「条件さえ揃えば、魔石が無くとも魔物は生まれる。どこにでも、どれだけでも。ま、その条件が揃うことはそう多くはないがの。それでも、ゼロには決してならん。にもかかわらず、人間どもは魔物の存在をひた隠す。そして対応も追い付いていない。危機感も足りておらん」
ツクモは、言った。
「――甘過ぎる。考えが、あまりにも」
真っすぐに、こちらを見る。
激情のある、憤りを感じさせる瞳。
「……だからお前は、明華高校の時みたいに、啓蒙活動をしてるってか」
「くふ、啓蒙活動か。良いの、これからはそう言おう。いや、しかしテロリストという肩書きも捨てがたいしの……」
何故テロリストの肩書きに愛着を持っているのか。




