旧本部《8》
庵にて。
「どうでした、海凪 優護は」
シロの淹れてくれた茶を飲み、ホッと一息ついていると、ニコニコしながらそう問い掛けられる。
綾は、この茶が何よりも好きだった。
心が落ち着き、ホッと安心する味だ。
主に歓待させるなど、少し申し訳ない気もするのだが、この人はこうやってお茶を振る舞ったりすることが好きで、こちらが美味しいと言うととても喜ぶので、今ではよくご馳走になってしまっている。
人の世話をするのが、好きなのだ。この主は。
「強かったです。全く本気は見せていませんでしたが、それでも垣間見える強さがありました。在野にあんな強さの人間がいたとは、ちょっと信じられません。各家の当主レベルはあるでしょう、あれは」
「ふふ、その程度で収まるのならば、ツクモが興味を持ったりなどしませんよ」
「……当主レベル以上、と?」
「彼が本気を出した場合、私でも負けるかもしれませんね」
「ご冗談を。……本当に?」
シロはその問いに答えず、曖昧に笑う。
「例の件を進める前に、彼のような者が現れてくれて助かりました。実際に人となりも見て、問題もありませんでしたし、心強い戦力になってくれることでしょう。……あれ程純粋で、綺麗な魔力をしている子は、ちょっと記憶にありませんね」
魔力には、その当人の人柄が出る。
綺麗な魔力をした者は、心根の澄んだ者が多く、そして逆に淀んだ魔力をした者は、犯罪者であったりすることが多い。
ただ、体調不良によって淀みが出たり、種族差によって違ったりするので、一概に言うことは出来ないのだが……一つ言える確かなことは、あれ程の美しい魔力をした者は、滅多にいないということだ。
それだけで、『海凪 優護』という人間を信ずるに足るのだ。
「綾。あなたも準備しておきなさい。ツクモは、やる気です。その時は近いですよ」
「ハッ、畏まりました」
シロはこくりと頷くと、お茶のおかわりと、お茶請けをいそいそと用意する。
「さ、このおまんじゅうでも食べて、英気を養うことです。綾はこれが好きでしたね」
「……あなたに歓待していただく度に、ちょっと申し訳ない気分になるんですよね」
「私が好きでしていることです。綾が美味しそうに食べてくれると、私も嬉しくなりますから」
ニコッと笑う主を見て、やっぱりこの人のために人生を捧げようと、綾は改めて誓うのだった。
◇ ◇ ◇
「知らん女の匂いがする」
家に帰ると、突然ウタがそう言った。
「は? いや、そりゃ、女性にも会ったが」
「いいや、これは……会って二人きりで歓待してもらい、意外と楽しくてその時間を満喫した匂いじゃ!」
「お前さては、キョウから連絡貰ってるな?」
どんだけ具体的な匂いしてんだ、俺から。
「彼奴とも連絡先は交換した故な、お主が何かすれば、儂に連絡が来る。当然よ!」
キョウは割とウタを苦手に思っている様子だったが……いつの間に普通に連絡出来るようになってたんだ、コイツ。
相変わらず、凄まじいコミュニケーション能力である。
「……むむ、狐の匂い」
と、ウチに遊びに来ていたらしいリンが、ウタと一緒になってそんなことを言う。
「あ、あぁ、お狐様に会ってきたんだ。尾が九本あったぞ。リンも、成長したら尾が増えるのかね」
「……ん、多分? でも、凛、ずっと隠れてばかりだったから、全然尻尾増えないかも……」
「はは、まあ尻尾が多いから偉いって訳じゃないし、リンは今のままで十分可愛いさ」
「……ほんと?」
「ホントもホントさ。尻尾が多かったら、それはそれで可愛いかもしれんが、一本だけのリンも最高に可愛いぞ」
「……んふふ、なら良かった」
わしゃわしゃと頭を撫でてやると、嬉しそうに笑うリン。可愛い。
「おいリン、違うじゃろ?」
が、ウタの言葉に、ハッとした表情を浮かべる。
「……! そうだった。凛とお姉ちゃんというものがあるのに、お兄ちゃんは、他の女の人のところで楽しく過ごして……」
「そうじゃそうじゃ! 儂らというものがありながら、外で女を作って、一日過ごしてくるとは……およよ、待たされるだけの女とは、辛いものよ」
「いや何してんだお前ら?」
「昼どらおままごと」
お前、順調に変な日本語覚えてきてるな?
「何だ、今日は昼ドラ見てたのか?」
「うむ! リンと一緒に、人間社会のどろどろを学び、日本という国の理解を深めておった」
それで学べる日本は相当狭いが。
「……人間、大変。奥さんも、夫も、大変」
「お前、リンに変なもの見せるなや」
「まあ、確かにちと早いかもしれんが、この子も女じゃ! 男女というものを知っておいて、損はないじゃろう」
「……むむ、二人とも、失礼。凛、これでも、お姉さん」
「そうか、お姉さん。もこもこのパジャマがよく似合ってるぞ」
「……んふふ、これ、お気に入り。とても快適で、いい」
んふー、と子供用パジャマに喜ぶ、可愛いお狐様である。
「わかった、リン。今度、一緒にディ〇ニー映画観ような。それかジ〇リ。夢と希望に満ち溢れた、ワクワクとハラハラのある大冒険が待ってるからさ」
「……おー。愛憎渦巻く、複雑な人間模様はない?」
「ウタ?」
「わ、儂に言われても困る! 今日やっておったのが、たまたまそういう作品だったというだけじゃ!」
言い訳するようにそう言うウタ。
が、決して俺と視線が合わない辺り、良くないものを見せたという自覚はあるようだ。
「……いいか、リン。人間関係には、確かにそういう面もある。が、それが全部じゃないんだ。一緒にいるだけで、ただ幸せ。良いところも嫌なところも全部知ってるけど、共にいれば居心地が良い。そういう関係を築くことが出来れば、ドロドロした感情を味わうこともないんだ」
「……お兄ちゃんとお姉ちゃんみたいな?」
「……ま、まあ、そんな感じだ」
ここで否定すると、言葉の説得力が無くなるのでとりあえず頷くが、すると横でウタが、ニヤリと笑みを浮かべる。
「ほほぉ? そうかそうか、お主は儂を、しかとそういう風に思ってくれておったのか」
「うるせぇ、調子に乗んな。お前はそれ以前の関係ってだけだ」
「酷い男じゃ、ここまで共に過ごしておいて、まだそんなことを言っておるとは。いい加減、往生際が悪いと思わんか? のぉ、リン」
「……ん。お兄ちゃん、そろそろ無理がある」
「ええい、うるさいうるさい! 俺、風呂入るから、風呂! 今日は一日動いて疲れてんだ、これ以上疲れさせんな」
「うむ、わかった! それじゃあ、着替えとばすたおるは儂らが用意しておいてやるから、存分に温まってくるがよい! リン、準備するぞ!」
「……ん!」
何だかとても楽しそうに、タンスから俺の着替えを取り出し始める二人。
……もう何だか、コイツらには勝てないかもな。
俺は苦笑を溢し、そして浴室に向かったのだった。




