旧本部《7》
鬼族は、長らく迫害されて生きてきた。
まず最悪だったのは、魔物の中に『小鬼』と『大鬼』がいたことだ。
全くの別の種族だというのに、「同じ鬼だから」という理由で同一視されてしまい、鬼族もまた人間達から遠ざけられ、恐れられ、討伐対象とされてきたのだ。
さらに過去、鬼族である『酒呑童子』や『茨木童子』などが人間界で悪行を重ねていたのも、最悪だった。
そのせいで鬼族はさらに厳しい目を向けられ、迫害されることになったし、「こんな風に人間にいいようにされるくらいなら、あの鬼達のように自分も好きに生きてやる!」と、人間に反発して暴れる鬼も多く出るようになったと聞く。
山奥でひっそりと、人間に見つからないように生き、見つかったら逃げ、まるで罪人であるかのように過ごす日々。先祖達の苦労は、察するに余りあるだろう。
こうして立場を確立出来て、人間達との確執もほとんど無くなったのは、シロが己達の一族を庇護してくれてからなのだ。
だから、鬼族の者は皆、シロのために生きることを誓っているし、シロのために死ぬことを誓っている。
鬼族の現当主であり、一族を率いている綾もまた、シロの筆頭護衛として生涯生きるつもりであり――だからこそ、彼女がわざわざ呼んだ人間に興味を持ったのは、自然な流れだと言えよう。
――この程度では揺さぶられない、か。
綾は、笑みを深める。
軽く挑発してみたが、反応は皆無。
強者に一致する特徴だ。こういう者は、口で侮られたとて、実力でわからせればいいのだから、挑発には応じないのだ。
――さて、ツクモに名を覚えられ、我らが主に庵へ招待された人間は、いったいどんな実力をしているのか。
この立ち姿、恐らく我流だ。
明らかに正規に剣術を学んだ者の立ち姿ではなく、だがそれでいて、確かな練度が窺え、隙が見えない。
一見すると、どこからでも打ち込めそうな様子であるのに、どこに攻撃をしても即座に反撃を食らいそうなイメージが浮かぶ。
恐らくそれは、目、が理由だろうか。
見られている。
頭部の天辺から足のつま先まで、こちらの全てを。
まるで、細胞の一つ一つの動きまでをも注視されているようで、思考すら見透かされているのではないかと、そう思わんばかりの視線なのだ。
指の一つでも動かしたら、それだけでこちらの意図が全てバレてしまうのではないかというような。
ただ、この様子からすると、あまり自分からは勝負を吹っ掛けないタイプか。
カウンタータイプ、という訳ではないのだろうが、立ち姿からして、静かな様子だ。
悠久の時を武に捧げた、達人のように。
――己から動くつもりはない、か。
綾は、仕掛ける。
ジリ、と半歩を詰め、間合いを狭め――次の瞬間、優護が反応した。
人間とは思えぬ程の、鋭い踏み込み。
魔力の使用は無い。にもかかわらずこれだけの鋭さをしているのは、肉体動作が最適化され、無駄が一切ない踏み込みが出来ているからだろう。
ただ、綾もまた、優護を見ていた。
彼が己の間合いに入ると同時、彼女は木刀を振るう。
大太刀サイズである故、並の人間では一振りするのも難しいそれを、まるで枯れ木でも扱っているかのようにシュン、と軽々振るい――が、受けられる。
全く力まずに、流水の如く受け流され、そのまま一気に距離を詰めてくる。
向こうの間合い。
――誘われたかっ!
攻撃が来る、と判断した綾は、即座に大太刀を引き戻す。
人間では不可能な芸当であろうが、鬼族の腕力ならばそれが可能だ。
返す刀で二の太刀を放ち、しかし、それもまた誘いであった。
優護の姿が消える。
いや、実際には消えたように見える足捌き、なのだろうが、綾の動体視力であっても捉えられなかった以上、同じことだろう。
――回り込まれた。迎撃、は無理。ここは彼の間合い。逃げるならば前方。
優護が己の視界外に回り込んだのだと即座に判断し、前へと逃げに動いた綾は流石であった。
しかし、遅い。もう、勝負は付いていた。
トン、と、背中から肩に木刀を乗せられる。
「これで終わりにしましょう」
「……完敗だ。やるね、海凪君。手加減してあげるなんて言っておいて負けると、ちょっと恥ずかしいね」
「アヤさんの本領は身体強化を発動してから、でしょう。素の状態のあなたくらいには勝たないとね」
「ふふ……そうだね。次の機会があったら、君の本気を引き出せるように頑張るかな」
「今のが本気ですよ。これ以上でやったらアヤさんには普通に負けますって」
「面白い冗談だ。一切魔力を使っていなかったのに、本気か」
「お互い様でしょう」
肩を竦める優護。
――なるほど、実力の一端は、多少見えたか。
静かな勝負だった。
実力が無い者に限ってやりがちな、無駄に派手な動きは何もない。
当事者でなければ、よくわからないであろう一戦。
だが、今の短い時間に含まれていた、大量の駆け引き。
彼が、間違いのない強者であると、これだけで理解することが出来た。
己の主に、良い報告が出来そうだ。
◇ ◇ ◇
「……綾さんにも勝てるのか、優護は」
「あんなのはお遊びだ。お互い本気じゃなかったからな。勝ちにはカウント出来ないさ」
「確かに、互いに全く魔力を使っていなかったな。まあ、君達レベルの者が本気でやり合った場合、あの訓練場など粉々に破壊されてもおかしくないだろうが」
そうかもな。
アヤさん、全然本気じゃなかったし、鬼族のポテンシャルはあんなものではないだろう。
軽く、流すようにやり合っただけだ。
「とりあえずキョウ、長物相手は、懐に飛び込むのがいいぞ。アヤさんはそれでも対処してきたが、適切な間合いじゃないことは確かだ。見てたと思うが、今のアヤさんも二の太刀の精度は悪かったからな。つっても、身体強化使ってたら、あの状態でもさらに三の太刀が放ててたんだろうが」
「……精度悪かったようには思えなかったが」
「力の入れ具合が全然違ったぞ。逆に、田中さんみたいに短剣使ってる相手は、間合いに入れちゃダメだ。こういう人は、得てして体術に優れてる。そもそも短剣って武器自体が入り身主体のものだから、間合いを保てなくなると一気に不利になる。強い奴程、間合い管理を徹底してるもんだ」
「そうだな、海凪君の言うことは正しい。見ていた限り、清水君はまだまだ間合い管理が甘い。綾姫殿も言っていたが、特に疲れが出てからの動きが悪くなる。体力を付けることと、疲れてからの動き方を学ばねばな」
「なら隊長、訓練付き合ってくださいよ。優護はそういう技術教えらんないって言うし」
「いいだろう、戻ったらな。海凪君、君もどうかね」
「監視カメラ止めてくれるなら考えますが」
「いいぞ」
いいんだ。
「……隊長、それ、規約違反では?」
「あの支部の支部長は私だ。ならば、ある程度好き勝手やっても構わんだろう」
「優護、この人堅物に見えて、実はこんなんだ。アンタも気を付けな」
「俺を入れるって時点で、相当だもんな」
「確かに」
いや普通に頷くなや。
――そうして俺は、二人と共に旧本部を後にした。
面倒な輩に絡まれはしたが……来て良かったかもな。




