旧本部《5》
旧本部の中は、豪奢な造りにはなっていたが、やはり日本家屋であるためか、意外と落ち着くような雰囲気だった。
品が良い、という感じだろうか。初対面が次期当主様だったため、あまりこの施設に良い印象は抱いていなかったが、流石に先入観だったか。
また、和一色という訳でもなく、洋風だったり現代風だったりしているところもあり、神域の建物でもやはり工事自体は結構しているらしい。
あれだ、祖父母の家LV:100、みたいな。どれだけすごくとも、祖父母の家だからなんか安心する、みたいな。
自分で考えててよくわからなくなってきた。
「――こちらだ。この先に、シロ様の庵がある」
そうして案内されたのは、屋敷の最奥。
その先にあるのは――庭園。
広く、綺麗な日本庭園。
青々と茂った緑。
枯山水と、飛び石の道。
もう夏が近付いているため、気温は高くなってきているのだが……ここは、何だか酷く涼しい。
カコン、とししおどしの音がなる。
枯山水と繋がるように広がるのは、大きな池。
透き通る池の水面が、鏡合わせのように庭園を映し取る。水の中に見える、もう一つの世界。
静寂。
静謐。
音があるのに、感じられない。
まるで、この庭園だけ現世から切り離されているかのような。
溢れ出る、純粋で濃密な魔力。
――庵は、池のほとりにあった。
ここまで通ってきた家屋と比べれば、圧倒的に小さく、ワンルーム――という表現を庵に使うのが正しいのかはわからないが、とにかく俺の部屋とそう変わらないくらいのサイズ感の、小ぢんまりした庵。
だが、そこから感じられる気配の強さは、尋常ではない。
その気を放っているのは、恐らく――。
「海凪 優護。よく来てくれました」
縁側の座布団の上にちょこんと座り、こちらに頭を下げる小さな姿。
無垢なる美。
お狐様。
尾は九本。
見た目の歳は、ウタと同程度。身長も似たようなものだろう。
しかし、強さに関しては……多分、全盛期のウタの方が倍は上だ。流石に今は負けるが。
……アイツって、マジで怪物だったんだな。
「シロ様、私はこれで。海凪君、ではな」
「ありがとうございました、綾」
俺を案内したアヤさんは、お狐様に一礼し、軽く俺に会釈すると、来た道を戻って行った。
「私は白。どうぞよろしく。気軽にシロちゃんと呼んでください」
「はぁ、どうも、海凪 優護です。シロちゃん」
「ん、私の力を正確に把握していながら、恐れるでもなく、警戒するでもなく、自然体。大した男子です。さ、こちらにお座りください。今お茶を淹れますので」
「あ、えっと……」
「遠慮しないでいいです。招いた側として、これくらいの歓待はして当然ですから」
何故か少し楽しげな様子で、囲炉裏のやかんを取り出し、お茶を淹れ始めるお狐様。
……何だか、孫が遊びに来た時のおばあちゃん、って感じだな。
いや、年齢的には実際、そうなのかもしれないが。
こんなとんでもない気配を放っているのに、何となく安心する感じだ。
……なるほど、日本を守ってきたお狐様か。
多分、そもそもとして、人が好きなのだろう。
縁側に置かれた座布団に、俺もまた腰を下ろす。
「さ、どうぞ。お菓子も好きに食べてください」
「ありがとうございます。……あ、美味しい」
ズズ、と淹れてもらったお茶を飲むと、思わずそんな感想が口から漏れる。
香りに、仄かな苦みに、ホッと緊張が緩むような、何だかすごく安心する味だ。
「それは良かったです。良いものを用意させた甲斐がありました。――さて、まずは謝罪を。先程、話を聞きました。こちらが呼んだのに、海凪 優護達には不快な思いをさせてしまいました。大変申し訳ありませんでした」
「あー、気にしないでください。どこのコミュニティにもああいう輩はいるでしょうから」
「ですが、そのこみゅ、こみゅに、こにみゅ……共同体の長は、私です。組織の良くないところの責任も、全て私にあります」
お狐様、コミュニティが言えてません。
ウタも大概舌足らずだが、この人はそれ以上だな。というか、生きた年代的に、横文字が苦手なのか。
微笑ましさで思わず笑ってしまいそうになったが、真剣な話をしている最中なので我慢する。
「あの次期当主様がもう、ウチにちょっかい掛けてこないのならば、俺はそれで構いません」
「次期当主、ですか。飛鳥井 誠人がそう言いましたか」
「? はい」
「飛鳥井 誠人は次期当主ではありません。正確には候補、です。もう一人、候補に弟がいます。かなり優秀な」
……あぁ、そういう。
どうりで護衛の質がお察し、って感じだった訳だ。
実績欲しさに俺の刀が欲しくなった、といったところだろうか。確かに緋月が扱えれば、何でも斬れる訳だし。扱えれば。
「ま、奴のことはもういいです。あとはそちらにお任せしますから。――それで、今日はどういう目的で俺を?」
このままだとずっと謝られそうだったので、俺はそう言って話を先に進める。
「目的は二つ。まずは海凪 優護を見ること」
「俺ですか?」
「はい、報告は私まで届いていますから。あのいたずら好きな子が、何も手出しせず帰るなど、ちょっと記憶にありません。ただ、こうして実際に海凪 優護を見て、それも納得です。……よくまあ、人の男子が、そこまでの力を付けたものです」
よく見知った仲であるかのように、ツクモのことをそう語るシロちゃん。
……ツクモ、という字をどう書くのかは、すでにキョウから聞いている。
白と、白。
片や日本を守る守り神的な扱いで、片や特級テロリスト。
そんな俺の、言葉にせぬ思いを、彼女もまた感じ取ったのだろう。
「狐とは、二面性のある生き物です。神の使いとして言い伝えが残ることもあれば、悪鬼羅刹の一種として描かれることもある。――あの子は確かに、問題を起こす。とても重い問題を起こすこともあるし、それが人の生死に関わることもある。いたずら好きの悪い子です。しかし、そこにはちゃんと意味がある。それだけは、忘れないでいてあげてください」
意味、ね。
「……ツクモは、あなたへの伝言で『針を動かせ』と言っていました。それがどういう意味なのかは、聞いても?」
「私は私の生き様を全うするだけ。ですが、あの子は私のやり方を、もどかしいと思っているのでしょう。あの子は私より賢い。故にたくさん考え、たくさん行動しています。私にも、もっと行動しろと言いたいのでしょう」
……最近、魔物の出現が増えているというキョウや田中のおっさんの言葉。
今日見た、退魔師達のレベル。たまたまいなかっただけかもしれないが、やる、と思ったのは田中のおっさんとアヤさんだけ。
あのアホが、次期当主候補なんかになる状況。
そして、絶対的な庇護者として存在しているらしい、このお狐様。皆が、いったいどれだけこの人を頼りにしているのか。前世のウタのようなものだ。
何がもどかしいのかは……正直、わかるかもしれない。
「……そうですか。ま、聞いといて申し訳ないですが、俺はただのバイトですので、関係ない話ですね」
この組織に深入りするつもりはない、という俺の意思に対し、彼女は何も言わない。
意味深な笑みを浮かべ、ただこちらを見るのみ。
俺は微妙に居心地が悪くなり、誤魔化すように言葉を続ける。
「もう一つの目的は?」
「海凪 優護。あなたは助けを求めたら、私を助けてくれますか」
「……あんまり面倒なのはやめてくださいね」
そう言うと、彼女はニコリと微笑んだ。
「善処しましょう。――海凪 優護」
「はい」
お狐様は、言った。
「あなたに流れる魔力は、とても清らかで、静かで、美しい。まるで森の奥深くを流れる清流のよう。その在り方を貫きなさい。でも、辛くなったら、ちゃんと休みなさい。人とは、全力を出し続けて生きられるようには、出来ていないのですから」
「……俺は俺のやりたいようにやるだけです。昔も、今も、これからも」
「ふふ、えぇ、そうですね。あなたはそうして生きることです。今日、こうしてあなたに出会えて、良かったです。とても良き時間を過ごすことが出来ました」
「…………」
湯呑の茶を、ズズ、と飲む。
そして、用意してくれていた羊羹を、パクリと一ついただく。
その俺の様子を、祖母のような眼差しで静かに眺めるシロちゃん。
シン、とした静寂が戻ってくる。
どこか遠くにあったししおどしの音が、響く。
混じり合う、風と、水の音。
「……良い庭ですね」
「自慢の庭です。三百年くらい掛けて、私が一から整えました。裏には畑があって、野菜も育てているのです。収穫したら、海凪 優護も呼んで、食べさせてあげましょう」
「いいですね、楽しみにしています。あ、その時は友人を連れて来てもいいですかね? 鬼っぽい奴と、狐の子と、二人いるんですが」
「この環境が辛くない子でしたら、全然構いません。私が、しっかり歓待してあげます」
えっへん、と胸を張るお狐様。
この茶と、羊羹の美味さを、何だか俺は一生忘れないような気がした。




