旧本部《2》
「……田中さん」
「何かね?」
「俺は、例のダンジョンの件の処理がようやく終わったからって言われて、局に向かった訳ですが……この車、いったいどこに向かってるんです?」
俺は今、黒塗りの車に乗せられていた。
対面シートがあるような、デカい高級車だ。
いわゆる、リムジンである。初めて乗った。
斜め先の対面のシートには田中のおっさんが座り、そして俺の隣にはキョウが乗っている。運転手も見たことのある顔だな。確かバックアップチームの一人だ。
隣のキョウもまた、微妙に怪訝な表情だ。コイツも行き先をまだ聞いてないのか。
「旧本部だ」
「旧本部……?」
その言葉に、俺よりも先にキョウが反応する。
「……やっぱり、それだけの事態になったってことですか」
「そうだ。『白』と直接会った者に、話を聞きたいと。海凪君には本当に悪いのだが、どうか付き合ってもらいたい。報酬に関しても、そこで支払いが確定することになるだろう」
「はぁ」
うむ、話が全く見えん。
付いて行けていない俺の様子を見て、田中のおっさんは言葉を続ける。
「海凪君、君は我々の組織についてのことは?」
「以前にちらっとだけキョウから聞きましたが……確か、明治の頃に成立したとか」
田中のおっさんはこくりと頷く。
「その通りだ。近代国家成立時に、その辺りの諸々もまた整備がされ、今の『特殊事象対策課』となった。ただ、それは政府の人間が陰陽大家に教えを乞う、という形で成立している。その力関係は、現在も変わっていない」
「あー……国の人間である田中さんでは、断れない筋からの要請だと」
「そうだ、すまないな。……日本という国を守ってきた、我々にとって最重要人物と言って良かろうお方が、君に興味を持ったようでな」
「それは……」
田中のおっさんの言葉を次ぎ、キョウは言った。
「優護の想像通りだよ。――ツクモが言ってたお人だ」
あの時、ツクモが俺に言った言葉。
――『あの狐めに言うておけ。そろそろ針を動かせ、とな』
つまりはその、お狐様が今、俺を待ってるって訳か。
その人は、陰ながら日本を守り続けてきた存在と。
となると、新本部は政府関連の施設で、旧本部はそのお狐様と、陰陽大家とやら関連の施設になっているってところだろうか。
この言い方だと、力関係的には旧本部の方がまだまだ上なのだろう。
「……まあ、わかりました。長丁場になるとは元々聞いてましたし。それで、どれくらい掛かるんです? その旧本部とやらには」
「二時間程だ。故に、このリムジンの中のものは好きに飲み食いしてくれていい。ただ、酒だけはやめておけ」
「わかってます、流石に飲みませんよ。――それにしてもすごいな、キョウ。俺こんな車初めて乗ったわ」
シートからして、ちょっと他に類を見ない程豪華だし、そもそもリムジンの時点で初めてだ。
興味を引いてあちこち見ていた俺だったが、そんなこちらを見て、キョウは若干呆れたような表情を浮かべる。
「……前から思ってたが、優護、アンタは緊張感ってものが全然ないよな。あの異界でもそうだったし」
「まあ俺は強いからな」
「いやどういうことだよ」
「大事なことだぞ? 自分が強いって思えることは。大概は何とかなるって心構えが出来る」
緊張とは、不安から来るものだ。
不安の種類は千差万別であるが、今この場面で緊張を覚えるのだとしたら、それは何が起こるかわからないという不安だろう。
が、何が起こるかわからない事態なんてのは、人生において日々起こるものだし、俺は物理的に強い上に色んな死線を潜り抜けて来たので、それによって「何が起きても大体は対処出来る」という自信を持っている。
なお、ポイントは大体、というところである。人生において、「無理なものは無理」ということは時折あるので、そういう時は潔く逃げる。
この、『逃げる』という選択肢、結構大事だと俺は思っている。
人は、逃げることに忌避感を覚えがちだが、それが出来ないとストレスを抱えておかしくなったりもするし、俺みたいな職種の奴だと普通に死ぬ。
頑張って頑張って、それでも無理なら諦めて逃げる。
己を守るためにはそれも必要な選択だと思うのだが……まあ、そう簡単に行かないのも人生というものなのかもしれない。
「何だ、キョウ。緊張してんのか?」
「……そりゃ、するさ。本来なら、あたしみたいなヒラ隊員、一生縁が無くてもおかしくない場所だ。正直、あんまり関わり合いになりたくないとも思ってたし……まさか、こんな形で行くことになるとは」
「よし、じゃあこのジャーキーでも食え。俺がスーパーで買うつまみの倍くらい美味いぞ。肉食って腹満たしとけば、頭も回るし身体も動くぜ」
「……優護」
「おう」
「アンタ、何つーか……やっぱりウタと似た者同士だな」
今のどこにそんな要素があった?
◇ ◇ ◇
キョウと雑談しながら、時折田中のおっさんも会話に混じり、車内で揺られること二時間。
だんだんと人気が無くなっていき、対向車線を通る車も無くなっていき、そして恐らく私道と思われる道を走り始めたところで、気付く。
「…………」
窓の外を見る。
空は晴天、道の左右には深い森が広がり、典型的な山道といった風景であるが――結界の内側に入ったな。
見る限り、恐らく張られているのは、迷いの結界。
多分ここは、知っている者でなければ辿り着けない。
たとえ一本道だとしても、目的地を知らぬ者が闇雲に走ったところでゴールに着くことはなく、元の場所に戻されるのだと思われる。
この道に入るためのさっきの曲がり角とかも、リンのところの神社と同じように、一般人には一切見えないんだろうな。
そして……この空気。
清浄で、厳かで、どことなく精神が引き締められるような。
――言葉で表すなら、『神域』ってところか。
ここもまた、一種のダンジョンと言うべきだろう。
清浄なる大自然の魔力によって、空間が変質した領域。
やがて、前方に建物が見えてくる。
武家屋敷のような、堅牢で荘厳な日本家屋が連なっており、かなりの規模だ。天守閣こそ無いが、これはもう城って言ってもいいかもしれないな。
何だかタイムスリップでもしたかのような気分だが、それでいてしっかり道路が敷かれ、駐車場も備わっている辺りが何だかちょっと面白い。
駐車場のある神域。現代っぽくて割と好きだわ。
「……話には聞いてたが……隊長、すごいですね」
「あぁ。初めて来た時は、私も大分圧倒された。清水君、気を付けたまえ。ここは、特異な空気が漂っている。慣れていないと、少し精神に来る。気を強く張っていなさい。海凪君は……問題ないか」
いやまあ、問題ないけども。
そのまま車は駐車場に停まり、俺達はようやく車内から出る。運転手さんだけはこのままここで待ってくれるようだ。
「こちらだ。すぐに案内の者が――」
「――来たか、田中」
その声は、田中のおっさんの言葉を遮るように聞こえてきた。
建物の方から近付いてきたのは、長身瘦躯のメガネの男と、護衛なのか付き人なのか、その傍らに控える二人の男。刀差してるから護衛か。
「……飛鳥井殿」
田中のおっさんの、感情の窺えない声。
ただ、その声音は普段よりもさらに感情を押し殺したもので、赤の他人ではないという程度の仲でしかない俺でも、流石に察することが出来た。
――なるほど、厄介ごとだな?
この空気、どう考えても案内の者ではない。
まあ俺には関係ないだろうし、ここは田中のおっさんに任せよう、なんてこの時はまだ思っていたのだが……。
「その者らか。たった二人で、脅威度『Ⅳ』の異界化を解決したなどとほざいている、痴れ者どもは」
メガネの、睨め付けるような視線が、こちらを向いた。




