旧本部《1》
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明華高校にて。
「…………」
学校の授業を受けている杏は、不機嫌さが隠せなかった。
聞こえてくるのは、教師の声と、チョークで黒板に書くカツカツという音、そして同級生達がノートを取るカリカリという音。
だが、杏の握ったシャーペンは動かず、広げられたノートはほぼ真っ白だった。
彼女は高校三年生であり、故に同級生達は大学受験等で忙しくし始める時期だ。
特に、明華高校は進学校であるため、大学進学率は非常に高く、相応の授業が行われている。
しかし、杏はすでに就職先が決まっている。
何なら杏自身は、もう中退してしまって、今のこういう時間も訓練に当てたいくらいなのだが、上司たる田中に「学業は大事にしなさい。本来それは、就職などとは関係なく行うべきものなのだから」と常々言われており、渋々通っているのが実情である。
確かに、彼女は女子高生だ。見た目通りの歳であり、勉学を大事にしろというのは正しい言葉だろう。
ただ、すでに殺し合いの場に何度も出ていて、己の道を見定めている少女でもある。
その精神性は、ただの女子高生と比べれば明らかに異質であり、それでいいと本人もまた思っているため、学校にいる時間は無駄にしか感じられないのだ。
いったい今、何のために自分はここにいるのか。
特に、あんなことがあった後である。こんな風に、無駄に日々を過ごしていていいのかと、どうしてもそう思ってしまうのだ。
――明華高校にダンジョンが生成された件は、表向きは軽いボヤ騒ぎとして処理された。
体育館工事を行っていた業者の、タバコの不始末によるボヤ。
そういう名目でその会社の捜査が行われたようだが、特級テロリスト、大妖怪たる九尾の狐『白』の痕跡は、ゼロ。
ツクモが、体育館工事にかこつけてダンジョン化の細工を行っていたことは間違いないと思われるのだが、従業員達が協力していた証拠や、あるいは魔法的な干渉等がされていた痕跡は一切出て来なかったそうで、完全に単独で行動していたようだ。
とばっちりを受けた会社は若干可哀想ではあるが、容疑が完全に晴れた段階で、局によって相応の事後処理が行われるそうなので、まあ問題ないだろう。しっかりとその分の補償はされるはずだ。
ちなみに優護の存在は、駆け付けたバックアップチームの、部隊員の一人だった、という形で処理がされた。
あの日、異変に気付いた己が火災報知器を押して生徒達を逃がし、一人残って対処を続け、後に駆け付けた隊員と共に事態を収拾した、ということに表向きではなっている。
そのため、一から十まで、ほぼ全てを一人で解決した優護の手柄は、大きく分散することになる。
恐らく特一級の功であろう、異界化解決に伴う局への莫大な彼の貢献は、大幅に消え去ることになるのだ。
……現在の彼の立場は、実は相当特殊だ。そもそも『特殊事象対策課』にバイトなんて非正規雇用職は存在しない。
優護は、正式には『外部顧問』という形で、田中支部長が大分無理やりに雇っている状態なのである。
まあ、彼程の人材を逃す訳にはいかないというのは、支部長の立場なら当たり前の話ではあるだろう。
無論、彼の活躍分の報酬は必ず渡す。あまりの功と、得た魔石の追加報酬分が多過ぎたため、正式な報酬額の算出自体はまだ終わっていないものの、田中支部長ならそこは正確にやるだろう。
しかし、「特級テロリストを撃退し、ほぼ単独で異界化現象を解決した」という名誉は、公式には消滅することになる。
と言っても、彼はそんなものいらないだろうというか、仮にそれが表沙汰になって祭り上げられようものなら、むしろ優護はこちらへの協力をやめるのではないか、というのが田中支部長の判断であり、杏もまたその意見には同意である。
優護は、やること為すことあまりにも派手であるが、その一方で己に注目が集まることを、酷く面倒だと思っている節がある。
組織に所属するということ――つまり、己の実力を己以外の者の命令や都合で行使しなければならなくなるような状況を非常に嫌っているようで、それに繋がるような事態は避けた方が良いだろう。
たまたまその場に居合わせただけだったというのに、ほぼお守りをされていた己に彼の功績が半分以上も転がり込んでくることを、杏が本当に渋々ながらも了承したのは、それが優護のためになると思ったからだ。
――あの人の言った通りか。
思い出すのは、優護の家に行った際、ウータルトに言われた言葉。
果たして自分達は、優護に戦ってもらっている分の恩を返せているのか。
答えはもう、明白に出ているだろう。
それこそ、彼の妾にでもならない限り、己が受けた恩は――。
「――――」
そこまで考えたところで、かぁっと顔が熱くなるのを感じ、杏は周囲から表情を見られないよう慌てて俯く。
……幸い、己の容姿は、まあ、自分で言うのもアレだが整っている方であるとは思う。
一番の問題は背丈と年齢だろうが、ウータルトとよろしくやっているのであろう優護なら、見た目が幼いのは、むしろプラスに働くかもしれない。
そうして身内となることで、優護の心身の支えになれるのならば……恩返しに、なるだろうか。
――昔話でもこういうパターンは、つ、妻になることが多いしな。
助けられたお返しに、妻となる。
古今東西、そんな話はありふれているので、まあ仮にそうなっても普通のことなのだろう。うん。
……それに、彼と共にいるのは、安心する。
あのふざけた言動に振り回されることもあるが、共にいると気が楽になり、心が休まる感覚があるのだ。
彼の性格故なのか。それとも、何が来ても跳ね返せるだろうと思えてしまう程、とんでもなく強いからなのか。
いや……ただ強いだけならば、あんな風に周りに人が集うことはないのだろう。
あの、純真そのものであった妖狐の幼女が懐く訳がないのだ。
――あの日は、楽しかったな。
ウータルトに魔法を教えてもらい、共に食事をした日。
あんな風に食卓を囲み、共に食事をするなど、いったいいつ以来だろうか。
魔物に襲われ、家族が全員食い殺された日以来、杏は一人で生きてきた。
助けに駆けつけた田中支部長によって、間一髪杏だけは生き残ることが出来たが……そうして生き残った日から、ずっと、戦うことだけを目的に日々を過ごしてきた。
だから、あの日の食事は、久しぶりに家族がいた頃を思い出してしまった。
そんな温かさが、あの場所にはあった。
――また……行ってもいいかな。
優護は、「いつでも来ていい」と言ってくれていた。
そう……そう、これは、ウータルトに、また魔法を教わるためだ。
『第二防衛支部』での仕事は、正直なところ多くない。
後輩の花のような分析官だと、それ相応の日常業務があるが、ただの戦闘員である己らは緊急動員が掛からない限り、待機するのみ。
勿論、そういう時は訓練を行う訳だが、それも強制されている訳ではなく、自己判断によるものである。
と言っても、訓練を怠ればそのまま死ぬので、この仕事に関わる者は皆真面目に日々鍛えている訳だが、つまりある程度時間を自由に使ってもいいのだ。
毎日登庁する必要も無く、それ故に杏もまた学生をやりながら支部の者としての活動も出来ている訳である。
そのため、まとまった時間を取ろうと思えば、取れるのだ。
次の休日、魔法を学ぶため、そう訓練のために彼の家へ行かせてもらおうと、そんなことを考えて我知らず内に小さく口角を吊り上げていた杏だったが――しかしそれは、不可能に終わる。
田中支部長による、呼び出しが掛かったためだ。
そしてそれは、優護も同時にだった。




