魔物出現
西に太陽が沈み、世界が夜の闇へと飲み込まれて行く、二つの色が空に見える時間帯。
逢魔が時。
その西日に照らされながら、人気のない道を走る少女が一人。
小柄な体躯と、短めだがポニーテールで括られた、艶のある黒髪。
非常に整った相貌で、身に纏っている制服も合わさり、一見すると人形のような可愛らしい印象を受けるが……その印象を百八十度変える特徴が、二つ。
一つは、大きな黒の瞳に映る、意思の色。
強き意思。
光を帯び、固く、真っすぐで折れぬような。
とても少女のものとは思えぬ、思いの強さがその眼光から感じられるのだ。
そして、もう一つが――左手に握られている、鞘に入った刀である。
「――目標は!?」
『脅威度は、推定「Ⅲ」! 魔物タイプで、ヒト型をしている模様です!』
無線から伝えられる情報に、女子高生は思わず舌打ちを一つ溢す。
「チッ……『Ⅲ』か。あたし一人じゃあ、討伐出来るかギリギリのラインだな」
『む、無茶ですよ先輩!? あなたの実力は知っていますが、せめて応援を待ってください!』
「応援待ってたら数人死ぬだろうが」
女子高生――清水 杏。
本来ならば、たった一人で行動するなどあり得ない事態であり、必ずチームで出動すべき状況だが……行かねばならない。
何故なら、放っておけば一般人に死者が出る可能性が高く、そして彼女は、すぐに駆け付けられる距離にたまたまいたからだ。
己の仕事は、命を懸けて敵を排除する仕事。
そのことは、初めからわかっている。わかっていて、刀を手にしている。
である以上、危険だからと逃げる訳にはいかないのだ。
そうして、確固たる意志の下に現場に急行し――遭遇する。
そこにいたのは、刀を手に持つ青年だった。
◇ ◇ ◇
先程のスーパーから、五キロ程離れた位置。
俺が『身体強化魔法』で本気で走れば、我が家から三分も経たずに到着出来る位置にある、東京湾沿いにある埠頭。
砂浜や漁船なんかがあるような場所ではなく、完全な工業地帯として利用されているような、倉庫が立ち並ぶ一角にソイツはいた。
「……オーガか」
オーガ。
力を第一とする、短気で粗野な、荒々しい種族。
隙あらば力試しとして殴り合いをするような奴らで、しかしそうして序列は大事にするものの、己よりも弱い者は守り、他のために己の命を懸けることが出来る誇り高い種族だ。
無論、個体差はあり、血に酔って傲慢になったオーガもいたが、そんな奴がいるのは他の種でも変わらない。そういうので一括りにまとめると、戦争の火種になる訳だ。
――何で、地球にオーガがいるんだ。
元々生息していたってことはないだろうし、突然気配が現れたところから見て、昼に見たお狐様と同じように、コイツも精霊種ってことか?
けど、オーガの精霊種なんて話、聞いたことないぞ。
いや、だがよく見ると、微妙に俺が知っているオーガとも違う……ような気もする。個体差と言われてしまえばそれまでなので、勘違いの可能性も高いのだが。
俺、もしかしてパラレルワールドにでも帰ってきたのだろうか。それとも、知らなかっただけで、元々この世界にはこういう奴らが普通にいたのか?
『グラァァッ!!』
空気が震える咆哮。
牙を剥き出しにし、現れた俺を威嚇する。
「オーガ。俺の言葉がわかるなら、聞け。俺は、お前の敵じゃない」
振るわれる拳。
それを回避しながら、武器も取り出さず、言葉を続ける。
「警告する。お前に恨みはないが、俺は人間種だ。俺達の種を害するつもりなら、俺はお前を討伐しないとならない。だから、大人しくしてろ」
しかし、オーガは聞かない。
感じられるのは、嗜虐心。
恨みでも何でもない、ただ目の前にいる人間を、如何に殺すかだけを考えている、暴力に酔った瞳。
右に左にと回避した拳が、そのままコンクリートに突き刺さり、ドゴォッ、と大きく砕き割り続ける。
「もう一度言う。死にたくないなら暴れるな。仮に言葉はわからずとも、彼我の実力差くらいは……あー、わかってなさそうだな、コイツ」
俺の言葉を理解しておらずとも、聞く気があるのならばその素振りくらいは見せるものだが、そんな様子は一切ない。
恐怖で錯乱していたりする訳でもないようなので、恐らくはとにかく血を見たくて暴れているのだろう。
「……そうか。じゃあ――死ね」
その瞬間、とん、と俺は一歩を踏み込み――斬る。
俺の右手に握られている、数瞬前には存在していなかった、我が愛刀『緋月』。
刹那遅れ、オーガの肉体から、ブシュウッ、と血が爆ぜた。
『――ッ!?』
ズ、とその肉体がずれ、袈裟斬りに真っ二つにした断面に沿ってグシャリと上半身が地に崩れ落ち、次に残った下半身が崩れ落ちる。
今のは、アイテムボックスを利用した居合だ。無手の状態でアイテムボックスを開き、刀を取り出しながら、斬る。
向こうの世界では、『空断抜刀術』なんて名前で呼ばれていたが、俺はちょっと恥ずかしかったからそのまま『アイテムボックス抜刀術』と呼んでいた。
この不意打ち、向こうの世界で何度も練習していて、実は結構得意な技だ。無手の状態から一瞬で武器を引き抜いて攻撃する、というのは色んな場面で有効だからな。
ビュッと振って緋月の刀身に付いた血糊を落とした後、俺は死体を確認する。
臓物やら何やらが断面から覗いていて気持ち悪い限りだが、戦争やってた身なので、この程度で動じたりはしない。
いや、やっぱり嘘だ。結構嫌な気分になっている。
それでも、向こうの世界との差異がわかったりしないかと、死体の細部を確認しようと――殺気。
「うおっ」
「っ!?」
こちらの胴目掛け、死角から放たれた刃を、身体を捻って回避する。
やるな。
誰かが近付いて来ているのは気付いていたが、想定以上の踏み込みの速さと突きの速さに、ちょっと驚いてしまった。
特に、殺気を隠す術が凄まじい。攻撃の直前まで、こちらに敵意があることに気付けなかった。
大した実力者だ。
攻撃を受けたら即反撃、という行動が無意識化にまで昇華されているので、俺は即座に反撃を――というところで、動きを止める。
何故なら、攻撃してきたのが、どう見ても女子高生だったからだ。
「チッ、やっぱ脅威度『Ⅲ』だけはあんな……ッ!!」
繰り出される、少女が放つものとは思えぬ重く鋭い斬撃の嵐。
強い意思を感じさせる、力の籠った視線。
……彼女が、何を言っているのかは俺にはわからない。
が、とりあえず今、勘違いされていることだけはよくわかった。
「あー、ちょっと待ってくれ。俺は敵じゃない――危ねっ!?」
「……言語を解するだけの知能持ちで、人に擬態する能力。ドッペルゲンガータイプか。ここで逃がしたらヤベェな」
俺の釈明の言葉に、だがむしろ少女の警戒感が増す。
うーむ、完全に敵扱いされている。
こんなドンピシャのタイミングで現れた以上は、多分俺と同じく気配に気付いて、このオーガを狩りに来たのだろうと思うので、転がっている死体を見てくれればすぐに誤解も解けるはず――と、思ったのだが。
死体が消えていた。
刃を受け流しながらチラリと確認すると、先程までオーガが転がっていた位置には何もなく、派手に散っていた血の跡も何もない。
あるのは、穴だらけのコンクリートの地面だけ。
……精霊種は、死ぬと肉体を構成する魔力が自然に帰り、そのまま痕跡が消えると聞いたことがある。
コイツはやっぱり、精霊種だったのか? 現象だけ見るとそういうことになるが……うーん、よくわからん。
世界が違えば、こんなこともあるのだろうか。
――と、考えごとをしてしまっていたせいだろう。
繰り出された刃を、遠慮も何もなくほぼ反射的に迎撃してしまい――そのまま、真っ二つに斬ってしまった。
少女の刀を。
「あっ」
「っ!?」
やべっ。
クルクルと回った後、カランと地面に転がる折れた刀身。
女子高生は警戒してすぐに距離を取ったが、しかしその状態でも戦意を失わず、その半ばから折れた刀身の残りをこちらに向ける。
彼女の覚悟は大したものだが、ただ動揺が消えていないのは明白で、ツー、頬を汗が伝い、呼吸が荒くなっているのがわかる。
「……よくも、あたしの『鳴獅子』を……ッ!!」
「わーっ、待て待て、悪かった、悪かったって! ……ほら、これ! これ、代わりにやるから」
ギリ、と歯を食い縛って睨みつけてくる女子高生に対し、流石に罪悪感が芽生えた俺は、アイテムボックスを開いて中から刀を一本取り出す。
俺が向こうの世界で集めていた、刀剣コレクションの一本だ。
鞘ごとポンと放って渡すと、彼女は警戒したまま、微妙に怪訝そうな顔でそれをキャッチする。
「……今、どっから取り出して……」
「細かいことは気にするな。――ソイツの銘は『雅桜』。妖刀、って言える程の力は無いが、振りやすく、斬りやすい、良い水準で纏まった刀だ。少なくともそう簡単に折れたりしないから、普段使いには持ってこいだ。言っちゃ悪いが、その折れたの、そんなに良い刀じゃないだろ」
人の武器に、あんまりケチ付けたくはないがな。
適当に放った一撃で折れてしまった程度のものよりは、『雅桜』の方が遥かに上等だろう。
まあ、俺の緋月を止められる武器など、それこそ魔王が使ってた大剣、『禍罪』くらいなんだが。
「……『鳴獅子』は、国宝の一本だ」
「は? 冗談だろ?」
「斬るぞ」
おっと、なかなかおっかない女子高生である。
と、流石にこの段階で、俺に敵意がないということは理解してくれたらしく、女子高生は瞳に警戒を見せながらも、少し落ち着いた様子を見せる。
「……アンタ、いったい何なんだ」
「何って言われても困るが……あえて言うなら、通りすがりの一般人だ」
「そんなご大層な、化け物みてぇな魔力持った一般人がいてたまるかよ」
あぁ……なるほど。それで脅威に思われたのか。
というか、やっぱり魔力って力も、ちゃんと認識されてるんだな。
「じゃ、これでどうだ」
「っ……アンタ、本当に何者なんだ」
この反応からすると、どうやら無事に一般人相当の魔力量に偽装出来たようだ。
普段も基本的には抑えてるんだが、まあ今は戦闘中だったししょうがない――。
俺は、緋月を斬り上げた。
考えるよりも先に身体が勝手に反応し、何かを斬った、という感触が腕に残るのと同時に聞こえる、パァン、という弾けるような音。
刹那遅れて、二つに斬ったソレが、そのまま地面に突き刺さった。
――俺が斬ったのは、銃弾。
……ライフル弾だな。狙撃か。
銃弾程度を仮に頭部に食らったところで、身体強化を使っているため死にゃしないが……まさか、日本にいて狙撃される日が来ようとは。
ちなみに向こうの世界では数回された経験があるので、初めてではなかったりする。
「……そっちの仲間か? 敵対するって言うのなら、俺も色々考えないといけないんだが」
「っ、花が派遣したバックアップチームだな!? 今すぐ攻撃をやめて、あたし以外は撤退してろ!! いいな!! ……悪い。こっちも少し、焦りがあった。今の攻撃に関しては、全面的に謝罪する」
耳の無線らしきものと繋がっている、首のチョーカーのマイクをオンにし、そう怒鳴るように指示を出した後、女子高生は冷や汗を垂らしながら謝ってくる。
あんまり脅しても可哀想だが、これ以上突っかかって来られても困るからな。
降りかかる火の粉は払うが、かと言って女子高生なんて死んでも斬りたくないし。
それに、この様子からすると、彼女らも出現したオーガの被害を抑えようと動いていたのだろう。
国宝の一本なんて言っていたが、つまりこの女子高生は表でも管理されているような、貴重な武器を手に出来る立場にあるということで、となると日本における魔物とかに対する対応部隊といったところだと思われる。
……魔物の対応部隊。本当にここが俺の知ってる地球なのか、ますます怪しくなってきた。
と言っても、俺にそれを確認する術が存在しない以上、正直気にしてもしょうがないのだが……元々この世界も、こういうところだったのだと思っておくことにしよう。
そのまま、話は終わったと踵を返す俺だったが――。
「待て!」
「何だ?」
女子高生は、一瞬開きかけた口を閉じ、何か悩むような素振りを見せてから、言った。
「……その刀、登録してあんのか? 国に申請してないで振り回してんなら、流石に銃刀法違反に引っ掛かるんだが……」
俺はダッシュで逃げた。
ここまでで地球帰還一日目の模様。