魔法《1》
それから、少し落ち着いたところで。
「ほう? 儂に魔法を教わりたい、と」
「何偉そうにしてんだ、洗濯物を干すことすらロクに出来ない奴が」
「お主のぱんつを一枚駄目にしただけじゃろう。いつまでもあまり細かいことをグチグチと言うておると、無駄に疲れるぞ?」
「どの口が選手権を開催したらお前が一位を取れるな」
「嬉しいの、儂は王として常に一番を目指しておるからな!」
「えーっと……」
「……この二人は、仲良しだから、いつもこんな感じ。気にしないで、大丈夫」
「そ、そうか。……優護、先に一つ聞いていいか?」
「何だ」
「その子は?」
杏は、狐耳を生やし、足をプラプラさせて優護の膝の上に座っている幼女へと視線を向ける。
「この子はリンだ。ウチの近所に住む子で、よくウチに遊びに来てくれてる」
「……ん。凛。お姉ちゃんは?」
「あ、あぁ、よろしく、凛。あたしは清水 杏だ。……その、どう見ても妖狐、だよな?」
「そうだな。だから、局には内緒にしといてくれ」
「……わ、わかった」
それはもうツッコみたいところが盛りだくさんな杏であったが、なんかもう一々付き合っているとドッと疲れそうな気がしたため、全てをスルーすることに決める。
それにしても、以前会った時と比べ、ウータルトが大分はっちゃけている。
というより、こちらが素なのだろう。あの時はやはり、警戒もあって、己を隠すために仮面を被っていたのだ。
キョウは、銀髪の少女へと顔を向ける。
「話を戻しますが、はい。優護に聞いたらウータルトさんが――」
「そう畏まらんでよい。ユウゴと同じ口調でな。呼び名もウタでよい」
「……わかった。少し前、優護に『魔法を学びたいならウタに学べ』って言われたんだ。だから、ウタに教えを乞うことが出来たら、と思って今日訪ねさせてもらった」
「うむ、話はわかった。が、何故、よく知りもせぬお主のために、儂が骨を折らねばなるまい?」
「ウタ――」
「お主は黙っておれ、ユウゴ。これは、儂とこの小娘との話じゃ。――お主も知っておろうが、この男はお人好しじゃからの。誰に頼まれんでも、感謝されんでも、一度こうする、と決めたならばそう動く。誰のためでもなく、ただ己の信念を貫くために、の」
「……あぁ。優護は、そういう男だろうな」
普段のふざけた様子からは、全くそんな風には思えないが……奥底に通った、ズシリと重く、鋭い、それこそ刀のような芯。
それがあることは、もう、杏にもわかっていた。
「じゃから、お主のような者を放っておけんし、手も差し伸べる。――人間どもは、そうしてこの男に縋る。やがて、それが当たり前になる。儂にはお主がその一人になっておるように見えるぞ」
「そんなことは――」
「ないと言えるか? しかし、つい最近も此奴の手によって救われたようじゃな。確かに、力ある者にはそれ相応の責務が課せられるものよ。そうして助けられた者は、感謝をするじゃろう。で、終わりじゃ。命を懸けた対価が、感謝。果たしてそれで釣り合いが取れているのか、儂には答えが出ぬの」
まるで己を人間ではないかのように語る彼女に、杏は反論したい気持ちもあったが、『明華高校』における『異界化事変』は、実際に優護がいなければ大事になっていた。
優護がいなければ、自分も死んでいた可能性は高い。
だから、何も言えなくなる。
「ま、かく言う儂も、今はこうしてこの男の家で厄介になっておるがな。肉体は、相当に弱体化しておる。武器すら用立ててもらった。そんな身じゃ。――それでも、此奴の背中を儂は守れる。何があろうが、共に戦える。共に死ねる。さて、対してお主は何を差し出せる? 儂に魔法を教わる代わりに、何が出来る?」
「…………」
答えられない。
彼女の言うことは、もっともだからだ。
果たして自分に、何が差し出せるのか。
「……と、とりあえず、このどら焼きを――」
「よし、教えよう」
横で黙っていた優護が吹き出した。
◇ ◇ ◇
「……ウタ」
「な、何じゃ」
「俺はさぁ。今結構、感心してたんだわ。やっぱお前は、流石だって。よく見て、よく考えてる奴だなって。……それが、どら焼き程度で買収されやがって……」
「ま、待て! お主は勘違いしておる!」
「ほう、何だ」
「いいか、ユウゴ。まず儂は、元々魔法を教える気はあったんじゃ。お主が目を掛けておる者じゃしな。ならば、儂が知っていることを教えるのも、吝かではない」
「ほぉ」
「ただ、それを当たり前と思われては困るし、この小娘のためにも良くないじゃろう。故に、教わる身としての心構えを教えねばと思うた訳じゃ」
「まあ、お前の言ってたことは正しいな? 善意を当たり前と思われても困るもんだ」
「じゃろう? で、その上で、まずこちらを立てる姿勢として、菓子を献上してみせた。儂はこの世界の物事をよく知らぬ。故に、儂の知らぬものは全て、儂にとって興味を引かれる対象じゃ。つまり、そのどら焼きなるものは、教えを授ける対価として相応しいものという訳じゃの!」
「正直に言ったらどうだ。なんか美味そうだったから食いたかっただけって」
「何だか美味しそうなのでとても惹かれました!」
「おう、本当に正直過ぎてちょっと困ったが、よろしい」
「……食べ物は、とても大事、よ?」
「ほ、ほれ、リンもこう言っておる! 儂の判断は間違いではないな!」
「そうかい」
優護は呆れた顔でそう言ってから、こちらへと視線を向ける。
「キョウ、コイツはこんな奴だ。さっきの話も、そんな真に受けなくていいからな」
「……いや、ウタが言ってたことも、もっともだ。教わる、ってことに対して、あたしの在り方は……甘ちゃんだったっつわれても、否定出来ねぇ。対価、か」
優護は、聞けば色々教えてくれる。
助けてくれる。
食事を奢ったことなどはあったが、優護がこちらにもたらしてくれたものに対し、果たして己は報いることが出来ているのか。
……そんな訳がないことは、もう、己自身が誰よりもわかっているのだ。
そんなことを杏が考えていると、ウタはニヤリと笑みを浮かべ、言葉を続ける。
「ま、難しい問題よ。仮にユウゴを自陣営へ引き込まんとするならば、副王の座に軍関係の指揮権を対価として差し出してもお釣りが来るじゃろう。ただ、それでもやりようはあるぞ。――そう、身内になればよいのじゃ!」
「お前は何を言っているんだ?」
「……身内?」
「うむ! この男は、一度己の懐に入れた者には特に甘い。ならば身内となり、常日頃からユウゴのことを支えてやれば、対価としても十分じゃろう。これで万事解決じゃ! が、一つ言うておくぞ。正妻は儂じゃからな!」
「お前は何を言っているんだ?」
「そう、か……そうか」
杏は、優護を見る。
「……ゆ、優護は……小さい子が好みなのか?」
「は?」
「だ、だったら、その、あたしのことも、好きにしてくれりゃあいいから……」
「…………」
優護は、パシンと隣のウタの頭を叩いた。
「痛い! な、何をする!?」
「お前のせいでキョウがアホなこと言い出しちまっただろうが!? どうすんだよこれ!?」
「? そのまま娶ってやればよかろう。お主の面倒の見方からして、お節介を焼きたくなる程度に才能があり、心根の素直な小娘なのじゃろうし。が、先程も言うたが、正妻は儂じゃぞ!」
「キョウに手を出したら俺は逮捕だっつの! いや、十八歳なら逮捕はないかもしれんが――つ、つか、そんな問題でもねぇし、そもそも何が正妻だ!」
「何を今更。あんなに激しく求め合い、互いの深いところの、奥底まで余さず見せ合った仲じゃというのに……」
「互いの深いところ(内臓)だろうが!? 何照れたような顔してやがる!?」
「……凛も、お兄ちゃんのお嫁さんなる。いつも、いっぱい良くしてくれてるから」
「お、おう、ありがとう、リン。嬉しいよ」
「優護、やっぱり小さい子が……」
「ち、違う!」
「……違うの?」
「ち、違くない。リンのことは好きだぜ、勿論」
「かか、一家で仲良く、共に過ごそうぞ、我が夫よ」
「お前はもう黙ってくれ。本当に、頼むから」
その後、海凪家におけるカオスは、しばらく続いた。
杏もまた、しばらくしてから、己がいったいどれだけ混乱しているのかを、ようやく悟ることが出来たのだった。
 




