地球……?
一瞬、そのまま通り過ぎかけた俺は、思わず二度見する。
綺麗な毛並みの、ピコピコと動く狐耳に、フリフリと動く尻尾。
やはり、獣人。コスプレなんかじゃない。
着ているのは白と赤の袴だが、幼女用なのかちょっと丈が短く、動きやすそうである。
「……獣人ってか、お狐様って感じだな」
と、呟いた俺の声が聞こえたのだろう。
その大きな狐耳がピクッと動き、地面から顔を上げ、こちらを見て――目が合う。
「…………!」
「あ、こんにち――」
そう、俺が言い終わる前に、狐耳幼女は慌てたようにパタパタ動いたかと思いきや、ふわりとそのまま空中に溶けるようにして、消えてしまった。
やべ……怖がらせたか?
今の感じ、恐らくは『精霊種』だろう。
あまりにも高じた魔力が、何らかの拍子に生物を形取り、この世に生み出されることがあるのだ。
その者らは、総じて魔力に優れ、息をするように魔法を使い、その精度は他の生物とは比較にならない。
俺の感覚でも捉えられなくなったのは、それが理由だろう。
向こうの世界でも、そんな生物を数匹見たことがあったが……。
「そうか、お狐様って本当にいたんだな……」
◇ ◇ ◇
なかなかの不思議体験だったが、まあ、向こうの世界じゃあそういう経験は腐る程あるので、脅かしてしまったことに対して微妙に申し訳ない気分のまま、その場を後にする。
それにしても、まさか日本で精霊種と出会うとは。
と言っても、この世界に魔力があることは確認済みだしな。なら、それに準じた事象が発生してもおかしくはないのかもしれない。
きっと、世の中にある都市伝説とかホラーとか謎現象とかの何割かはそれが影響しているのだろう。面白いもんだ。
そうして散歩している内に、いつの間にか辺りが暗くなっていたので、晩飯を買うべく以前よく通っていた近場のスーパーに向かう。
財布は持って出ていたので、中身を確認すると、所持金は三千円と小銭が幾らか。
店にATMがあったので、貯金を確認してみたところ、十万ちょい。
「うむ、仕事をしないと派手にヤバいな」
実際のところ、俺のアイテムボックスの中には武器類の他に魔道具や魔法効果のある宝飾品などが無数に入っているため、それらを売れば一生遊べる金が手に入るだろうが……売れれば、だな。
そんな伝手もなければ、そもそも品自体簡単に表に出して良いものじゃない。
別に、贅沢したい訳でもなければ金持ちになりたい訳でもないので、真っ当に何か職に就くことにしよう。
以前はやりたいことがなくて日雇いのフリーターなんぞをしていたが、そんなのは金を稼ぐための手段だと割り切ってしまえば良いのだ。
真っ当に働いて、金を得て、ちょっと美味いものでも食って過ごせれば、それが最高だ。
……つっても、のんびりはしたいので、給料安くてもいいからあんま忙しくない職場で働きたいところではあるが。
まあいい、仕事のことはまた考えよう。
それよりも今は、今日の晩飯のことを考える方が先だ。
「おぉ、寿司だ!」
何の変哲もないスーパーの海鮮コーナーだが、当然向こうの世界に寿司なんて無かったので、久しぶりのそれにテンションが上がる。
素晴らしい。今、俺はこれだけで幸せを感じている。
腐っていない、まともな食材でのまともな料理を食べられるという当たり前が、如何に幸福なことであるのか教えてくれたあの国に対して、ちょっとは感謝も――する訳ねぇだろ。
……まあ、とは言っても、俺を召喚した国のことは大嫌いだが、別に恨んではいないのだ。
滅んでほしいと思っている訳ではないのである。でなければ、命を賭して戦ったりなどしない。
向こうの世界は、それだけ限界だったのだ。
自国の民を守るために、異世界の人間を呼び出して戦わせるくらいには追い詰められており、どこまでも必死だった。
それで戦わせられる身としちゃあ、ふざけんなという思いもあるが……それでも、向こうで俺も、繋がりが生まれてしまった。
少なからず人との縁が生まれてしまっていた。
それで戦う理由が出来た。そういうことだ。
――よし、今日の晩飯は、海鮮丼とネギトロ巻き、そして豚汁だ!
この豪華なラインナップがスーパーで買えるという喜び。最高である。
今日の晩飯を買った俺は、テンションの上がった良い気分のまま帰路に就き――。
「…………」
チリ、と肌がヒリつく感覚。
戦いを駆け抜ける中で自然と身に付けた、周囲を警戒する能力。
感じ取ったのは、悪意の波動。
敵。
「俺の警戒に引っ掛かるレベルの敵……?」
それが、日本にいる?
ちょっと自惚れているようだが、相手がただの人間の場合、たとえ精鋭軍人がフル装備でいたとしても、今の俺の敵にはならないと思うんだが……。
俺は、アイテムボックスに今しがた買った晩飯を放り込むと、感じた違和感の方向に向かって走り出した。
「……ここ、俺の知ってる地球で合ってるよな?」
ちょっと自信なくなってきたんだが。