訓練《2》
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――海凪 優護。
この男が強いことは、もうわかっている。
問題は、いったいどれだけ強いのか、だ。
優護の実力は、幾度か見る機会があったが、未だに不明なまま。
土蜘蛛討伐戦では、たった一人でほぼ全ての敵を殲滅していたが、まだまだ余裕があった。恐らく、あの三倍の数が出て来ても問題なく蹴散らすことが出来ることだろう。
故に、杏の上司である田中からは「それとなくでいいから、機会があれば実力を探れ」と言われており、今回優護に剣術を教えてくれと頼んだのは、そういう裏事情も存在している。
が、そんなことなど一切関係なく、単純に杏は、己より圧倒的格上である優護に教えを受けたかった。
もう、奪われないために。
無様に蹲って、泣きじゃくることしか出来ない日々を、二度と繰り返さないために。
強くならなければ、ならないのだ。
だから今、杏は割と意気込んで、優護の対面に立っていたのだが……。
「ん、大体わかった。やっぱキョウ、強いな。剣の基本的な技術に関して言えば、確実に俺より上だ」
木刀を打ち合わせ、軽く行っていた模擬戦をやめ、優護はそう言った。
「……んなことはないだろ。あたしじゃあ、あんな風に土蜘蛛どもを根切りにすることは出来ねぇし」
「いや、マジだぜ。斬る技術に関して、俺が言えることはあんまりないな。俺よりよっぽど基礎が出来てるから、そのまま自己鍛錬で頑張ればいい。これは多分、俺が教えたらむしろ良くないことになる」
「…………」
納得出来ない不満が顔に出てしまっていたのか。
こちらを見て、優護は笑いながら言葉を続ける。
「言ったろ、我流だって。きっと、ちゃんと剣を学んだ奴からは、俺のは無茶苦茶だって言われるだろうさ。魔法関連の技術は流石に俺の方が上だろうが……」
確かに優護の動き方は、『剣道』でも『剣術』でもなかった。
体系化されたような動きは見られず、にもかかわらず、一本芯が通っているかのような。
まるで、優護の性格そのもののような剣だった。
「じゃあ、魔法教えてくれよ」
「無理。そっちは剣以上に感覚でやってるから、マジで言語化出来ねぇ。だから、魔法学びたいならウタに学べ。俺よりアイツの方が魔法能力は格段に上だ。今は諸事情があって弱体化してるがな」
「……あのお姫様っぽい人か」
思い出すのは、少し前に優護が連れて来た、随分仲の良い様子だった少女。
言動は大分ふざけていたが……その瞳だけは、冷静に周囲を観察し続け、こちらのことも頭からつま先まで注視していたのをよく覚えている。
そもそもあの言動も、こちらの反応を探るために、わざとそういう風に話していたのではないだろうか。
油断させ、こちらの思考を浮き彫りにする。そんな意図があったようにしか思えないのだ。
正直、少し苦手な印象だ。
優護にこそ相当心を許しているようだったが、気位が高そうな印象があり、仮にこの青年があの場にいなかったら、敵対とは言わずとも、あんな愛想良くはしていなかったことだろう。
「まあ、今すぐに出来ることじゃないから、魔法関連のことは今は置いておくとしよう。で……これは、嫌味だとか、そんな風に思わないでほしいんだが、そもそも俺は戦いの才能がない。剣も、魔法もだ」
「は?」
あんな戦いぶりを見せておいて、何を言っているのか。
こちらの声音で言いたいことを理解したらしく、彼は苦笑を浮かべる。
「まあ、聞け。これは自分を卑下してる訳でもなく、あくまで客観的に判断した結果だ。俺以上に才能のある奴なんてごまんといたし、今も相当武器の性能に頼ってる部分がある。だから、俺は考えた。生きるための手段を。死にたくないから、死ぬ気で生きる道を。結果、俺はソイツらよりも長生きすることが出来た」
「……死ぬ気で生きる」
「そうだ。今の俺は、その経験で形成されてる。俺がキョウに教えられることがあるとすれば、それだな。――さ、こっからが本番だ。覚悟はいいか?」
優護が浮かべているのは、変わらず、笑みだ。
だが、そこに、今までとは違う何かが乗っかっているのがわかる。
普段の、掴みどころのない『ふざけた兄ちゃん』といった雰囲気が、一気に切り替わる。
歴戦の戦士の気配へと。
緊張からフゥ、と一つ息を吐き出し、キョウは頷く。
「……あぁ」
「よし。そんじゃ――行くぞ」
優護がそう言った、次の瞬間だった。
ドン、と重くのしかかる、とてつもない圧迫感。
空気に重みが生まれ、まるで、深海で押し潰されるかのような。
ぶわりと全身から冷や汗が噴き出る。
指一本動かすことが出来ない。
張り付いたように足が動かず、呼吸すらままならず、息が止まる。
心臓すら、止まりそうだ。
優護が何か、魔力を使ってやっている訳ではないだろう。
ただ、本能が拒絶するのだ。
今、踏み込めば――死ぬ、と。
ここは、すでに優護の間合いの中なのだ。
この、広い訓練場の全てが優護のテリトリーであり、一息で刃の届く範囲なのだということを、今ようやく理解することが出来た。
今までそれに気付けなかったのは、彼が手加減していただけ。
いや……言葉を濁さずに言うのならば、遊んでいただけ。赤子をあやすかのように。
だから、今、少しだけ本気を見せた、ということなのだろう。
土蜘蛛討伐戦の時でもここまでの存在感は見せていなかったため、やはりあれでもまだまだ、優護にとってはお遊びの範疇だったということだ。
そして、その本気の気配から漏れ出た、あまりにもかけ離れた格の違いに、今ようやく己の魂が気付けた訳だ。
もはや杏の頭から、『訓練』という言葉は消え失せていた。
目の前に叩き付けられる、明確な、具現化された、死。
ただ……この感覚。
何も抵抗の出来ない、圧倒的な暴力が目の前にある光景。
知っている。
それを味わったからこそ、杏は強さを求め、ここにいるのだ。
二度とあんな絶望に屈さぬために、訓練に訓練を重ね続け、しかし今、自分はあの時と同じように、動けない。
何も変わっていない。
何も成長していない。
――違う。
ギリィ、と歯を食い縛る。
身体の奥底から来る震えを押さえ付け、ただ意地だけで、前を向く。
動かない身体を、強い意思でもって動かし、一歩前に出る。
強まる死の気配。
本能が告げる、格の差。
それらを感じつつも、彼女は止まらなかった。
「――あぁッ!!」
杏は、普段の彼女とは全く違う、お粗末な動きで距離を詰める。
だが、決して、破れかぶれの動きではなかった。
この状況下でも、活路を見出し、生き残るため。
そのために杏は、前に出た。
勢いのままに下段から木刀を振り上げ、斬り――というところで、空間が丸ごと変質したんじゃないかという圧迫感が、全て消え去った。
「よし、ここまでだ。良くやったぜ、キョウ」
嘘のように身体が軽くなり、そのせいで逆につんのめり、体勢を崩す。
対し、優護は迫る木刀をカンと軽く弾くと、転びそうになる杏の身体を、優しく横から支える。
「今のが出来るんだったら、俺から言えることは本当に少ないな。生きるか死ぬかの瀬戸際で、前に出ること。それも、臆して動けなくなったり、破れかぶれにならず、生きようと前に出る意思と覚悟が、キョウにはちゃんとある。――そう、活路は後ろにはない。それは、常に、前にある」
「ハァ……ハァ……」
このたった十数秒で、もはや己で歩けぬ程に消耗した杏は、優護に身体を預けたまま荒く呼吸を繰り返し、だがその話だけはしっかりと聞き続ける。
「と言っても、勘違いするなよ? 別に、逃げるのは悪いことじゃないんだ。敵を確認して、無理だと察したらちゃんと逃げ出せ。生きればこそ次がある。それが無理そうなら時間を稼げ。その間に味方が駆け付けられるし、俺が行ける。――逃げ腰と、逃げることは、違う。言いたいことはわかるな?」
「……あぁ」
腕の中の杏を見下ろす優護。
交差する眼差し。
教え、諭すように、彼は言った。
「活路は、前だ。つまり……生きるための思考、だ。それだけ覚えとけ。俺が教えられるのも、それだけだからな」
「……わかった」
ようやく息が整ってきた杏は、優護に寄りかかりながらもどうにか己の足だけで立ち、そして彼を見上げる。
「アンタは……いや、やっぱ何でもねぇ」
杏は、聞きたかった。
優護はいったい、どこでその技術を身に付け、どこでその価値観を形成するに至ったのか。
どんな経験をして、どんな辛い思いをして、今に至ったのか。
だが、杏は、その思いをぐっと抑え込み、聞くのをやめた。
「? 何だよ」
「何でもねぇって。……優護、このあと時間は?」
「え? あぁ、一応何もないが」
「そんじゃ、今日は世話んなったし、奢ってやる。付き合え」
「飯か。……家に食い物はあるから、連絡すりゃウタの方は問題ないか」
「何だって?」
「こっちの話だ、気にするな。飯はいいが、どちらかと言うと世話になったのはこっちじゃないか? 俺のために今日付き合ってもらった訳だし」
「いいから。予定がないなら大人しく奢られてろ。あたしは先輩だかんな」
「いやけど、女子高生に奢られる成人男性って、割とヤバいと思うんだが。絵面も字面も」
「気にすんな、今の時代は多様性の時代、だろ? そもそも血縁でもないのに女子高生と飯食ってる成人男性って時点で、割とアレな目で見られる可能性もあるが」
「もしかしてキョウさん、ちょっと恨み入ってません? 今の模擬戦ですごい消耗させられた分の」
「このあと外出たら、アンタのことを『パパ』って呼ぶわ」
「お前とんでもねぇ嫌がらせ思い付くな!?」
愕然とした様子でツッコむ優護に、杏は笑った。
――なお、何だかんだ言いつつ、夕食の店はちゃんと、完全個室のところを選んだ杏だった。




