悪意《3》
夏だからホラー気味にね。
部屋の扉を開ける。
十数体のマネキンが等間隔に置かれ、天井から垂れた何かの機械と繋がれていた。
次の部屋の扉を開ける。
全てが横向きに設置されていた。
さらに次の部屋の扉を開ける。
黒々とした、謎のプールが奥まで続き、部屋の果てが見えなかった。
目の前に階段が現れたので、昇る。
昇った先の案内図には、『B1F』と書かれていた。
俺は、言った。
「いやびっくりハウスじゃねぇんだから」
「ここまでの様子見てその反応が出て来るの、アンタの方がちょっと怖いぞ……?」
まあ異常空間程度にビビるような、ヌルい戦績はしてないんで。ウタレベルの脅威が出たらかなりビビるけど。
「意味があるのかないのか、さっぱりわからん空間が続いてるな」
「……あたし、こういう場所の都市伝説、知ってる」
「リミナルスペース、だったか?」
キョウは頷く。
リミナルスペース。
比較的新しい、海外で広がったネットミームで、普通の空間なのに、何故かどことなく不気味に見えるような、そういう場所のことを指す。
どこまでも続く無機質な廊下。先が見えない、どこに繋がるかわからない階段。誰もいない、しかし明かりだけが灯っている駅のホーム。
人は、未知を恐れる。先がわからないという不安は、人が自覚している以上に恐ろしいもので、それ故に精神をゴリゴリ削るのだ。
まあでも、言ってダンジョンなんて、どこも異常だし、そんなもんだ。俺からすると、リミナルスペースとか、バックルームとか言われている奴は、現代版ダンジョンという思いしかない。脱出が難しいところも含めて。怪物も出るし。
……いや、逆か。海外でもダンジョンはあるだろうし、それが何らかの形で表に知られて、そういう都市伝説が生まれたんだな。
ちなみに、ここまでの探索で、魔物――というより、怪物と表現した方が近いであろう、モンスター群とも幾度か戦闘が発生している。
マネキンが動いて攻撃してきたのもあったし、人間の手足を持つ蜘蛛みたいな怪物や、頭が割れて代わりに機械が埋め込まれた犬などが現れ、キョウがかなりビビっていたが、何も気にせず宇月が突っ込んで頭部を噛み砕いていた。
全体的に、敵のフォルムがキモい。ホラゲーじゃねぇんだからさ。相手の不安を煽るって意味じゃあ、正解の兵器なのかもしれんが。
「……もしかすると、果てが存在しない可能性もあるな。通信は」
岩永が部下に問い掛けると、その部下は腕にはめ込まれたタブレットを確認しながら答える。
「良好です。ツクモ様との通信は継続中、事前の資料と建物内部の形状は異なっておりますが、マッピングは順調に進んでいます」
「よろしい。だが、ここまでの空間の変質となると、辿った道にも変質がある可能性がある。道中仕掛けたカメラ映像の確認を怠るな」
「了解」
「あ、途中で何個か仕掛けてたの、カメラだったんだな」
「カメラ以外にも偵察に必要な要素は全て備えている。魔力的な感知も可能なシロモノだ。ツクモ様の方で情報を集積し、現在解析を行ってもらっている」
「へぇ? ツクモって意外と、後方支援型なんだな?」
「うむ、勘違いされやすいが、どちらかと言うと、あの方が得意とするのはバックアップだ。表に出ず、裏から支える時、その力を十全に発揮する。……まあ、シロ様の手伝いをしている内に、そうなったのだろうな」
あぁ、シロちゃんと付き合っている内に、自然とそういう性格になった訳ね。
なんだかなぁ……最初はしっかりテロリスト然とした様子で俺に接触してきたくせに、蓋を開けてみると苦労人気質だよな、アイツ。
あの二人が何だか上手くいっているように見えるのは、そうして全く正反対の性格をしているからこそなのだろう。
――探索を続ける。
ここまでで共通していることがあるが、置かれている物品の古さからして、そもそもこの建物の研究が、割と人道に悖るものだったのは間違いなさそうだ。
『脳標本』、『魔力受信体標本』、『心臓:失敗』、『腕:成功』、『適合臓器』。
残されている研究資料や、大分古びている様子からして、これらの謎の標本などは鵺が来る以前に作られたものだろう。
「……ここの所有者の一族、調べた方が良さそうだな」
「先程も言ったが、実際に研究していた者達はすでに没落して滅んでいる。残された分家は、軽微な魔法能力しか持たぬ故、いつからか魔法社会とは縁を切っていたようだ。フッ、ま、賢い選択だな。彼らはそれ故に生き残ることが出来たのだから」
「没落っつーが、何があったんだ? 陰陽大家――『旧家』だったか。ソイツらって、話を聞く限りだと魔法社会における特権階級のような存在っぽいし、そう簡単に滅んだりしないと思うんだが」
「記録では、とある魔物の討伐に向かい、だが失敗して当主が死亡。後を継いだ次期当主は、失踪。そのせいでどうにもならなくなり、家に嫁いだ妻が娘を連れて実家に戻ったことで、滅んだようだ」
「失踪?」
「そうだ。我々はそれが鵺によるものではないかと疑っているが、確証はない。未だ調査中だ。だが、家ごと滅んだのは自業自得だな。酷い混乱があったようだ。シロ様がいるため、一線を越えることはなかったようだが、ま、金と地位の絡むお家騒動だ。ロクなものではなかったのだろうな」
「……レイトとかシロちゃんとか以外の、旧家の連中に関わるつもりは元々なかったんだが、なんか、もっと関わりたくなくなってきたな」
「クク、良い判断だ。あの者らは、ツクモ様が愛想を尽かすような、全く進歩のない阿呆どもだからな。ま、その中で飛鳥井玲人のような者や、田中健吾のような者が現れる故、決して侮れないのだが。どれだけ落ちぶれていても、日本魔法社会において、確かな力を有しているのだ」
田中健吾……あぁ、田中さんの偽名のフルネームだったか。本名は……工藤修司だっけ。
と、俺達の会話に、周囲の索敵をしながらウタが参加する。
「特権階級とは、面倒なものよ。しがらみがあり、義務があり、そして権力がある。そのせいで、上手くやらんと、上手く立ち回れんで、腐る。そしてヒトとは、そう器用に立ち回れる者ばかりではない故に、問題が多く出て来る訳じゃ」
「……ふむ、説得力のある言葉だな。ウータルト殿は、権力者というものをよく知っているのか」
「魔王だもんな、そりゃ知ってるよな」
探るような視線を向けてくるキョウに、ウタは「フフン」と胸を張って答える。
「うむ、その通りよ、キョウ! 儂こそが恐怖と混沌をもたらし、世界の過半を制した魔王! しかし今は、勇者と家庭を築き、子供達とペット達の世話をする主婦! つまり……主婦魔王じゃ!」
「主婦魔王、そっちにまた熊出てるぞ」
「今日は熊鍋にしようかの」
あれの肉は間違いなく腐ってるだろうからやめてくれ。
現れたのは、最初に俺と宇月で倒した奴より一回り大きく、さらに双頭だったが、ス、とウタが彼女の刀、『焔零』をそちらに向けると、その先から不可視の速度で――恐らく『魔刃』だな。
刃状に形成された、弾丸のような魔力が飛んでいき、冗談のようにパチュン、と双頭機械熊の胴体を丸ごと消し飛ばした。
一つ遅れて、グチャリ、と血肉が壁に張り付く。
最近ウタは、魔法の触媒として焔零を使うようになった。無手でも勿論魔法を発動出来るが、そうした方が魔法の方向を定めるのと形の形成に余計な魔力を割かず済むため、省エネになるらしい。
全盛期より著しく魔力が減っている現在のコイツは、如何に魔法の威力を落として、魔力消費を減らすかが最重要項目なのだ。
まあ威力を落とすとか言っても、出力の範囲をピンポイントに絞るようにしているだけなので、全部が全部致死性の威力があるのだが。
「……ウタ、今のって、前にあたしに教えてくれた魔刃か?」
「そうじゃな」
「ウタのは、もはや似て非なるものって言ってもいいけどな。せめて振り被れ。向けただけで飛んでったら、もはや銃だろそれ」
「今の儂でも、振り被ったらこの建物丸ごと斬ってしまうぞ」
「……お前を突入班に入れたの、間違いだったか」
「まあぶっちゃけそうじゃな。お主は緋月が専門故室内戦も出来るじゃろうが、儂はからきしじゃの。と言うても、外におっても、ツクモみたく後方支援が出来る訳じゃないんじゃが。あ、兵站管理なら得意じゃぞ!」
「その特技が発揮される場面は多分、日本に暮らしてる限り金輪際ないぞ」
そりゃお前なら、軍団規模の兵站管理でも可能なんだろうけど。頭の良さは凄まじいし。
すると、そんな俺達のやり取りを聞いていたキョウが、ちょっと呆れたような表情を浮かべる。
「……なんつーか、アンタらって、どこでもアンタらだな」
「そりゃそうだ。死んでも俺は俺さ」
「かか、そうじゃな。死んでも儂は儂じゃ」
「…………?」
怪訝そうな様子のキョウに、ウタと顔を合わせて笑っていると、岩永が声を掛けてくる。
「海凪家の方々。愉快な問答をしているところ悪いのだが」
「あぁ、わかってる。どうやら着いたみたいだな。ウタ」
「うむ、この先じゃ」
――扉。
ウタが感じた魔力は、ここからのようだ。
周囲を岩永の部下達が囲んで防御する中、俺は岩永とコクリと頷き合い、刹那、俺は扉を斬った。
扉の鉄と、それ以外の感触。
扉のすぐ手前にいたのは、人間……いや、人形兵。
部屋は広く、体育館並の広さがあり――そこに溢れんばかりに溜まっている、気持ちの悪い敵の軍勢。
人形兵、機械熊、機械犬、蜘蛛人間、その他諸々。
中でも目を引くのは、中央奥にいる蜥蜴。
いや、あのサイズなら、龍、と言うべきだろうか?
腐った肉体から腐臭を漂わせる、大型トラックよりデカい蜥蜴が、最奥にある大型の機械らしきものを守っている。
魔力はどうやら、そこから放たれているようだった。
腐れ蜥蜴は、濁った瞳で俺達を見ると、鳴いた。
『キシャアアアッッ!!』
なるほど、ここからが本番か。道理で、道中の敵が散発的だった訳だ。
「キョウッ、離れるなよッ!」
「お前達、防御を固めていろッ! 陣形を崩すなッ!」
「かか、なかなか豪勢なもてなしじゃな!」
俺達は、部屋に突入した。
◇ ◇ ◇
斬る。
ぐん、と踏み込んで蜘蛛人間を胴から両断した後、そんなのお構いなしと突っ込んできていた機械犬を蹴り飛ばす。
吹っ飛び、機械犬が別の人形兵にぶつかって一塊になったところを、ウタが『魔刃』で撃ち抜いた。
チラとキョウの方を確認すると、緊張していても動き自体は固くなっておらず、目の前の敵を適切に対処出来ている。ん、問題なさそうだ。
吹き荒れる銃弾の嵐。
岩永の部下達が盛大に弾をばら撒いているが、ゾンビ映画が如く、効果は限定的だ。人間と違って、一発打ち込めば戦闘不能になる訳ではないからだ。
それでも、射線を適切に纏めることで、俺達が戦いやすいように敵の圧力を軽減させている。大した腕だ。
「ッ、多分ブレスだッ!! 来るぞッ!!」
「グルゥッ!!」
腐れ蜥蜴の口元に高まる魔力。
すると、元のサイズにまで身体をデカくした宇月が、他の敵を吹き飛ばしながら突進を開始。腐れ蜥蜴の懐にまで入り込むと、その顎を下からかち上げた。
ブレスを放とうとしていたところで、顎を殴られて強制的に口を閉ざされたことにより、口内で暴発。
ボンッ、と弾ける頭部。飛び散る肉片。
だが――次の瞬間、ビクビクと断面の肉が蠢いたかと思いきや、再生が始まり、わずか数秒で新たな頭部が生える。いつかの蛇野郎を思い出す再生能力である。
というか、よく見ると、コイツ以外の奴も再生している。俺が緋月で斬って機能停止させた奴はもう動いていないが、それ以外は多少時間が掛かるものの、ビクビクと痙攣しながら『再起動』を果たしていた。
「ったく、いちいち気持ち悪いなぁコイツらはッ! ウタッ!」
「任せよッ! お主ら、儂の前に出るなよッ!」
次の瞬間、ウタの焔零に莫大な魔力が集まり――彼女は刃を振り抜いた。
放たれたのは、氷の波。
氷魔法、『ニブルヘイム』。
それに触れた途端、まるで液体窒素でも吹きかけられたかのように、瞬時に敵がパキパキと凍り付いていき、動けなくなる。なるほど、再生するなら動けなくするのが最適か。
腐れ蜥蜴も同様だったが、どうやら多少知能があるようだ。
これはマズいと判断したのか、肉体全てが凍り付く前に己の手足を無理やり引き千切ると、ガパリと口を開いて、床に向かってブレスを吐く、
ヘドロのような、見るからに毒! といった様子のそれは、一部分だけだがウタの氷の波に抗い、安全地帯を生み出すことに成功していた。
数秒程で回復する手足。その腐った脳味噌、まだ動いてんのな。
「機能停止までさせておらん以上、この氷は時間稼ぎじゃッ! ユウゴ、あの蜥蜴は儂と宇月で押さえる、お主は奥の機械を斬れッ!」
「あぁッ!!」
ウタならば丸ごと消し飛ばす魔法も使えただろうが、俺達は情報を求めてここに踏み入ったのだ。だから、下手な高威力の魔法で余計なものまでぶっ壊してしまうのを控えたのだろう。
であれば、細かい作業は俺の役目だ。
俺は一気に駆け出すと、腐れ蜥蜴の前足での払いを避けながら、デカブツ故疎かな足元をすり抜ける。
「おっと、デカくて臭いの、貴様の相手は儂らぞッ!」
「グルルッ!!」
「フッ、全く、今回も刺激的な仕事だなッ!」
俺に意識が逸れかけた腐れ蜥蜴に対し、ウタと宇月、そして岩永が激しい攻撃を加え、連続で再生させることで動きを無理やり止める。
奥の機械に近付いた俺に対し、どうやらそういうプログラムがされているらしく、ウタの氷魔法を逃れた人形兵三体が突然矛先を変えてこちらに襲い掛かってくるが、三体程度なら問題ない。
まず最初の一体を、向こうの攻撃ごと無理やり緋月で斬り捨て、真っ二つにしながら蹴り飛ばす。
向かってきていた二体目がそれにぶつかって動きを止めたところで、緋月で突き刺して機能停止させる。
横から来ていた三体目には、対人戦を想定して腰裏に装備していた『RS-10』――試作型大口径魔導リボルバーを引き抜き、撃つ。
象でも狩れる威力の銃弾が、胴体を丸ごと粉砕した。
「警備が甘いなッ!!」
奥まで辿り着いた俺は、恐らく送信機であろう、ひと際強烈な魔力を発している機械の一部を斬り――。
失敗した。
そう思った。
突然の魔力の高まり。
今斬り壊した機械からじゃない。そのすぐ横の、別の装置から。
……あぁ、クソ。
ミスった。何故、もっと考えなかった。
道中にあった標本、その中にあった『魔力受信体』。それらが古い作りで、鵺以前に作られたものだろうということはわかっていた。
魔力受信機、送信機を利用した魔物に、『魔力受信体』という古い標本。
つまり、この機械を用いて動いている化け物どもは、ここの元の所有者の作品ということだ。
鵺の研究成果によるものではなく、奴はあくまで後にここを乗っ取ったというだけ。にもかかわらず、こんな風に、わざとらしく如何にも重要な感じに見せかけて、この場所を守っていた。
何故、罠だと気付けなかった?
……ウタは搦め手が弱い。そんな回りくどいことせずとも問題ない力があり、真正面から全ての罠を粉砕してきたからだろう。
そして俺は、そのことを知っているのだから、罠には俺が気付かねばならなかった。間違いなくこれは、俺の失態だ。
――俺は、一つミスを犯した。
ならば次にすべきは、どう挽回するか考えること。
刹那の間に、思考を進めていく。
魔力の高まり。
規模は部屋を吹き飛ばせる程。
恐れるべきは何だ?
ただの爆発などならば、まだいい。
俺が爆風を斬って、後ろまでの安全地帯を作る。やってやれないことはない。
問題は、物理的でない攻撃の場合。例えば、非物質系の毒ガスなどだ。それらは、防ぐのが難しい。
仮に食らっても、俺は向こうの世界での経験によって、状態異常系の攻撃がほぼ効かない。ウタも対処は可能だろう。
だが、キョウや岩永達が、それをどうにか出来るとは思えない。
ならば、取るべき手段は一つ。
――俺は、魔力の高まり全てを覆うように、結界を張った。
自分ごと。
「ユウゴッ!?」
「優護ッ!!」
次の瞬間、俺は光に包まれた。
一巻発売中! どうぞよろしく!