ツクモ来店
暑い! もう八月なるのか……。
夏の終わりが近付いてきた。
と言っても、最近の夏は長いので、どうせ九月に入っても暑いままなのだろうが、まあとにかく八月ももう終わる。
この八月、やはり夏休みだからか、レンカさんの店はなかなか忙しかった。
俺も多めにシフトは入れていたが、確かにこの忙しさなら、二人いないとちょっと面倒かもしれない。
レンカさんの店、『ユメノサキ』はそう広い訳でもないので、満席でも一人で回せないことはないんだがな。というか、満席になるのをこの夏初めて見たわ。
「ん、夏も終わりに近いからか、お客さん落ち着いたね。うんうん、良いことだ!」
「今更ですが、レンカさんが喫茶店経営してるの、甚だ疑問ですね」
仕事しなくても死ぬまで生活出来るくらいの資産はあるみたいだし、この人。今は俺もあるが。
一生住み続ける家まである以上、ウチの家計の一番大きな消費って、食費だからな。華月、魔力さえあれば、傷んだ部分とかも即座に修繕可能だし。ずっと綺麗なままだ。
夏だから、今月は電気代がちょっとデカいか? と言っても、高が知れているが。
「まあねぇ。私、間違いなく社会不適合者だからさ。普通の会社とか、務められる気がしなかったんだけど……私が祖母に育てられたって話は前にしたでしょ?」
「ん、はい。二人暮らしだったって」
「そうそう。まあ正直に言うけど、大分可愛がられてたし、甘やかされてはいたね、私。仮に、完全なプー太郎やってても怒られずにいただろうけど……ほら、実の母親じゃないのが逆にプレッシャーでさ。流石に、全然働かないで、脛を齧るだけの生活をして祖母を悲しませるのはどうなん? って思って」
「それで始めたのがこの店だったんですか?」
「うん。二人暮らしだから、私がご飯作ることもよくあったんだけど、そうすると祖母がさ、満面の笑みで『美味しい』って言ってくれるのがすごく嬉しくてね。それで、それを仕事に出来たらなって思って。……と言うか、それ以外出来る気しなかったんだけど。まー、何とか赤字を出さないくらいには店を回せてるのが幸いかな」
……思っていた以上に、立派な理由で店をやっていた。
そうか……祖母を安心させたいっていう思いで、この店を始めたのか。
レンカさんの祖母はもう亡くなったと聞いている。となると今は……追悼の思いで、店を続けているところもあるのかもしれない。
「あと、私一応サキュバスの血を引いてるから、完全に人と関わらないで生きて行くのは不可能だしね。いやぁ、優護君来てくれて良かったよ。君が来てくれてから、もう毎日しっかりぐっすりだね。超健康」
「俺の魔力くらいならどれだけでもあげますんで、言ってくださいね。――そっか、そんな理由でこの店始めたんですね。社会不適合者どころか、すごい立派じゃないですか」
「どうかなぁ。そうだといいけど」
「俺なんて、大学出た後、やりたいことなくて完全なフリーターやってましたよ。その日暮らしで、将来のことなんて何も考えてませんでしたね」
「へぇ? そんなに力があるのに? 特殊事象対策課だっけ、そっちの仕事はしようと思わなかったの?」
「その時はまだ、そんな力はなかったんですよ」
「ふむ? となるとフリーター時代に未知なる力に目覚めて、勇者になって、魔王だったウタちゃんと戦ったの?」
「まあそういうことですね」
「ふぅん。優護君、なかなかボロを見せないねぇ。杏ちゃんも手強く感じてるだろうね、これは」
ニヤリと意味ありげな視線でこちらを見るレンカさん。
ボロを見せないというか、言葉で表すとなるとあなたの言った通りなので。
と、俺達の様子を見て、今は余裕があると判断したらしく、ポンと緋月が現れる。
最近、この店に来るとコイツ、レンカさんに餌付けしてもらえるから、身体を出しっ放しにすることが多い。
お客さんにも認知され始め、「西条さん、猫ちゃん飼い始めたんだねぇ。主人の邪魔をしないで、可愛い子だねぇ」と常連のおばあちゃんにこの前可愛がられていた。
「にゃあ」
カウンターの一画を占拠し、「漣華、お腹空いたぁ」と言いたげな様子で鳴く緋月。
「フフ、お腹空いたのかな? いいよぉ、何かすぐ作ってあげるから、ちょっと待ってて」
「……すいません、レンカさん。給料からコイツの分の飯代、抜いといてください」
「いいよ、これくらいはね。賄いの範疇さ」
「んなぁう」
「はいはい、邪魔しねーよ。お前こそ、そこでゆっくりしてろよ? ここ、飲食店なんだからよ。本当は動物とかいんの、あんま良くないんだぞ?」
「これからウチの店、猫カフェってことにしようか」
「コイツしかいませんよ、猫」
「緋月ちゃん、分身とか出来ない?」
「にゃ」
「頑張れば出来るそうです」
「あ、出来るんだ」
「にゃ」
「嘘だそうです」
「あ、嘘なんだ」
あはは、と楽しそうに笑って、レンカさんは緋月用の料理を作り始め――ピン、と緋月の耳が立った。
スクッと立ち上がり、店の出入り口の方を見る。
警戒の動作。
同時に、俺もまた軽く警戒態勢に入る。
この覚えのある気配は……。
「優護君?」
俺達の様子の変化に気付いたのだろう。
彼女が不思議そうにこちらを見て来る中――カラン、と扉が開かれた。
「お、やっておるな。良かった良かった」
入ってきたのは――ツクモ。
「くふ、一丁前に妾へ眼を飛ばしておるな、この猫。ま、貴様のあの恐ろしい刀の化身らしいし、それも当然か。いやはや、世界一恐ろしい猫を飼っておるものよ。猛獣なんぞより余程恐ろしいな」
当然ながら、今は耳も尻尾も生えていない。年頃の少女にしか見えない。
……部下が時折この店へ来る訳だし、住所を知っているのはわかるが。
「……こんなところまで何しに来たんだ、ツクモ」
「勿論、飯処に来たからには、飯を食うのみよ。メニューはこれか」
「んにゃう」
「ん? 何じゃ?」
「自分が先だから、だってよ。今緋月の料理をレンカさんに作ってもらってんだ」
「妾客ぞ?」
「にゃあ」
「我猫ぞ、だって。いやお前猫じゃなくて刀だろ」
「主人にツッコまれとるが。貴様の猫、なかなか良い性格をしておるな」
それに関しては俺も常々そう思ってる。
我猫ぞ、って、お前自分が刀だって意識薄くなってきてないか?
そんなやり取りを挟んだ後に、ツクモは普通に料理を頼むと、横の緋月と共に食べ始める。
なんか……拍子抜けだな。もう今は別に、コイツを敵だと思ってたりはしないのだが、本当に料理食べに来ただけなのか?
「うむ、やはり美味い! 洗練されていて、しかし親しみも感じられるような、力が漲る味じゃ!」
「? 前にいらっしゃったこと、ありましたか?」
「いや、妾の部下が、よくこの店のテイクアウトを食うておってな。それで時折、妾の分の飯も用意してくれるのよ。あまりに美味いから、一度直接来てみたかったんじゃ」
「それは、飲食店を営む身として、これ以上ない誉め言葉ですね」
ご機嫌な様子で、ニコニコと料理を食べ進めるツクモ。日本魔法社会が恐れる、一級テロリストとは思えない穏やかな表情である。
部下っていうのは、レンカさんの母のことだろうが……もしかすると、娘の手料理を自慢したくてツクモに食わせてたのかもしれんな。相当大事に思ってるようだし。
と、レンカさんの料理を味わっていたツクモは、ふと何でもないかのように、俺に向かって言った。
「そうそう、鵺の拠点の一つを見付けた。近い内襲撃する故、手を貸せ」