アットホームで愉快な職場
――夜。
丑三つ時。
闇が世界を支配し、寝静まった人々の代わりに動き出すのは、物の怪達。
いや――狐達。
そこは、繁華街に程近い、とある豪邸。それとなく、人が避けて行くような、まざまざと権力を感じさせるような。
大きく頑丈な門には監視カメラが設置され、二十四時間常に警備が敷地内を徘徊しており、明らかに何かあるとわかる家であったが……今、その家は静謐に包まれていた。
至るところに転がる死体。
撃たれ、刺され、斬られ、今日の夜がいつもと違うのだということに一切気付かず、声すらあげず死んでいく。
仮にサプレッサーを銃に使っていたとて、音をゼロに出来る訳ではないのだが、襲撃者達は全員が静音魔法の使い手であったため、一切の音が外に漏れ出ないのだ。
そして、その襲撃者達は、全員狐面を被っていた。
やがて護衛の掃討を完了した彼らは、目的であった屋敷の寝室前へと辿り着く。
静音魔法でお互いの声すら聞こえないので、手信号で無言のまま意思疎通を図った彼らは、寝室への突入準備を終え――次の瞬間、爆発するかのように、壁が丸ごとこちら側へと粉砕された。
異変を感知し、狐面達は一斉に回避に動いたものの、吹き荒ぶ瓦礫に巻き込まれ、一人が戦闘不能。
狐面達の一人――岩永は、倒れた部下の命に別状がないことをチラリと見て確認すると、「……あとで鍛え直しだな」と内心で思いながら、壊れた壁の向こうを見る。
――そこにいたのは、刀を手に持った、まるでオーガかのような肉体を持つ老人。
いや、果たして、その者を老人と言っても良いのかどうか。
全身から溢れ出る、漲るような生気と魔力。はち切れんばかりの筋肉をしており、頭の白髪と顔のしわを見なければ、二十代かと勘違いしてもおかしくはないだろう。
右手には、大太刀と思われる大きさの刀が握られ、そしてその瞳は赤く、禍々しく輝き、岩永達を睥睨していた。
「役に立たん歩兵どもだ……全く、無能の部下ばかりで苦労する。賊すらロクに対処出来んとは」
「見解の相違があるな。無能な部下がいる組織とは、トップが部下の面倒をロクに見られておらん無能だということ。つまり、貴様が無能だということの証だ――後藤春樹」
ピク、と老人は眉を動かし、岩永を見る。
「『刀人会』会長、後藤春樹。行っている仕事は、人身売買、薬物売買、人体実験などなど。なかなかの悪行に手を染めているようで何よりだ。貴様のような者がいるおかげで、我々もまた仕事にあぶれず助かっている」
「……なるほど、その面。貴様ら、『黒狐』か」
「フフフ、我らのことを知りながら、その活動内容。無能な上に傲慢で愚かであるらしい。裏社会で生きているのならば、知っているだろうに。おイタが過ぎれば、狐が出るぞと。ただのチンケなヤクザが、随分と増長したものだな?」
「クックッ、そうだな。そのチンケなヤクザでも知っておるぞ。あまりにヤンチャをし過ぎた組織は、ある日突然、根切りにあって消滅するとな。あまりに凄惨過ぎて、表ではニュースにもならない程容赦がない、裏社会で恐れられる伝説の者達。そんな貴様らがわざわざ俺のような小物を相手にするとは、ご苦労なことだ」
「ふむ、我々も随分と高名になったものだな。本当はただ、悪い子の躾担当、といったところなのだが。つまり一番近いのは……先生だな」
「隊長、多分違うと思います」
思わず、といった様子で口を挟んでくる部下に対し、岩永は不思議そうな顔を見せる。
「そうか?」
「はい」
「そうか」
己を前にして、全く緊張した様子を見せず、自然体なままの狐達を見て、後藤の額に青筋が浮かぶ。
「……ふざけた小僧どもだ。いいだろう、では先生。是非ともその躾とやら、してもらおうかッ!!」
まるで枯れ枝のように軽々と振るわれる大太刀。
岩永の部下達は大きく後ろに跳び退ったが、彼だけは最小限の回避に留め、的確に攻撃をいなしてその場をほとんど動かない。
同時に軽く斬りつけてやるが、後藤は全く気にした様子もなく、鬱陶しそうにその剛腕を振るって反撃。
それもまた岩永を捉えることはなかったが、代わりに攻撃を受けた壁が、派手に爆散する。
――岩永が手にしているのは、室内戦を想定した長脇差。銘は『悪業』。
部下達は取り回しの良いPDWと大型ナイフを装備しているが、岩永だけは悪業とハンドガン一丁のみである。
彼は、知っていた。人間は、人間以外の種と比べ、遥かに脆弱であることを。
筋力、魔力が劣るのは基本で、である以上、必要となるのはそのいなし方だ。それと、死を目前にして恐れず、前へと踏み込む冷静さ。
彼は、そのどちらも身に付けていた。
「クク、いい、身体がよく動くッ!! 昔を思い出すッ!! いいや、この力、昔以上だッ!!」
「……その薬、効果は筋力増大、魔力増大、視神経強化、皮膚硬化、超回復。そんなところか。副作用は知能低下……いや、知能は元からか?」
「ほざけッ、小僧ッ!! 何も抵抗出来ておらんではないかッ!! このまま貴様を捻り潰し、俺こそが伝説となってやるッ!!」
「……聞くに耐えん言動だな。わかった、もういい」
その動きを、後藤は捉えることが出来なかった。
大太刀を振り被り、派手に瓦礫が散って死角が生まれた刹那、右手に違和感を覚える。
――いつの間にか、二の腕から先が、無くなっていた。
大太刀ごと、ぐるんぐるんと己の腕が飛んでいく、冗談のような光景。
「ぐゥッ……!?」
「借り物の力でイキる。全く、その歳で恥ずかしくないのか? それとも、年老いたせいで理性が失われつつあるのか? ……まあ、元からそういう、恥ずかしい奴だった可能性の方が高そうだが」
「グオオオッ!!」
残った左手で殴りかかるが、途中でガクン、と膝から崩れ落ちる。
……いいや、違う。
膝から下が、いつの間にか、なくなっていたのだ。
「な、何故ッ……!? こ、この薬は人間の限界を超え、至高の種族へと至るもののはずッ!! き、貴様らのような、ただの人間どもに、負けるはずが……ッ!!」
「笑止なことだ、その程度で強くなった気でいるとは。見ろ、私の部下達も笑っているぞ」
「いや隊長、我々が相手してたら、普通にこっちが死んでます」
あんまり無茶な基準を設定されても困るので、そう部下が苦言を呈してくるも、岩永は聞かなかったことにして言葉を続ける。
「貴様は知らんのだろうな、本物の怪物達がどういうものか。それこそ、人知を超えた、だ。天変地異が生物の形を取っているに等しい。私など、子供同然と言えよう」
「いや隊長、あなたも十分に怪物側ですが」
また別の部下がツッコんでくるが、それもまた無視して、言葉を続ける。
「ま、そういう訳だ。貴様では俺達に勝てん、諦めろ。だから、面倒は省いて手短に行こう。――『魔人薬』、いったいどこで手に入れた?」
誰が答えるかと、口汚く罵るか。
それとも、命乞いを始めるか。
岩永の問いに、後藤が何を言おうとしたのかはわからない。
――何故なら、それより先に、後藤の身体が急激に変化していったからだ。
「やべぇっ!?」
「隊長っ!!」
「……そこの伸びているアホを連れて、全員下がっていろ」
ブクブクと膨れるようにして、斬り落とした右手、両足が一瞬の内に回復したかと思いきや、太い幹のようになった腕が、グオンと横薙ぎに振るわれる。
岩永は大きく上体を倒しつつ、上を通過する腕を斬り払ったが、先程とは比べものにならない速度で再生したようで、体勢を立て直してそちらを見た時には、斬ったはずの場所に傷がなくなっていた。
そして、この段階で変異が完全に終わったらしい。
後藤は、辛うじて人間であると判別可能なだけの、筋肉の塊と化していた。
触手を思わせるような、気持ち悪い筋繊維の塊が、ぐじゅるぐじゅると脈打ちながら全身を覆っており、元々巨体と化していた肉体が、さらに二回りは大きくなっている。
その瞳から、理性は失われていない。
そこに映っているのは、混乱と苦痛と恐怖。己の肉体が、紛うことなき怪物へと変貌したことを、理性を保ったまま感じているようだ。
どうやら、こんな副作用があることは知らなかったらしい。
口封じか。この薬、生産者に関する情報が抜かれようとすると、こうなる機能が備わっていたのだろう。
『ぐっ、おォッ、おオぉおオオォッ!?』
「ふむ、それが貴様の求める至高の種族か。どうも貴様とは趣味が合わなそうだな。第二進化はなかなかやるが、ビジュアルが好みじゃない。やり直せ」
『黙レッ、小僧ォォォッ!! キサマモ地獄ヘ連レテ行ッテヤルワァァッ!!』
耳をつんざく後藤の叫びに、岩永は、嗤う。
冷たく、全てを見下すように。
嘲笑うように。
「安心しろ。我らは皆、元々地獄行きだ。同じ穴の狢だからな」
突進。
肉体任せの、技術など欠片もない、だが今の後藤の肉体を活かすのならば最善であろう攻撃。
対し、岩永もまた、前に踏み込んだ。
すれ違いざま――一閃。
突進をすり抜け、まず岩永が斬ったのは、後藤の膝裏。
どれだけ変異していたところで、二足歩行である人体が基となっている以上、弱点はそう変わらない。
ガクリと膝を突く後藤。即座に再生が始まるものの、その隙を岩永は逃さない。
後ろから、後藤の背中を踏み台にして跳び上がると、落下の重力に乗せてギロチンのように悪業の刃を振り下ろす。
ボトリ、と落ちる後藤の首。
それでもまだ、後藤は動いていた。
まるで頭をなくした虫のように、残った肉体だけがビクビクと痙攣しながら、無軌道に暴れ始める。
太い筋肉の束の一つ一つが、触手のように振り回され、岩永へと迫る。
肉は肉でも、魔力によって強化され、硬化している肉だ。メジャーリーガーが振り回す金属バットと、いったいどちらの方が威力が上だろうか。
一撃でも食らえば致命傷に至るであろう、死の嵐。
しかし、岩永は逃げない。
見る。
前に出る。
最小限の回避と同時に悪業で受け流し、そして、斬った。
胴に向けての、横薙ぎの一閃。
ブシュウ、と血が爆ぜると同時、さらに縦に一閃。
筋肉の鎧が剥がれ、剥き出しになる心臓。
突きのように放たれる筋肉触手を、グルンと回転しながら受け流し――お返しの突きを、その心臓へと放った。
後藤の魔力暴走を引き起こしていた、核の部位。
効果は、劇的だった。
ビクリ、と変異し過ぎた肉体が震え、糸が切れた操り人形のように、ダラリと崩れ落ちる。
「先に行っていろ。その内会いに行ってやる。それまで、獄卒どもと仲良くやっているといい」
心臓から背中まで貫いた刃を、ゆっくりと引き抜く。
後藤は、二度と動かなかった。
◇ ◇ ◇
「西条、こちらは終わった。後片付けを頼む」
屋敷から出ると、待機していた西条透華がすぐに出迎える。
「ご苦労様です。後藤は?」
「薬でどうにもならんようだったから、斬った」
本来は生け捕りの計画だったのだが、シレッとそう答える岩永に、西条はジト目を向ける。
娘とよく似た表情である。
「……まあ、あなたがそう仰るのならば良いでしょう。屋敷を捜索すれば、鵺への手掛かりも何かしら見つかることでしょうから。……『魔人薬』ですか。また厄介なシロモノを用意したものです」
「どうやら人間以上の存在になれるという謳い文句で、裏社会に流しているようだ。そんな紛い物を飲んだところで、本当の人間以上の種族の足元にも及ばんことを、馬鹿どもは知らんのだろう。……最近一人、人間でありながらツクモ様に並び立つ程の実力を持つ者を知ったが」
「何か言いましたか?」
「いいや、何でもない」
西条は怪訝な顔を浮かべるが、特に気にした様子もなく言葉を続ける。
「わかりました、ではあとはこちらで。怪我人は?」
「油断して伸びた間抜けが一人。恐らく問題ないが、軽く見てやってくれ」
「ふむ。では傷病手当を出しておきましょう」
傷病手当。
本来ならばそれは、ありがたいもののはずだが、西条の言葉に、岩永と周囲の部下達が揃って憐みの表情を浮かべる。
「……なるべく手加減してやってくれ」
「岩永は意外と甘いですね? ですが、お前達は思い切り尻を引っぱたかないと動かないじゃないですか」
「引っぱたき過ぎて、これから傷病手当を貰わねばならん程に訓練でボロボロにされる訳だが」
「裏社会流ですね」
「前から思っていたが、西条、貴様意外と面白い性格をしているな?」
「岩永に言われたくありません。極潰し達を束ねる隊長のくせに、変に緩いじゃないですか」
「正規部隊でもないのに、規律にうるさくしても仕方なかろう」
「いや別に規律の部分の話はしていないのですが」
仕事仲間、という距離感を保ちつつ、慣れた様子で会話を交わす二人に、周囲の部下達は苦笑を溢す。
――彼らは、知っている。
この二人は、己らの組織のボス、ツクモが直接勧誘した人材だ。
人間でないボスは、人間が好きだ。
正しくは、人間が持つ可能性が、と言うべきだろうか? 飽くなき探求心を持ち、遂には月にまで到達したような、未知に突き進まんとする人間達が好きだ。
そして、そういう『可能性』を持っている人間とは、得てして面白い一面があるのである。
ツクモが気に入り、わざわざ勧誘した者が、面白くない訳がないのだ。
――彼らは、自覚している。
己らはクズであると。
社会のゴミであると。
きっとその内、ふとした瞬間に情けなく野垂れ死んで、地獄へ落ちるのだろう。
だが、彼らはそれを気にしない。
どうしようもないチンピラの集まりであり、この世というものに対する不満、苛立ち。社会と折り合いを付けられない程の衝動。そんな様々を抱えた、表社会に出れば即逮捕されるような者達ばかりであるが……死を前に、そんなものは関係ない。
死にたくなければ、今を精一杯に生きるしかない。
他にすることもなく、鬱屈を抱えたままただ生きるがままに生きていた彼らにとって、死を前に生を全うするという在り方は、ツクモが望む『可能性』を思い求める生き方は、思いの他、満たされるものがあった。
そこには、確かな充実があったのだ。
――この世が不満か? つまらんか? ならば妾と共に来い。どうしようもない貴様ら屑どもが、想像も付かん面白き世界を見せてやる。
彼らは崩れない。
固い結束を保ち、ツクモと、その両腕と共に、歩み続ける。死を前に、嗤う。
この生き方しかなく、この生き方に満足しているからだ。
ツクモが長年を掛けて作り上げた『黒狐』は、今日もまた、彼女と共に闇を突き進む――。