原初の魔法
家に帰ったら、ウチの鯉達が家の中を泳いでいた。
何を言っているかわからないと思うが、俺もわからない。
「……は?」
「……わぁ!」
思わず間抜けな声を漏らす俺と、嬉しそうな声を漏らす、一緒に買い物に行っていたリン。
……な、何で当たり前みたいに宙を浮いてんだ、コイツら? え、初めから普通の鯉じゃなかったのか?
……いや、最初に連れて来てもらった時は、確実に普通の鯉だった。魔力を帯びていたのなら、流石にわかる。それ程ボケちゃいない。
ウチで過ごしていたら、何か変化するかもな、なんて思ったことはあったが……。
「……キョウ、どういうことだ?」
一緒になってふよふよ漂っている華月と鯉達を見ながらそう問い掛けると、キョウは肩を竦める。
「あたしが聞きたいわ。庭で餌やってたら、なんか急に池から飛び出して、宙を泳ぎ始めたんだ、コイツら。あたし、人生で初めて腰抜かす程驚いたわ」
俺も同じ場面に遭遇してたら、腰抜かす程驚いていたかもしれない。
「クゥ」
ペット用品の買い物のため、一緒に連れて行った宇月が、横で一声鳴く。
彼が見ているのは――リン。
「? リンがどうかしたのか?」
「――ただいまー! 腹ペコ怪獣ども、今儂が戻ったぞー!」
と、宇月が答える前に、晩飯の買い物に行っていたウタが帰ってくる。
「? 何をしておるんじゃ、お主ら。そんなところで雁首揃えて」
俺は、横でふよふよと漂っている三匹を、親指で指差す。
「……ふむ。知らなかったが、この世界のコイという生物は、空中浮遊能力があるのじゃな!」
「実はそうなんだわ。そんで、滝登りに成功して天まで昇ると、龍に進化して――って、んな訳あるかい!」
思わずノリツッコミしてしまう俺だった。
「で、何があったんじゃ? 別にふざけた訳ではなかったんじゃが、コイは普通、こういう風にはならんのか?」
「あぁ。本来の鯉に空中浮遊能力なんて存在しないぞ。なんか、キョウが餌あげてたら、急に宙に浮かび始めたんだとよ。……つまり、キョウが餌に何か仕込んでたってことだな!」
「おう、その通りだ。アンタにも魔法掛けてやっから、この餌食えよ」
「急に当たり強いなお前?」
そんな俺達のやり取りを無視し、ウタはじっくりと鯉達を見て、それから何故かリンを見て、言った。
「――これは、リンの魔法じゃな」
「リンの……?」
「うむ。恐らく、『原初魔法』じゃ」
――向こうの世界において、原初の魔法は、『願い』であるとされていた。
生きとし生ける者達が持つ、真摯な願い。
あるいは、祈り。
それが、魔法という形で顕現したのだという。
鳥は、飛びたいと願ったから、翼という魔法のような部位を得た。
魚は、泳ぎたいと願ったから、泳ぐに適した身体となった。
そしてヒトは、愛し合いたいと願ったからこそ、増え、繫栄した。
全ては、願いや祈りが生み出したものである、と。
些か宗教染みた話ではあるが、実際それが向こうの宗教観であり、俺もその考えに、今ではかなり感化されている。
進化論。
適者生存。
それらは、生物の進化の過程を表す際によく用いられる理論だが、あくまで科学的に見たものであって、魔力的側面が考慮されていない。
例えばの話だが、進化論でよく出てくるキリン。
自然界における、エサを求める長い長い闘争の中で、首の長いキリンの祖先が生き残ったことで、今の形があると。
だがそれは、最初に「あの高いところにあるエサが食べたい」と、そう願ったからこそ、そのように進化出来たはずなのだ。
何も思わず、突然首だけにょきにょき伸びていったなんて、そんなことはあり得ないだろう。
また、そんな難しい話じゃなくとも、人々の日常の中でも同じことが言える。
プロ野球選手になりたい。アイドルになりたい。
己の書いたものを皆に見てほしい。仕事で認められたい。
足が速くなりたい。勉強が出来るようになりたい。
そうやって、まず心の中で望み、願い、それから全ては動き出す。
願わなければ、何も出来ないし、何も生まれない。何も思っていないのに、突然プロ野球になったりしないし、アイドルにもならない。
全ての生物の原動力は、願い――ひいては、心だ。
身体を動かす根源には心が存在し、そして魔力は、心の機微で簡単に揺れ動く。
であるならば、心の赴くままに魔法が発動することは、決しておかしなことじゃないのだ。
「……リン、何か三匹に、願ってたのか?」
そう問うと、リンはニコニコ顔で頷く。
「……ん! あのね、モミジとコガネとポン太は、池を気持ち良く泳いでるけど、華月みたいにもうちょっと広く泳げたら、きっと楽しいのになぁって! だからね、池以外も泳げるようになって、一緒に遊べたらって、ずっと思ってた!」
「……そっか」
精霊種。
俺達とは違い、魔力によって肉体が構成された存在。
そんな彼らが使うのが、俺達のような魔法式を利用しての魔法ではなく、思うがまま、心の願うまま、発動する魔法。
――原初魔法。
そっか……三匹を見て。
もっと一緒に遊びたいと、心からそう願ったから……鯉達は、宙までを泳げるようになったのか。
「……けどウタ、そんな簡単に、発動するもんなのか? 俺、原初魔法ってのは、長い期間一つのことを思い続けて発動する、気の長い長命種仕様の魔法だって認識だったんだが」
「いいや、当然ながら、決して簡単ではないの。飛ばぬ鯉が飛ぶようになる。つまりは事象の改変じゃ。そこまでの力となると、原初魔法と言えども至難の業じゃろう。――が、この家ならば話は変わる。お主もわかっておろう?」
「……ここって、もうそんなにおかしなことになってるのか?」
言いたいことはわかる。
我が家の敷地が、普通とは言い難い場所であることは、最初から俺もよく知っているからだ。
「元々、『カゲツ』という魔法生物の土台があり、そこに儂らが住み始めて、元魔王と元勇者、さらには精霊種の魔力で満ち始めたからの。結界を張って、カゲツが外部から魔力を集めやすくもした。これだけ魔力が集中する以上、空間自体が変質してもおかしくはなかろうよ」
「……ダンジョンか?」
「ま、性質は大分違うがの。一つ隔たれた世界という意味では、同じものじゃろう」
「クゥ」
すると、そのウタの言葉に同意するように、一声宇月が鳴く。
この家の最初の印象は、『神域』であると。
……ちょっと話は変わるが、やっぱり宇月の言っていることは、何だか理解出来るな。
多分だが、鳴き声に魔力と意思が乗っかっているから、それを俺の魔力感知能力が感じ取って、理解出来るのだろう。
向こうの世界では、魔物使いとかがやっていた技術だが、これは宇月自身が意識してやってるんだろうな。
「うむ、言い得て妙じゃの。神域なれば、そこは住まう者の意思によって変化する。そんな場所、精霊種なれば、操るのは容易いことよ。限定空間において振るわれる、まさに神の所業じゃな」
「……凛、そんな大げさなこと、してないよ? ただ、みんなと一緒にいたいだけ!」
宙を泳ぐ鯉達を見て、とてもご機嫌な様子で、天真爛漫な笑顔を見せるリン。
そんな彼女の様子を見て、俺達の話を聞いていたキョウがポツリと溢す。
「……あたし今、凛に拝みたくなったわ。誰よりもご利益ありそうだ」
「……えー? 特に、ないよ? んーっと、んーっと……じゃあ、杏お姉ちゃん、元気になれビーム!」
「あたし、凛可愛いヤッター教会を立ち上げて、その教主として凛の可愛さを世界に知らしめる活動を始めることにするわ」
「残念だが、それはすでに俺が立ち上げ済みだからダメだな! キョウはただの信者だ!」
「ズルい!」
「早い者勝ちだからズルくなーい!」
「はいはい、アホなこと言っとらんで、そろそろ晩飯の準備するぞー。ユウゴ、お主はウゲツ用に買ってきた品の開封をしておれ」
「おっと、そうだった。んじゃあ、飯の準備はお前らに頼むわ」
「うーい」
「……凛も手伝う!」
華月もまた晩飯の準備の手伝いに向かい、そうして各々が動き出したところで、俺は近くを漂うモミジ、コガネ、ポン太に向かって笑って言った。
「そんじゃ……はは、改めて、だ。お前ら、これからもよろしくな」
三匹は、ジッと俺のことを見ていた。
6月30日、今月末に一巻発売します。
……発売日近付いてきて、ちょっとソワソワしてきた。