閑話:旅館にて
シロちゃんに紹介してもらった旅館は、古き良き日本旅館といった感じの佇まいで、和の内装ながらモダンな雰囲気も強くあり、まさに高級旅館といった趣だった。
突然増えた宇月が結構心配だったのだが、ペット連れも全然問題ないらしく、室内に入れても怒られないようで、割と安心した。
ちなみにシロちゃんだが、夜の祭り見物から旅館に戻っても、まだずーん、と落ち込んでいた。昼過ぎに宇月のことを報告してから、ずっとこんな感じだ。
どうやら、宇月の危機に気付けなかったことが、余程応えたらしい。
アヤさんもおらず、レイト達がしている後始末を今、手伝っているようだ。今日は徹夜だとか何とか。ご愁傷様である。
まあ彼女なら、二日三日くらいの徹夜なら、多少パフォーマンスは低下するかもしれないが問題なく行動出来るんだろうけどな。俺もそうだし。
なお、出来るからと言ってやりたいかどうかについては、言及しないものとする。
「――フゥー、良い湯じゃった! いやはや、温泉は良いのぉ! 我が家の風呂も良いが、温泉はさらに格別じゃ! 身体の奥底まで温まる感じがするからの!」
「そうですか……あなた達が満足してくれたのなら、良かったです……」
「何じゃシロ、まだ落ち込んでおるのか? ほれ、酒でも飲んで、気を落ち着かせい! はい、乾杯!」
「うぅ、私が持ってきた地びーる……でも美味しい……」
「ぷはぁっ、美味いのぉ、このびーる! ユウゴ、お主も飲め! ほれ、注いでやる!」
「お前、風呂上がりでそんなバカスカ飲んだら、すぐ酔いが回るぞ」
「ふふーん、儂は魔王謹製の肉体故、酔いなどというでばふは無効じゃ!」
「まおー?」
こてんと可愛らしく首を傾げるシロちゃん。ウタ、お前すでに酔っ払ってきてないか?
まあ、俺も別に、勇者も魔王もあんまり隠すつもりがなくなってきているから、聞かれてもいいかって思いがあるのは確かだが。
――今は、皆で旅館の温泉から出て来たところだ。
飯も食って歯も磨いて、あとは寝るだけというところで、大人達で酒を飲んでいる訳だ。
ちなみにその横でリンと華月は、宇月に構いまくっている。新しい仲間なので、どうしても気になるようだ。
宇月の方はと言うと、本当に落ち着いていて、まるで孫でも可愛がるかのような眼差しで二人の好きなようにさせている。実際、年齢差を考えると、お爺ちゃんと孫になってくるだろう。
宇月、どう見ても長命種だしな。神って名前に付いてたくらいだし。
流石神様っていう感じの落ち着きっぷりだ。リンにもしゃもしゃされても、華月にわしゃわしゃされても、穏やかな顔のままのんびりとしてるし。
そんな彼女らの横で緋月は、「これが私の舎弟だぞ、妹達。仲良くするように!」と言いたげなドヤ顔を浮かべている。我が家の序列的には、緋月が長女で、リンが次女で、華月が末っ子なのだ。
ウチのと遊んでくれてありがとな、宇月。これからもよろしく頼む。
ウタが注いでくれるビールを飲みながらそんなことを思っていると、風呂上がりで良い匂いをさせているキョウが、ちびちびジュースを飲みながら、どことなく憮然とした顔を浮かべていることに気付く。
「? キョウ、どうした?」
「……ウタは、ズルい! 日本人じゃないのに、何でそんな、浴衣姿も似合ってんだ! すげぇ綺麗な肌してるし、体形もすげぇ良いし!」
「お前も浴衣似合ってるぞ」
今彼女らは、旅館に備え付けの浴衣を着ている。
ウタもキョウも、それがよく似合っていて、ぶっちゃけ結構色気があって直視し辛い。
ウタなんかは、俺達だけと一緒の時はかなり無防備だからな……多少はだけていても何も気にしないのだ、コイツは。目の毒である。
すると、キョウは少しだけ頬を赤くしながら、ジト目でこちらを見上げてくる。
「……最近優護の手口がわかってきた。そうやってアンタは、とりあえず女を褒めんだ! しかも本心で! この、女誑しめ!」
「キョウ、お前もしかして酔ってるか?」
「酔ってねぇ!」
未成年飲酒はマズい、と思って彼女の前にあるコップを確認するが、俺達のビールとは違ったオレンジ色である。
キョウはオレンジジュースが好きなのだ。可愛い奴め。
「そんな優護には、罰ゲームだ! そのビールを、オレンジジュース割りにしてやる!」
「お前小学生みたいな嫌がらせ思い付くな?」
「誰が小学生サイズだ! 流石にもっとデカいわ!」
「いや何も言ってないが」
「うるにゃあ!」
「何て?」
お前、やっぱ酔ってるな?
確かに顔は赤らんでいたのだが、風呂上がりだからだと思っていた。何でだ――って。
キョウに「一口飲むぞ」と断ってからオレンジジュースに口を付けてみたところ、しっかり酒だった。
アルコール入りオレンジジュースである。誰だ、この罠を用意したのは。
「あ、すみません、それ私が持ってきたものです。お二人が飲むかなと思って、私の好きな甘いのも持って来てたんです。清水杏はもしかして、オレンジジュースのつもりで飲んじゃったのでしょうか?」
「そうみたいです。風呂上がりだから、余計に酒が回っちゃったんでしょう」
なるほど、シロちゃんが色々お酒の差し入れを持って来てくれていたのだが、その中にこれがあった訳か。
それで、ただのオレンジジュースだと思ってキョウがこれを飲んでしまったと。
「うぅ……つくづく私は、気遣いの出来ない狐ですね……」
「ほら、見ろ、キョウ。シロちゃんがさらに落ち込んじゃっただろ。全く、もうこれ飲むなよ、お前」
「や! あたしもお酒飲む!」
「や、ってお前。そのテンション、明日悶えることになんぞ」
「そんなことない! お兄ちゃんのいじわる!」
……コイツの言う『お兄ちゃん』ってのは、多分彼女の亡き兄と重ねて言ってるだろうから、ちょっと触れ辛いんだよな。
……いやけど、俺が重く捉えるべきじゃない、か。
「はいはい、お兄ちゃんは妹にいじわるするもんだ。ほら、水飲め、水」
「ん!」
コクコク、と大人しく俺の渡したコップの水を飲み、ぷはぁ、と息を吐き出すキョウ。
何だか、動作が一々色っぽい。コイツは、典型的な絡み酒だな。
「……んふふ、杏お姉ちゃん、何だかとっても、今日は可愛い」
「そうかぁ? あたしが可愛いなんて……あれ、なんか……グルグルする……」
「わっ、おい、大丈夫か?」
「ん……」
突然にフラフラし始めたキョウは、そのままコテン、と俺の膝を枕に横たわったかと思いきや、「スゥ……スゥ……」と小さく寝息を立て始めていた。
「あー……ウタ、布団敷いてくれるか」
「どうやらキョウは、酒に弱いようじゃなぁ。うむ、そのまましばらくお主は枕になっておれ!」
「……キョウお姉ちゃん、お疲れなんだと思う! いっぱい寝かせてあげよ!」
「ん、そうだな。俺らもちょっと声の声量落とそうか」
軽く頭を撫でてやると、キョウは安心したような、穏やかな顔で寝息を立てる。
よく眠りな。
ここは、お前が無防備に眠っていても、何も問題ない空間だからさ。
◇ ◇ ◇
深夜。
聞こえてくる、規則正しい寝息。
酔い潰れたキョウはともかく、リンも旅館にいるのがすごい楽しいらしく、ずっとはしゃいでいたのだが、今日一日行動し続けたために流石に疲れが限界に達したらしく、少ししてウトウトし始めていたので、布団を敷いて彼女も寝かせた。
華月も、厳密には眠る訳ではないが、休止状態に入ったようで、依り代である人形形態の動きが完全に止まっている。あの状態だと、魔力消費が著しく減るようだ。
シロちゃんはリンが寝た辺りで帰り、宇月は隅で丸くなっている。枕にしたら気持ちが良さそうなモフモフ具合だ。
そして、そんな様子を見ながら俺とウタは、窓際に設置された椅子に座って、静かに酒を飲んでいた。
「いやはや、なかなか楽しい旅じゃったのぉ。うざったい敵さえ出なければもっと良かったが」
「ホントにな。俺も金魚すくいとかしたかったのに、奴が出たせいで出来なかったし。あの仮面野郎は、見つけ次第絶対に駆除するわ」
「うむ、儂も協力するぞ。なんせ、今は儂も特殊事象対策課じゃからな! 何が出て来ても、魔王の無敵の力で粉砕してやるとしよう」
「おう、心強いよ。キョウも喜ぶ」
「意外と寂しがり屋で、人懐っこいところがあるからのう、彼奴は。――そうそう、その当人が言っておったんじゃが、文化祭? なるものが九月にあるから、それに来ないかと誘っておったぞ」
「へぇ? 文化祭か。いいな、見に行ってやろう。お前に日本の学校がどういうものか、キョウと一緒に教えてやるわ。この祭りと同じくらいには、楽しいと思うぞ」
「ほほう、大きく出たの! 良いな、それは楽しみじゃ」
そう話しながら、一緒に酒を飲んでいたウタは、ふとニヤリと笑みを浮かべ。
対面の椅子から立ち上がり、ポン、と俺の膝の上に乗った。
……いつもより生地の薄い浴衣を着ているせいで、彼女の肉体の柔らかさと温もりが、一層強く感じられる。
包まれる、ウタの匂い。
俺は一瞬固まり――だが、すぐに彼女の身体に両腕を回し、抱き締めるようにして、首元に顔を埋めた。
ウタは、片腕を伸ばして俺の頬に軽く手を当て、小さく笑う。
「かか、恥ずかしがり屋のお主の割には、今日は随分積極的じゃな?」
「旅だからきっと、俺もテンション上がってんだ」
「そうか、そうじゃな。旅じゃものな。キョウ程でなくとも、高揚するか」
ウタの体温。
くっ付き合い、それが、暗闇の中で俺と一つになるかのような。
俺はもう、これを手放すことは出来ないのだ。
「アイツが明日の朝、顔真っ赤にして、俺らと目を合わせられなくなるにビスケット一袋掛けよう」
「儂もそちらに賭けるから意味ないの」
「はは、まあそうなるか。アイツも、取り繕わない、ほとんど素の部分が出るようになったと喜ぶことにしよう」
「そうじゃな、お兄ちゃん。しっかり妹を導いてやるんじゃぞ」
「おう、お前も姉として面倒見てやってくれ」
俺とウタは、軽く杯を交わした。
――ちなみに、翌日起きたキョウは、思った通り顔を真っ赤にして、しばらく俺達と顔を合わせなかった。
どうやら酔っ払っている時の記憶が、しっかりあるタイプらしい。
うん、まあ、これに懲りて、大人になってもあんまり酒を飲まない生活になればいいと思うぞ。
酔っ払って素直になってるお前は、大分可愛かったけどな。