エピローグ《2》
――夜。
それは、幻想的な光だった。
調律された美ではない。
奥へ奥へと連なる、『提灯』なる光の球が淡く照らすのは、カオスだ。
雑多で、喧騒と共にある、多くの人間達。
顔に笑顔を浮かべ、祭りを楽しむ家族や恋人、友人らと語らっている様子。
為政者として目指すべき光景が、ここにはあった。
確か、シロを讃えるための祭りだったか。この地方の者達が、いったいどれだけ彼女を大切に思っているのかがこの光景だけでよくわかるように思う。
勿論、一般市民はそこまで深く考えてはいないだろう。毎年やっている祭りに、なんとなく参加しているという者も多いはずだ。ただ、それでもこの祭りに対する意識が低ければ、もっとバカ騒ぎのような祭りになったのではないだろうか。
無意識化において、シロに対する敬意があればこそ、これだけ賑やかでありながら、どことなく厳かな雰囲気があるんじゃないかと思う。
何より、どこもかしこも狐推しだ。『狐焼き』とか、『狐ご飯』とか。稲荷寿司も名産のようだ。
狐面をしている者も多いように思う。大分愛されているらしい。狐焼きは、若干不敬じゃないかと思わなくもないが。
なお、その当人は全てが終わった後に何があったのか知らされたようで、宇月の異変に気付けなかったことに忸怩たるものがあったらしく、先程一度寄った旅館にて頭を抱えて嘆いていた。
それに付き合ってか、宇月も今この場にはいない。多分、少しこちらに遠慮した部分もあるのだろう。
あの犬は、流石優護が気に入って連れて来ただけあって、非常に賢い。知能で言えば、普通の人間の大人並のものは持っているんじゃないだろうか。だからこそ、優護という男の規格外さを理解出来て、付いて来たのだと思う。
見ればわかるが、あの犬はまず間違いなく長命種だ。もしかすると、己よりも年上かもしれない。色々見て、生きてきたことだろう。
それでも、断言出来る。優護のような男は他にはいないのだ。
「……とってもとっても、綺麗! これが、お祭りの真骨頂……!」
「はは、まあ確かに、夜の祭りの方が雰囲気はあるな。そういやキョウは、こういう祭り、参加したことあるのか?」
「いや、地元の小っちゃいのとかしか行ったことなかったからな。ここまで本格的なのは、あたしも初めてだ」
「……お酒の臭い、いっぱい!」
「おう、大人は夜になると酒ばっか飲むんだ。凛も華月も、そんな大人になっちゃダメだぜ?」
「……お兄ちゃん達が全然飲まないから、多分大丈夫!」
「まあ俺もウタも、超飲まないと酔えないしな。……いや、ウタは割とすぐ酔うか? 考えてみると」
昼とはまた一つ違った、夜のお祭りの様子にはしゃぐ凛達を見て、穏やかな顔を浮かべる我が旦那様。
最近優護は、面と向かって「旦那様」と言っても、あまり否定しなくなってきた。もうちょっと押せば、そろそろ既成事実になるのではなかろうか。うむ、なるだろう。
幸い、彼もこちらと生を共にすることを、嬉しく思ってくれているようなので、あとはどうにかこうにか、もう幾ばくか素直にさせれば、「最愛の妻! 愛してる!」となるはずだ。うむ、なるだろう。
まあ、正直なところ、己は一夫多妻には別に何とも思わないので、余程馬鹿が来ない限りは、あるいは優護が節操無しに何人も、などと言い出さなければ、数人娶るのは構わないと思っている。
優護はそういうところしっかりしているし、初心な上に割と硬派なようなので、仮にそうなるとしても、よく面倒を見ている杏か、世話になっている漣華くらいになるだろうが。
このニホンでは違うようだが、向こうならば一夫多妻は当たり前の価値観だった。
男は戦場に出る。そして死ぬ。
女は家に残る。であれば、必然的に女の数の方が多くなる。
魔法という力がある故に、男女の能力的な格差はこちらの世界よりも小さかったため、逆に一妻多夫という形を持つ種族もいたが、流石に少数である。
戦場という、生物の極限を突き付けられる状態が当たり前となっていたあの世界では、人口を減少させないためという、至極根源的な理由から一夫多妻等が当たり前に受け入れられていたのだ。
「ご機嫌じゃな、ユウゴ」
「ん? まあな。そりゃ、楽しいし。ご機嫌にもなるさ」
「かか、そうか」
笑みを浮かべ、ウタは隣の男を見続ける。
「? 何だよ」
「お主はわかりやすい奴じゃなあ、と思うて」
「何だ、急に。というか、お前にわかりやすいとか言われたくないわ。すぐ表情出るじゃん」
「何を言う。ぽーかーふぇいす選手権があれば、きっと儂が優勝するというのに」
「いやポーカーフェイス選手権で一位なってどうすんだ。それを使ってポーカーの方で一位なってくれよ」
「ぽーかーは難しいから無理」
「とても元魔王様のお言葉とは思えんな」
苦笑を溢す優護。
その顔が、何とも愛らしい。
――この男は、皆が喜んでいる時、一番嬉しそうな顔をする。
凛がニコニコとし、華月がご機嫌に漂い、緋月が窓際で丸くなり、その横で杏が学校の課題をやっている。
そういう光景を見ている時、優護は一番穏やかな顔をしているのだ。
「それよりユウゴ、腕は大丈夫なのか?」
「腕って?」
「儂に隠さんでよいわ。どう見ても左腕の魔力の流れ方がおかしくなっておろう。怪我した証じゃ。大方、ウゲツを助ける際に無茶でもしたんじゃろう? 緋月で斬れば一発である以上、普通に戦えばお主が怪我するはずがないからの」
宇月が強いことは、見ればわかる。
今は消耗しているようだが、身に纏う魔力の質と量。恐らく、シロやツクモ程ではないが、あの二人と比べることが出来るくらいの実力はあるはずだ。
だが、その程度ならば、優護は無傷で勝てるだろう。
緋月を装備している優護の強さというものは、それこそ己と斬り合える程なのだ。少し言葉が悪いかもしれないが、ただ長生きして魔力が多いだけの相手になど、負けはしない。
優護は、戦闘のせの字も知らない、本当に何もないただの人間の身でありながら、命を懸けて一から戦い方を学んでいき、戦場を駆け抜け、最後にはこの身すら斬り殺した男なのだから。
魔力が強大な者は、得てして工夫を怠るものだ。そんなことをしなくても魔力ですり潰せば勝てるのだから。同格、あるいは同格以上の相手と、彼女らは果たしてどれだけ戦ったことがあるのか。
その点優護は、誰よりも工夫し続けた。己よりも強い敵ばかりの戦場にて、生き残るために、考え続けた。そして今がある。
すると、優護は苦笑を浮かべる。
「……お前には、誤魔化せないか。あぁ、宇月を真っ二つに出来るんだったら、話は簡単だったんだけどな。そういう訳にもいかないから、左手で動き止めて、んでアイツを操ってた仮面を斬ったんだ」
多分、宇月を救えるのならば腕一本くらいは、なんて思っていたのだろう。エリクサーも持っていたはずだから、後で生やせるし、くらいは思っていたかもしれない。後遺症が残っている点から見て、今回それは使わなかったようだが。
治したのは、共にいたらしいアップル達――いや、アップルか。後遺症と言っても、己が辛うじて気付けるくらいだ。腕は良いのだろう。
「お主は全く……もっと己の身体を大事にせい。もう、お主一人だけの身体ではないんじゃから」
「おう、言いたいことはわかるが。それは普通、男が女性に言うものじゃないか?」
「ほほう、ではいつか儂に、その言葉を言うてくれるのか?」
「ばっ、おまっ、な、何言ってんだ!?」
…………。
「……今のは無し、ということで」
「……お前、自分が恥ずかしくなるのなら、言うなよ」
「う、うっさいわ。失敗したんじゃ、失敗。そ、それより! まだ完全には治ってないようじゃし、儂がこうして人肌で温めて、腕の傷の治りを早くしてやろう!」
ウタはふふんと勝ち気に笑みを浮かべ、優護の左腕を取り、己の腕を絡ませ、キュ、と握る。
「……効果があんのか、それ?」
照れた顔をしながら、優護もまた軽く握り返してくる。
大胆なくせに、こういうところは純情な旦那様である。
「勿論よ! 愛情たっぷり込めておるからな!」
「いや料理か」
と、彼と話していると、凛達の好奇心に引っ張られるままあちこちに行っていた杏が、チラチラとこちらのことを気にしている様子が視界に映る。
何を考えているのか、丸わかりな動きだ。まあ、優護はわかっていないだろうが。
やれやれという気分でウタは、笑いながら彼女を呼ぶ。
「キョウ!」
「! な、何だ?」
突然呼ばれ、ビクッと反応した杏は、ちょっとだけ慌てたように返事をする。
「ほれ、こちらに来い! ユウゴが左手怪我したから、お主に温めてもらいたいようじゃ!」
「それ、聞きようによってはセクハラじゃないか?」
「……わ、わかった」
「きょ、キョウ?」
ちょっと俯きながらこちらにやって来た杏を見て、ウタは笑って彼女と場所を変わる。
「では儂は、右手で勘弁してやろう!」
「何に勘弁すんだ、何に。……キョウ、このアホの言うことは真に受けなくていいからな?」
「……お、おう」
薄暗い中でもわかる程顔を真っ赤にしながら、遠慮がちに、しかし杏は優護の腕を取る。
キュッと指を絡めたのを見て、ウタはご機嫌に笑った。
「ふふん、両手に華じゃな、ユウゴ! 良かったのう?」
「……あぁ、そうだな」
照れたように苦笑し、だが決して拒絶せず受け入れる優護。
彼は、こちらを拒絶しない。
苦笑して、何だかんだ言って、そして必ず受け入れてくれる。
それが、今は……何よりも心地よいのだ。
「……お兄ちゃん達、早くいこー! あっちで、神輿が通るって!」
「かか、リン達が待ちきれんようじゃ。では行こうか、儂らの旦那様よ」
「い、行こう。……だ、旦那様」
「お、おい、キョウ? どうしたんだ、お前まで」
「うっさい、早く行くぞ!」
「わっ、引っ張んなって、わかったわかった」
提灯の光が、淡く道を照らす――。
旅館の様子書きたいから閑話でもう一本!