魔を払うは、固き意志《2》
「うふふ、わざわざニホンにまで来た甲斐がありましたね。どうですか、イータ」
「……あの動き、我流ですね。捉え難い、流水のような剣術です。そしてその途中で、流れとは無関係な、無理やりにも思える攻撃が入る。……あのナカガワが負ける訳です」
「聖剣の力も、大して発揮出来ずに負けたのでしょうね。それとも、発揮した上で手も足も出なかったのか。イータ、あなたならば戦えますか?」
「戦えと仰るのならば戦いましょう。ただ、怪獣と戦うようなものであることはお忘れなきよう」
「脅威度で現すならば、『Ⅴ』ですか」
「間違いなく。彼だけと言うより、あの魔獣剣と合わせての評価でありますが」
己の主にそう言葉を返しながら、イータは海凪優護の戦いぶりを見る。
――ナカガワ。
日本における非合法作戦にて、海凪優護に斬られて死んだ騎士。
聖剣の使い手として、欧州魔法協会では広く名を知られており、故に彼が死んだことによる動揺もまた大きかった。
あの一件では、かなりの混乱が起きた。
まず最悪だったのが、欧州魔法協会にて幹部の位にあった者が、勝手に他国で非合法作戦を展開したことだ。
こちらからすれば、利害の対立関係にある敵が一人で勝手に起こしたことだが、向こうからすれば『欧州魔法協会』という組織そのものが仕掛けてきたように見えたはずだ。
あの時、こちらの陣営の関係者は、全員が「は?」と思わず声を漏らし、怒りを露わにし、そして頭を抱えたものである。己の上司などは、にこやかな顔で毒を吐きまくっていた。
さらには、貴重な聖剣の消失。対立関係にあった者達が所有していた武器と言えど、欧州魔法協会に登録されている、非常に重要な遺物であることには違いないのだ。
それが失われるということは、万が一があった際の戦力が大幅に減るということを意味する。
今は対立関係にあったとしても、何か強大な魔物が出現した際には協力して対処に当たる必要があり、それが失われた分のしわ寄せは確実に存在するのである。
たとえ海凪優護が、あの幹部を殺さなかったとしても、少ししたら欧州にて『病死』していたことだろう。
本人としては、海凪優護が『異界』と関わりがあることを突き詰めた! と声高らかに主張し、それを実績にして新たな十字軍でも立ち上げるつもりだったかもしれないが、そんなことは絶対に許さない。
更なる政治暗闘が発生したことは確実で、両陣営で泥沼の攻防が発生していたことだろう。
それこそ、殺し合いも辞さないような。
はっきり言って、海凪優護が直接手を下してくれたのはこちらとしてはありがたかったくらいで、組織が揺らぐ程に燃え上がりそうな火種を一つ潰してくれたとも言えよう。
その分、新たに彼との確執が生まれることになったが――だからこそ、己の主は決めた。
直接日本に赴き、海凪優護という『特異点』がどのようなものか、判断するために。
彼女の持つ『未来視』が、そうした方が良いと判断したのだ。
果たしてその甲斐はあったのか。己にはわからない。
彼がとんでもなく強いのだろうということは、こうして戦いぶりを見ればわかる。しかし、それだけだ。
怖気を覚える程の気配を放つ魔獣剣を持っていることと、それを十全に扱う技量があること。
己では、そういう戦力的な観点からの評価しか出来ず……しかし、どうも己の上司は、彼に違うものを見ているようだ。
いったい何を見て、何を感じたのか。そういうところを、彼女は一切語らない。
必要なことを、必要な分だけ話す。長年、護衛として付き従っている己にも、その心内を話すことはほとんどない。
いつか、彼女は言っていた。
未来とは、無数に枝分かれした不確定な道の先に向かって、今を踏み締めて進むものなのだと。
そのため、個々人の些細な言動だけで、結果は数十にも変化することとなり、だからこそ何を話し、何を隠すかは慎重に決めなければならないのだと。
どこまでも思慮深く、底が知れない我が上司。
だからこそ、この人に付いて行くのは、面白い。
彼女が海凪優護に何かを感じたのならば、きっと彼には何かがあるのだ。
是非ともその一端を今、見極めさせてもらうとしよう。
◇ ◇ ◇
この狛犬、かなり強いな。
脅威度で現すなら、『Ⅳ』はあるだろうか?
まず、俊敏性。凄まじい速さで、瞬きした次の瞬間には横に回り込まれていた。気配は追えていたので、噛み付きの攻撃は回避出来たが、ぶっちゃけ結構驚いた。
それでいて一撃は当然のように重く、ただの前足でのパンチなんかすら、ダンプカーが突っ込んできたくらいの威力はあるようで、あと肉体の一部を非実体化――アストラル化させることが可能なようだ。
魔力を吸い取る緋月なら問題なく斬れるので、効果がないと判断してからはそれをしなくなったが、ただの物理攻撃であれば、どんな質量攻撃でも全て回避可能だということだ。
本当に、緋月サマサマだ。俺はコイツに頼り切っている。
勿論、緋月で斬ってしまえば一発で終わるのだが、それはしたくない。どう見ても操られてるしな、アイツ。
魔力の流れからして、あの仮面が狛犬を操っているのは間違いないと思われるので、正確に仮面だけを斬り裂ければどうにかなると思うのだが、簡単にそれをさせてくれるような力量じゃないのだ。
気を抜いたら普通に死ぬだろうな。まあ、そんなのは何を相手にしても当たり前のことなので、特段気にすることでもないのだが。
『グルルッ!!』
正面からの突撃を、斬らないよう注意しながら受け流――そうと思ったが、途中で大きく回避に変更。
背後の死角から、影法師が湧いて出てきたからだ。
俺の足に食らい付こうとしたソイツを、逆に蹴っ飛ばし、合わせて行動する狛犬を軽い魔法で牽制する。
隠していた手がスカったからか、狛犬はもう影法師を隠すのをやめたらしく、次の瞬間数十の影法師が空間に出現し、一斉に攻撃を開始。
先程までの雑魚とは、動きが全く違う。
キレがあるのだ。定められた行動を行うだけの意思なき人形から、意思を宿した人形へと変わったのだろう。
操っているのは仮面か、それとも狛犬自身の能力なのかか。……多分、後者だな。
さっきまでがステージ1。
さしずめここが、ステージ2ということか。
……このやり方で、少しわかったことがある。
あの仮面野郎にとって、これは遊びなのだろうということだ。
わざわざ弱い敵を用意してから、次にそれより強い敵を用意する。
威力偵察とか、こっちの戦力のあぶり出しとか、さっきまでそんなことを考えていたが……コイツはただ、楽しんでいるだけだ。
恐らく、どうでもいいのだ。勝ちも負けも。
盤上で滑稽な人間達が躍るサマを見て、笑うだけ。
ただ己の感情のままに、災厄を振り撒く。
……つくづく、腹の立つ野郎だ。
これが、シロちゃんやツクモ達が追い続けた敵か。
コイツは、俺にとっても、殺すべき敵だ。
――殺到する影法師達。
それを排除しようと緋月で斬れば、その動きを予想していた狛犬本体が攻撃を仕掛けてくる。
狛犬自身は斬れないという制限を抜きにしても、厄介なパターンだ。
ただ……一つ、違和感がある。
狛犬の動きが、俺の予想とズレるのだ。
こういう攻撃なら、次はこうしてくるだろう。そうやって俺達は、相手の動きを見て、常に考えて――まあ、頭で判断するより先に身体が反応するので、ほぼ無意識化の動きではあるのだが、とにかく常に予想して戦う訳だが、今回に限ってはそれが外れてばかりなのだ。
それも、俺にとって都合の良い方に。
本来なら追撃を仕掛けてくるだろうタイミングで、それが来ない。
コイツの速さなら避けるだろうと判断していた牽制が、そのまま当たる。
何より一番の違和感は、狛犬の攻撃に躊躇が混じることがある、ということだ。
まるで、無理やり肉体を押さえ付けるかのように。そのせいで、一回斬り殺しかけた。
――そうか。
お前も、戦ってるんだな。
肉体の制御を、ほぼ全て奪われたその状態で。
「――わかった。いいぜ。俺とお前で、このクソ野郎を叩き斬ってやろう」
狛犬から返答はない。
だが、影の向こう側から感じられる、強い視線。
強き、固き意志。
カッコいい奴だ。
お前がそこまでの覚悟を――俺に斬られてでもコイツをぶっ倒したいと言うのならば、俺も協力してやる。
待ってろ。その身体に纏わり付くゴミ、俺が今払ってやる。
鬱陶しい影法師を雑に斬り払い、ただ真っすぐに立つ俺に向かって、狛犬は突進。
しなやかな四肢の筋肉を躍動させ、見惚れる程の美しい動作で繰り出されるのは、洒落にならない弾丸のような突撃だ。
そしてそれを、俺は、避けない。
大きく開かれる咢。
胴体を食い千切られたら流石に死ぬので、代わりに俺は、左腕をつっかえ棒のように狛犬の口の中に突っ込むことで、食われるのを回避。
腕に食い込む牙。
血が爆ぜる。
クソ痛い。
クソ痛いが――痛いだけだ。
こんなもんで、人間は死にはしない。
俺は、戦闘不能にはならない。
そして、コイツが本気で噛み千切ろうとしていたのならば、すでに俺の左腕は食われてなくなっていることだろう。
狛犬自身が、ギリギリで抵抗してくれているのだ。
「――捕まえたぞ」
笑ったままの仮面。
だが、俺も笑う。
ニィ、と。
嘲笑うように。
突進を正面から受け止め、牙が腕に食い込んだことで停止したその一瞬の隙で俺は、下から捲り上げるように緋月を斬り上げた。
軽い感触。
刹那の後、斜めに真っ二つになる仮面。
――変化は、劇的だった。
闇が、晴れて行く。
まるで、雨で押し流されるかのように影が薄まっていき――現れたのは、純白の狛犬。
深い知性を感じさせる瞳。
凛々しい相貌。スラリとしていて、やはりどことなく狼っぽさを思わせるが、それでいて犬の愛嬌も感じさせるような顔付きだ。あと、多分コイツ、雰囲気からしてオスだな。
俺の腕に噛み付いていた牙をすぐに抜くと、こちらの痛みを和らげようとしてくれているのか、ペロペロと傷口を舐め始める。
ぶっちゃけそれが結構痛いのだが、ただその思いが嬉しかったため、俺は緋月を持ったまま笑ってワシャワシャと首筋の辺りを撫でてやる。
「大丈夫だ。気にすんな。この程度は舐めてりゃ治る。つまり、お前がそうしてくれてたら治るってことだな!」
「――そんな訳ないでしょう。なかなか無茶な戦い方をしますね、ミナギさん。私、これでも回復魔法を得意としてますので、見せてください」
そう言ってこちらに寄ってくるのは、最後まで俺に戦いを任せてくれていた二人。
「いやまあ、そりゃ聖女なら回復魔法は当たり前に使えそうなもんだが」
むしろ聖女が回復魔法使えずに、誰が使えるんだ。
「? ……考えてみればそうですね!」
言われてみれば、という顔をする彼女に、思わず苦笑を溢す。
この人多分、自分が『聖女』って呼ばれんの、あんま好きじゃないんだろうな。
向こうの世界で、『勇者』と呼ばれて苦笑いしてた俺と一緒か、その点は。
そうして彼女は、両腕に魔力を纏い始め――。
「聖女様ッ!」
イータの焦りを感じさせる叫び。
即座にエミナの盾になるようにイータが前に出るが、それよりも先に、俺はこの段階でも手放していなかった緋月で背後を斬り裂いていた。
飛んで来ていたのは、別の仮面。
見ると、奥にあった本殿の扉がいつの間にか開いており、恐らくそこに仕込んであったのだろう。
「わかってんだよ。お前みたいな野郎の取る戦法は」
クリアしたと思ったところで、別の仕掛けが作動する。五ツ大蛇なんかも、実は剣が本体って隠しダネがあったのを、俺は忘れていない。
今のを食らってたら、次は俺かエミナが、黒い影を纏う敵に変貌してたってか?
そして、さらに本殿から現れる、幾つもの仮面。
一人でに浮き、嘲笑するようにカタカタと笑う。
好きにしろ。
どれだけでも出してくればいい。
お前程度は脅威じゃない。百でも二百でも斬ってやる――と、思って緋月を再度構えた俺だったが。
「グルルッ!!」
俺の隣で、キレたように表情を怒りで染め、唸る狛犬。
次の瞬間、その肉体に迸るとてつもない魔力。
――放たれたのは、風。
いや、そんな生温いものじゃないか。
トルネードだ。それも、内部に致死量の魔力が練り込まれた。
怒りのままに放たれたそれは、狛犬が住処としていたのであろう本殿ごと、仮面の全てを飲み込む。
荒れ狂う暴風。
それは十秒程で消え去ったが、最後に残ったのは、塵のみ。
残骸の全てが、カス程もなくなって、更地が広がっていた。
……すごいな。言わば、ハリケーン型ミキサーか。
この規模で、この距離にいるのに、俺達にはちょっと風が強いくらいの余波しかなかった。完全に制御され切っていた証だ。
それに、多分あれ、一つの魔法じゃない。現象としては一つに纏まっているが、幾つもの要素を操って形成していたのだろう。個に見える群の魔法、ということだ。
つまり、仮に緋月で斬ったとしても完全には消去出来ないのだ。仮に俺が対峙していたら、同規模の魔法をぶつけて相殺する選択肢を取るだろう。それか逃げる。
影に操られていた時の倍は強いな、本体。
「いいのか? あの本殿、お前の家だったんだろ?」
俺の問いに、狛犬は少しだけ悲しそうな顔をするが、しかしフルフルと首を横に振る。
……敵に浸食されて、もう修復が無理だったのか。
実際、この狛犬が正気を取り戻しているのに、空間に満ちる悪意の魔力は消えていない。
ここまで思い切りよく粉砕したところを見ても、もうどうしようもなかったのだろう。
「そっか……お前、名前は?」
そう問うと、狛犬は横を向く。
彼の視線の先にあるのは、文字が彫られた石碑。墓、という感じではないが、似たようなものだろうか?
掠れていて、幾つか文字が読めなくなっているが……。
『宇――清水――月神』
うん、思いっ切り神って名前に付いてるな。
そういや……『白』って色は、神の使いを表すんだったか。
「はは、お前も名前に『月』が入ってるんだな。ウチのも、緋月って言うんだ。――緋月」
「にゃあう」
ポン、と出て来た緋月が、「お前も私の後輩な」と言いたげな鳴き声を漏らす。
神とかって名前に付いてる訳だし、この狛犬、多分ウタとかレベルで、あるいはシロちゃん達レベルで長生きしてると思うんだが……はは、お前は変わらないな。
ま、それでこそ緋月か。全く、お猫様め。
コイツは自由気ままで、我がままも良く言うが、しかし皆を受け入れるのだ。
受け入れ、平等に扱うのだ。
「けど、すまん、あの石碑、掠れてて全部が読めんわ。だから、そうだな……残ってるところから二文字取って、宇月、って呼んでもいいか?」
俺の言葉に、彼はどことなく気品を感じさせる仕草でコクリと首を縦に振る。
「はは、ありがとな。よろしく、宇月。俺は海凪優護だ。優護って呼んでくれ。それで、お前……家、なくなったんなら、ウチ来るか?」
宇月は、俺を見る。
真っすぐに、俺の奥底まで見通すかのように。
「魔力的なこととかは気にしないでいい。緋月が普通に暮らせるくらいだから、色々誤魔化すのは難しくない。勿論、無理にとは言わないが――いや、この際だから、はっきり言おう」
俺は、笑みを浮かべ、宇月の目を正面から見返す。
「俺は、お前が気に入った。だから、一緒に来ないか?」
少しの間、考えるように押し黙る宇月。
多分、元々物静かな性格なのだろう。
やがて、彼は。
瞳を閉じ、こちらに向かって。
頷くように、静かに頭を下げたのだった。