一日目《3》
その報告に、田中は思わずため息を吐きそうになり、だが部下の手前そのような態度を見せるのは上司としてよろしくないため、静かに一つ呼吸を行った。
「……面倒な」
「どうやら、『欧州魔法協会』からの要請を完全に無視して、我が国へ入国した模様です。目的は、我々の支部へ迷惑を掛けたことを直接謝りたい、とのことでしたが……どう考えてもそれだけではないでしょう」
「協会の反応は」
「再三、帰国要請を出している模様です。ですが、当人達は意に介しておらず、やはり無視しているようで。協会から我々にも、帰国させるよう協力してくれと正規のルートで連絡が入っておりました」
欧州魔法協会は、各国が集って結成されている組織であるが故に、組織的な長はいても、それが明確な上位者という訳ではないため、一定以上の立場の者に『命令』を聞かせられる程の強い権限は有していない。
だから、帰国『命令』ではなく、帰国『要請』なのだ。
しかしそれでも、あちらにおける魔法社会全てを束ねる組織である。その要請を無視して日本に入って来ている以上、何か理由があると考えるべきなのは当然だろう。
救いなのは、今回の相手が、以前のような『強硬派』でないことだけは確かだという点だが……。
「目的は何だと思う?」
「現在、『欧州魔法協会』は混沌の極みにあります。わざわざこの日本の、我々の支部にまで襲いに来た者達がいた程です。内部争いを有利に運ぶべく、魔法社会にて一定以上の立ち位置にあると言える我が国と、組織を出し抜いて友好関係を築く、などと考えている可能性はあり得るかと」
シロという、絶対的な庇護者の存在によって、数百年守られ続けている日本。
それにより、単一国家でありながら、複数国によって形成されている欧州魔法協会とは同程度の組織力があると見なされており、世界的に見ても一定以上の地位を築くことに成功している。
実際には、表をシロが守り、裏をツクモが守っているからこそだということを田中は知っているが、ツクモ自身が己を『壁』であると認識し、そのように振る舞っているために、事情を知る者は少ない。
田中は、少し考える素振りを見せてから、言った。
「ご苦労だった。引き続き、今回の件について最優先で情報収集を」
「ハッ」
そうして部下が去ったところで、田中は繋ぎっぱなしのスマホへと言葉を発した。
「――飛鳥井殿」
『目的は十中八九、海凪君達でしょうね』
今の報告を同時に聞いていた玲人は、そう断言した。
「君もそう思うか」
『欧州魔法協会のゴタゴタが関係してウチの国に来た、というのは間違いないでしょうが、目的は、もっと直接的に、魔法社会のパワーバランスを崩壊させそうな彼らを見に来たんだと思います。「聖女様」は、嘘か真か未来視が出来るって話ですし、何か未来を知ってるのかもしれませんね』
「未来視などというものが、実在すると?」
『さあ、どうでしょう。ただ少なくとも、彼女の言が無視出来ないのは事実でしょう。ずば抜けた魔力感知能力を持つシロ様が、「巫女様」などと呼ばれるようになったのと同じく、ね』
「魔力感知能力や洞察力等によって、未来視とまで言えるような能力を持っている可能性はあるということか。……海凪君達は今、巫女様のところへ遊びに行っているのだったな」
『お泊まり会してるそうですね。女の子ばっかりの中に一人混じる海凪君。……うーん、彼なら問題なく普通に楽しめてそうです』
「明日は確か、地元の祭りに参加する、などという話だったな」
『らしいですね。聖女側に今のところ動きはなく、ウチに面会希望を出しながら日本観光をしているようですが、まー、彼女らが本気で動いたら見張り程度簡単に撒けるでしょうね』
田中は、考える。
現在、日本に来た者は二名。
一人は、『聖女』と呼ばれる、欧州魔法協会の要人の一人。己で派閥を率いている訳ではないのだが、『未来視』などという特異な能力があるとされ、その力を用いて非常に高い求心力を持っている。
彼女一人の存在のおかげで、彼女の母国もまた、協会内部での地位を上げているのだ。
もう一人は、その『聖女』の護衛の女性。そんな欧州における重要人物である聖女を、ただ一人だけで守り続けている、言わばシロの護衛として常に付き従っている綾と、同じ立ち位置の存在。
国の地位を押し上げる程の要人であるのならば、普通ならば多数の人員を付けて守るべきところだが、それが一人だけ。その実力への信頼の深さが窺えるというものである。
何も起こさせず、そして何か起こった際守れるよう、彼女らには尾行兼護衛として退魔師を数人送っているのだが……それだけの実力者を相手に、並の退魔師が、果たしてその動向を縛ることが出来るのか?
玲人の言ったように、無理だ。
「飛鳥井殿。今から旧本部へ向かうことは可能だろうか」
無理である以上、田中達は次を見据えて行動する。
『そう言われると思って、すでに移動の手配を済ませてあります。ただ、僕の私兵も連れて行くつもりではありますが、それでも事前に何かを阻止、というのは無理だと思いますよ。海凪君いると、なんか話が大きくなりがちですし。まあ、彼とウータルトさんいるなら、そもそも戦力はいらないって話でもありますが。シロ様もいるようですし』
「悪いがそれでも頼む。そうして話が大きくなった際、後片付けが可能な者が必要だ」
もうすでに何かが起こるということを前提に話している田中だが、玲人もまたそれを否定することなく、電話口の向こうで苦笑を溢す。
『わかりました。ま、それが僕らの役目ですからね。全く、そろそろ大学の単位が怖くなってきますよ』
「君ならば今すぐにでも卒業出来るだろうし、我々としても卒業させてやれるが」
『清水ちゃん相手とは違うこと言いますねぇ。知ってますよ、彼女にはちゃんと学校通えって言ってるの』
「彼女はまだ子供だ。学ぶ意味は大きい。環境等、君とは事情が違う」
『そうですか? 清水ちゃんは、そこまで子供に見えませんが。はは、田中さんも人の親、ということですね』
「私は独身だが」
『そうですか。ま、僕からは何とも。――それでは、準備がありますので。また後程』
◇ ◇ ◇
「――いやぁ、なかなか楽しいですね、ニホン! 私、一度来てみたかったんです。こんな機会でも無ければ、本国から出ることなど叶いませんから」
満面の笑みを浮かべる少女と、その少し後ろを歩く、背の高い女性。
どちらも目を見張る程の美しさであり、顔立ちからして日本人ではなく、どこかのお嬢様とそのお付きの人、という雰囲気をこれでもかという程醸し出している二人は、現在非常に目立っていた。
通り過ぎる者皆がそれとなく視線を送り、まるで超有名な芸能人でも歩いているかのような状況で――ただ、目立っている理由はもう一つあった。
「……そうですか。聖女様が楽しまれていらっしゃるのならば、何よりでございます」
「外で聖女様はやめてください。せっかく変装してるんですから、正体がバレてしまうでしょう」
「変装……変装なのですか、その魔女のような衣装は」
「魔女じゃなくて、魔法少女アップルです」
「は?」
「いや、だから魔法少女アップルですって。今、ニホン国で人気があるらしく、私もネットで観てます。子供向けなのですが、なかなか奥が深く、面白いアニメなんですよ。なので、今の私はコードネーム『アップル』です!」
少女はコスプレしていた。
ノリノリでポーズを取る少女に対し、周囲の者はスマホを向けて撮影する。そして、礼を言うように軽く頭を下げる彼らに対して、少女は笑顔で手を振るのだ。
従者として、思わず頭を抱えたくなる光景である。
「そしてあなたは、敵女幹部の『ガーネット』! まあ、着ているスーツはいつもと同じものですが、その仮面がトレードマークなので、それ、取っては駄目ですよ?」
「……変装にしては、随分と派手に思われますが」
「まさか本当の魔女が、魔法少女の衣装を着ているとは誰も思わないことでしょう! つまりこれは、完璧なる変装ということです」
「いえ、あなたは魔女ではなく聖女ですが」
「魔女も聖女も一緒でしょう。言葉を変えたところで本質は同じなのですから。そもそも私がそう呼ばれていることが、ちゃんちゃらおかしいのです。我々が使っているの、魔法なんですけど。誰です、聖女なんて馬鹿な名付けをしたのは」
「身も蓋もないことを仰らないでください。如何に種も仕掛けもあろうと、『聖女が奇跡を行っている』という建前、舞台装置は重要なものなのです。それが魔女の所業だと思われてしまうのは、非常に外聞が悪い。たとえ我々が、魔法社会を束ねる『魔』に通ずる者達であるとしても、です」
「あなたも建前って言っちゃってるじゃないですか。それに今の時代、そういう差別は良くないんですよ? あれです、あれ。ポリコレ!」
「絶対に違いますし、本当に危ない発言ですのでおやめください」
「やれやれ、相変わらずガーネットは真面目ですね。実際のキャラもそういう感じなので、助かりますが。――仕方ありません、名残惜しいですが、そろそろ観光は切り上げるとしましょうか」
その時、少女の笑みの質が少し変わったことに気付けるのは、従者の女性のみだった。
「そろそろのようです。――では、参りましょうか」
「ハッ」
瞬間、二人の姿が、消えた。
空中に溶けるように、スゥ、と。
誰もが二度見するような二人組が、突然その場から消失したことに、しかし誰も騒がない。
まるで何事も無かったかのように、二人にスマホを向けていた者でさえ前に向き直り、歩き去って行く。
最初からそこには、誰もいなかったかのように。
その異変に気付けたのは、魔力に理解がある、二人を尾行していた特殊事象対策課の退魔師のみだった。
「! ……クソッ!」
尾行の間ずっと、気の抜けるようなやり取りを聞かされ続け、何だか少しげんなりしていた彼は、己が一つ欺かれたのだということにそこでようやく気付き、思わず悪態を吐いていた。