のんびり行こう
海坊主をシバいた翌日。
後日詳しい話があるとかってレイトが言っていたが、元鉄砲玉――間違えた。
元勇者たる身としては、言われた通りに働くだけなので、それを待つだけだ。俺が自分からどうこうするつもりは、あんまり無いしな。あんまり。
ウタの仕事も完璧だったので、田中さんも安心……は、出来ないか。多分。別の意味で不安が増えているかもしれない。知らんけど。
まあ俺達は、敵がいるのならば滅ぼすだけだ。
そんな訳で、我が家にて俺は、縁側でのんびりと庭を眺めながら、膝上の緋月をブラッシングしていた。
流石にもうこういう手入れにも慣れたので、緋月が望むがままにブラシを入れてやると、機嫌が良さそうにゴロゴロと喉を鳴らす我が愛刀。
いつもは、俺が撫でようとする時は「触んな」と言いたげにピューッと逃げて行く緋月だが、こういう時や、自分から「撫でろ」と身体を擦り付けてくるような時は、撫でてやると普通に喜ぶ。
元々猫っぽかった緋月だが、最近はもう、お前本当に刀か? と思うくらい猫生に慣れたようで、まず高いところが好きだし、動くものは無条件で目で追って追いかけるし、あとダンボールとか置いておくと、そこに入りたがったりもする。
何でか知らんが、とにかく狭い隙間とかが好きなようだ。
ただ、ジッとしているのは別に苦にならないようで、アイテムボックスの中に入れておいても、特に文句を言うことは無い。それは嫌じゃないようなので、ちょっと安心した。そこは恐らく刀の頃の習性なんだろうな。
「よーし、こんなもんでどうでしょうか、緋月さんや」
「にゃあう」
クールに「悪くない」と一声鳴き、軽く礼でも言うようにグリグリと俺の腕に頭を擦り付けた後、俺の膝上からするりと抜け出ると、ごろんと横で丸くなり始めた。
俺もまた横で胡坐を掻いたまま、軽く彼女の頭を撫でてやり――というところで、ウタが盆を持ってこちらにやって来る。
「ほれ、ユウゴ、緋月。おやつじゃぞー」
「お、サンキュー。緋月、菓子だぞ」
すると、「そこに置いといて」と言いたげに尻尾だけで反応する。今は食べるより、寝たい気分のようだ。
まあ、緋月にとって食事は、ただの娯楽だからな。寝るのも食べるのも気分次第、ということなのだろう。
ちなみに、ウタが持ってきてくれたのは、冷たい抹茶と、どら焼きだった。
「……なかなかやるな」
思わず俺がそんな声を漏らすと、不思議そうにするウタ。
「? 何がじゃ?」
「いや、お前はしっかり日本文化を勉強してるんだなって思って」
縁側にいて、このラインナップ。
別に俺が教えた訳じゃないので、自分で日本文化を学んでいなければ出て来ない選択肢だろう。
「かか、それは勿論、ニホンはお主らの国で、儂が今住んでおる場所でもあるからの。特にお主は、この庭がお気に入りじゃろう? それに合うものを、と思うてな」
「……あぁ、そうだな。お気に入りだ」
この縁側から見える、庭の風景。
静謐。
清涼。
心が、落ち着く。
すぐ近くの池で、元気良く泳いでいるモミジとコガネとポン太の三匹。
我が家で新しく飼い始めたこの三匹のことは、リンと華月が特に可愛がっていて、何をする訳でもないが庭で三匹を眺めている様子をよく見かける。
実際、なんか可愛いのだ、この鯉達。意外と愛嬌があって、見ていて飽きないのは俺もわかる。
餌をくれるからかわからんが、俺達のことをちゃんと認識して、こちらを見ているように思うのだ。悠然と近くを泳ぎ、そしてポン太は泳ぎが下手なのか、時々壁にぶつかったりしている。
モミジとコガネはそんなこと無いのだが、これが鯉の個性というものなのだろうか。三匹で寄り添って泳いでいることも多いので、仲は良いようだ。
そういうことがわかるくらいには、俺もよく池の様子を見ているのだ。
「何て言うかな。ここにはさ、俺の欲しいもの全部があるように思うんだ。穏やかでさ、落ち着いてて。後ろを振り返れば、お前らがいて。これ以上の日常ってのは……多分、存在しないんだろうって」
「かか……そうか」
ズズ、とウタが淹れてくれた茶を飲みながら、そう話す。
求める、日常の形。
それを、この家は体現している。
俺にとって、この我が家以上に居心地の良い場所は、もはや世界のどこにも存在しないのだ。
「……ふむ」
するとウタは、何やら企むようにニヤリと笑みを浮かべると、言った。
「ユウゴ、儂は初仕事を頑張って終え、疲れが溜まっておる!」
「そうか。全然楽に海坊主ぶっ殺して『消化不良じゃ!』とか言ってたし、今朝も寝坊することなくしっかり早起きして、朝のニュース観ながら『不甲斐ないのぉ、こんな政治家、儂ならば即クビにしてやるのに。物理的に』とか言ってたと思うが」
「ユウゴ、儂は初仕事を頑張って終え、疲れが溜まっておる!」
「おぉ、それは良くないな! しっかり休んで、英気を養わんと」
お前、俺に言うこと聞かせたい時、大体そうやって二回言うよな。
「うむ! じゃからー……ほれ!」
ポンポンと、正座で座った己の足を軽く叩くウタ。
「えっ」
「儂のために、膝枕されい!」
「……俺がする方じゃなくてか?」
「儂がする! ほれ、早う横になれ」
「お、おう、わかった」
よくわからないが、促されるがままに俺は、短パンだけを穿いているウタの太ももに頭を横たえた。
直に触れる、きめ細やかな白い肌。
熱く、柔らかで、しかし程良く引き締まった、どんな最高級枕でも敵わないだろう寝心地。
高鳴る鼓動と、落ち着く思いと、相反する感情。
ただ、今は……落ち着く思いの方が強いだろうか。
「……どうだ、疲れは取れてるか?」
「かか、うむ! お主の頭がこう、良い感じの重さになって……多分良い感じじゃ!」
「そうか。とりあえず良い感じか」
「うむ!」
優しく、梳くように、ウタは俺の頭を撫でる。
細やかな指の感触。
心が、安らいでいくような。
――ジジジ、とセミの鳴く声。
回る、扇風機の音。
木漏れ日。
葉の揺れる音。
チャポン、と池の水が撥ねる。
「…………」
だんだんと、瞼が重くなっていく。
すぅ、と意識が薄くなっていく中で耳に届くのは、小さく、鈴のような聞き心地の良い声。
「最高の日常なのは、儂らも同じ。それは、お主が作ってくれたものよ。お主が、儂らにくれたもの。じゃから――」
俺は、彼女の言葉を最後まで聞くことなく、眠りに落ちた。
ただ、頬に触れた温かな何かの感触だけは、ずっと残り続けていた。
その時見た夢は、あまり覚えていないが、とても幸福だったように思う。
えー……書籍化しました!! うおおおお、やったぞおおおお!!
偏に、読んでくださっている読者の皆さんのおかげです。本当に。みんなありがとな!!
詳細は後日!!